Lesson16: End Station of Autumn
渡月橋での振り返りかた 〜嵯峨嵐山〜
翌朝、京都の合同合宿二日目。
宿を出ると嵯峨野の空は晴れていて、竹藪の間から一本の線のように、朝の光があたしと恵ちゃんを照らしていた。
『真由さん、倫也君を頼んだからね!』
どことなくふらふらするあたしに対し、恵ちゃんはどこか吹っ切れたようで、朝からずっと笑顔だった。朝食を食べてるときもあたしにそんなことを言ってくるんだ。思いがけない微笑みに、あたしはふと安堵感を覚えてしまう。
でも、恵ちゃんは一体どんな気持ちであたしに面と向かっているのだろう? その安堵感、そしてその笑みは何を意味しているのか。
好きな人を、友人に預けてしまう。
そんなことって――
『恵ちゃん。気づいてると思うけど、あたしはタキ君のことが好きだから。』
『だからだよ。これはそんな真唯さんにしか頼めないことだから。』
『本当に…………いいの?』
『ううん。……真唯さん。本気で倫也君を奪ってくれないかな?』
『……恵ちゃんまであたしのこと『真唯』って呼ぶんだね?』
嵯峨嵐山駅で恵ちゃんを見送った後、一人残されたあたしはその恵ちゃんの残した言葉の意味を、もう一度思い返していた。
タキ君が駅に到着するのは今からおよそ五分後。
恵ちゃんとすれ違うように、タキ君はあたしに会いにやってくる――
☆ ☆ ☆
「すみません嵯峨野さん。遅くなりました!」
嵯峨嵐山駅の南側の小さなロータリーの前にタキ君がやってきたのは、予定の時刻より五分遅れてのことだった。というのもタキ君が遅刻したというよりは、嵯峨野線が時刻表より遅れていたため。遅延を案内するホームの放送を外で聞いていたあたしは、なんだか時間の流れが極めてゆっくりに感じてしまい、ほんの少しだけ焦りのようなものも感じていた。
そんなタキ君はあたしのことを……。
「嵯峨野線が遅れて『嵯峨野さん』ですかそうですか……」
「ちょっと嵯峨野さん? 朝から何をわけのわからないこと言ってるんですか?」
「……ううん。別に……」
あたしは少しその呼び方が気になっただけだよ。がっかりしたのも事実だけど。
……ううん、そうだよね。この合宿は不死川持ちのお仕事だもんね。
だからあんたは何も間違ってない。
間違っているとすれば、どちらかというと恵ちゃんの方。
多分、きっとね。
「えーっと……。取材……だっけ?」
「はい! 短編集第四話の舞台が嵐山で、『真唯編』になると詩羽先輩から聞いたので、そのロケハンを……」
「……ごめん第四話が『真唯編』とか、その話今初めて聞いた。じゃなくて、短編集の担当はあんたじゃなくて北田さんのはずだし、そもそもロケハンだとしたらなぜ霞さんは来ないのかな~?」
「……あれ? 言われてみると確かにどうしてでしょう? 嵯峨野さん何か聞いてますか?」
「……あたし『今初めて聞いた』って言ったよね……?」
霞さんの短編集第四話はそもそも『真由』編だった気がする。それが突然『真唯』編に変わったところで……うん、もう驚くことは何もないよね。
てかそんなのあたしに聞かないで自分で考えなさいよこの難聴鈍感最低主人公君!??
そんな会話をしながら、タキ君とあたしは渡月橋へ向かって歩き出した。ひとまず霞さんが思い描く『短編集第四話~真唯編~』を二人で想像しながら、ロケハンをするってのが今日のタスクみたいだし。
そんなロケハンに霞さんも担当編集の北田さんもいないのは、どう考えても間違っているでしょ?
……という話は今更持ち出しても仕方ない話だ。
それにしても……。
昨日からのあたし、少し変だ。
確か霞さんが日本酒バーからいなくなって、その後恵ちゃんと嵯峨野までやってきたけど、考えてみたらその時から既に頭がくらくらしていた。最初は霞さんに飲まされたお酒に酔ってしまったか、京都駅の人の多さに酔ってしまったのか、そう考えていたんだけど、どうやらそれが原因ではなさそう。
ひょっとして、風邪ひいた?
最近急に寒くなってきたせいか、それで体調崩してしまっているのかもしれない。
最近も睡眠時間も少ないもんね。まぁ自業自得ではあるけれど。
「ねぇタキく……安芸さん。ちょっと待ってくれないかな?」
渡月橋まで後少し、嵐電嵐山駅までやってくると、あたしの足はいよいよ重くなってしまい、そこにあったベンチにぺたんと座ってしまった。これってロケハンで仕事だというのに、なんだか申し訳ない気分になってくる。
三連休の中日だけあって、駅の前はかなりの人でごった返していた。親子連れも多くて、あたしの目の前を小さな男の子がぱたぱたと駆けずり回っている。
あたしもあれくらい元気があったらいいのにね……。
「嵯峨野さん? 顔色悪いですけど、本当に大丈夫ですか?」
「うん、多分平気。だからもう少し待って。」
いや、本当に平気なのかな?
あたし、またいつもみたいにこいつに嘘をついてないかな?
そうだよね。あたしはタキ君に嘘をついてばかり。
そんなの今に始まったことじゃない。
……でも、なんでこいつに嘘をつく必要なんてあるんだろう?
彼の前で嘘ばかりつく自分が本当に嫌になってくる。
だって、そんなに嫌なら最初から嘘なんかつかなければいいじゃん!
なんであたしはこんなに嘘つきなんだろう?
「あ、そうだ。これ……」
するとタキ君はあたしに、350mlのペットボトルを差し出してきた。
無色透明。ラベルなし……?
「これ、水?」
「うん。」
「じゃ~お言葉に甘えて、戴くね。」
「中身は嵯峨野さん用の栄養ドリンクだって……」
くるくると目が回っていて、今すぐにでも水を欲していたあたしの身体は、タキ君の『うん』という頷きで、そのペットボトルを奪い取るように手にして、ごくごく飲み始めることを強要した。
……が、その後に脳内で『しまった……』と認識した頃には時既に遅し。
タキ君の口から、これが『嵯峨野さん用の栄養ドリンク』という単語が出てきた時に、嫌な予感はしていたんだ。
「えっと~、あたし用の栄養ドリンク? ……水じゃなくて?」
「何かあったときに嵯峨野さんに飲ませなさいって。」
「誰が!?」
「霞さんが。」
なんで暗黒作家様のそんな言葉を鵜呑みにするのこの難聴鈍感最低主人公くん!!!
それであたしはどうなったか……?
……うん。書くまでもないよね。ただでさえ体調悪いのに、あたしは完全にひっくり返りそうになったが、それでもなんとか持ちこたえることができた。
そして次の瞬間、あたしの身体はいよいよおかしくなる。
胸が急激に熱くなってきて、先程まで絶えられなかった目眩ももはやその域を越してしまう。これがコ○ンくんだったら『身体が縮んで……』とか言い出しそうな展開だけど、生憎このお話はそんなことになるはずもない。
つい先程まで体調が悪くて我慢の限界だったあたしは、急に目が冴え始めてきた。
身体もいよいよ軽くなってくる。
そこまで気がつくと、あたしは深く大きく息を吸った。
すると桂川の方角から吹いてくる晩秋のそよ風が、あたしの喉を潤してきた。
「さ、いこっか。タ~キくんっ!!」
「嵯峨野さん……だ、大丈夫ですか? さっきまで俺のこと、『安芸さん』って呼んでたと思いましたけど。」
「もう大丈夫! だから、とっとと取材終わらせよう! せっかく京都に来たんだから、もっと楽しまなきゃ!!」
「……それにしても効果抜群の栄養ドリンクですね……さすが霞さん……?」
ふふっ。だって、それをあんたが飲ませたんだよ?
あたしもしょうもない性格してるなと思うけど、今それを言っても仕方ない。
あたしの身体がどうなろうと、もはやあたし自身も知ったこっちゃないもん。
「今日はとことん付き合ってもらうからね! タ~キくん!!」
ややたじろいでいるタキくんを見て、あたしは一層心が踊り出す。
もう少しだけ――
今日は一から白黒はっきりつくまで、あたしは真唯を演じさせてもらうから。
☆ ☆ ☆
間もなく、渡月橋が見えてきた。
あたしは彼の左手を右手でぎゅっと掴んで、彼との距離を一層縮めてみる。
こうして彼のすぐ傍で一緒に歩いていると、今にも彼の心臓の鼓動が聞こえてきそうだ。
彼は何も抵抗することもなく、あたしの傍を歩いてくれる。
どうやら彼は、あたしが体調悪いことが理由でこうして歩いているのだと、勘違いしているようだった。
隣を歩く彼はたまにやや不思議そうな顔を浮かべるけど、そんな彼にあたしは今の自分ができる最高の笑みを返してあげる。すると彼の顔が紅葉色にぱっと染まり、思わずあたしから目を逸らす。
そんな彼の照れ臭い顔を見て、あたしはさらにテンションが上がるわけだけどね。
「ねぇタキくん。渡月橋の噂って知ってる?」
これから渡ろうとする渡月橋の目の前で、あたしはタキくんにこんな質問をしてみた。
「ああ。振り返ってはいけないんだろ? たしか由来は十三参りでこの先の法輪寺の仏様に智慧を授かるんだけど、振り返るとせっかく授かった智慧が元に戻ってしまうとか、そんな話だったっけ。」
誰かに教えてもらったのか、それとも自分で調べたのか、彼はそんな説明を丁寧にしてくれる。
だけどあたしが期待していた答えとそれは、少しだけ異なっていた。
「違うよ~。それもあるけど、もう一つの方。」
「え、なにかあったっけ?」
「この渡月橋をカップルで渡って、振り返ると……って話の方だよ~」
悪戯な顔を向けて、彼にそう話しかけてみるんだ。
ふふっ。カップルだって。……なんだか変なの。
あたしはそんなチョコレートのような甘い言葉に、我ながらふと酔いしれてしまう。
「え、別れるの?」
だけど彼はありきたりの言葉しか返してこないんだ。
さすがにそれはちょっと淋しいかな。
「じゃ~、試してみよっか!」
「ちょっと待って嵯峨野さん! 俺たち『カップル』じゃないよね? 試す前に前提条件が何か違わない???」
「え~なにそれ~。つまんな~い!!」
あたしは子供がだだをこねるように、タキくんの左腕をぎゅっと両腕で抱き締めた。そしてそのままぐるんぐるんと振り回してみる。
「ちょっと、痛いって! 嵯峨野さん!!?」
「それとあたしのこと『嵯峨野さん』とかゆうの止めてくれない? タキくんこんな可愛い女の子とデートしてるのに、仕事の呼び名とか興醒めだよ!」
「これ、デートじゃなくて仕事。取材ですから!! それと嵯峨野さん。む、胸……」
目のやり場に完全に困っているタキくんは、どうみたって可愛い。そんな彼のふとした視線の先を見ると、あたしの両腕に掴まれていたはずのタキくんの左腕は、いつの間にかあたしの胸の谷間に挟まっていた。
「なによ~!! あたしの貧相な胸の谷間じゃ物足りないってゆうの!?? あたしは霞さんほど大きくないもん! 悪かったわね?」
「違~う!! そういう話じゃなくて、お願いだからもう離して!!」
ふんだ。男なんて、みんな大きい方がいいって言うんだよね?
でもあたしだって、どこかの金髪負け犬ヒロインには負けてないはずなんだけどな。
多分だけど。
あたしはタキくんの左腕を解放すると、次は右手でえいっとタキくんの右手を握りしめた。
「じゃ。行こっか!」
「……はい。もう嵯峨野さんのお好きなようにしてください。」
「え。それ、なんか嫌だな~」
「まだ何かご不満でも!??」
「あたしのこと、『真由』って呼んで!」
「……わ、わかりました。『真由様』。」
「ち~が~う~! 『ま~ゆ』!!!」
「…………はい。それじゃ行こうか。真由?」
「うん!」
あたしはにっこりと笑みを返すと、ようやく渡月橋を一歩ずつ渡り始めた。
タキくんは完全に呆れたような顔をしているけど、あたしはそれを知らぬふりして見せる。
そう。彼はきっと何も知らないんだ。
だから今日はこうしてあたしと――
渡月橋を渡るのは何年ぶりくらいだろう?
多分だけど、中学の時に修学旅行で来て以来だと思う。
あの頃のあたしはまだ幼くて、周りも女友達ばかりの班行動で、こんなドキドキした気分は味わえていなかった。昨日も感じたけど、大人になってから訪れる京都は何もかもが新鮮に感じる。なにより空気が美味しい。
そして、彼……。
ふふっ。また真剣な顔して、あたしから目を逸らそうとするんだから。
彼の右手の温もりを感じながら、あたしは彼のほんの少し後ろを歩いていた。
ちょっとだけ、彼は歩くのが早いんだ。……いや、あたしの体調が悪いせい?
あたしはその彼の左手だけは絶対に離さないよう、もう一度力強く握りしめる。
彼は相変わらずどこか照れくさそうに、そんなあたしを黙って引っ張ってくれた。
そんなに黙りこくる必要ないじゃない?
あたしの頭の中はまだぼおっとしている。でも意識だけは確かにしっかりとある。
振り返ってはいけないという渡月橋が、ひたすら長く感じる。
振り返ってはいけない……………………そのはずなんだけどね。
『だから、もっと恋しよう? どんな形だっていい。それが悲恋でも構わない。
そんな恋が新しい嵯峨野文雄を生み出してくれるんだから。』
『だって、本当の友人だったら、好きな人を奪われたとしても、
最後には笑って二人の幸せを応援するんじゃないかって。』
『ねぇ恵。あんた、本当にこれだけのルートしか描くことができなかったわけ?』
『もうそんな可愛らしい声を出してもムダよ。
だって、今のあなたにはそれをできるだけの条件が揃っているのだもの。』
『明日さ、倫也君とデートしてくれないかな?』
……………………。
だから、振り返っちゃいけないって、言ってるじゃん!!
「ねぇ。タキく〜ん!」
「え?」
渡月橋の真ん中。……橋を渡りきるにはまだ半分も残っている。
少し前を歩くタキくんに、あたしは優しく話しかけた。タキくんはふと後ろを振り返り、あたしの声に反応する。
あたしは思わず涙が出てきそうになるのをぐっと堪えながら、ほんの少しだけ背伸びをする。
そして――
「ちょっ。嵯峨野さ…………」
「あたしタキくんのことがずっと好きだから。
好きで好きでどうしようもないから!!」
渡月橋の真ん中で、振り向き様の彼の唇を奪ったんだ。
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