第10話 営業所のヒメ

 あたたかなお椀を手に取ると、赤みそとかつおだしの香りがした。

 ごくり、と喉が鳴る。


「いただきます!」


 くちにはいる赤だしの塩気とすっぱさ、出汁の味。どれくらいぶりだろう。

 吸い口のねぎを噛むと、しっかりと甘い味がする。

 あったかい。


 ちょっと思い出せないほど大きなため息が出た。


「あの!」


 答えは出た。明らかだ。

 迷わない。本郷みかんは行動する。


「おにぎりとかありませんかッ」

「悪いが、米は切らしてるんだ」


 半眼で、エイジローは答えた。

 フェイク畳をばんばん叩きながら、リコが大笑いしている。

 第三栄光パレスは平和だった。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 みかんは、瀬戸物にしか見えない茶碗をじっと眺めた。

 駐車場の管理人室みたいだ、というのが素直な感想だった。

 つまり大きさも形もプレハブで、置いてあるものもどことなく日本ふうだ。


「ひひ、それで、茶っ葉切らして味噌汁出したってえの?」


 基地から持ち出した色々を買い取ってくれる、事務所の人であるらしい。

 美人さんだった。リコの可愛らしさとは別で、明らかに綺麗な人。

 それが、ヘッドバンギングする勢いで笑っている。


「ばっかだ。ばっかじゃないのエイジロー」


 息も絶え絶え、大口を開いてエイジローを指差す。


 肉色単眼触手は、器用に憮然とした表情をつくってみせた。


「笑うなよ。飲まないんだよ俺は」

「えー。なんで。お味噌汁美味しいじゃんさー」

「うは、うはは、カブせないで。そういうとこお似合いだわ、あんたら」


 お医者さん的な白い詰襟つめえりは、よく見たらビニールのような材質で布目がない。未来スーツだ。ボトムは黒いタイトスカート。事務さんっぽいベストはボタンが開いていて、ばたばた手を動かすたび、肩までの黒髪と一緒に派手にはためく。


 リヤカー引いてここに来る間、ごちゃごちゃの街ですれちがった、ファンタジー鎧だとかファンタジー町人っぽい服の人たち、それからでっかいヒーロー的なカミキリ人間に、イワトビペンギンマン。何より普通にしゃべる触手生物ハイドラ。そんな映画でしか見たことがないようなひとびとに比べたら、みかんにとってはずっと身近なではあった。組合くみあわせに違和感はあるけれど。


 どういう人なんだろう、と、みかんは内心首を傾げた。

 ともかく、事務所で出た御茶は美味しかった。玉露がこんな味だった気がする。


「どう。美味しいでしょうそれ。新作シンサクなのよ」

「あッはい! 美味しいです!」


 いきなり話を振られて背筋が伸びた。


「ほら。これでどうよ。アタシが行ったら飲むから、用意しときなさいよって」

「来るなよ。そういう身分じゃないだろお前」

「いいじゃない。気軽ななんだから。……それで」


 すっとニヤニヤ笑いを引っ込め、身を乗り出して、みかんの顔を覗き込む。


「そっちの子がなんだっけ。みかん?」

「はいッ! 本郷みかん、リンデンバウム学院二年生ですッ」


 久しぶりだったけども、すっと自己紹介が口に出た。


「学生さんね。まあ、モト、ってことにしといた方がいいわ。ここだとね」


 美人顔が水飲み鳥かなにかみたいに、そのまますうっと遠ざかった。

 よく見ると補修跡ツギのある黒いソファに身を沈める。鼻から息を吹く。


アタシはヒメ。無尽宮公社のヒメってオボえてくれればいいわ」

「さっぱりわからんだろうから補足するが、公社はこの街で一番金を持ってる」


 工場、貿易、銀行に金貸し、と、偽足を指のように立てて勘定する。

 エイジローは単眼を伏せた。


「信じられんだろうが、これがそこの社長だ」

「ほら、出る前に飲んだパック味噌汁ね。あれもヒメんとこのやつだよー」


 おお、とみかんは両手を拳に固めた。つまり。


「偉い人ですね!」

「そうよ。偉いのよアタシは」

「悪い冗談だと思うよなあ」


 半眼、偽足触手二本で腕組みして、エイジローは溜息をつくそぶりだ。


「あにが冗談ジョウダンよ。あんたらの雇い主は誰だと思ってますかぁ」

「ああ、すまん。悪かったよ。大社長、公主様」

「よ、おだいじーん!」

「よろしい」


 ヒメは鼻から息を吐いて、ソファにふんぞりかえった。

 リコがけらけらと笑う。


「まー。ヒメってばこういうヒトだからさー。みかんちゃんもこんな感じで」

「はあ」

「気安い相手だと思えばいい。ただ、たまにな、こうな……」


 エイジローは、単眼前の腕組みのまま、眼を上げ、軟体を垂直に伸ばした。

 意味合いとしては、背筋を正した、というところだろう。


「単刀直入に行くぞ。ヒメ、本郷がいるのを知ってたのか?」

「やあねえ。いくらアタシでも、誰がいるのか、までわかるわけないじゃない」


 へたくそなウインクをして、茶をすする。


「そりゃの仕事だし、一番の腕利きでもそこまではわからんでしょうよ」

が丸ごと流れてくるまでは、承知のうえだったと」

「じゃなかったら、あんたらには頼まないって」


 内内で済ますわよ。と言い、茶請けの粗目ザラメせんべいを齧る。


「ろくでもない『影』もいそうだったしねえ。「語るもの」らにゃ振れないわ」

「ああ、そうかい」

「あの、すいません!」


 みかんは思い切って手を上げた。


「はいみかんちゃん。どうぞ」

「よくわからないので、説明がほしいですッ!」

「まー、そーだよねえ。とりあえずどれ? から行っとく?」

「そのへんだろうな。……いいか?」

「どうぞ。アタシも適当に突っ込むから」


 ヒメは手酌で茶を注ぎ足して、二枚目のせんべいを食っている。


「本郷。お前、ふしぎなダンジョンとか言ってわかるほうか」

「ええと。ゲームはあんまりやらなかったですけど、一応!」

「なら、ここはそういうのがある、ファンタジーっぽい世界だと思っとけ」


 エイジローは、言葉を選んでいる素振りだった。


「で、ダンジョンの中に、他の世界から人とか、建物とかが来るんだよ」

「モンスターとか、あー、宝物みたいにですか」

「モンスター。まあそうだ」


 ぎょろりと単眼が動く。


「俺は最初からなれっこだったがね。本郷、お前もお仲間てわけだ」

「ボクもそーだね。ヒメも、てゆーかこの街はそういう人ばっかだよー」

「はあ。もしかしないで、ダンジョンの中なんですか? ここ」

「そうだ。入り口あたりにまちができてると思ってくれ」


 で、だ。と、一瞬天井を仰いでから、エイジローは続けた。


「ここに来るのは、終わったやつだけだ」

「終わった……」


 みかんがわずかに眼を伏せる。ぎったのは、青い星と黒い空だ。


「ああ。やつがたどり着くんだとさ。来るのが終幕だ」


 乗ってるやつはだいたいが死人だ、と、エイジローは吐き捨てた。


「……死んじゃってるんですか、私」

「すまん。言い方がきつかった」

「おぅおぅ、自称紳士的な触手クンには珍しいですなあ」

「そこは黙れよお前」


 みかんは思わず吹き出した。


「あ、ごめんなさいッ」

「いや、構わんが、お前さんほんと振れ幅でかいなあ……」

「胸もおっきいねー」

「えッ、いや、そのッ」

「妙な構えで手を出すな馬鹿」


 百四十センチが軽く宙を舞う。薄い鉄壁がいい音を立てた。


「話を戻そう」

「はい」


 見なかったことにした。

 迷宮したでの様子の限り、リコはあれくらい屁でもないだろう。


「まあ、と思って間違いない。思い当たる節もあるんじゃないか?」

「……はい。わりと、ばっちり」

「ショック受けてた割りに、答えは早いな。あの本郷みかんが」


 エイジローは、いい加減ぬるくなった湯飲みをなでた。手遊びだろう。


「たとえ殺しても、死ぬようには見えなかったもんだが」

「え、何何。あんたみかんちゃんと知り合いなの? どんな偶然?」


 ヒメがせんべいのかすを散らしながら、野次馬丸出しで顔を突っ込む。


「同じ迷宮に同じ世界から、別の時期なんての、聞いたことないんだけど!」

「……お前も知らなかったのかよ。本当に」

「あったり前じゃない! そう言ってるじゃない! それでみかんちゃん」

「あッはい」


 ぐいぐいと身を乗り出してくるヒメに、みかんは少しのけぞった。


「このむっつり触手、以前マエはどういうやつだったの? 変態ヘンタイ? ていうか、色魔シキマ? 大丈夫、こいつが本来どういう立場の変態ヘンタイ生物かってのはよっく聞き出してるから。何をカムアウトしても大丈夫よ! それともダイレクトセクハラ? 思いっきりひどいことをされてげぶっ」

「いい加減にせえよお前」

「運命の人? えー、ボクどうしよっかなー。愛人とかオッケーなほう?」

「そういう話でもない!」

「あの、ごめんなさい」


 みかんは後ろあたまを困ったようにかいた。

 目の前のにぎやかさに、不意にかなりの距離と、何より戸惑いを感じていた。


「私、エイジローさんに見覚え、ないです」

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