第16話 ハイドラの女王
封印街の入り組んだ坂をくだるうち、カララは本郷みかんの視線が、頻頻と自分へ向くことに気付いた。企みに勘付かれたかと思えば、どうやらそんな様子でもない。先導するグラトとあとに続くカララのあいだ、足取りを気にしているようであった。思えば、カララはただの常人の小童なのだ。おとなの足に付いてこれるか、気を配るのは善人の証左であろう。
「ん、カララちゃん、どうしたの? 私の顔に、何かついてる?」
「おきれいだな、と思っていました」
「え、ええッ、いやそんなッ! 何言うかなカララちゃんはッ!」
世辞ではなかった。
――さだめし、良い苗床になったであろうに。
形式、あるいは記録上としては長い付き合いになるとはいえ、真近にこの娘を観察するのはおおよそ初めてだった。何しろお互い遠く離れていた――今やカララという名の小娘に成り果てたモノが、より単純に
それでも二度だけ、顔を合わせたことはある。一度目は北海道で、諸々をうしない泣き崩れる姿だった。
二度目の邂逅は月面基地であり、完全な姿となった忌まわしき
──
獣と呪われ
むろんこの世界に、
それにしても、赤面し派手な
「みかんさんと添われるかたは、きっと幸せですね」
「そ……?」
何を言われたのか、一瞬飲み込めなかったのだろう。きょとんとした顔が、まずは赤くなり、それから視線を泳がせ、首ごと明後日を向いて手を握ったり開いたりし、そして最後になぜか、
「ううん。私、そういうのはちょっと、ないかな」
「あら。恋人になりたいというかたには、事欠かないと思いましたのに」
「ない、ない。トモダチはけっこう、いたけどね。私ガサツだから……」
なるほど、明るい、という印象は、振れ幅が大きい、に修正される。恋人に何か、嫌な思い出でもあるのか。単純に
しかし、わからないものだ。
今やおそらく、世界唯一のハイドラと供におり、十中八九
「ほどほどにしてくださいよ、お嬢様」
グラトがうんざりと口を挟む。
「僕らはお家のために、成果を持って帰らなきゃならんのでしょう?」
「まあ、そうでしたわね。グラト」
いまは、そういうことになっていた。
落ち目の名家の無謀なお嬢様が、一発逆転を目指して諸王京でなんでも屋を雇い、無尽迷宮に宝探しにやってきたという。グラトもカララ――もちろん生前のカララも身分に嘘偽りはない。ゆえに吐きやすい嘘ではあるが、それにしても胡散臭すぎた。よほどのお人好しでなければ信じまい。
「あの、ありがとうございます。グラトさん。私、お仕事に割り込んじゃって」
「いえ、本郷さん。有り難いくらいですよ。僕ぁ、荒事は得意じゃないので」
グラトの社交的な笑顔は、まずもってうまく装えている。面の皮の厚いことだ。
やるほうが笑いだしたくなるような嘘を、しかし、本郷みかんは信じた。
「頼りにしています。みかんさん。きっと、信用できるかただと思いますから」
「えッ、うん、そうかな、がんばるよ。うん」
――そんな
だからこそありがたい。もし乗ってこなければ、更にグラトを口説き倒して――ああ、どんな
それだけは、まだ。
いかにも、
ふたたび始めるため、何としてもその最後のハイドラが必要だった。
そのために、危険ではあるが何故か親しくしているらしいみかんを使う。みかんが身籠っているのなら直接そちらを狙う手もあったが、その様子はない。このお人好しが気を許してくれるなら、ことを終えるまで手出しを遅らせる目処も立つだろう。
いかにも
「あ。このあたり、あのずらっと並んだ聖書の看板! 見覚えがあります!」
「ええ。この先が隧道広場です。本郷さんも通られたでしょう?」
「はいッ。上の道が
「まあ」
己の恥にすら直截的すぎる
視界がひらける。同心円状に
もともとの
満身創痍のグラトを引きずって、一度通った場所だ。
「あ」
広場に接続する階段路地から踏み出してすぐ。みかんが棒立ちになった。
「本郷さん? どうしました?」
みかんの肩越しに、グラトが
「ああ。お嬢様、ああ、そんな風に出たら服がひどいことにねえ。聞いてます?」
「みかんさん、どうかされて――」
通路とみかんの隙間から身体を強引に押し出し、抜け出して息をつくより前。
想定外のものを見て、
色とりどりの石畳の上。肉塊に単眼。偽足に触手。もはや見紛いようもない。
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