第15話 迷宮隧道広間、天幕
無尽迷宮封印街第三層でもっとも秩序ある場は、最大の容積を誇る空間でもある。
迷宮から掘り出された資材を継ぎ接ぎして組み上げられる都合上、封印街は路地が立体的に組み合った、
差し渡し八十メートルほどの背の低い円柱型、三層から二層をぶち抜く吹き抜けの迷宮隧道広場は、無尽宮公社が躍進の気配を見せたとき、「語り部の家」の肝いりで築かれたものだ。
迷宮からの引き揚げ品を運び出す際にも使われるこの空間は、迷宮山師たちが行き交う要所であると供に、無尽迷宮に「語り部の家」の権威を示す
天井に白く輝く巨大な純異法型
中央の
遠く、滑車の音が響いていた。
ごく地味な、あかるい若草色の
骨組みから突き出したフックにかかった外套も、見事な若草色に染められていた。
異法
「エイジローさん。あなたも如何ですか」
ハリオ・サムラの笑顔は、無表情と同じことだった。
出会ってから半刻も経っていないが、そこは確実に言い切れる。
エイジローは単眼を細めた。
「いや。悪いが、俺は頂かないですよ。
「そうですか。嗜好品なら、栄養を気にすることもないでしょうに」
実際、粘膜で感じる限り、鏃豆茶は良い香りだった。
昔、試しになめてみたが、ミントとココアの合いの子のような
もっとも、それをしっかり把握するのには、
「ご覧の通り、まともな舌もない
風味を楽しむもの、ことに茶や酒といった飲み物とは相性が悪い。
「残念です。故郷の豆なのですが」
ハリオは把手のない木椀から鏃豆茶を飲んだ。
「しかし、
「意外そうですね」
「偶然みたいなもんですがね」
起きて朝飯をかきこんだあと、リコはまたふらふら消えてしまった。
みかんも散歩といって飛び出してゆき、遣いが来たのはその直後。
要するに、一〇三号にはエイジローしか残っていなかったのだ。
「生きてるうちに、こんな機会があるとはね。思いませんでしたよ」
「貴方だから呼んだのですよ。確認したいのですが、いいですか」
来たな、と、エイジローは内心身構えた。
嘘は通じない。碌でもないことを訊かれなければいいが。
「あなたを担当している騎士と、連絡は取れますか?」
「いいや」
答えやすい質問に感謝しよう。エイジローは偽足を竦める。
「俺を監視するとは言ってましたがね。こっちからは、どうにも捕まらない」
「そうですか」
ハリオは唇をつぐんだ。苛立ちの色がわずかにある。
「では、今回の件に関わっているかどうかは?」
「そりゃあ、そちらのほうが詳しいでしょうよ」
エイジローは単眼を顰める。
「ことにかかる前は、語り部から指示があると聞いてますがね」
「剪刀を
ハリオは腰の青鉄の鞘に軽く触れた。剣が微かな音を立てる。
「他の騎士の職分について、知ることは滅多にありません」
「そういうもんですか」
「ええ。他の騎士があずかる
ハリオの顔から、ほんのいっとき、張り付いた笑みが消える。
視線の突き刺さる錯覚を、エイジローは感じた。
「たとえそれが、国を滅ぼしかねない災厄であってもね」
「やめてくださいよ。騎士様」
単眼を逸らさず、エイジローは偽足を
「俺にはその気はないし、それこそ他の騎士の取り分になるでしょう」
「失礼。エイジローさん、貴方が理性的で何よりですよ」
ハリオは、もう彫像めいた薄ら笑いを復活させている。
「もうひとつ。昨日、迷宮から機械部品を持ち帰ったそうですね」
「ええ。確かに」
――このまま世間話で終わったら、笑い事だったな。
案の定だ。エイジローにとって、来ると踏んでいた流れだった。
「新しい終幕が流れ着いた?」
「あれだけの規模なら間違いないでしょう」
「そうですか。実は私も、昨日の夜に潜りましたが」
まさか、誰かを雇ったわけでもあるまい。壁の外套には傷一つない。
この男は少なくとも、無尽迷宮の中層まで、一人
エイジローの知る限り、剪刀騎士とはそういう生き物だ。
「値打ちものは綺麗に消えていた。道理で、貴方は腕の良い迷宮山師のようだ」
「いやあ。意地汚いだけですわ。こっちも、生活がかかってるもんでね」
「ご謙遜を。職分に忠実であるのは、誇るべきことです」
一拍の間があった。核心が来る、という予感があった。
「エイジローさん。あそこで誰か見つけませんでしたか?」
「戻るときには――」
エイジローはよどみなく言葉を選んだ。
発声偽足を形成しふるわすエイジローの声は、感情を表に出しにくい。
今ばかりは、それがありがたかった。
「――むかしから知った顔だけでしたがね」
ハリオは微かに笑顔を崩し、目を
エイジローも真似て、半眼をつくる。
「なるほど。結構です。ご足労感謝します、エイジローさん」
「いえ。市民の義務というやつでしょうよ」
公社経由で市民権を買っている単眼触手は、そのように応じた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
広場の
小柄というか、一抱えに余るほどしかないエイジローは、広場が苦手だ。
それだけでも憂鬱だが、今はそれ以上に、憂い事のたねがあった。
――思ったよりも、動きが早い。
自分に接触を持とうとしてくれたのは、幸運な偶然だった。
あちらの性格がうまく作用してくれた、というところだ。
剪刀騎士がひとりひとり別ものだとは、実に本当のことであろう。
そんなことを思い知る身の上には、心底、なりたくなかったが。
ハリオは理性的だ。もう一通り、直接の手がかりを洗い終えている。
その上で、迷宮の出入り口を監視する構えに入っている。
隧道広間を抜ける正規の道なら、必ずハリオの側を通ることになる。
不正規の出入り口を、無理矢理ぶち抜いて作ろうとすれば、第三層は大騒ぎだ。
封印街の出入り口で騒ぎになれば、広間の
つまり、封印街への被害は、必要ならば看過する。その上で、
――自分でかたをつける気だな。間違いなく。
それはまさに、名にし負う
エイジローは
急ぎ
それから早々に、リコとみかんの所在をおさえる。
今の状態なら、公社施設でも借りて、打ち合わせができるだろう。
少なくともだ。
いま、無知にも程があるみかんを、アレと鉢合わせさせるわけにはゆかない。
――よし。
方針を固め、壁面沿い
エイジローの
行き交う人の向こう、見間違いようのない、
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