第14話 第二層、公社営業所

 封印街に、公社の営業所は数多い。第二層だけでも五ヶ所ある。

 だからもし、ひとつでもがズレていたら。

 あんな馬鹿騒ぎは、あるいは起こらなかったのかもしれない。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 無尽宮公社の営業所は、多くがコンテナを改造して作られている。もとはといえば星の海をいく移民船の、貨物区画から持ち出したものだという。星の海という時点で既にグラトにとってはだいぶ想像の外にあるのだが。何人「騙るもの」が訪れようとのことを思い描くのには困難が伴う。


 箱型にしつらえた営業所は、銀行と金貸し、そのほか無尽迷宮封印街における商社と役所としての役割をだいたい果たしていると言ってよい。まさに最大勢力だ。


 兎系獣人の事務員は、グラトの出した紹介状を矯めつ眇めつし、首を捻った。


「北区のあのあなのネタですってね?」

「ええ。あそこから出た原型異法なんですけどね」


 グラトはせいいっぱいの笑顔を作る。不自然でなければ揉み手してもいいほどだ。


「際どい時期なのは承知していますよ、僕も」


 ちらりと横を伺うと、カララは憮然とした表情で腕組みしている。

 育ちのよさげな小娘がやるぶんには、少し可愛らしくもある。


 ──わらわを小売りする気か。貴様。


 いや、まったくもってその通りなので返す言葉もない。

 最終的に原盤権はカララに行くのだから、いまのばかりは見逃してほしい。

 グラトとしては、借りるだけの気分だった。負債が膨らんでいく。仕様もない。


「しかし、新しい異法で、しかもよく売れそうな代物でして」

「うーん。でもね。なにぶん、剪刀騎士様がおいでになってるで」


 受付はぺたりと耳を伏せた。

 迂闊な動きをして睨まれたくないというのはわかる。

 しかしグラトも、なかなかに後がない。手持ちの手形や証券てがたは使えない。

 なんとか纏まった金を作らなければ、まず身動きすら取れないところだ。


「<翡翠顎>さんの顔で、先物と思ってですね。上へ取次とりついでくれるだけでも……」

「あのッ! ごめんください!」


 派手な音を立てて、営業所の金属度が開いた。狭い中に響いて軽い耳鳴り。

 片耳を抑えながら、グラトは戸口を伺った。

 見慣れない衣装の、それだけで「騙るもの」と知れる娘がいた。

 濃い苔色モスグリーンの上下、スカート。長靴下。


 ──迂闊に第三層したへ降りたら、カモられそうですねえ。こりゃ。


 経験上、身なりのいい「騙るもの」はそのへんが不用心だ。

 この娘は、かなりそれが極まっているように見える。印象だけだが。


「ヒメさんはおられますでしょうかッ!」

「は? 社長? なに言ってるですか、あなた。そもそも誰ですか?」

「はい、本郷みかんです! エイジローさんのところでお世話になってます!」


 兎受付は困惑している。それはそうだ。名乗られても困るだろう。

 ただでさえ無理に連れてきたカララが爆発しないといいですけど、と。


 様子を伺ったグラトは、妙なものを見た。


 カララが目を見張り、本郷みかんを見つめていた。


「……カララ? どうしました?」


 カララは答えない。


「エイジロー? ああ、迷宮山師の?」

「そうです! あのハイドラ……じゃなくて、こう、目玉に触手の!」


 身振り手振りで何かよくわからないものを表現しようとしている。


「で、実はですね、私、あの……そう、北区中層のアナに行きたくて!」

「迷宮山師志望です? ならそのエイジローさんとこ行きないよ」

「エイジローさんには……」


 みかんは目を伏せた。いきなりばん、と頬を叩いて、顔を上げる。

 兎受付はぎょっとした顔だ。グラトも同感だった。何だこの娘は。


「頼めないんです、いける仕事とか、ないですかッ」

「確かに紹介もやってんけども。そういうのはねえ……」


 内心嘆息する。何やらとんでもないのと行き合ってしまった。

 どうしたものか、と悩みかけ、そこでいきなり袖を引かれた。物理的に。


「グラト」


 何ですか、と問い返すヒマもなく、表へ引きずり出された。

 人通りがないのを確認してから、カララが小声の早口を吐き出す。


「あの娘を逃すな」

「は? なんですか藪から棒に」


 カララは真剣そのものだ。


「いいから。話を合わせよ。あの基地までの案内あないならできるであろうが」

「そりゃ、昨日よりひどい道なんぞ滅多にでしょうからね。できますが」


 グラトは顔をしかめた。


「僕に何の得があるんです。それ」

「……わらわの持つうち、望むものをくれてやるわ」

「そりゃ大層な」


 あまり大仰なことは言わない方がいいですよ、というのは飲み込んだ。

 前向きに考えよう。

 どうせ地上うえには上がれない。食費こずかい稼ぎくらいにはなるだろう。

 といっても。


「……戦力的に勘定かんじょうできるんでしょうね、あのひとは?」

「それこそ無用な心配よ。強いぞ」


 カララは判じがたい薄笑みを浮かべた。また、年不相応な顔だった。


「迷宮には不慣れであろうが、今のわらわより格段にな」

「そりゃ大いに結構」


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「迷宮山師の斡旋だったら、そこの求人票がはえっすよ」

「はい……」


 ウサギっぽい人に、とうとうばっさり突き放されて、みかんは肩を落とした。

 そりゃ、考えてみたら当たり前だ。この場所せかいにだって生活がある。

 あんまりな常識はずれの連続に、そのへん、だいぶ麻痺してしまっていたけれど。


 きっと、自分はどうしたって、この世界にとっての異物なのだ。

 本郷みかんは。英雄機攻ヒロイックギアは。そして――。


 ――リコさんは、ああ言ってくれたけど。


 それでも、片付けなければならないことがある。


 は、物語の終わりの舞台が、と聞いた。

 あの基地には、倒したはずのハイドラが蠢いていた。


 それなら。本郷みかんが、この世界にやってきた以上は。


 当然。もうひとりのも、そうであるはずだ。


 噂の剪刀せんとう騎士が、世界を守るため、いま無尽迷宮ここへ来たというなら。

 その相手は、きっと、ただひとツしかありえない。


 ハイドラの女王。すべてのハイドラを従え、いのちをするもの。

 英雄機攻ヒロイックギア以外では殺せない、絶対の


 終わったから、ここにいる。私はまだ、そうじゃない。

 本郷みかんは、終われなかった。


 


 エイジローさんにはお世話になった。リコさんも、ちょっとすごい良いヒトだ。

 だからこそ、ふたりは連れていけない。


 なんてものを、実現させるわけにはいかない。


 そんなものは。もう二度と見たくはないから。

 また明日、あの安っぽすぎる六畳一間で会いたいから。だから。


 みかんは拳を固める。それはそれとしてどうしよう。

 求人票を書こうにも、みかんはこの世界の文字がどういうのかすら知らない。


「あの。そこのかた」


 おずおずとした、可憐な声だった。

 振り向くと、小学生の下のほうくらいの女の子が、みかんを見上げていた。


「もしかして、迷宮山師をお探しですか?」

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