冴えない日本酒バーでのほろ酔いかた ~伏見~

 伏見稲荷で昼食を食べた後、そこからは各グループに分かれて、それぞれの取材を行うことになった。

 あたしは霞さんと京阪線に乗って南へ。北田さんも一緒に来たがっていたみたいだけど、霞さんが『女同士で打ち合わせしたい』とそれをやんわり断っていた。寂しそうな背中を見せる北田さんを窓越しで見送ると、それほど時間もかからず、あっという間に次の目的地、中書島駅で下車した。


 ここは坂本龍馬ゆかりの地。寺田屋もこの地に存在していたんだとか。

 ……ん? 寺田屋ならここにそれっぽい建物がある気もするんだけど、これって偽物なの?

 あたしはそんなに歴史は詳しくないので、その点に大した疑問も抱かなかったわけだけど。


 この辺りの地域のもう一つの顔。それは、日本酒の街。

 なんだか妙に霞さんがハイテンションに見えるのはそのせいだろうか? 霞さんはほとんど迷いもなく、風情のある日本酒バーへ足を踏み入れた。

 それはまるで、どこかの動画サイトで見かけた霞さんの中の人かや○さんが乗り移ったかのようで……


 ……てゆか霞さん、誕生日っていつでしたっけ??!?


「どうせ不死川の経費で落ちるんだからとっとと飲むわよ真唯!」

「ちょっと待って霞さん? これ、お酒じゃないですよね、本当に不死川の経費で落としていいんですか、そしてあたしは真唯じゃありません!!」


 霞さんの目の前に置かれた小さくおしゃれなシャンパングラスには、無色透明の水のような何かが注がれた。ちなみにあたしはやはり日本酒で……というわけにはいかず、ノンアルコールの、ただし日本酒っぽい何かを注文した。

 あたしの記憶が確かなら、霞さんの誕生日は来月だし、それまでは霞さんお酒飲んじゃダメなはずなんだけどなぁ~。……と、今更つっこんでもムダなようだ。ひとまずこれがお酒でないことを祈るばかりだ。


「ほら真唯。そんなつまらないこと気にひてないで、とっとと打ち合わせ始めるわよ。」

「えっと~、上に誤字っぽい何かがあるんですけど、それはいつもの作者の誤字ですかそれとも単に霞さんの呂律が回ってないだけでしょうか??」


 これを本当につまらないことと受け流していいのだろうか……というか、いつも誤字ばかりですみません。


 と、いい加減話を本線に戻すと、今回の打ち合わせは短編集第三話、所謂加藤恵編のラストシーンの絵の確認というのがこの打ち合わせのミッションだった。それなら尚更担当編集である北田さんがいるべきと思うのだけど、どちらかというと北田さんの出番はこの後の最終話。第三話は恵ちゃんのプライベートの話が含まれることもあって、打ち合わせについては北田さんではなく町田さんが間に入ることの方が多いんだ。

 まぁ北田さんは北田さんで『嵯峨野先生の新作が誰より早く鑑賞できる~』という点で、主に雑用ばかりのくせにノリノリなのも事実なんだけどね。困ったことに。


 あたしは鞄の中からノートPCを取り出し電源をつけて、小さなテーブルの上にひょいと乗せた。そもそもこんなお店でPCなんて広げる人はいないだろうから、テーブルが多少小さくても仕方ない。

 霞さん酔った勢いでここにお酒とかこぼしたりしないでね!


「これ、ラストシーンの恵ちゃん。先輩鬼畜作家様に苛められて、それでも愛を守ろうとするヒロインを描いてみたんだけど、どうかな?」


 そう言って霞さんにあたしのできたてほやほやの絵を確認してもらう。このあたしのセリフだけでその短編集第三話~恵編~が、いかに鬼畜なお話か想像できるでしょ?


「う~ん……………………」

「ちょっと、霞さん?」


 ところが霞さんは表情を変えず、あたしのその絵をじっと眺めていた。特に感動したとも、驚いたとも、がっかりしたとも、そんな雰囲気は何一つない。むしろ想定していた通りみたいな顔で、あたしの絵を見ている。

 あたしとしては短編集第三話の絵はこれが最後の一枚で、早く第四話の準備をしたいんだけどな〜。


「あの~、霞さ~ん?」

「……………………」

「ちょっと〜……??」

「…………ええ。やっぱしリテイクね! そうしましょう!!」

「ふぇ~!?!!?」


 てゆか町田さんの確認もなしに、勝手にリテイクにしやがったこの鬼畜作家様~!!


「ええ。特にいつも通りの嵯峨野さんのクオリティーで特に文句はないのだけど……」

「だったらどうしてリテイクなんですか~?」

「ほら、せっかくこうして合宿に来てるわけだし、そのモデルもこうして合宿に来てるわけだし、しかもいい感じでそのモデルさんは悶々としてるし……この機を逃す手はないと思わないかしら?」

「えぇ~? そういう理由!?!!?」


 霞さんはにっとした笑みをこぼしながら、優しい眼差しを添えてこんなことを言ってくる。

 やっぱし鬼畜だ。どう考えても鬼畜作家様だ。


「あら。さっきから絵が悪いと言ってるわけじゃないのよ。むしろ最近調子乗りまくってる嵯峨野さんだからこそ与えたい試練であって、それを嵯峨野さんなりに楽しんでもらわないと困るわ。主に私のパートナーとして。」

「いやいや。あたしついさっきも恵ちゃんや英梨々に『ゲームの絵はまだ?』と催促されたばかりで、そういう意味だと試練続きでお腹いっぱいなんですけど!!」

「そんなの私は知らないわよ。だって『純情ヘクトパスカル』の方は今のところ嵯峨野さんのタスクはないはず。だったら私のパートナーとしては、むしろこの短編集の方に専念してもらわないと困るもの。」

「やっぱし鬼〜っ!」


 そういうと霞さんは、シャンパングラスに注がれた日本酒?……のような無色透明な何かをくいっと口に運ぶ。見るからにいい飲みっぷりだ。

 ……で、やっぱしそれはお酒ではないですよね??


 あたしも仕事でなければこういう場所で思いっきり飲みたいんだけどなぁ〜。

 主にひとりで。

 あたしはひとりでゆっくり飲むお酒のほうが好きだもん。

 誰かに邪魔されることもなく、自分のペースで、その味を美味しく戴きながら。

 まろやかで、それでいて絶妙の酸味があって……

 こんな風情のあるバーで、そんな素敵なお酒を味わうことができたら、どんなに最高だろう――


 あたしも負けじとぐいっと、そのグラスに注がれた水一杯を一気にえいっと飲み干した。

 こうなったら形だけでも味わってやらないとね……


 …………あれ?


 一瞬くらっときたのと同時に、霞さんの表情が一瞬慌てたようにも見えたけど……


 ……うん、多分気のせいだ。


「だいたい霞さん、恵ちゃんに対して意地悪しすぎですよ!! こんな小説を世に出そうとするなんて、やっぱし鬼畜先輩作家です!!」

「……あの〜、嵯峨野さん???」


 そうだ。恵ちゃんに対してあまりにも冷たすぎる。

 確かに恵ちゃんだって優柔不断なところあるし、困ったちゃんではあるよ。

 それにしたって、霞さんは同じ高校の先輩なんだから、もうちょっと優しく接してあげてもいいんじゃないかって、そう思うんだけど、どうかな?


「どうしてそこまで恵ちゃんに冷たくするんですか!? 霞さ〜ん!!」

「う〜ん……作戦は失敗だったようね。まさかこんな風に絡んでくるとは……」

「作戦ってなんのことですか? それよりちゃんとあたしの質問に答えてください!!」


 まったく、霞さんは何をわけのわからないことを言っているのだろう。

 すると霞さんは不敵な笑みをこぼし、急に静かな声でこう言うんだ。


「今のあなたに何を言っても仕方ないかもしれないけど……私は加藤さんが大嫌いだからよ。」

「は? 恵ちゃんが嫌い?? なんで?? あんないい子なのに。」

「いい子だからイラッとするのよ。それなのに、抜かりないんだから。」

「抜かりないって、恵ちゃんが? ははっ、たしかに抜かりないよね。ずるいよあの子。」

「ちょっと嵯峨野さん? あなたどっちの味方なのよ??」


 あれれ? どっちの味方なんだろ? 自分でもよくわからなくなってきた。

 というか会話の内容が何故か途切れ途切れになっていて、あたしの頭がついていってない。なんだか妙におかしくて、楽しくて……あたしは一体どうしてしまったのだろう?


「出逢いが違っていたらこんな風に……嵯峨野さんと同じように、加藤さんとも楽しく話せたのかしらね?」


 そう言うと霞さんはため息をついていた。なんだかついさっきまでのあたし、霞さんに『リテイク』と言われたときのあたしと完全に入れ替わってしまったかのようだ。

 そう、入れ替わり……でも、入れ替わったのは本当にあたしたちだけ?


「霞さんだったら恵ちゃんともうまくやれたと思いますよ。霞さんはタキ君を奪われていい思い出はなかったでしょうけど、それさえなければきっと。だって恵ちゃん、普通にいい子だもん。」


 ……さっきからあたしは何を口走っているのだろう???


「ふふっ、そうね。加藤さんは『普通』に可愛い女の子。私達よりもずっと人付き合いがうまくて、ずっと女の子らしいものね。確かに、勝てるわけないわ。」

「そうでふよ〜。あたしたちオタク女子が、あんな可愛い女の子に勝てるわけないじゃないですか〜」


 だって恵ちゃんは普通に可愛いもん。あんな子、男子たちが放っておくほうが不思議なくらいだ。霞さんや英梨々やあたしみたいなオタクとは違うんだからね。

 ……あれ、また誤字? おかしいなぁ〜……



「……でも、本当にそうかしら? 私達は確かにオタクかもしれない。でも嵯峨野さん、あなただって十分男子にモテそうな可愛らしさを持ってるはずよ。……今のこの状況がまさにそれのような気もするけど。」

「は? 何をまたわけのわからないこと言ってるんですか〜?」


 その途端、急に霞さんの距離が近くなった。

 ぼんやりとする頭の中で、その霞さんの囁き声がそっと耳元に響いてくる。


「嵯峨野さん。あなただって『普通』に十分可愛い。それをあなたは認識しなくちゃ。」

「またまたそんなこと言って〜。霞さんだって十分可愛いですよ〜……」

「それを否定する気はないけれど、でもあなたの可愛らしさは私のものとは違う。純粋な可愛らしさ。ひょっとしたら加藤さんよりも純粋かもしれないわね。」


 すると霞さんはあたしの両頬をえいっとつねってきた。

 その痛みで、錯乱していたあたしの頭はやや回復し、霞さんの声がより頭に響いてくる。


「あなた、四月に言ったわよね? 『こんなオタク女子に彼氏ができて、それでいて多くの人に認めてもらえる神イラストレーターにでもなれたりしたら、こんな素晴らしいことない』って。だったら、今こそそれを実践してみるときじゃないかしら?」


 ……………………。


「ふぇ……?」

「もうそんな可愛らしい声を出してもムダよ。だって、今のあなたにはそれをできるだけの条件が揃っているのだもの。」


 条件…………ってまさか!??


「あの〜、あたしに北田さんと付き合えと?」

「あら。それでもいいわね。でも、あなたはそれで満足?」


 満足かどうかなんて、それこそオタク女子のあたしにはよくわからない。

 だけどはっきりしていることは、選択肢がそれしかないことにやはり納得がいかない。

 だからあたしは、首を横に二回振った。


「なら決まりね。今から、倫理くんを加藤さんから奪ってみせなさい?」

「……………………ふぇ?」


 すると霞さんは鞄の中から薄い本のようなものを取り出した。

 これは……台本???


「いい、嵯峨野さん。ここには『加藤恵攻略法』が書いてあるわ。」

「恵ちゃんの攻略法? ……タキ君じゃなくて?」

「あなたにタキ君なんて攻略できるわけないわ。またいつものようにテンパって、そのままそのシナリオはおしまいよ。そんなムダなシナリオを書く労力なんて私にはないわ。」

「……………………」

「むしろ可能性があるのは、あなたが加藤さんを攻略すること。」

「……そっちのほうがハードル高いように思えるのはあたしの気のせいでしょうか?」

「いいえ。そんなことないわ。今の加藤さんは倫理くんを信じきれていない。言ってしまえば錯乱状態ね。そこにあなたが近づけば、きっと化学反応が起きる。」

「化学反応? どんな???」


 すると霞さんはひと呼吸置いた。……って、なぜこのタイミングで??


「どう転ぶかは、嵯峨野さんと加藤さん、あなたたち二人次第よ。」


 え……。それってつまり、結末が書かれていないシナリオ?


「いい。あなたがこのコップを一杯、全部飲み干したらゲームスタート。まずは飲んでみて。」


 あたしは霞さんに言われるがままに、コップに並々注がれた無色透明の水っぽい何かを一気に飲み干した。うん。今度こそ、間違えなく水だ。

 ……てことはさっきのは、やはりお酒だったのか。

 いつの間にか霞さんは、あたしのコップとすれ違えていたんだ。


 でも、このコップを飲み終えた時がゲームスタートって……


「それでは、おやすみ〜」


 くらくらしていたあたしの頭はついにシャットダウンの時を迎えた。


 ☆ ☆ ☆


「……え、真由さん???」


 そんな声に誘われ、しょぼしょぼとした目を開くと、そこにいたのは恵ちゃんだった。

 場所は……ううん、さっきと変わってない。


 ここは、霞さんと来た伏見の日本酒バー。

 ただ、辺りはやや薄暗くなってきていて、どうやら夕刻の時を迎えているようだった。

 そして、霞さんの姿はなく、恵ちゃんがここに――


 あ、そっか。霞さんのシナリオだ。


「恵ちゃん。ひょっとして……」

「霞ヶ丘先輩に呼び出されて来てみたんだけど、どうして真由さんがここに?」


 おそらくあたしが最後に霞さんに飲まされたのは、睡眠薬入りの水。

 ただでさえ睡眠不足だったあたしを深い眠りに誘った後、霞さんは恵ちゃんを呼び出して、そのままいなくなってしまったようだ。その証拠に、霞さんの分のこの店での飲食代がテーブルにちゃんと置いてある。

 ……って、ビミョーに少ないんですけど!!


 あたしの鞄の中には、霞さんが忍ばせた台本が入っているのを確認した。

 この通りにあたしが動くか動かないか、あたし次第。

 でもきっと、霞さんはそんなあたしの行動も全て計算に入れてきているだろう。


「恵ちゃん、いこっか。」

「……うん。」


 あたしはまだそのシナリオを読んでいない。

 だけどこれはあたしのためだけのシナリオとは思えなかった。

 赤く染まった川のせせらぎを聴きながら、恵ちゃんとのシナリオを静かに想像していた。

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