第24話 馬鹿騒ぎ
――冗談じゃない。
「道を開ける気はありませんか」
ハリオは平坦な口調で問う。そうと見えるサイズだったら、肩でも竦めてやりたいところだった。あの動作をそれらしく見せるため、ずいぶんと練習したのだ。
「
「他の騎士の司る
頼むことしかできないのですよ。と言うなり灼熱化が来た。直径二メートルばかりの球形空間が
──最悪、迷宮に逃げ込むか。
リコがいないこと、食糧を持ち込めないこと、何よりみかんが迷宮に不慣れである一方で、ハリオは十分に手慣れている様子であること。どの要素をどう考えても下策だが、時間稼ぎのためだけなら、ない手ではない。
『おい、エイジロー』
体に響く声。カララだ。ごく控えめな声量で、目が眩むようなこともない。
『数は揃った。行けるぞ。ああ、ただ、だな』
声に間が空き、エイジローは訝しんだ。嫌な予感がした。この通信は一方通行だ。問い糺すこともできない。
『うむ。やはり制御できん。追い出すぞ』
「えッ、うぉえあッ!?」
森と化したエイジローの体内、
そこで何が起こっているのかを把握したエイジローは、ありもしない頭が痛くなる錯覚を覚えた。常人的にならんとした訓練の賜物である。それから、どちらかといえば痛んでいるのは腹の方だな、などと、どうでもいいことを思いつく。
それから自分の腹の中で猛烈な勢いで進行する馬鹿騒ぎをどうするか、少しだけ考え、悩むことを止めた。
ままよ。予定通りに使うまでだ。
「
「いいですね。何です?」
広間自体が震えるような声に、ハリオは行く足を止めない。
ハリオの行く壁に巨大な単眼を生成し、エイジローは真面目くさって告げた。
「道を開けてやるよ」
密集した触手の木立がまがり、左右に大きく開く。
同時、開口部から、それに数倍する触手の濁流が噴出した。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
そのとき隧道広間に何が起きていたか。
まず、もともと往来していた迷宮山師やら
いかにも。そのとき隧道広間は、関係者以外無人の空間となっていた。
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時間はわずかにさかのぼる。
どうにか立ち上がって、動けることをたしかめて。それから。
触手のつくる細い通路、白い木漏れ日のなかを、みかんはまっすぐ走っていた。
かけぬけた背後でつぎつぎ立ち上がる肉の壁は、こちらを庇うためのもの。
見慣れた肉触手だけども、さすがにこれは未体験ゾーンにもほどがある。
手足が、まだ重い。
本当に、何もかもめちゃくちゃな二日間だった。
月へ行って。戦って。死んだと思ったら異世界で。喋る触手で。
生きていいとか悪いとか、いろいろ言われて。言ってもらえて。
腕、肩、ぎりぎりで胸元、腿、切り傷だらけで。
「あー。あー、あーッ! やっぱダメダメッ!」
夢とか走馬灯とか、そういうものかもしれない。
だって、とっくになくなっていたはずの痛みや、重い疲れが体にある。
けれどハリオと立ち会った緊張感は本物だった──ヒメさんのことも。
みかんは正直、考えるのが苦手だった。あたまはぐちゃぐちゃになっている。
「わかんないッ! わかったッ!」
だからまた、なんとかなる、と思うことにした。
息が上がって倒れるまで走れば、そのとき見えたものが答えになる。
昔言われて、そう信じて、いまもまた、そうすることができるのだから。
広間の中央まで、五十メートルもない距離が、やけに遠く感じた。
肉触手アーチがとぎれる。視界が少しひらける。
文字通りの柵で囲われた
誰もいなかった。
「あ、あれ?」
誰もいない。ここを目指せと、ガイドもあったのに。
きょろきょろ見回してみてもいないものはいない。肉触手の壁があるばかりだ。
「迷宮に逃げろ、ってことなのかな」
ここだけは見覚えのある出入り口を、みかんは覗き込んで。
「えッ」
その顔面めがけて、ものすごい勢いで何かが飛び出してきた。
「うぉえあッ!?」
反射的に拳を叩き込み、炸裂する
しまった、と後悔するより先に、みかんは殴り飛ばしたものが何かを認識する。
触手だった。
「え、ええ」
触手だった。大型の鶏のような下半身からにょきにょきと生えた肉触手。みかんにとってはある意味見慣れたものだった。
「は、ハイドラッ!?」
いかにも。それはハイドラだった。一匹ではない。一匹どころではなかった。
鶏触手、鶏触手、鶏触手に
「うわあッ!?」
ここまで意味不明な状態かつ状況だと、ハイドラ相手に戦い続けたみかんですら、それを敵だと認識できなかった。おもわず飛び退り
みかんの様子などお構いなしに、猛烈な勢いで触手の噴出は続く。
ひたすらに出口をもとめて、
その様子はまるで。
「何かに、追い立てられてる……?」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
みかんにもう少し、迷宮についての知識があれば判別できたかもしれない。それは
魔物は元来、迷宮から出てこない。封印街に上がることも稀である。これは魔物がかつて「暴力」により作られ、「対話」の秩序を嫌うためだと言われる。
その魔物が、恐ろしい勢いで広間へ溢れ出していた。しかもいずれもが、
魔物としての攻撃性も、
エイジローの肉の森がつくる道、その噴出先はハリオの目の前だ。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
触手の濁流を前に、ハリオは確かに逡巡した。それはこの変異しきった異形群が、魔物を基本としながら何らかの原型異法を帯びていることへの戸惑いであり、また、肉触手がエイジローとあまりに似ていることへの躊躇であった。
「エイジローさん。あなたの仲間ですか」
「さあな。ただの魔物じゃないか」
ハリオは歯噛みする。
広間はおそらく、エイジローに封鎖されている。つまりここでハリオが触手魔物に対処しないことを選んでも、食い止められはするはずだ。
だが、それを選ぶことはできない。この触手魔物の正体は定かではないが、いずれ「騙るもの」による騒乱には違いない。そして、
たとえば、刑の執行に割り込み妨げること。あるいは、単に暴れまわること。
エイジローに剣を向けたのと同じく、この触手魔物を見逃すことは認められない。
何よりハリオの
啓示と連動させた変容感覚が、はっきりと本郷みかんの所在を告げていた。
左手指で照準。開口部を飲み込むかたちで灼熱化の異法を
常温定義変容。球形の相転移場に巻き込まれた触手魔物群が、瞬間的に炭化する。
「いいですね。わかりました」
確認は後だ。
場合によっては、エイジローも
骨の折れる仕事になりそうだが。かの騎士と接触できなかったことが悔やまれる。
焼けた大気に、ハリオは無造作に踏み込んだ。熱気に若草色の外套がはためく。
剣撃、
骨を割り、内臓を裂く感触。伸びる触手が色を失い崩れ落ちた。先程までの敵手、エイジローの肉触手と同じだ。異法で生命活動そのものを維持する「騙るもの」に、
つまりハリオは、二通りの手段によって触手魔物を鏖殺できる。
それがわかれば十分だった。
ハリオは前進を再開する。広間の中央まで、とうにあと、半分の距離もない。
ただ、前に進むにつれて、その足取りは緩まずにはおれなかった。
単純に、触手魔物の濁流が勢いを増している。どころかより単純な、魔物の身体を持たない触手のみが比率を増していた。剣では寸断せねば死なない相手だ。といって灼熱化の異法は、準備に僅かな時間を要する。
要する手数が増える。小型の魔物や昆虫を芯にした、とハリオはあたりをつける。迷宮の中で何をしているかは知らないが、入口付近の魔物をあるだけぶつける勢いで改造したとみえる。徹底的な消耗戦の構えだ。
時間を稼ぎ、逃がす気か、とも疑った。だが、本郷みかんの気配が動かない。
隧道広間の中央で、まるで、何かを待っているように。
待ち伏せての反撃か。あるいは、単に動けないのか。浅い傷ではなかった。
考えてもせんのないことだ。直接確かめればよい。
押し寄せる触手の量がいや増す。
ハリオの足が止まる。
右の剣で至近の触手を払い、外套の下、左手を開く。
若草の外套の上から、肉色の触手が絡みつく。骨を軋ます高圧。痛覚抑制。
異法の
「無用だ」
不意に、ハリオのものではない声がした。押し殺したような低い声。
銀光が連続して閃く。
間合い数歩分の肉触手が、瞬間的に消滅した。
ハリオは目を眇める。
目深に下ろした
ハリオよりずっと小柄な、若草色の外套姿が、肉の隧道に出現していた。
「失礼。あなたは」
「見ての通りだ。委細承知」
小柄な影は振り向きもしない。触手魔物が殺到する。再度、銀光が閃く。
ハリオの目から見ても異常な速度と精度だった。小柄の不利をものともしない。
剣の間合いに入った肉触手が、感電したような勢いで弾け飛ぶ。
切り落とされた触手が、そのまま力なく溶け落ちる。
いかにも、小柄な影の得物もまた、剪刀剣に相違なかった。
さらに殺到せんとする触手へ、ハリオは左手指を突きつける。
灼熱化の異法が炸裂。相転移。炭化。さらに連続して
触手の怒涛に風穴があく。
「行くぞ」
「いいですね。承知しました」
目的地は同じということだ。ならば、あとは悩むことがない。
灼け落ち切り散らされる肉触手は、火に触れる氷のようだった。
剪刀騎士ふたりという本来ありえない大戦力は、見る間に広間を
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
視界の隅で、びちびちと触手が跳ねていた。下半身はどうみても魚だ。
みかんは
飛び込もうか、入り込もうか、と考えて、止めた。たぶんそれは予定外だ。
右も左も分からないなら、知ってる人に素直に頼る。恩ならあとで返せばいい。
だいたい、本郷みかんはそういう人柄でもあった。
連続する爆音が、相当な勢いで近づいてくる。
とても人間の発するものとは思えないが、
「いや、そりゃ私もおんなじかな……」
「何黄昏れてんだ。お前は」
ぼとり、と横に落ちてきたものに、みかんは目をやった。
エイジローだ。一抱えほどのサイズの。
「あれ、戻ったんですか?」
「急場しのぎでかさだけ増やしたからな。あんだけ腹の中で暴れられると堪える」
あとしばらくは、勝手に塞いでくれてるさ、と、エイジローは触手偽足を竦めた。
みかんは軽く吹き出した。
「なんだ。さっきから俺見ては笑いやがって」
「いや。なんか、なんでしょう。安心して。なんでかなあいたッ」
後頭部をかるくかこうとして、右手に走る激痛で顔をしかめた。
「なあ。本郷、思ったがお前馬鹿だろ?」
「ひどい! いや自分でもたまにそう思いますけどッ!」
ひときわ強い爆音が轟いた。大気灼熱化による爆風。
「顔引き締めろ。おいでになったぞ」
「はい……って、えッ?」
熱にゆらぐ大気から踏み出す影に、みかんは左手で目をこする。
「えーと。お子さん、ですか」
「違います」
ハリオのかおにはまた、美術的な笑顔が戻っている。
並んで、小柄な若草色の外套がもうひとつ。首元には青鉄色の大徽章。
目深におろしたフードで表情は知れないが、体格不相応な威圧感。
何より、外套の裾から覗く銀鉄は、
「別の騎士です。先程、そこで行き合いましてね。ところでエイジローさん」
「ああ」
エイジローは半眼になった。
「そいつが俺の担当だ」
「担当、ッて……え?」
「無茶をしたな。エイジロー」
押し殺した低い声。
「街をどうする気だった」
「どうするも何も」
エイジローは、また肩を竦めた。お気に入りのポーズ。
「最悪でも、俺たちが食い止めたさ」
「そうか」
小柄な騎士は頷き、無造作に数歩踏み出した。
反射的に、重い体を
小柄な騎士は、くるりと振り向いた。
数歩離れた間合いから、ハリオへ、剪刀剣の切っ先を突きつける。
「では、予定通りだ」
ハリオは目を眇めて、小柄な同輩を見た。
「なるほど。つまり、あなたが出処だと?」
「そうだ」
小柄な騎士はかすかに頷いた。
「
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