旧暦物語 -卯月-

@n-nodoka

第1話  旧暦物語 -卯月ー

 美術室という空間には、色々な匂いが混ざっている。

 絵画や石膏の彫刻品、木工品など、多彩な道具や作品群が織り成す、不可思議な香りとも言える。

 多種の匂いを形成する一つが、僕の眼前にあった。

 眼鏡越しに見るのは、一枚の水彩画。長方形の縦型で、半畳よりも小さいくらいの絵画が、イーゼルと呼ばれるもので支えられて立っている。

 描かれたものは、夜空であり、星空だった。

 点在する星々が、まるで舞い散り流れていくように見える、不思議で綺麗な絵画だった。

「絵画に関しては、薄弱な知識しか持っていないけど……それでも、綺麗な作品だと、僕は思うよ」

 安直だけど率直な感想を、僕は述べる。遺憾無く才能を発揮出来たであろう、いつものように傑作だと思った。

 だからこそ、分からない。何故、この作品が、

「春休みの課題としては失格、と言われたのか……一体これの、この作品のどこが駄目なんだ?」 

 素人の僕が見る分には、皆目見当がつかない。

 僕の純粋で素朴な疑問に、

「だってぇー……先生が、ダメだって言うんだもーん……」

 ほぼ全力で脱力した声が、右後ろから返ってくる。

 振り向くと、机に上半身を突っ伏した状態で、拗ねた様子で絵画を見つめる制服姿の少女が一人。件の絵画の描き手であり、僕の幼馴染でもある、一之瀬 可奈がいる。

 唇を尖らせた可奈は、顔を少しだけ動かして僕の方へと視線を向けると、

「ねーえー和真ぁー……どうしようぅぅぅ……もう、時間がないよぉぉぉ……」

「どうしようと、言われてもな……」

「どうにかしてよぉ、和真ぁー……」 

「もう既に、自分で考えることは放棄したか……」

 だってぇぇぇ……と、可奈は半泣きの状態で再び机に突っ伏してしまう。肩から流れた髪が、その表情を隠す。おそらく、拗ねているだけかと思われるが。

 僕もまた一息吐いてから、眼鏡の位置を軽く調整しつつ、美術室の窓へと視線を移す。

 微かにレンズへと移りこみ反射する、綺麗な桃色と空色。

桜が舞い散る、穏やかな景色だった。



 事の発端は、僕が自宅の自室にて勉強をした時に掛かってきた、可奈からの電話だった。

 木曜日の午前九時頃。平日ながらも春休み中であったので、習慣である午前の勉強を進めている時だった。

 机上の携帯電話が鳴り、画面には一之瀬 可奈の名前が表示される。

 置いたシャープペンの替わりに携帯電話を取り、受話すると、

『和真あぁぁぁ……助けてぇぇ……』

 明かに項垂れている、というか怨念が込められているような声が届いた。

「どうした? 何かあったのか?」 

 と聞いたところ、

『話すのが面倒だから、学校の美術室に来てぇぇぇ……』

 横暴なことを言われたので、一度電話を切ってしまおうかと過ったものの、

「……分かった、すぐに行く」

 幼馴染である可奈のヘルプ要請を、用件も聞かずに無視や拒否するのもどうかと思ったので、とりあえず電話を切った後、そのままの動きで自室を出て学校へ向かった。



 ――一之瀬 可奈という人物を説明するにあたり、色々な言葉が思い浮かぶのだけど、総括的に一言で表すならば、〝 奇抜 〟という表現がしっくりくる、と僕は考えている。

 実を言うなれば、今回のように可奈が僕の所にヘルプの連絡を入れてくるのは初めてでは無かった。

 過去にも幾つか、頻度で言うなれば、年に数回、何かしらの問題を抱えた状態になった可奈からの連絡が入る。

 問題と言っても大したことではない、というのは僕の主観なので、恐らく可奈当人にとっては、重大な問題だったのかも知れないが。

 それでもやはり僕にとっては、さほどの問題では無かった。

と言うのも、大抵の場合が〝 勉強が分からない〟という問題だったからだ。

 赤点を取ってしまうと部活動が禁止になってしまう、というような案件で、今まで何度呼び出され、勉強を教え込んだことだろうか。

 しかし、そう言い表してしまうと、さも可奈の成績が抜群に悪い、という印象を持ってしまうかと思われるが、そうとも言い切れなかった。

 前途したように、可奈は奇抜な才の持ち主で、こと美術系においては、幼少期から遺憾なく力を発揮し、群を抜いていた存在となっている。

 今月、高校二年となる僕たちだが、可奈の所属する美術部においては新入生の頃からエースとして活躍し、既に有名美大の推薦枠も確定している、との噂も聞いている。

 そして、美術系以外の勉学においても、比較的安定して好成績を収めていると言えた。

 しかし、奇抜である所以の一つとして、得手不得手の明暗が大きすぎる、という点があげられる。

 しかもそれが、同じ教科の中で出てしまうのだ。

 多少の得手不得手は誰にでも、もちろん僕にもあるのだけども、可奈の場合、度が過ぎていた。

 ゆえに、可奈の成績はほぼ毎回、何かしらの教科が赤点ギリギリを這っている状態になる。前回は評価最上位だったものが、今回は下から二番目まで下がる、そしてまた次回には最上位まであがる――という、成績表までもが奇抜な状態になっている。

 本人曰く、「要は、私の感性に響くかどうかなのっ!」という事ならしいが、僕には今一、と言うか全く理解できなかった。

 しかしだからこそ、とも思う。他とは違う、卓越した感性の持ち主というものは、歴史的にみても奇才ばかりだと言える。

 事実、こと芸術系、主に美術の授業課題に関しては、学年随一の成績をキープし続けている。可奈の、唯一安定した科目だ。

 つまりは、可奈もそういう範囲の人種なのだろう、と僕は納得している。

 だから僕は今回も、赤点の話かと勝手に思い込んでいたのだが――。

 

 

「さて、と……まずは、この可奈が描いた絵が、何故春休みの課題として認定できないと言われたのか……先生からの受けた具体的な意見を、僕にも聞かせてくれないか」

 桜の窓辺へと近づきながら、僕は再度確認として、可奈に問い掛けた。

 今回の問題は、可奈が春休みの課題として出されていた絵画が、完成したにも関わらず、課題として不備があるという理由で再提出を喰らった、という事のようだった。

 加えて、今は四月初旬。春休みも、数日で終わりになる。

可奈が本気を出せば、出来ないことは無いのだろうけども、「いや、私の中では完成してるし。課題として出したし」と、頑として譲らない構えだった。

 とどのつまり、面倒くさいので描き直したくないということだ。

 しかしながら顧問の先生も一歩も譲らなかったらしく、どうにもならなくなった可奈は、例のごとく僕の元へ連絡を寄こした、という流れだった。

「んー……なんか、テーマと合ってないって言われたけど……」 

 私はちゃんと合わせたもん、と、相変わらず机に伏せたまま、ぼやくように答える。

「なるほど……ちなみに、今回のテーマは?」

 聞くと、可奈は浅く瞳を伏せながら、

「〝 春の訪れ 〟だよ」

「なるほど」 

 頷いて、可奈へと向けていた視線を絵画へと送り、改めて眺める。

 前途した通り、描かれているのは、星と夜空。

 確かにこの絵画は、出されたテーマに対して、連想しにくいものがあるかも知れない。

 あくまでも僕の感覚ではだけども、〝 春の訪れ 〟というテーマから連想するのは、暖かな木漏れ日や陽光、季節に咲く花など、それこそ今、窓の外にある桜の景色などが思い浮かぶ。しかし、

「私は、春の夜空を見てそのまま描いただけだから、これはテーマに沿ってますって言ったけど……これじゃ、テーマとの関連性が弱いって言われたー……」

 もぞもぞと机で動きながら、可奈がつまらなそうに、拗ねた子供のように唇を尖らせる。

 前髪を弄る可奈を横目で見つつ、しかしながら、この絵画に難を付けた顧問もまた、色々と複雑な思いでいるのだろうと思った。

 可奈の奇抜さは、独特の感性であり、それが武器となる。

 しかしその武器は、周囲との感性のズレを大きくする為、諸刃の剣とも言える。

 つまり今回は、徒になってしまったケースだ。

 可奈の才能を認める顧問の先生は、だからこその期待と今後の為を想って、再提出を課したのだろう。

 だが、と見やった先では、唇を尖らせたジト目で絵画を見つめ、上手く描けたのになー、私は間違ってないもんなー、と自己肯定感丸出しの可奈がいる。薄々分かってはいたが、やはり描き直す気は無いようた。

 かと言って、顧問の先生もまた簡単には譲らないだろうことは、容易に察する。

 両者の意見は、平行線ということだ。

 では、と僕は眼鏡に触れつつ、浅く一息。

 今回僕に課せられたのは、可奈が描き直しをすることなく、この星空の絵画をいかにして〝 春の訪れ 〟というテーマに添っているものだと証明し、顧問の先生を納得させられるか、という点に絞られる。

 端から見れば、無理難題にも程がある、と言われて終わるかもしれない。

 だが、

「――……可奈、もう一度、この絵画を提出するんだ。もちろん、描き直しも無く、そのままでいい」

 僕の言葉に、ふぁ、という不可思議な声を出した可奈が顔を上げる。

「んえー、でもこのままじゃ、再々提出を言われるだけなんだってばぁー……」

 見捨てないでよぉー、と嘆く可奈に、僕は人差し指を立てて見せ、

「ただし、今から僕がする説明を一つ、付け加えて欲しい」

「へ? 説明?」

 首を傾ぐ可奈に、ああ、と頷きを返して、

「難しいことはない。ただ、こう加えてくれればいい。――可奈が描いたのは、星空だけではない、と」 



 美術室に呼び出された日の夜。自宅の自室にて勉強中に、再び可奈からのコールが来た。

 添削中だった赤ペンを置き、替わりに携帯電話を取って受話すると、

『やったよ和真ありがとぉぉぉぉぉぉぉっ!!』

 元気を取り戻したらしい可奈から、喧しいお礼を貰うことになった。

 聞いたところによると、あの後直ぐに顧問へと連絡した所、特に修正も新規に描くことも無く、そのまま春休みの課題として無事に受理されたらしい。

『さっすが和真っ! さっすが我が幼馴染っ! 最高だよ君――っ!』

 煩いので、携帯電話をハンズフリーにして、机の上に。

「ああ、良かったな、可奈」

『うんっ! 本当にありがとーっ! んでも、最初に聞いた時は驚いたよー。なんでオカラが意味あるの? って。確かに美味しいけどさー』

「物は言いよう、という事だな。あと、オカラではなく――」

『分かってるってっ! ちゃんと先生も納得してくれてたよー。和真が教えてくれた、〝 卯の花 〟の説明でっ』

 嬉々とした声に、本当に元気になったようだと察する。鬱々とした状態で新学期を迎えるのは、気分の良いものではないはずだ。

 可奈の絵画をそのままの状態で再提出クリアとする為に、僕は一つ、ある説明を付け加えるように指南した。

 それが、先ほど可奈が言っていた 〝 卯の花 〟というキーワードだった。

 

 ――この絵画には、実は星に見立てて夜空に舞う、卯の花も描かれている――

 

 旧暦の四月、卯月の名の由来になったとも言われ、春から初夏にかけて咲く花、卯の花が描かれているという体にすることで、今回の作品テーマであった 〝春の訪れ〟 の条件をクリアしたことになった、という訳だ。

 可奈の感性に倣いつつ、可奈であれば表現しそうな所を狙ってみたつもりだったのだが、ともあれ、可奈と顧問の先生、両者が折り合う形でも納得してくれたのならば、難題はクリアしたと言っていいだろう。自然と、安堵の息も漏れるというものだ。

『あー、でも、もう一つ問題があったんだよー、和真ぁー』

 息もつかせぬ間で次の課題か、と無言で突っ込みを入れると、

『あの絵の題名、考えてなかったんだけど……なんかテキトーな題名、思いつかない?』

「自分の作品の題名が思いつかないのはまだしも、それを他人に丸投げするというのはクリエイターとしてどうなんだ……」

 声を出して突っ込んでみたが、えへへー、と何故か照れ笑いの声が届く。

 もはや可奈としては、課題の提出が終わったという時点で、あの絵画については興味が薄れてしまったのだろう。いつもの事ではあるが、可奈の意識は既に、次の作品へと向かっているのだ。

 では、と眼前の机から視線を上に、自室の天井を仰ぐように数秒眺めてから、

「……参考になるか分からないけど、僕が、あの作品を見て浮かんだ言葉がある」

『えっ!? なになに教えてっ!! 多分そのまま使うからっ!!』

「ああ、僕も薄々そうだと思っている。……まあ、使うかどうかは任せるけれど」

 天井にあった視線を、今度は左側、窓越しに見える住宅街の夜空へと移して、

「可奈の絵画が、星が降りそそぐ様に見えたことから、ふと思い浮かんだ言葉があるんだ。――その言葉には、稀なもの、というような意味があるそうだ」

 僕の説明に、ふうん、という気の無い返事をする可奈に、思わず苦笑を浮かべる。

 可奈が描いたあの絵画は、稀と思わせる程の才気溢れるものだった、という僕なりの賛辞と感嘆を込めたつもりだったのだが、やはり既に、関心は失せているようだった。

 しかし、可奈らしいとも思う。それでこその、奇才ということなのだろう。

 僕が勧めるのは、星空が見える夜に雨が降る、月夜に雨が降るという、不可思議であり得ないことを意味する言葉。

 転じて、類稀なもの、という意味が込められている。

 まさに、可奈が描いた絵画の為に用意されたような表現だと、僕が思ったその言葉は、

「―― 〝 雨夜の星 〟」

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