冴えない約束の交わしかた 〜渡月橋〜

「ふふっ。あなたが私の前に現れたということは、どうやら首尾は良好のようね。」

「ええそうですよね。これはきっと、霞ヶ丘先輩の思い描いた通りなんでしょうし。」

「さぁ〜それはどうでしょう? ただ、予想外なのはどちらかというと真唯の方ね。まさかあの子がそんなこと言うなんて。」

「ええ、笑っちゃいますよね。真唯さん、普段はあんなに大人しい人なのに、本当にメインヒロインっぽかった。正直嫉妬しちゃったな……」

「でもそれをあなたが嫉妬するのもおかしな話よ。元祖メインヒロインの存在感はどこへ消えてしまったのかしらね。」

「わたしは嫉妬ばかりのただのサブヒロインに成り下がってしまったので……」

「ふふっ。それが本当にあなたの心からの言葉ならね。」

「……………」

「でも、幸せばかりのメインヒロインなんて退屈なだけだもの。ゲームにしてみたら絶対に糞ゲーよ。だけど、去年あなたが求めなかった『転』の場面を、今年はあなた自身が求めた。そのめんどくささをひっくるめて、メインヒロイン『叶巡璃』ってことじゃなかったかしら?」

「わたし、そんなめんどくさいの苦手なんだけどなぁ~……」


 ☆ ☆ ☆


「……あの~嵯峨野さん? 今何を!??」

「だからあたしのことは『真由』って呼んでって、さっきからそう言ってるじゃない!」


 秋の三連休の中日。渡月橋のど真ん中。

 一つの時間が切り出されたように、タキ君とあたしはそこに立ち尽くしていた。

 本当に、今にも時間が止まってしまうかのような、そんな瞬間――


「でも、嵯峨……真由さん、今俺のことを!??」

「ストップ!! 今のあんたにあたしのこと眼中にないってことくらい、そんなのもちろん知ってる。だから今すぐに答えは求めない。」

「だったらなんで…………?」


 タキ君は慌てたそぶりで、あたしの顔をじっと見つめている。

 あたし今、そんなにおかしな顔をしているかな……?


「もうあんたのそんな顔、見てられないもん!」

「え…………?」


 それはあんたのことだけじゃないけどさ……。


「あたしはあんたの力になりたい! くよくよ迷ってるあんたの顔なんて、もう見たくない!!」


 そうだよ。だって、今のあんたたち、全然幸せそうに見えないもん!

 だからあたしは、そんなタキ君を変えてみせたい!!

 タキ君の顔はやや引きつっているようにも見える。

 でもあたしはそんなのもう知らない。


 だってさ、あんたはあたしの担当編集だよね。

 そんなあんたとは、ずっとパートナーで居続けたいから!


「……と、とりあえず、橋を渡ろうか?」


 タキ君にそう言われて辺りを見渡すと、確かに若干周囲の注目を集めてしまいそうな雰囲気があった。タキ君は少し顔を赤らめて、やや恥ずかしそうな顔もしている。


「う、うん。」


 でも、別にあたしはそこまで気にしていなかったんだけどね……。


 ☆ ☆ ☆


 渡月橋を渡りきり、人通りの邪魔にならないよう、タキ君とあたしは桂川の川辺へと移動した。

 とはいえ、三連休の中日だけあって、どこへ逃げようと割と人は多かった。ただし嵐山駅前と違って、この川辺はどちらかというと親子連れよりカップルの方が多いような気がする。


 比較的、静かな空間。あたしはさっきよりも冷静かもしれない。

 そんなあたしをなだめるように、タキ君は自販機で水を買ってきた。

 今度こそラベルも貼ってある。正真正銘、本物の大手メーカー製の天然水。

 あたしはそれを一口飲むと、ほんの少しだけ落ち着いた気持ちになる。


「嵯峨野さん、大丈夫?」


 タキ君の声は相変わらず優しい。それだけはずっと変わらないでいてくれる。


「だから、あたしのこと『真由』って呼んでって言ってるでしょ?」

「……それ、まだ続いているんですね。」


 ふふっ。あたしはいったい何をしたいんだろうね。

 タキ君とあたしはそこにあったベンチに腰掛けた。そしてあたしは彼に甘えるように、ほんの少しだけ彼の肩にもたれかかる。今日のタキくんの胸の鼓動は、いつもより僅かばかり速さを感じる。


「ち、ちょっ、嵯峨野さん? さっきから近いんですけど……!?」

「いいじゃない。あたしが許しているんだから。」

「そんな詩羽先輩みたいなことをあっさり言わないでくださいお願いします!」

「それに、なんでさっきからずっと『真由』って呼んでくれないのよ? あたしに何か恨みでもあるわけ?」

「俺、そんなことで逆ギレされるのさすがに初めてなんですけど……」


 まったくもぅ~。うるさいなぁ~……

 少しはおとなしく、ただあたしの話を静かに聞いてほしいのだけどな。


 タキ君の胸の鼓動とは正反対の緩やかな時間。お昼まであと一時間近くもある。

 目の前にある小さなお蕎麦屋さんは、まだ『準備中』と書かれた立て看板がぶら下げられていた。そういえば今日はにしん蕎麦を食べたいって心の中で決めてたんだよね。後で食べに行かなくちゃ。


 それにしても……なんか変なの。

 さっきまであれだけあれこれ言っておいて、もう今日のお昼ご飯のこと考えてる。

 だって、すぐ真横にはこいつがいるんだよ?

 いつものあたしならどこか舞い上がってしまって、そんな余裕全くないのにね。


「さっき嵯峨……」

「あ~、またあたしのこと仕事の名前で呼ぼうとしてる~!!」

「……真由さんに、言われたことについてなんだけど……」


 彼はあたしに促されて、慌ててあたしの呼び方を訂正した。

 こんなこと言うとまた怒るだろうけど、なんだかタキ君が可愛い。


 でも大丈夫。あんたの話、ちゃんと聞いているよ……

 あたしは顔ではそうタキ君に伝えてるつもりだった。

 まぁもっとも難聴鈍感主人公くんの彼に伝わるかどうかはあやしいけど。


「俺、今スランプなんだ……」


 そんな彼は、こんなことを言い出すんだ。


「あれ? あんたってクリエイターだったっけ? あたしには単なる冴えない編集さんにしか見えないけど。」

「『blessing software』で俺シナリオ書いてるでしょ! てかそこで冷たくぐさりと刺すのやめてください!!」


 そんなに慌てなくてもちゃんと気づいてるって。

 だって、あんたのゲームシナリオ作成の進捗具合は、あんたの大切な人から逐一聞かされていたもの。その子からは愚痴られるのと同時に、あたしも自分の進捗についてぐさぐさ突き刺されていたけどね。


「そっか。あたしたち、進捗進まない者同士のカップルなんだ。」

「あの~嵯……真由さん? いちいち話をカップルに結びつけなくても……」

「だってこの状況、端から見たら十人中十人が『カップルだ』って答えそうな状況だよ? だからもっと楽しまなくちゃ!」

「真由さんこれは取材ですお願いですから仕事放棄しないでください頼みます!!」


 まぁ通う大学が同じであるタキ君とあたしは、学食でもさも当然のように打ち合わせしてるけどね。今日のように周囲の視線を感じているのはタキ君ではなく、いつもあたしばかりのような気もするけれど。

 それにしてもこいつ、まだそんなこと真に受けて言ってるんだ。

 本当に困った難聴鈍感主人公くんだね……。


「……で、進捗進まないのって、何か理由でもあるわけ?」


 あたしの顔からは薄ら笑いが消えそうになかったけど、そろそろ茶々を入れるのもこれくらいにしておかないと、残念ながら全然話が進みそうにない。


「今の俺、どうしても『誰もが羨む最高のメインヒロイン』が書けないんだ……」


 タキ君からは焦り顔も笑顔もすっと消えて、急に真剣な顔で話し出した。

 仕事でもこんな顔見せたことないくせに。……まぁ仕事と言ってもいつも霞さんに言いくるめられて、たじたじのタキ君ばかりだった気もするけど。


 それにしてもタキ君、彼女のことになるとこんな顔になるんだね。

 さすがにちょっと妬いちゃうな……


「……だから俺は、そのことを真由さんに相談したくて、昨日の新幹線でも……真由さんならそんな俺の話も聞いてくれそうだったから……」

「ははっ。さすがにそれは買いかぶり過ぎだよ。それにあたしは『ま~ゆ』! タキ君に『さん』付けは許さないから!!」

「あの~それについてそこまでこだわる必要どこかにあります?」


 今のあんたとあたしは彼氏と彼女という設定。ちゃんと理由はあるつもり。

 まぁあんたの本当の彼女には『さん』付けを許してるけどね。


 でも、そういうタキ君はほんの少しだけ顔を緩めてくれた。あたしはその顔で少しだけ安堵感を覚えた。


 まったく、こいつはみんなの……あたしの気持ちなんか全く理解してないんだから……。


「ねぇ。あんたは、なんであたしに相談しようと思ったのかな?」


 あたしは横からちょっと悪戯な顔を出すように、タキ君の顔を覗き込む。


「なんとなくだけど……真由さんが一番相談しやすかったから……」

「そこは英梨々や霞さんじゃ、ダメだったのかな?」

「英梨々や詩羽先輩ではどうしても私情が入りすぎて、相談しにくいよ……」


 私情か。なんとなくそれについては思い当たる節があたしにもある。


「……そっか。つまり英梨々や霞さんと違って、あんたはあたしのこと、全然女としてみてないってことだよね?」

「違う。そうじゃない! 真由さ……真由、ものすごく優しいし、俺の話もちゃんと聞いてくれる! こんな人彼女にできたらそれはそれで羨ましいと思う。だけど、そういう話じゃなくて……相談相手が英梨々や詩羽先輩だと、恵とのことがどうしても不安だから……」


 からかい半分のあたしに対しても、タキ君はムキになって返してくる。

 だけどそれってやっぱし、タキ君もあの子とほとんど同じ様なこと言ってるんだよね。でもその配慮が英梨々や霞さん、そしてあの子自身も傷つけていることに、恐らく気づいていないんだけなんだよね……。


「だから、あたしにあれこれ相談してくるんだね……?」


 そして、あたしのことも――


「真由が一番相談しやすい。良きお姉さんって感じで、詩羽先輩に相談できないことも、真由なら何とかしてくれる、ちゃんと話を聞いてくれるって……」

「だから『お姉さん』じゃなくて、あんたの『彼女』でしょ?」

「って、いつの間にかそれが既定路線になってるの、後で恵が怖いので頼むからやめてくださいお願いします!!」


 あたしなら何とかしてくれる……か。

 ふふっ。ほんと、タキ君は何も知らないんだから――


「……あんたさ。さっき、『英梨々や霞さんだと相談しにくい』って言ったよね?」

「…………はい。」

「でもそれは結局、今でもあんたは二人のことが大好きだからなんじゃないかな?」

「そんなことない! 今は……」


 ところがタキ君はそこで口籠ってしまうんだ。

 きっとそれをはっきり言うことができれば、あたしとこんなデートしなくても済むのにね。


「違うよ~。そうじゃないよ。あんたが二人に持ってる感情は『恋愛』ではなく、『好意』。それくらい、あんたの顔を見てればちゃんとわかるよ~」

「好意……?」

「あんたはさ、二人を選ばなかった。別の人を選んだ。それは二人のことが『好き』なのと同時に、二人との長い『距離』が確実にあったから。だからあんたは二人を選べなかったんじゃないかな?」

「……………………」


 そう。過去も今も、タキ君は相変わらず、二人との長い距離感を感じている。

 どういう距離なのか……それは物理的なものなのか、心理的なものなのか、それともそれ以外のものなのかわからないけど、でもその距離のせいで二人に近づけないんだって、あんたは……ううん、あの子も全然気づいていないんだよね。

 そしてあの子も、無意識のうちにあんたとの距離を遠ざけようとしてしまってる。

 まったく、どうしようもないほどの困った話ではあるけれど。


「でもさ、あたしはあんたたちが羨ましいって、本気で思ってるんだよ!」

「……え?」

「だってさ、その『距離』がお互いに共有できてるじゃん気まずい雰囲気かもしれないけど、お互いにそれを感じ取れてるじゃん! それって十分に互いを理解できてる証拠じゃないかな?」

「っ……………………」


 本当に好きじゃなかったら、お互い無視で終わってしまう。だけど、あたしが英梨々や霞さんを羨ましいと感じるのは、彼がこうして紡ぐお話の中にヒロインとして登場していること。そのヒロイン像は、メインヒロインでもハッピーエンドのヒロインでもないかもしれない。

 でも英梨々や霞さんはそのお話の中にちゃんと登場してる。


 それに引き替え、あたしは……ね――


「ねぇタキ君……」


 彼はあたしの顔をもう一度見た。

 あたし今、どうゆう顔をしているんだろう?


 彼の話を大人しく聞いてくれる、優しいお姉さん?

 彼の話にケチを付けながら、ネチネチと嫉妬深いどうしようもない女?


「前にあたしを『本気にさせてくれる』って、言ったことあるよね?」

「えっと~……あ~、伊勢の浜辺でのこと?」


 あたしはこくんと頷く。


「あたしは、もっとタキ君との時間を共有したい!」


 タキ君の顔には無数のクエッションマークが並んでいるようだ。

 ふふっ。それもそっか。

 あんたはみんなが大好きなあたしの担当編集さん。

 誰もが認める、難聴鈍感主人公君だもんね!


「あたしとあんたで最強のコンビを組んで、誰もが羨むようなヒロインを描いてみたいの!」

「ああ。それはもちろん!」


 彼は急に元気を取り戻した……かな?


「だから、あんたもあたしを本気で好きになって!」

「……………………え?」


 ……そしてあたしは、あんたを奈落の底へ突き落としてあげる。


「本気なら、その証拠を見せてよ。もう迷ってばかりのあんたの顔なんか、あたしは見たくないもん!」

「ちょ、ちょっと…………」


 戸惑いを隠せないタキ君の顔も、やっぱり好き。

 だってあたしはその戸惑いの理由だってちゃんとわかってるもん。


「恵ちゃんが書けないんなら、あたしを書いてみせてよ!! あんたはあたしも崇拝する霞詩子の一番弟子でしょ!!!」

「…………………………………………」


 タキ君の今の願いは、誰もが羨むメインヒロインを書き上げること。

 そしてあたしの願いは、一流のクリエイターとしてもっと輝くこと。


 それについては、お互い利害関係が一致しているはずだよね?


「とりあえず冬コミまでの期間限定、『お試し彼女』でいいからさ!」


 あたしは笑顔とともに、舌をぺろっとタキ君に見せた。


「…………ああ、わかった。」

「ほんとに!??」

「とりあえず俺のシナリオのため、そして恵の……」


 そこまでタキ君は言いかけたが、それ以上は言わなかった。

 多分だけど……それで間違ってない――


「だから今回は真由さんと協定を結ぶことにするよ。」

「ちょっと~!! さっきからあたしのこと『真由さん』って呼ぶなって言ってるよね?」

「……それ、まだ続いていたの!??」


 続いていたも何も、それはさすがに間違ってるよ……


「だって、今のあたしは、あんたの『彼女』でしょ?」


 お試しだろうと協定だろうと、今のあたしはそんなのどうでも良かった。

 だって、あたしはタキ君が好き。それは逃れようもない事実。

 もしこれが今ある最善の策だというのなら、あたしは素直に受け入れる。

 たとえこの恋が、どんな結末を迎えようと…………ね。


 その瞬間、北風がぴゅんとあたしを襲ってきた。

 その冷たい風はあたしに少なからずの切なさを与えてくれたんだ。

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