第28話 コスモス

 まわりは明るく、あたたかく、ひたすら静かだった。

 からだを軽く丸めて、ひかりの中に浮かんでいる。


 ──秋古ときこはじめさん。風見かざみちゃん。


 声を出そうとする。くちもとだけに違和感がある。うまく声が出ない。だいたい、みんなもう二度と会えない相手だ──もしもここが天国なら、もしかしたら届くかもしれないけれど。


 うすく目を開くと、視界が緑色にかがやいていた

 からだを、あたたかなものに包まれている。


 全身にふれる感触は、たぶん液体だ。なのに不思議と視界はクリアで、目にしみて痛いというようなこともない。なんだかひどく、穏やかな気分だった。


 ほんとに死んじゃったのかな、と、みかんはぼんやりとした意識の中思う。死んだあとだとしたら、ここはたぶん、天国だ。だって、こんなふうに苦しくないんだから。それなら神さまだって、ずいぶんいい加減なものだと思う。あれだけ悪いことをした自分を、天国に迎え入れてくれるのだから。


 手を握ったりひらいたりする。水より重たい粘りけを感じる。浮遊感は、そのまま何か液の中に浮いているからだ、とようやく気付いた。からだがどうなっているのかよくわからないけれど、ともかく痛みはないし、あと、何も着ていない。


 自分がなにをしていたのか、記憶を辿ろうとする。だいぶ時間はかかったけれど、思い出す。思い出せる。

 ここ二日間ほどの、毛色が違うけれど、ひどく慌ただしい記憶。


 迷宮、封印街、六畳間、隧道広場、剣のひらめき、それから。


 ──エイジローさん。リコちゃん。


 あれからどうなった? いまはどうなってる?


 じっとしてはいられなかった。体を動かそうとする。うまくいかない。くるくると、緑の光る液体の中でからだが回る。やみくもに腕を突っ張ると、透明なところに指先が触れ、ちからがかかった。幅広すぎて手足を突っ張ってもちょっと届かない。かなり大きなガラスの筒、その中に浮かんでいる、と、やっているうちにぐっと首が引っ張られた。手で探ると、口元だけ何かに覆われていて、ごそごそいじっているみかんの耳を、ガラスと液体越しのくぐもった声がたたいた。


『あ、本当ホントだ、起きてる! おおい!』


 たぶん筒を叩く音をたよりに、水族館のカイギュウみたいに体を回す。

 緑の光のなか、まがったガラス越しに、目があった。


 ──えッ。


 人なつこい和風美人、肩で切りそろえた黒髪、未来スーツに事務員ベスト。


『お・は・よ、調子チョウシはどう?』


 みかんの目の前で死んだはずのヒメが、能天気ノウテンキな笑みを浮かべていた。


 ──!!?!?!?


 理解した瞬間、内心からいろいろとよくわからないものが爆発バクハツし、みかんは身悶えし、ただでさえ限界ギリギリ状態にあった口元からつながっているもの、すなわちが引っ張り限界に達して液の中を吹っ飛んだ。みかんの緑色の視界をみるみるうちに泡が埋め尽くし、口に流れ込んだ液は薄甘い妙な味で、当然気道に流れ込み、もう何が何だかわからなくなって。じたばた手足を動かすのでもって体はぐるぐる回転しチューブが絡みついた。


『ちょおっ、ピエット! エキ抜いてエキ! みかんがんじゃう!』

『やっています、公主ボス


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 状態が落ち着くまで、おおよそ三十分を要した。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「やあ、危なかったわねえみかんちゃん」


 アタシはお気に入りの湯呑ユノミからお茶を飲んだ。適温。ピエットに任せるとこれだから嬉しい。みかんちゃんは首にかけたタオルをいじりながらきまずげな様子だ。シャワーの後なのに髪乾かしきってないし。いや、その辺もともと気にしないなのかもしれないけどさ。


「面目ない、お騒がせしました……」

「ありがとう、でいいだろうよ」


 茶碗を啜るふうなジェスチャーをしてみせたエイジローが、単眼を細めた。


「命の恩人には違いないが、バカな脅かし方して殺しかけたのはそいつだぞ」

「う、まあそうなんだけど。でも吃驚ビックリさせてみたかったのよ、折角だから」

「あはは。いやあ、うん、なんていうか……」

「まあ、ヒメのことなんてみんな知ってるしねー。超有名人だし」


 けらけら笑いながら、菓子盆のおこしを齧るリコ。


「有名って、これがですよね」


 みかんは周囲を見回す。オドロくよね。オドロきなさい。今日はそのためにわざわざ、メインプラントのどまんなかにテーブル持ち込んでセッティングしたんだから!


「なんていうか、アニメみたいな」

「でっしょう! すごいでしょう!」


 周りをぐるっと囲んだ培養液バイヨウエキシリンダーのなかに入っているのは、全部アタシだ。アタシとそっくり同じ顔をした複製体クローンが、今はえーと、同時に四十八体育成中!


 これこそが、無尽宮公社のメインプラント。大八洲オオヤシマの一柱たるこの大宜都比売オオゲツヒメのパワーを最大限生かして産業化するスーパー秘密兵器ヒミツヘイキ


「あの、まさかヒメさんを食べてるわけじゃないですよね……?」

「似たようなものです。本郷様」


 説明しようとするアタシよりさきに、ピエットがさらりと割り込んだ。ついでに、ちょっと睨まれた。ちょっとじゃないな。額の「5」ってでっかく刻まれたプレート、完全にこっちに向いてたもんね。あの、ごめんて。ね。あとの掃除が大変だって言ってたけど勢いでここにセッティングさせちゃってね。


公主ボスは、死ぬと大量の食料を吐き出すのです。ゲームの宝箱チェストのように」

「ピエット。やっぱ言い方ひどくないそれ? ねえ?」

「ただの事実ジジツでしょう。そして、一回死ねば終わりのところを、本機の担当する深宇宙移民船コスモス号のクローニングプラントで補っております」

「……まあ、そ。そういうこと」


 生きてる間もちょっとは食べ物出せるし、クローン増やしても御霊ミタマできるアタシでもなきゃ、そういう無限復活みたいな真似はできないとか、そういう事情はあるけど。大筋は合ってる。


「そういやエイジロー、広間のアタシ食べたでしょアレ。何も残ってないし」

「あー……どっちにしろ訳有バルク品だろ。まけてくれ」

「なんていうか、うぅん、すごいなあ……あ、そうか。だからハリオさんは」


 まあ、そうでしょうよ。邪魔なを壊しただけってわけだ。ご丁寧に、御霊ミタマの邪魔をしないよう、自慢の剣も使わずに。だからってあの野郎ヤロウ


「言っとくけど、死ぬのは普通フツウ苦しいからね。焼き殺されるとかチョウやだ」


 焼けて死ぬとか、いまは遠い母神様ママンじゃないんだから。最初に斬り殺されて以来何度も死んできたわけだけども、あれは二度と体験したくない死に方トップに入った。


「ええ。ですので弊社プラントにおいては、本機が苦痛ない殺害手法を考案し、実施しております。まったく人道的です」


 ピエット。それセールストークになってないな。みかんちゃんえらい顔だよ。


「本郷様の体験された治療システムも、弊社のクローニングプラント設備を転用したものです。住人こきゃくの皆様からは好評をいただいております。如何でしたか?」

「え、ええッと、その、気持ちよかったです。溺れるまでは」

「安全対策は更に厳重にいたします。ありがとうございます」


 けらけら笑っているリコと、何か言おうとするエイジローに目配せ。悪いけどちょっと黙っておいて。アタシには、聞いておかなきゃならないことがある。


「あ。いつものやつだねー」


 そうだよ。だからちょっとダマっててくんないかなリコ。


「てことでさ。まあ、みかんちゃん。これがこのマチだし、この世界セカイ


 真剣な顔は作れてると思う。幸御魂サチミタマだけどんどんアッパーにしてるアタシだけど、このはなしだけはいつだってシリアスだから。


神様カミサマ宇宙戦艦ウチュウセンカンが共同で会社やってて、ついでに食べるものはこんな感じで作られてたりする。人の命は軽い、ってかあの剪刀せんとう騎士様とかまだ、話が通じる分優しいほうかもね」


 指折り数えて、それからアタシは、みかんちゃんの目をまっすぐ覗き込んだ。


「それからたぶん、知ってる人には二度と会えない。それでも、みかんちゃん」


 この世界セカイを受け入れてくれる?


 みかんちゃんは少し考えて、お茶をひとくち飲んだ。それから、菓子盆に手を伸ばして、ちょっと迷ってからお饅頭を一つとって、食べた。


「私、難しいことはほんと、よくわかんないんですけど」


 それから、はにかんだように笑った。


「みなさんのこと、好きになってる、って思います」


 アタシは、笑顔で頷いた。

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