幸せ運ぶお稲荷さんの召し上がり方 ~伏見稲荷~
新幹線博多行き。三連休初日の混んだ下り電車で、あたしはどれだけぐっすり寝れただろう。
北田さんの優しい声を胸にしまいながら、あたしは気がつくと夢を見ていた。どこからともなく、誰かがあたしを呼んでいる声が聞こえてくる。隣に座る北田さんがあたしを起こそうとしているのかな。
ううん。だけど、その程度の声で睡眠不足のあたしを起こせるわけないじゃない。だからあたしはもう少し、ゆっくりと寝かせてもらうからね。
でもよく耳を澄ますと、聞こえてきたのは女性の声だった。聞き覚えのある可愛らしい声。なんとなくではあるけど、それは悲鳴にも聞こえてきたりして――
「嵯峨野さん?」
「……………………」
「嵯峨野さ~ん!! 起きてください!!!」
「…………ふにゃ?」
そんなあたしを本当に起こしてくれたのはさっきまで聞こえていた可愛い女性の声ではなく、いかにも慌てた男性の声。
「まもなく京都ですよ! そろそろ降りる準備をしてください!!」
「ふにゃ。タキ君…………?」
ゆっくり目を開けると、あたしの目の前にタキ君の顔が。すぐ手の届く位置にあって距離はかなり近いはずなんだけど、寝ぼけているせいだろうか、その至近距離感が全然頭の中に入っていかない。
……………………。
まだ頭がぼうっとしたままのあたしは、思わずその頬を両手でえいっと捻ってしまう。
「いたたたたたた。ちょっと、何してるんですか!」
「んっと…………なんとなく?」
「寝ぼけるのも大概にしてください。そんな悪戯は霞ヶ丘先輩だけで……」
……え、霞さん?
「嵯峨野さん? いくら愛しの倫理君の顔が目の前にあったからって、その反応はさすがに可哀想よ。どうせするくらいなら可愛くチュッとキスしてあげるか、もっと思いっきりこうやって頬をつねってあげないと。」
「痛い痛いっ! 俺が余計なことを言ったのは素直に認めるのでその手を話してください霞ヶ丘先輩!!」
気がつくと霞さんがタキくんの背後から忍び寄り、タキくんの両方の頬を両手でぎゅっとつねりあげた。ただし問題はどちらかというとそこではない。霞さんの大きな胸がタキくんの首筋をひょいと包み込み、霞さんがタキくんを挑発していることは明らかだ。
……うん。これは間違えなく、いつも通りの光景。
だからもうちょっとだけ、寝ててもいいよね?
「ちょっと倫也、霞ヶ丘詩羽。こんな公然で何をいちゃついているのかしら? それと真由もとっとと起きろ~!!」
が、あたしの耳元で大ボリュームのその甲高い声が響き渡り、さすがにこれでは目がはっきりと覚めてしまう。そのせいか、先ほどまでぼおっとしていた頭はすっかり冴え渡り、むしろ今度は耳が痛いのだけど。
英梨々、あたしが悪かったのは素直に認めるのでその声を耳元で叫ぶのは止めてね。
ふとあたしはちらっと横を見た。
その視線の先にあったのは、いつものフラットな顔。あたしはこんな騒ぎにしてしまって申し訳ないと思いつつ、だけど――
新幹線は鴨川を渡り、間もなく京都駅ホームに滑り込んだ。
☆ ☆ ☆
新幹線を降りたあと、あたしたちは奈良線に乗り換えた。
一日目の朝は伏見稲荷へ。これは『blessing software』でラストシーンのシナリオを絶賛制作中のタキ君の希望だった。異世界とも思えなくもないそのゲームシーンの一幕に、狐の伝承を描きたいのだとか。あたしは大学の食堂で笑いながらその構想中のシナリオを聞いていたけど、楽しそうに話すタキ君の笑顔が印象的だったんだ。
昭和の時代を感じさせるレトロな電車が京都駅で待っていた。モーター音が車内にも大きく響き渡る古めかしい電車に揺られ、京都駅からほんの数駅。あっという間に稲荷駅へ到着する。
稲荷山の麓の本殿でお参りした後、皆で階段を登り始めた。三連休の初日、ただでさえ人で溢れているその階段であたしたちの列は縦に長くなり、もはや誰がいなくなったとか言われてもわからなくなりそうだ。
ただそれを意識する間もないほどに視界に飛び込んでくるのは、無数の紅い鳥居。木々の間から微かに入り込む日の光を反射させて、その神秘的な世界はあたしの心を浄化させてくれそうだった。
醜くて、妬みやすくて……あたしの心の中なんて日頃から真っ黒だもんね。
どれだけみんなに迷惑かけてるんだろう。
こんなにもただ情けないあたしを曝しだし、それでもどこか温かく見守ってくれそうな空間。
あたしはそんな新鮮な空気を大きく吸い込んでいた。
そうこうしていると、どこの誰かの『どうせならテッペンを目指そうよ』という鶴の一声によって、あたしたちは山頂まで向かうことになってしまった。それは普段インドア派のあたしたちにとって修行のようなものでもあり……。
今思うと途中で折り返せばよかったんじゃない?とも思ったけど、それはあまりに今更なので言わないことにしておく。
ただひとつ思うことは、合宿一日目の朝からめっちゃ疲れたよ〜!
山を降りた辺りで昼過ぎとなり、あたしたちは神社の目の前に並ぶお土産店の中から大人数が入れそうな食堂を探した。うん、ここなら大丈夫。入ったお店は、畳席が用意された小さな風情のある小料理店だった。
今回の席は恵ちゃんの希望により、『cutie fake』のメンバーで相席になった。昼食兼ねての本日の議題は、もちろん……
「真由さん。里美ルートの絵って、どこまで描き終わった?」
「真由。あんたが絵を描かない限り、ルート一本も仕上がらないんだからね?」
「嵯峨野ちゃんファイト~! あたしは応援してるからさ~」
やはり大方の予想通り、あたしの進捗確認だ。他のメンバーはおよそ作業が終わりつつあるし、英梨々に至ってはそのメインヒロインという名に恥じぬよう(?)、特に何をするわけでもなく、どちらかというとあたしにちょっかいを出してくるのが日課になりつつある。
とほほ。全部あたしが悪いんだけど、さすがにちょっと情けないし悔しいね。
そんなことを言われてる間に、この店の名物の稲荷定食が四人分運ばれてきた。あたしはにしん蕎麦と悩んだんだけど、やはりここではお稲荷さんかなと。
「あんたこの程度の進捗遅れも乗り越えられないようではメインヒロイン失格よ!」
「ちょっと英梨々? その『メインヒロイン』って誰のことよ??」
英梨々はお稲荷さんとセットになっていた小さなお蕎麦を箸で掴みながら、こんなことまで言い出すんだもん。
その『メインヒロイン』というフレーズにはあたしの目の前に座るショートボブの……いや、やはりその顔はフラットの女の子が若干反応してしまったことに、あたしはわずかながら気づいてしまったけど。
「霞ヶ丘詩羽から聞いたわよ。あたしもコケにされたあの短編集、ラストは真由の話らしいじゃん。」
「コケにされたって……ちゃんと絵の方は英梨々を可愛く描いてあげたでしょ? そもそも英梨々が仕事断ったからあたしが描くことになったんじゃないの?」
「そんなあたしの話なんてこの際どうでもいいのよ!」
「一番最初に突っかかってきたのは英梨々の方だよねそれって責任転嫁って言わない!??」
なんだか今日は朝からずっと英梨々のきゃんきゃん声が耳に響いてくるのは気のせいだろうか。しかもなんだかあたしばかり攻撃してきてるような……?
「え~短編集って、一話目のモデルがえりりんで、二話目が霞ヶ丘先輩だったあの短編集?? そしたら三話目は嵯峨野ちゃんがモデルってこと~?」
最近あたしの呼び方が『嵯峨野ちゃん』に変わってしまったのはエチカ。エチカがそう思うのは当然で、まだ短編集は二話目までしか公開されてないんだよね。
「あたしが出てくる話は四話目。三話目は十二月に公開される予定。原稿は仕上がってて、主にあたしがラストシーンの絵を描き終わってないからだけど。」
自分で言っててなんだけど、あたしの仕上がってる原稿って、一体本当にどこに存在するのだろう?
「三話目のメインヒロインはそこにいるすっとぼけショートボブよ。霞ヶ丘詩羽にズタボロにされるヒロインの悲劇だったっけ?」
「あのね英梨々〜? わたしのこと唐突に『すっとぼけ』とか『ズタボロヒロイン』とか言うの、さすがにどうかと思うんだけどなぁ~」
あたしに絡むのと同じように、ノリノリ英梨々の次の攻撃対象になったのは恵ちゃんだった。今日に限った話ではないのだけど、どうも最近の英梨々ときたら、調子乗りまくりで若干たちが悪い。
「そんなの、日頃の行いが悪いんじゃない。最近の恵、霞ヶ丘詩羽に隙を与えすぎよ? 去年までの霞ヶ丘詩羽の挑発にも一切動じない威勢のいい恵はどこへ行ったのかしら〜?」
すると恵ちゃんはまつげをきゅんと上に張り上げ、きっと英梨々の方を睨む。普段フラットな表情で応対する恵ちゃんからは程遠い、珍しく怒りを前面にして英梨々に向けた。
ただし英梨々も負けてはいない。英梨々はにっこりと恵ちゃんに笑みを返した。
「うん、いい表情。その恵の顔、あの時の六天場モールを思い出すわね!」
「なによ〜。今日はやけに突っかかってきて……」
でもよく考えると、確かに英梨々の言うとおりだ。恵ちゃんはいつも淡々と物事を対処しようとしていて、こんな風に感情をむき出しにして怒ったりすることはほとんど見たことがない。どちらかというといつも冷静に……だけどいつの間にか追い込まれていて、辛そうにしているのはよく見かける。
恵ちゃんはあたしや英梨々なんかよりもずっと器用な女の子だから、その辺りは少し不自然な気がしていたんだ。
「今の恵の中途半端さは真由と同レベルね。霞ヶ丘詩羽の足元にも及ばないわ。」
ちょっと英梨々? そこで一々あたしを引き合いに出すのはやめようね!!
「あのさ英梨々? わたしのどこが中途半端だっていうのかな〜?」
「あんたの行動、全部よ。」
「わたしの、行動???」
「そうよ。ううん、行動だけじゃない。今改めて読み返すと、恵の作ったこのシナリオだってやっぱり中途半端だわ。メインヒロインが恋愛か友情か、そのどちらかしか選べないなんて、そんなの
え……? なにやら唐突にゲームのシナリオの話になって、あたしはようやく英梨々の言葉を頭の中で整理していた。
確か、現状のゲームのシナリオ分岐って、こんな感じだったっけ?
・かおりと朋雄が未来永劫結ばれるルート(トゥルーエンド)
・かおりが朋雄との恋愛を選ぶルート
・かおりが里美との友情を選ぶルート
・かおりが舞羽との友情を選ぶルート
・誰にも選ばれなかったルート(バッドエンド)
メインヒロインである河村かおりの行動によって他の登場人物との関係度が変わり、ゲームシナリオのルートが分岐する。メインヒロインのモデルは英梨々。だから英梨々は誰よりもかおりの幸せを願ってるはず……だと思う。
でも実際は、英梨々の言うとおりだ。これって今まで気づかなかったけど、メインヒロインであるかおりが友情か恋愛か、そのどちらかしか選ぶルートしか描かれていない。
ううん。ある意味間違っていないのかもしれない。何かを選べば何かを選ぶことができない。そんなの日常茶飯事だ。
だけど、これはゲーム。そうだとすると、何か物足りないと思われても仕方なかった。
「英梨々は……恋愛と友情、どちらかしか選ぶことのできないゲームでは納得できないんだね?」
「当たり前じゃない!! ルートがこれしかないなんて、そんなのありえないわよ!!」
気がつくと英梨々の甲高い声は怒声に変わっていた。さっきまで恵ちゃんに向けていた笑顔はもうどこにもなく、その青い目を大きく見開いて恵ちゃんに迫っていた。
英梨々は、本気だ。
「ねぇ恵。あんた、本当にこれだけのルートしか描くことができなかったわけ?」
「っ…………」
英梨々の鋭い追求の前に、恵ちゃんはやや俯き加減で、それでもなんとか英梨々の顔を伺おうとしている。顔は逸らさまいと、恵ちゃんの気持ちだけはあたしにもひしひしと伝わってくる。
「英梨々……? 友情と恋愛、その両方を選ぶなんて、本当にできるのかな?」
そして弱々しい声で、恵ちゃんは英梨々にそう尋ねたんだ。
「あんたがそれを言う? さすがにがっかりね……」
だけど英梨々の冷たい声が、恵ちゃんの顔をより凍りつかせた。
☆ ☆ ☆
「あら〜。澤村さんと加藤さん、何かあったのかしら?」
小料理店を出た後、あたしは霞さんにそう質問を受けた。小料理店のそれぞれのテーブルの位置が離れていたせいだろうか、どうやら英梨々と恵ちゃんのやり取りは、他のテーブルのメンバーには気づかれなかったようだ。
が、離れて歩く二人……いや、誰からも距離を置いて歩こうとする恵ちゃんを見て、霞さんは疑問に思ったようだ。こんな時こそタキ君が助けてあげればとも思うのだけど、タキ君が恵ちゃんに近づこうとしても、恵ちゃんはするすると距離を置いてしまうんだ。
「ええ〜……まぁ〜ほんのちょっとだけ……」
あたしは霞さんに細かく悟られない程度に、軽くごまかした。これ以上火に油を注ぐようなことは絶対に避けたいし……。
でも、あたしはどちらかというと、英梨々に同情できたんだ。
それは、英梨々の心の内を誰よりも理解しているつもりだから。
それは、北田さんの朝の言葉がどうしても胸の内にひっかかっていたから。
そして、あたしも――
「まぁ、加藤さんと澤村さんの間に、訪れるべき試練が訪れたってことね。」
「え……?」
あれ? 霞さん、話聞こえてなかったんじゃなかったのかな?
「そして、嵯峨野さん。あなたにも……」
「っ…………」
あたしはその通りである霞さんの言葉を、ぐっと喉の奥に飲み込んだ。
そんなの、あたしだってちゃんとわかってるつもりだよ……
だけど、今は英梨々と恵ちゃんを見守っていたいんだ。
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