第9話 剪刀騎士 ハリオ
──落ち着かない。
封印街の風景はあまりに雑多であり、見ているだけでそわそわとした気分になる。
道行く常人、蟲人、爬虫人、鳥人、獣人といった「語るもの」の人いきれ。
変容視野には、原型異法を纏った「騙るもの」も、少なからず映り込んでいる。
いかにもという、封印街の風景だ。特に活気がある、程度の差こそあれ。
ハリオにも読めない奇怪な象形文字、文字かも怪しい紋様の描かれた鉄板、石版、木材をデタラメに繋ぎ合わせ、鋲留めし、あるいは縄で括った無秩序な建材の
未知と場当たりの連続で作られた混沌は、体系的な理解を拒む。
ハリオ・サムラが
はじめ、「対話」はひとつのことばをもたらしたという。そのころの世界はきっと素晴らしいものだったに違いない。すべてのものが名を持っていたというだけで。
フードを目深にした若草色の外套、それを見ただけで僅かに人混みが
剪刀騎士の剣は、ほんらい、暴力に供するものではないのだから。
『無尽迷宮』封印街第三層まで下り、正門隧道に向かう前に
啓示が降りてから、それなりの時間が過ぎている。『無尽迷宮』を揺るがす騒ぎが持ち上がっていない以上、問題の相手が封印街まで上がって来ている可能性は大いにあった。また今のところ、『無尽迷宮』の門を出入りした数に不審はない。であれば、街に潜んでいる。理性がある。対話の通じる期待も持てよう。
対話の結果、ハリオの言い分が通ればよし。無駄なたたかいは、本意ではない。
無駄なく、早々に、穏便に済ませたい。それはハリオの本心だ。
細い路地を曲がったところで、軽いものが外套に当たり、跳ねた。
布の鞠だった。
悲鳴をあげて、常人の女が飛んできた。鼠系獣人の子の手を引いて。
失礼しました、申し訳ありません、どうぞお許しを──
子供の頭を抑えて、強制的に低頭させようとしたところで、ハリオが止めた。
「構いませんよ。私は問題にしていません」
でも、と言い募る母親に、もう一言重ねる。
「私はこの
少し腰をかがめ、母らしい女と視線を合わせる。
「あなたのことは、まだわかりません。いいですか?」
それで、話は片付いた。
──暴力の信奉者ばかりが多いことだ。
努めて表情を動かさず、上下的にも狭い坂を下る。
少しだけ、外套が乱れていた。宜しくない。左手で襟元を糺す。
指が禍つ眼と片刃剣の紋章、
禍つ眼は、この百万の庭にあるべきでないものを見るためにある。
剪刀剣の役目もまた同じく。
下る道は、空気に煮炊きのにおいを帯びはじめていた。
食堂街だ。とにかくも雑多な。ただ、いずれもハリオの感覚に障る。
ただでさえ「騙るもの」の気配に満ちた封印街だが、この炊煙と香りは殊更に濃く原型異法に染まっている。もっとも、
無尽宮公社謹製の創生食品は、異法処理抜きで「騙るもの」が口にして問題ない、数少ない食料である。原盤の特異性から編纂の進まない、あるいは進めようとも思わないこの異法は、無尽迷宮封印街の強力かつ安定した産業となっている。
公職や異法の権益、種々の手段で財を成した「騙るもの」たちが創生食品を求め、無尽宮公社に財貨が流れ込む。諸王国の一機関でしかないはずの公社が、小国なみの立場を手に入れたからくりのひとつがこれだ。
──二重写しになった、騙るものの国。
悪と思うわけではない。ただ、ハリオにとって愉快な話でもない。
だから創生食品の手鍋めいた容器は、あまり目にしたいものではない。
別に「語るもの」が食べても問題はないし、実際、なかなか美味いとも聞く。
その特異性を含めて、頼まれても口にしようとは思わないが。
ともかく、食堂街の下り坂で、ハリオはふと、足を止めた。
啓示と関連付けを済ませた変容感覚に、僅か、
せいぜい足音が聞こえる程度の距離でしか働かないが、
間違えるわけもない。災厄の気配がある。
──案の定というところだ。
苛立ちの気配を
「邪魔をしますよ」
それに、客らしい二人連れ。親子には見えない。
痩せた男の全体は、変容視野で二重写しになっていた。
相当量の異法を仕込んでいる証拠だ。迷宮山師か、同業者まで疑うほどの。
そして、最後の一人。
諸王京の流行りに切った、短い髪の娘。周囲に映り込むのは異なるもの。
ハリオにも読めない法則の重層。
原型異法。
ハリオは目を
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