第16話 ハイドラの女王

 封印街の入り組んだ坂をくだるうち、カララは本郷みかんの視線が、頻頻と自分へ向くことに気付いた。企みに勘付かれたかと思えば、どうやらそんな様子でもない。先導するグラトとあとに続くカララのあいだ、足取りを気にしているようであった。思えば、カララはただの常人の小童なのだ。おとなの足に付いてこれるか、気を配るのは善人の証左であろう。


 可愛かわいらしいといってよい少女のかんばせに、意志の強そうな眉がよく馴染んでいる。だかろうじておすめすに分化しきらない僅かな時期にこそ成立する、奇跡的均衡がそこに保たれていた。それでいて、身体は母胎となるに十分なだけ仕上がっている。ゆたかな乳房と安定感のある腰のつくるラインには、その他ほとんど無駄な肉がない。


「ん、カララちゃん、どうしたの? 私の顔に、何かついてる?」

「おきれいだな、と思っていました」

「え、ええッ、いやそんなッ! 何言うかなカララちゃんはッ!」


 世辞ではなかった。原人類オリジネイター近似種のに関心を抱くのは、永続生物群ハイドラの本能に近いものだ。故にこそこの娘が、英雄機レクスとなった事が惜しかった。


 ――さだめし、良い苗床になったであろうに。


 形式、あるいは記録上としては長い付き合いになるとはいえ、真近にこの娘を観察するのはおおよそ初めてだった。何しろお互い遠く離れていた――今やカララという名の小娘に成り果てたモノが、より単純に不死なる蛇ハイドラの女王であったころ、二人の間は三万八千キロメートル以上隔たるのが常だった。つまり、月面と地上である。


 それでも二度だけ、顔を合わせたことはある。一度目は北海道で、諸々をうしない泣き崩れる姿だった。凛々りりしくもあいらしい彼女の美点は、大体が覆い隠されていた。彼女の戦友が身を挺さなければ、あるいはあの場、あの時に、本郷みかんは完全に、人類の側より喪われていたかもしれない。

 二度目の邂逅は月面基地であり、完全な姿となった忌まわしき英雄機攻ヒロイックギアまとって、地上全ての祈りを束ね女王カララを、永続生物ハイドラのことごとくを滅ぼさんとするその姿は、


 ──わらわよりも、よほど獣じみていたな。


 獣と呪われ原人類オリジネイターに追われたる血統保持機構ハイドラよりなお、獣狩りの王たる英雄機レクスが獣性を帯びるとは。如何いかな皮肉か。もし神があるなら、余程の悪趣味と見える。

 むろんこの世界に、女王カララとあの英雄機レクスを送り込んだことも含めてだ。


 それにしても、赤面し派手な身振手振ジェスチャーで何かを否定したがっているみかんは、女王カララにとって新鮮なものだった。つまり、この英雄機レクスにも、こうも明るく人間らしい面があったのか、という意味で。時間つぶしにからかいたくなる程度には興味深く。


「みかんさんと添われるかたは、きっと幸せですね」

「そ……?」


 何を言われたのか、一瞬飲み込めなかったのだろう。きょとんとした顔が、まずは赤くなり、それから視線を泳がせ、首ごと明後日を向いて手を握ったり開いたりし、そして最後になぜか、目許めもとにすっと薄暗いかげりを帯びた。


「ううん。私、そういうのはちょっと、ないかな」

「あら。恋人になりたいというかたには、事欠かないと思いましたのに」

「ない、ない。トモダチはけっこう、いたけどね。私ガサツだから……」


 なるほど、明るい、という印象は、振れ幅が大きい、に修正される。恋人に何か、嫌な思い出でもあるのか。単純に不死なる蛇ハイドラにえとなったか。おそらく後者だろう。何しろ女王カララと眷属たちは、永続生物群ハイドラならぬ身の全てにとって絶望であったから。


 しかし、わからないものだ。不死なる蛇ハイドラの天敵と成った英雄機レクスであり、女王カララの想像のうえでも――そして記憶にある拳と非存在力場IFFの痛みからしても、永続生物群ハイドラへの一方ひとかたならぬ憎悪を抱いていたはずの、本郷みかんという存在が。


 今やおそらく、と供におり、十中八九気遣きづかってすらいるとは。


「ほどほどにしてくださいよ、


 グラトがうんざりと口を挟む。


「僕らはお家のために、成果を持って帰らなきゃならんのでしょう?」

「まあ、そうでしたわね。グラト」


 いまは、そういうことになっていた。

 落ち目の名家の無謀なお嬢様が、一発逆転を目指して諸王京でなんでも屋を雇い、無尽迷宮に宝探しにやってきたという。グラトもカララ――もちろんのカララも身分に嘘偽りはない。ゆえに吐きやすい嘘ではあるが、それにしても胡散臭すぎた。よほどのお人好しでなければ信じまい。


「あの、ありがとうございます。グラトさん。私、お仕事に割り込んじゃって」

「いえ、本郷さん。有り難いくらいですよ。僕ぁ、荒事は得意じゃないので」


 グラトの社交的な笑顔は、まずもってうまく装えている。面の皮の厚いことだ。

 やるほうが笑いだしたくなるような嘘を、しかし、本郷みかんは信じた。


「頼りにしています。みかんさん。きっと、信用できるかただと思いますから」

「えッ、うん、そうかな、がんばるよ。うん」


 ――そんな性質たちでもなければ、英雄機レクスになど選ばれまいな。


 だからこそありがたい。もし乗ってこなければ、更にグラトを口説き倒して――ああ、どんなオスとろかす女王の肢体したいがあれば、どれほどはなしが楽に運んだことか――くだんのを探させていたろう。その上でいまの弱まりきったとしか思えぬが及ぶほど近寄らねばならない。あとはほんのわずか、ひとときがあればよい。そのため必要なだけはまだ使えると、女王カララの感覚が告げていた。


 それだけは、まだ。

 いかにも、女王カララの大半はいま、喪われている。

 不可視の力IFFなどは余技のようなものだ。女王の力ではあるが、根幹ではない。矢鱈やたらあふれる封印街だが、女王カララ蠱惑こわくが通じる相手は、ただの一人もいなかった。当然だ。この小娘カララ肉体からだでは無理なのだ。何より重要なものが欠けているのだから。

 ふたたびため、何としてもそのが必要だった。


 そのために、危険ではあるが何故かしているらしいみかんを使う。みかんがのなら直接そちらを狙う手もあったが、その様子はない。このお人好しが気を許してくれるなら、を終えるまで手出しを遅らせる目処も立つだろう。


 いかにも女王カララは、血統保持機構ハイドラの女王たることを諦めていない。かつての血肉は今やここにないが、しかし女王カララという存在は、かくあれかし、と生み出されたことを確かに記憶している。

 遺伝子ジーンの権化である血統保持機構ハイドラが、仇敵たる英雄機攻ヒロイックギアの力、情報子ミームすがるとは。まさに、神はよほど悪趣味であるに違いない。


「あ。このあたり、あのずらっと並んだ聖書の看板! 見覚えがあります!」

「ええ。この先が隧道広場です。本郷さんも通られたでしょう?」

「はいッ。上の道が複雑ふくざつすぎて、どう歩いたかわかんなかったんですけど」

「まあ」


 己の恥にすら直截的すぎる英雄機レクスの言動に、半ば以上本心からの笑いがこぼれた。


 視界がひらける。同心円状に天幕テントが並ぶ、ちょっとした広場。

 もともとの小娘カララの記憶によれば、世界に二つと無い観光名所。

 満身創痍のグラトを引きずって、一度通った場所だ。


「あ」


 広場に接続する階段路地から踏み出してすぐ。みかんが棒立ちになった。


「本郷さん? どうしました?」


 みかんの肩越しに、グラトが物怪もっけ顔で振り向くのが見えた。


「ああ。、ああ、そんな風に出たら服がひどいことにねえ。聞いてます?」

「みかんさん、どうかされて――」


 通路とみかんの隙間から身体を強引に押し出し、抜け出して息をつくより前。

 想定外のを見て、女王カララもまた、一瞬思考が停止した。


 色とりどりの石畳の上。肉塊に単眼。偽足に触手。もはや見紛いようもない。

 同族ハイドラの姿がそこにあった。

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