第25話 その頃の二人

 文字通り一面埋め尽くす触手の大群を、見送るだけでかなり時間を要した。

 ようやく辺りが静かになる。


「厄日だ。厄日ですよこれは」


 グラトは迷宮の岩壁にもたれ、ぐったりと地べたへ腰を下ろしている。

 冷たい岩肌の感触。ついこの間も同じようなことがあったな、と思い至る

 それもこれも、あの女王様カララが原因なわけだが。


「何をぼやいている。いい仕事だったではないか。わらわは見直したぞ」

「はあ。そうですか。そりゃどうも」


 どう変化しようともだいたい、巨大な迷宮の浅い層には魔物の群生地コロニーがある。迷宮山師の真似事をしている以上、グラトはその避け方に心得があった。それは当然、見つけ出すことにも転用できる。


「正直ねえ。生きた心地がしなかったですよぼかぁ」


 どだい、話を受けたのを後悔したい仕事だったのだ。見つけだしたコロニーをこちらからし、カララが魔物を異法ので押さえ込んでいるあいだに、怪しげな肉片を埋め込む。エイジローから受け取ったものに、カララが何か細工をしていたものだ。埋め込まれた魔物が痙攣しだしたら次。また次。

 数を稼いでからは、触手の怪物、カララとエイジローいうところのハイドラ化した魔物が、勝手に周囲を取り込み、挙句は他の魔物のコロニーから、小さな地底湖まで襲って同化し始めた。最初カララは笑って見ており、ああこの娘もと来るだけはある巨悪なのだなあなどとグラトが感慨に耽っているところ、いきなりとんでもないことを言いだした時は血の気が引いた。


 ――こやつら、従わぬわ。やっぱり。


 あとはもう、めちゃくちゃだった。こちらまで取り込もうとする、というか執拗にカララを追い回す触手魔物から逃げ回り、広間うえへ出る道は物量で塞がれ、いいから下を目指せというカララの言葉にヤケクソで従った。

 狭い回廊を見た目の発狂した魔物の濁流に追い回される。冬のうたた寝で見る悪夢のようだった。

 最後の最後、追い詰められた先から触手怪物ハイドラの群れがおそろしい勢いで退いていったときには、自分の正気すら疑った。

 あとは言われるまま、カララを担いで竪穴タテアナの真下あたりまで駆け戻ったわけだが。


「何をやったんです。一体」

「ちからいっぱいだけだ。ああ、同族にしか聞こえぬ声でな」

「……ああ。勢子せこですか、要するに」


 にしても、あの物量の全部が全部遁走とは、どれだけ大声でわめき散らしたのか。あの逆流っぷりは尋常ではなかった。

 とにかく助かった。汗と埃がひどく気になり、鞄から襤褸布を引っ張り出す。顔を拭った。目線がふさがっているうち、肩を叩かれた。

 カララが中腰に、グラトの顔を覗き込んでいた。


「どうしました」

わらわは疲れた。甘いものでもないか。鍋焼菓子ハットケーキとか」

「あんな嵩張るもの、持ち歩けませんて」


 『影』に騙られた相手なら、栄養は普通でいいはずだ。カララはやや特例ではあるが、大方は同じだろう。グラトは鞄から、飾り紐で印のある水筒を出した。


「どうぞ。甘いですよ」

「うむ」


 あおったカララが渋面になる。


「何だこれは」

「倍に薄めた糖蜜樹の樹液です。甘いでしょう?」


 毒薬でも見るように睨んでいる小さな手から水筒を取り、グラトも飲んだ。舌を殴りつけるような強烈な甘み。ひといきついて、厳重に封をし直す。


「元気が出ますよ」

「……貴様、嫌がらせかこれは。協力せぬぞ」

「してくれる気はあったんですか?」

「ああ」


 幼い娘には不釣り合いな憂い顔で、カララは長い息を吐いた。


「試すだけは試したからな。気は済んだ。どうとでもせよ」

「そうですか。そりゃありがたいですがね」


 正直な話、グラトとしてはどれだけうまくかすめとれるかというのが、第二の関心事だった──第一はむろん、首尾よくカララを連れ帰ることだ。この無茶な仕込みも、いざとなればすべてエイジローが被るという条件と、それが通るほどに特殊な話だという見込みがなければ、なんとか避けようとはしていたろう。


「上はどうなりましたかね。ばかに静かですが」

「さてな。エイジローの気配はするゆえ、まだ生きてはいよう」

「間に合ったんですかね、頼みの綱は……」


 でハリオに退散願う、という馬鹿馬鹿しい大ネタは、果たして首尾よく運んだものか。

 やや悩んだ末、グラトはもういちど、竪穴タテアナを見上げた。


「上がりますか」

「……いいのか?」

「ええ。僕はいま、ですので」


 へらり、と笑ってみせる。

 悪くてもエイジローとカララに弱みを握られたと訴えれば、嘘にはなるまい。この期に及んでは、公の記録もになるかもしれなかった。


 竪穴タテアナに張り付いた螺旋階段をのぼるうちも、騒ぎの気配は伝わってこない。とうに片付いて誰もいない、それならそれでも悪くはない結果だ。


 顔を出す。嫌なものが見えた。足を止める。眉間を揉む。小走りに追いついてきたカララが、数段多く駆け上って、グラトの肩越しに頭をのぞかせる。


「おい」

「ええ。なんですか」

「雲行きが怪しく見えるが」

「奇遇ですね。僕もです」


 竪穴タテアナのまえ、若草色の外套がふたり、奇妙な緊張感を孕んで対峙している。ついていない。グラトは内心で毒づいた。


 視界の隅で、触手を生やした地底魚が、びちびちとはねている。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 目の前に、剪刀せんとう剣の銀刃がある。


「我らは何者の影でもないことを誓う」


 押し殺したような低い声が、確かにそのことばを告げた。

 ハリオは頷き、おのれの剪刀せんとう剣を構え、答えた。


「我らはただ我らであることを誓う」


 ふた振りの剪刀せんとう剣の側面が軽く打ち合わせられる。


「感謝を」

「いえ。あなたの異議が、理のあるものであることを信じます」


 納刀のうとうの音が重なった。

 本郷みかんが、口を半開きにしてこちらを見ている。


「あのぅ、これって」

「逃げないでくださると助かります。話はこれからですから」

「いろいろ違うが、だいたいは裁判みたいなものだと思え、本郷」


 エイジローが偽足を伸ばし、みかんの肩を叩いた。


「少なくとも、話にはなるってことだ」

「ええ。とはいえ、私が啓示を賜ったのは確かなことですから」


 ハリオは頷いた。目線の先、小柄な若草外套は動かない。


「誠実な交渉を望みます。対話の聖域に誓って」

「対話の聖域に誓って。……騎士ハリオ」

「何か?」


 頭ふたつぶんの身長差を見上げて、作り声が問うた。


「多少も構わないか」

「どうぞ。ご随意に」

「感謝を」


 若草色の頭巾フードが、勢いよくめくりあげられる。

 どころか、凄まじくぞんざいに、若草色の外套が脱ぎ捨てられた。

 大きく振り回す上体に、ながい栗色の髪がふわりと広がった。


「ひゃーっもうさー! つーかーれーたー! ひさしぶりだと肩こるよーもー!」

「うぉぇッ!?」


 居並ぶ顔からすっとんきょうな声。単眼は半目はんめで腕組みらしい素振り。

 ハリオはどうかといえば、少し話しにくそうな相手だと覚悟を固めていた。


「リコさんッ!?」

「いえーす、あいあーむ!」


 猫のような少女の顔が、人懐ひとなつこげに笑った。

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