第9話 剪刀騎士 ハリオ

 ──落ち着かない。


 封印街の風景はあまりに雑多であり、見ているだけでとした気分になる。

 道行く常人、蟲人、爬虫人、鳥人、獣人といった「語るもの」の

 変容視野には、原型異法を纏った「騙るもの」も、少なからず映り込んでいる。

 いかにもという、封印街の風景だ。特に活気がある、程度の差こそあれ。


 ハリオにも読めない奇怪な象形文字、文字かも怪しい紋様の描かれた鉄板、石版、木材をデタラメに繋ぎ合わせ、鋲留めし、あるいは縄で括った無秩序な建材の隧道トンネルを、幾世代もかけて、引き継ぎもせずに拡張し続けた結果が、これだ。


 未知と場当たりの連続で作られた混沌は、体系的な理解を拒む。


 ハリオ・サムラが剪刀せんとう騎士を志したのは、この有様が我慢できなかったからだ。あるいは、憎んでいたと言ってもよい。

 はじめ、「対話」はひとつのことばをもたらしたという。そのころの世界はきっと素晴らしいものだったに違いない。すべてのが名を持っていたというだけで。


 フードを目深にした若草色の外套、それを見ただけで僅かに人混みがける。

 おそれられているというのは、悪いことではない。

 剪刀騎士の剣は、ほんらい、暴力に供するものではないのだから。


 『無尽迷宮』封印街第三層まで下り、正門隧道に向かう前に態々わざわざいかがわしい一角を訪れたのも、それが理由だ。別段、迷宮に下ることは構わない。ハリオも常人つねびとの出で、「騙るもの」の候補たちを超えて、剪刀剣を賜った身の上である。最深部の魔物はともかく、流れ着いた『影』どもに遅れを取る積もりはなかった。


 啓示が降りてから、それなりの時間が過ぎている。『無尽迷宮』を揺るがす騒ぎが持ち上がっていない以上、が封印街まで上がって来ている可能性は大いにあった。また今のところ、『無尽迷宮』の門を出入りした数に不審はない。であれば、街に潜んでいる。理性がある。対話の通じる期待も持てよう。

 対話の結果、ハリオの言い分が通ればよし。無駄なたたかいは、本意ではない。


 無駄なく、早々に、穏便に済ませたい。それはハリオの本心だ。


 細い路地を曲がったところで、軽いものが外套に当たり、跳ねた。

 布の鞠だった。


 悲鳴をあげて、常人の女が飛んできた。鼠系獣人の子の手を引いて。

 失礼しました、申し訳ありません、どうぞお許しを──

 母子おやこだろう。混血程度なら珍しくもない。


 子供の頭を抑えて、強制的に低頭させようとしたところで、ハリオが止めた。


「構いませんよ。私は問題にしていません」


 でも、と言い募る母親に、もう一言重ねる。


「私はこのこどものことを問題にしていない。いいですか?」


 少し腰をかがめ、母らしい女と視線を合わせる。


「あなたのことは、まだわかりません。いいですか?」


 それで、話は片付いた。


 ──暴力の信奉者ばかりが多いことだ。


 努めて表情を動かさず、上下的にも狭い坂を下る。


 少しだけ、外套が乱れていた。宜しくない。左手で襟元を糺す。

 指が禍つ眼と片刃剣の紋章、剪刀せんとう騎士の象徴に触れた。


 禍つ眼は、この百万の庭にを見るためにある。

 剪刀剣の役目もまた同じく。


 下る道は、空気に煮炊きのにおいを帯びはじめていた。


 食堂街だ。とにかくも雑多な。ただ、いずれもハリオの感覚に

 ただでさえ「騙るもの」の気配に満ちた封印街だが、この炊煙と香りは殊更に濃く原型異法に染まっている。もっとも、無尽宮むじんきゅう公社こうしゃの膝下なら当然のことではあった。


 無尽宮公社謹製の食品は、異法処理抜きで「騙るもの」が口にして問題ない、数少ない食料である。原盤の特異性から編纂の進まない、あるいは進めようとも思わないこの異法は、無尽迷宮封印街の強力かつ安定した産業となっている。


 公職や異法の権益、種々の手段で財を成した「騙るもの」たちが創生食品を求め、無尽宮公社に財貨が流れ込む。諸王国の一機関でしかないはずの公社が、小国なみの立場を手に入れたからくりのひとつがこれだ。


 ──二重写しになった、騙るものの国。


 悪と思うわけではない。ただ、ハリオにとって愉快な話でもない。

 だから創生食品の手鍋めいた容器は、あまり目にしたいものではない。


 別に「語るもの」が食べても問題はないし、実際、なかなか美味いとも聞く。

 そのを含めて、頼まれても口にしようとは思わないが。


 ともかく、食堂街の下り坂で、ハリオはふと、足を止めた。

 啓示とを済ませた変容感覚に、僅か、倒棘さかとげのような気配がある。

 せいぜい足音が聞こえる程度の距離でしか働かないが、かえって確度は高い。

 間違えるわけもない。災厄の気配がある。


 ──案の定というところだ。


 苛立ちの気配をたのみに、ハリオはやたらと狭い暖簾のれんを潜った。


「邪魔をしますよ」


 蛇籠へびかごめいた細い店内に、人影は三つだけ。


 前掛エプロン木盆トレーの爬虫人は店員だろう。

 それに、客らしい二人連れ。親子には見えない。

 痩せた男の全体は、変容視野で二重写しになっていた。

 相当量の異法を仕込んでいる証拠だ。迷宮山師か、同業者まで疑うほどの。


 そして、最後の一人。

 諸王京の流行りに切った、短い髪の娘。周囲に映り込むのはもの。

 ハリオにも法則の重層。

 原型異法。


 ハリオは目をすがめる。顔を上げた痩せた男と、目が合った。

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