冴えない懐石料理の戴きかた 〜先斗町〜
「ねぇ。嵐山での取材はあれで大丈夫だったの?」
「ああ。少なくとも俺の方は書けてなかったメインルートの新しい構想も生まれてきたし、順調そのものだよ!」
タキ君とあたしは、渡月橋の前のバス停から、四条へ向かうバスに乗り込んだ。もうすぐお昼時のせいだろうか、嵐山にあった喧噪はここにはなく、バスの車内は比較的空いていた。
路線バスの二人席。決して広くはない、むしろやや狭さを感じるくらいだけど、タキ君のすぐ真横にあたしが迷わず座った。その瞬間タキ君は逃げようとしたけど、あたしが両腕でがっつり離さなかったんだ。
狭い座席であたしの身体左半分に、タキ君の身体が密着する。
あたしの胸の鼓動だけはタキ君に聞かれないようにしなくては――
「お昼ご飯、懐石料理って言ってたっけ?」
「ああ。伊織が先斗町の店を予約してくれたんだ。京都の知人に……」
「へぇ~、またそのいつものパターンだね。」
伊勢で合宿したときも伊織さんの名古屋の知人に頼んで予約したと言ってたもんね。あの時は櫃まぶし定食だったっけ。それを踏まえると今回も割と期待できそうだ。
それにしても、名古屋は伊織さんも住んでたことがあるそうだからまぁ理解できるけど、京都にも知人って……。
「とりあえず、楽しみだね!」
「伊織が選ぶ店だ。きっと間違えないさ!」
タキ君はにっと笑みを返してきた。
あたしにはその笑みがやや不自然にも感じたけど、それは言わないことにしておこっと。
☆ ☆ ☆
「ちょっとトーモー? これはいったい……どーゆー状況~?」
「嵯峨野先生!! もう少し倫也先輩から離れてください!!!」
「いやぁ~倫也君! 今回のシナリオをそこまで面白くしようだなんて感心だね!」
京都合宿二日目のお昼。千斗町にある静かな料亭。
……うん、静かだよね。このテーブルに六人いるから賑やかだとか、『てかこれ京都合宿編だよねいつものメンバー以外全然出てこないよね!?』だとか、そんな些細なことを今更のようにツッコんでは絶対にいけない。
お噺的に一日目がいつものメンバーになってしまっただけで、ちゃんと他のメンバーも京都にはいますから!!
テーブルの上には絢爛豪華な懐石料理のお弁当箱が人数分並んでいる。
お昼としてはボリューム的にも味的にも最適の懐石料理のお弁当。
さすがは伊織さんのチョイスだね。
ここまでの話の流れで気づいたと思うけど、このテーブルには六人。あたしの隣にタキ君、その隣に美智留さん。美智留さんの向かいに出海ちゃん、その横には恵ちゃんが言うところの出海ちゃんのお兄さんこと、伊織さんが同じテーブルに座った。
え、五人しかいない? それはほら、もう一人はこうやってあたしの目の前で……。
彼女はあたしとタキ君からなるべく目を逸らして、ただぼおっとあたしたちの顔色を伺っているから。
「……なによ真由。あたしの顔をちらちらと。」
やや不機嫌なその少女は、自慢の金髪ツインテールを下にぶらんと垂れ下げて、蛇のような細い目つきであたしの顔をじっと睨んでいるように見える。
「いやぁ〜…………別に?」
さっきのバスのときと同じように、あたしの身体左半分はぴったりとタキ君の身体右半分に密着している。が、バスの時とシチュエーションが異なるのは、特に席が狭いということはないという点。そう、密着している理由はあたしが意図的にそうしているからだ。
だけどその様子を英梨々に見せつけたいわけではないのだけど……
……結果的にはそうなってしまって、やや複雑な気分だった。
でも、この状況を端から見れば、タキ君とあたしはカップル……?
……うん。そうだよね。みんながいる前であっても……。
あたしは左斜め前にあったタキ君の弁当箱から口に入りやすそうなものを選び、二本の箸で煮物をぱっとつかむと、そのままタキ君の口の傍へ近づけた。
「タキ君。……はい、あ~ん。」
ぱくっ
「ふふっ。どうタキ君。美味しい?」
タキ君は何も言わず、笑顔だけをあたしに返してきた。
なんだか照れちゃって、ちょっと可愛い。
「ちょっと待ってください嵯峨野先生!!! 今、その箸、嵯峨野先生が先に口に付けてましたよね!? それって………!??」
ところがそんな雰囲気をぶち壊すように、出海ちゃんの悲鳴のようなきゃんきゃん声が耳元に響く。そういえば確かに、出海ちゃんの言うとおりだ。あたしタキ君にあーんする前、この箸であたしの分を摘まんでたよね。
これってもしかして、間接キス!??
……ってまぁ、あたしはもちろん気づいてたけどね。
「しかし倫也君。この状況はある意味傑作だね! まるで鳥籠から出られずにただ餌付けされてる鳥のようだ。」
籠の中の鳥? 伊織さんはそんなこと言うけど、そうなのかな??
てゆうかそれってどちらかというと籠の中でしゅんとなってる……じゃなかった、あたしの前でこうしてしゅんとなってるタキ君のせいだと思うけど。どちらかというと、あたしのせいじゃないよね?
「ちょっと伊織さん? あたしの大切なタキ君になんてこと言うんですか!? タキ君が籠の中に閉じ込められてるとか、そんなことあるわけないですよ!」
だからあたしはそう、少し強気になって返してみる。
「そうかな~? 僕にはシナリオが思い通りに書けなくてとりあえず嵯峨野さんに指示に従ってはみたけど、次の行動を起こせずに、そのまま固まってしまった冴えない主人公にしか見えないけどね?」
「タキ君がシナリオ書けないなんて、そんなことあるわけないですよ! だってタキ君は、あたしも崇拝する霞先生の一番弟子さんですよ? きっと頭の中では次のシナリオが今でもちゃんと沸いてきているはずです!」
「ねぇ真由? 作品がいつになっても描けないのは、倫也じゃなくてあんたの方じゃなかったっけ?」
「……お願いだから英梨々は黙っててくれるかな?」
こんな時に英梨々が突然ぴゅんと飛び道具を飛ばしてくる。
まったく、さっきまで大人しくしていたくせにここで急に突き刺してくるんだから。
「でもまゆゆって、そんなにトモのこと擁護するタイプだったっけ~? いつもはどっちかつーとトモと喧嘩ばかりしてた気がするんだけどなぁ~? そこにいる澤村ちゃんのように?」
「うっさいわねー、氷堂美智留っ!!」
そして英梨々はすかさず美智留さんの反撃を受ける。
ううん。どっちかというと、あたしに対する反撃だったはずだけど、あたしには英梨々に対してにしか聞こえなかったんだ。あたしだったら何言われても何とでもなるのに、だから言わんこっちゃない。お願いだから、英梨々は黙っていてほしい。
英梨々の言いたいことは、山ほどわかっているつもりだから――
「でもさ~澤村ちゃんのことは置いといても、まゆゆは本当にそれでいいの?」
「…………え?」
「だってさ~、トモだよ? 倫也君だし、倫也だし、倫理君だし……それでもトモだよ?」
「それってどうゆう…………?」
美智留さんのすぐ隣では、『わたしは倫也先輩なんだけどな〜』と顔をしている少女が若干一名。そんな彼女のこともとりあえず置いておくとして――
「まゆゆは本気でトモのこと、好きなのかな~って?」
そう、美智留さんははっきりとあたしに言ってきたんだ。
だけどそれについてはあたしにだって、言いたいことは山ほどあった。
「あたしは本気だよ超本気だよ! だってずっとタキくんのこと好きだったもん!!」
それだって今更だよ……。あたしだってずっと前からタキ君のことが好きだった。
あたしは、タキ君と出逢う前から……タキ君が霞さんの小説を応援して、ブログを書いていた頃から。あの、熱くて切ない、『恋するメトロノーム』の感想をタキ君が書き続けて、その応援対象が『純情ヘクトパスカル』へと変わっていったあの頃から。
まだ『純情ヘクトパスカル』の担当編集でなかった頃のタキ君は、あたしの絵もちゃんと応援してくれた。あたしの絵のあの感想に、あたしだって何度も励まされたんだ。
そしてその後、タキ君はあたしと霞さんの担当編集になった。
大学キャンパスで出逢った頃の彼は、本当にどうしようもないやつだったかもしれない。
あたしの顔、全然覚えてくれないし、いつも無責任なこと言ってくるし。
いつも、恵、恵……って……。
あたしだってこいつの傍に、ずっといたかったんだ――
「だよね〜。まゆゆはいっつもトモの前ではテンション上がってたもんね〜」
「テンションって……」
「でもさ〜、さっきも言ったとおり、トモはトモだよ? 難聴鈍感最低かもしれないけど、一応これでも紛いなりにも主人公やってきたんだよ?」
「え…………?」
ところが美智留さんも引いてくるどころか、あたしにぐいぐい押してくる。
それは静かに背後から忍び寄る、霊魂のようで……。
「さっきから見てるとさ〜、まゆゆって澤村ちゃんのことは随分とかばっているように見えるけど、そんなことでまゆゆは本当に大丈夫なのかな〜って。」
……………………。
思わず心の中でくすくすと笑ってしまいそうになった。
でも笑うことなんて、そんなことできっこなかった。
だってさ――
あたしはお弁当箱に手を伸ばすと、焼き鮭を箸で掴み、口へ運ぶ。
喉に引っかかることなく、酒粕が口の中でほんのりと溶けていくのがわかった。
「俺は、真由さんのこと、好きだよ!」
え…………?
突如その場が一瞬凍りついたように感じたのは、その時だった。
……いや、あたしはその前から凍りついてたかもしれないけど、それを溶かすようにタキ君の熱い声があたしの胸に伝わってくる。
「俺だって、真由さんのこと好きだ。
いつもどうしようもない俺を叱ってくれて、いつもどうしようもない俺の話を聞いてくれて、
いつもどうしようもない俺を励ましてくれて……そんなどうしようもない俺は、
俺の姉のような真由さんのこと、好きに決まってるじゃんか!」
ふふっ……なんだかおかしな感じ。
あたしは一瞬何かが吹きこぼれそうになったけど、それを慌てて隠した。
…………だめだよ。そうじゃないよ。
あたしは一旦箸をテーブルの上に置き、タキ君の左腕をあたしの両腕で奪った。
そのまま力強く、ぎゅっと抱きしめる。
力強く……タキ君の左腕がもう少しで骨折する程度に。
「タキ君。好きっ!!!!」
「ちょっと嵯峨野さん!! 痛いって!!!!!」
「ダメ。絶対に許してあげない!!!!!」
「ちょっと……何を!?」
「あたしのこと、『真由さん』とか『嵯峨野さん』とか言うの止めてって言ったじゃん!!」
こいつ、もう忘れたつもりなの!??
「あ〜……………………」
「そんな素っ頓狂な思い出し絶対にいらないから!!」
そしてあたしは抱きしめていた左腕から先端を探し出し、タキ君の左手を捕まえる。
そしてあたしの左手でその手を力強く握りしめると、右手でその手を思いっきりつねった。
「痛いっ!!! わかった、わかったよ〜!!」
「ダ〜メ。あたしのこと、『マユ』って呼ぶまで許してあげない!!」
あたしは舌をぺろっと出して、ここぞとばかりに仕返しをしてやるんだ。
たじたじのタキ君はやっぱし可愛いけど、もう絶対に許してあげないんだから!!
「あ〜あ。結局トモはまゆゆに許してもらえないんだね?」
「嵯峨野先生……いや、嵯峨野さん!! もう絶対にわたしも許しませんからね!!」
「倫也君。もちろん今のネタ、シナリオの中に入れてくれるんだよね?」
「入れないから!! 俺、詩羽先輩じゃないから!!!」
あ〜あ。迂闊にもこいつはこの状況でその名前を出してしまうんだから。
あたしはもう、知〜らないっと。
「ちょっと倫理君っ!! こんな胸のない色香に惑わされて、私のことをそんな風に言うなんて……。やっぱし嵯峨野さんじゃなくて、もう少し私がちゃんと教育してあげなくちゃダメなようね……」
「うわ〜、ごめんなさい! 詩羽先輩〜!!」
ほら〜。背後に霞さんが近づいていること気づいてないからこうやって挑発される。
霞さんは隣のテーブルにいたのだけど、ずっとこっちの様子を窺っていた。それに全然気づいてないのはタキ君が難聴鈍感主人公くんと言われる所以だよね。霞さんは椅子に座るタキ君の後ろから、その溢れんばかりの両胸でタキ君の顔を挟むように近づいてきたんだ。
……てか、誰が『胸のない色香』だって!???
あたしはほんの少し胸をなでおろした。
だってあたしは『とりあえずタキ君のせいにしておけば丸く収まる』ことは知っていたから。
みんながずっとそれをやっていたのを見てきて、あたしはいつか実践してみたかったから。
あ〜、なんだかおかしいの。
そんな大団円を横目に、小さな声があたしの耳にすっと届いてきた。
「真由。……まだまだツメは甘いわね?」
「英梨々……?」
だけどそんなあたしの気持ちを、しっかり英梨々には見抜かれてしまっていた。
英梨々に見抜かれているってことは……。
あたしは隣のテーブルの、『もう一人のメインヒロイン』の方へふと目をやる。
これでいいのかな? ……それを、なんとなく確かめたかったから。
もう一人のメインヒロインは、あたしの視線に気づいたのか気づかなかったのか――
ぼんやり、ゆっくりと、デザートの水ようかんを口の方へ運んでいたんだ。
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