祭りの後の会計確認のしかた

「どうもありがとうございました〜!! 『cutie fake』、これにて完売です!!」


 時間は……やはり省略ということにしておくけど、今回の夏コミも無事全ての頒布物を完売できた。

 兄が不用意に発信したSNSのおかげで嵯峨野文雄と柏木エリのスキャンダル事件が発生して、その真っ只中の今回の夏コミは一時はどうなるかと思っていた。けど、霞さんが提案した『純情ヘクトパスカル』コラボ企画、『霞詩子サイン会』のおかげで、見事なまでにその事件はカモフラージュされたんだ。この状況で特に目立った混乱は起きなかったのは、不幸中の幸い?

 ……果たして、こんなことでいいのかわからないけれど。


「お疲れさま。真由さん。」


 そんなことを言うタキ君の笑顔に、あたしは一瞬どきっとして、慌てて視線を逸らした。


「ちょっと……急に下の名前で呼ばないでよ…………」


 って、あたしはなんていう反応をしているんだろう? 文字通りバカみたいだ。


「だってこんな場所で嵯峨野さんって呼んだら、それこそ誤解招くかもでしょ?」

「だったら下の名前じゃなくて、『相楽さん』でよくない? 原作の『恋メト』でもあんたそう呼んでたよね?」

「ちょっと待って原作の『恋メト』ってなに!? てゆか、なにその明らかなツンデレ的反応!??」


 う〜ん……。なんだかもう、とりあえずあたしはタキ君に殺意まで芽生えてきた。

 自分の思い通りにならないこの会話の流れは、一体どうしてなのだろう。


「あら。それが相楽さんの本質だもの。倫理君が今更そこをつっこんでも仕方がないわ。」

「霞さん~!!!」


 すると急にあたしの背後から、霞さんの冷淡な声が聞こえてきたんだ。

 それにしたってこれがあたしの本質とか、酷い言われようだ。

 ……まぁ実際そのとおりだから、我ながら本当に救いようがないのだけど。


 ふーんだ。所詮あたしは霞さんの言うとおり、そういう人間だよね……。


 霞さんは『cutie fake』のゲームデビュー作の体験版より先に『純情ヘクトパスカル』の画集を売りきると、あたしが渡した麦わら帽子とサングラスを身につけて、とっととブースを後にしていた。それから数時間後……いや、正確な時間は伏せておくけど、霞さんは本日の収穫物を手にして、このブースに戻ってきたんだ。

 霞さんの右腕と右胸に抱えられたその数冊の収穫物は、普段あたしが求めるような画集とかそういう類のものは全くなく、それこそ文字通りの『薄い本』……それもあまり聞いたこともないようなサークルの小説ぽいものばかりだった。恐らく霞さんのことだから、人が並んでないブースの小説をぱっと手に取り、その中から霞さんの目に留まったものを購入したのだろう。

 そのサークルの人がもしこの変装に気づき、その正体が『霞詩子』だと気づいたとしたら……

 ……うん、あたしなら間違えなく備品にペンを添えて、『サインください』ってお願いするだろうな。


「ところで澤村さんはどこへ行ったのかしら?」

「あれ? 英梨々、詩羽先輩と一緒じゃなかったんですか?」

「知らないわよ。てっきりここでまだアンジェの置物でもやってるのかと思ってたけど。」


 アンジェ……じゃなかった、英梨々はというと、霞さんがいなくなった後もここでしばらく置物を……じゃなかった、『cutie fake』のメインヒロインとしてここで手伝ってくれていたんだ。服装こそ紫姫アンジェだったけど、結局のところ『cutie fake』のメインヒロイン河村かおりも金髪ツインテールの持ち主だし、その姿はアンジェとあまり大差はないんだよね。


「じゃー澤村さんを見かけたら、今日の打ち上げの場所を教えといてもらえないかしら?」


 そう言うと霞さんは、名刺サイズのカードをタキ君とあたしに一枚ずつ、そして英梨々の分でもう一枚、合計三枚を手渡してきた。その小さなカードには、お台場でどこか見覚えのある高級ホテルの建物の写真と、その場所を示す丁寧なまでに描かれた地図が、しっかりと記されている。

 そして赤のマジックペンで、宴会場の名前と時間『19:00』という文字が書かれていた。


「このホテルに今晩十九時。『純情ヘクトパスカル』だけじゃなくて、『blessing software』の関係者は全員集合とのことよ。倫理君、後は任せたわ。」


 何も聞かされてなかったあたしとタキ君はキョトンとしながら、その小さなカードに目を奪われた。するとそこへ霞さんがさらに言葉を添えてくる。


「町田さんが二人に迷惑かけたからって奮発してくれたのよ。ここなら全員入れるだろって。」

「ちょっと詩羽先輩。ここって…………!?」


 霞さんはそう言うけど、あたしはどこか釈然としないものを感じていた。

 だってここ、不死川書店が奮発したとしても、すぐに何か違うって気づくレベルだったから。


 どうみたって高級宴会場……だよね?

 不死川書店が『純情ヘクトパスカル』の、しかも全然不死川とは関係のない夏コミの打ち上げ会場として、こんな場所を選ぶはずなくて――

 というより、『blessing software』のメンバーも全員……?


「これ本当に、町田さん……?」


 そうあたしが聞くと、霞さんはにっと笑みを返し、右手を振りながらまたその場を去ってしまった。それはまるで嵐が突然やってきて、またたく間に去ってしまうかのようで。

 霞さん、この打ち上げ会場の場所を伝えるためだけに、わざわざ戻ってきたのかな?


 ……って実はまだ最後の会計確認の作業が終わってないんですけど!!


「霞さん、何しに戻ってきたんだろ……」

「ああいう気まぐれなところは詩羽先輩ぽいけどね。真由さん、俺たちもとっとと確認作業終わらせよう?」

「そ、そうだね……」


 ちょっと気を取り直して、あたしとタキ君は中断していた会計確認を再開した。

 相変わらずタキ君はあたしの下の名前で呼んでくる。あたしは無意識のうちに異常な反応を示してしまうわけだけど……。その反応を、タキ君には悟られないようにしなくては。

 って相変わらず、あたしは一体何を考えているんだろう……!?


 それにしても……あたしは霞さんが夏コミを満喫していることに少し妬ましいものを感じていた。自分の今日のお仕事であったサイン会をとっとと終わらせると、すぐさまぱっといなくなって……。もちろん、ゲストとして手伝ってもらっていたわけだから、あたしはむしろ感謝しなくちゃいけない立場なわけだけど。

 あたしの方は、今日は全然お目当てのものを買えなかったなぁ~。仕方ないかもしれないけど。

 兄め。絶対パフェひとつ驕りくらいじゃ許してやらないんだから!!


 そういえば、こいつはどうやってお目当てのものを手に入れているんだろう?

 あたしはふと、横であたしと同じようにお札の枚数を数えているタキ君に目をやった。


「ねぇ編集さん?」

「真由さん、何?」


 あたしの声に反応してタキ君は一旦手を止める。その一瞬の手の動きを眺めているだけで、あたしは少しどきっとする。……いや、どきっとした理由は、もちろんその動作だけが理由じゃなくて……。


 相変わらずこいつはあたしを下の名前で呼ぶんだ。

 これで三回目。


 さすがにここまで来ると慣れたというか、一回目の時よりはそのどきっとしたときの胸の衝動は小さい。だけど、それにしたって……。あたしにはやはり違和感があった。だって、他に呼び方があるんじゃないだろうか。いくらこんな場所だからって。


「編集さんは、今日欲しいものとかなかったの?」


 なお、あたしの今日のタキ君の呼び方は『編集さん』。

 その理由については、以下略ということで――


「あぁ~、それなら伊織に言えばなんとかしてもらえるから……」

「そっか……って、なにその『なんとかしてもらえる』ってさすがにちょっと怖いんですけど!!」


 あたしは心の内では『ちっ、その手があったか』と思ったという話は置いといて……

 まぁあたしもこれまでは似たようなことをしていたわけだから、他人のことは言えないか。


「でもやっぱし今回も出海ちゃんの絵は最高だったよな。元々どこか懐かしくて可愛らしい絵が醍醐味だったけど、今年は今まで潜んでいた絵の深みも表に出てきて。」


 そう言うと、タキ君は鞄の中からすっと本を取り出した。

 『Fancy Wave』……そう、波島出海ちゃんが描き上げた、今回の新作本だ。

 タキ君のサークル『blessing software』の絵描きでありながら、さらには出海ちゃん自身のサークル『Fancy Wave』でも画集を売っているんだ。まだあたしや英梨々と違って商業には進出していないけれど、彼女の古参のファンはたくさんいるらしいし、この調子だと商業進出も時間の問題だろう。


 横目でちらっと見て、そこに描かれた出海ちゃんの新しい世界観を目の当たりにする。


 ……うん。やっぱし、すごいよね。

 タキ君の評価はその通りだと思うよ。


 ――悔しいけど。


「ほら。サボってないで、早く会計確認仕上げちゃおうよ。」


 あたしはぷいと顔を逸らして、その視線を目の前にある札束の枚数に集中させた。

 もう、何も考えたくない。

 だから今のあたしの頭の中は、この枚数に集中させること。


 こんなこと考えれば考えるほど、どんどん醜いだけのあたしが表に出てきてしまう。

 そんなのあたしにとっては情けないだけだし、そしてなにより、こいつにはそんな姿見られたくない。

 ……そのはずなんだけどね……


「あれ? 真由さん、またなぜだか俺に対して急に冷たくなった?」

「うるさい黙れ全然冷たくなんかしてない調子に乗るな!」

「いやそれ言ってることとやってることが真逆だよね今の真由さん俺にめっちゃ冷たいよね!??」


 この期に及んで、まだこいつはあたしのこと『真由さん』とか下の名前で呼ぶんだ。

 もう、なんだってゆうのよー!??


「なによあんたたち。また喧嘩してるの?」


 ……と、どこからともなく、今度は霞さんよりも甲高い声がこのタイミングで近づいてきた。

 その声は……うん、明らかにあたしをバカにしてるよね。

 全くほんとに何がなんだってゆうのよ……。


「あの~英梨々? あたしって、そんないつもこいつと喧嘩してるわけじゃないよね?」

「そう? いっつもくだらない喧嘩ばかりじゃない。少なくともあたしが知ってる限りはそんな感じよ。」

「待って。今のは聞き捨てならないな。『くだらない』とか、英梨々には言われたくないよ~」

「じゃかましい。あたしは真由をそんな聞き分けのない義妹いもうとに育てたつもりはないわ!」

「だから英梨々に育てられた記憶はこれっぽっちも一ミリもないっつーの!!」


 はぁ〜……。なんで今度は英梨々と喧嘩しなくちゃならないんだろ?

 でもこれって、喧嘩する相手がタキ君から英梨々に切り替わっただけのはずなんだけど、英梨々が会話に加わることで、あたしは本来の調子を取り戻せてきた。ようするに、こいつと一緒にいるとあたしの調子が一方的に狂わされるってことか。


 ……え、なんでだ!?


 そんなことを考えてたら、なんだか恐ろしいほどの疲れがあたしの身体を襲ってきた。

 本っ当に、馬鹿馬鹿しく思えてきたんだ。


「英梨々。そんな口喧嘩はいらないから、とっとと手伝ってくれないか?」

「あれ、倫也? まだ会計確認終わってなかったの?」

「お前、そのために戻ってきたんじゃ……」

「じゃ~あたしはあっちで呼び出しくらっちゃったから、後はよろしくね!」

「……ないんだな。お前のその薄情さもますます磨きがかかってきたなぁ~」

「ああっ、待って英梨々。これ、さっき霞さんが置いていった打ち上げの場所〜!!」


 あたしはさっと立ち去ろうとする英梨々をなんとか捕まえて、先程の霞さんから受け取ったカードを英梨々に手渡した。英梨々は一瞬怪訝そうな顔でそのカードに目を落としたが、何か思い当たるところがあったのか、すぐに合点したような表情を見せる。

 そしてまた、人のゴミ……じゃなかった、人混みの中へと消えていった。


 それにしても英梨々のやつ、一体何しに戻ってきたのだろう。

 これってただあたしをからかいに来ただけって感じで、あたしとしてはちっとも面白くない。

 あたしだって、早く買い出しに出かけたいのに〜!!


 はぁ〜疲れた。早く、作業を終わらせなきゃ……。

 ふと横にいるタキ君の顔をちらっと見た。タキ君は淡々と会計作業を続けている。

 きっと、妙に舞い上がってしまってるのは、あたしだけなんだよね。当然だけど――


「ねぇ。あと、そっちはどれくらいかかりそう?」

「もう少しで終わりそうだよ。あと、ほんのちょっと。」

「終わったら……彼女のところに行くんでしょ?」

「ああ。あっちはまだ売り切れてもいないみたいだしな。」

「今回かなりの本数作ってたしね。仕方ないよ。」


 通路の向こう側に、『blessing software』のサークルブースが見えていた。まだ、長い行列ができているようだった。でも、さっきまで山積みされていたダンボールの数もかなり少なくなっていて、売り切れとなるまでにはもうそれほど時間もかからなそうだ。


 そして、そのダンボールの山の手前には恵ちゃんの姿。

 疲れなどを全く感じさせないその姿は、伝説のサークルのメインヒロインという感じだ。


 ふふっ。『彼女のところ』……か。あたしは自分で言っといて、なんだか虚しくなってきた。

 別におかしいことなんて何もない。だって、あんたは恵ちゃんが一番なんだもんね――


 いいじゃん、それで。

 それが普通のことなんだから……。


「終わった〜! あたしの分は確認完了だよ!! 不死川の委託分含めて、異常なしっと。」

「ああ。こっちもちょうど終わったよ。特に問題なしだね。」

「じゃ〜あんたは『彼女のところ』へ行ってきなよ。あたしはこのブースの片付けしとくから。」

「ああ、悪いけどそうさせてもらうよ。」

「うん。あたしも片付け終わったらあっちに顔を出すから。」

「わかった。」


 そう言ってタキ君は『cutie fake』のブースを後にして、ついにあたしひとりが残った。

 あたしは両手をぐっと持ち上げて、大きく背伸びをする。すると、肩の辺りの血行が急に良くなったのを感じつつ、さっきまであった緊張も嘘のように晴れていった。

 何に緊張していたのか? ……もう、そんなこと考える必要さえもなかったけど。


 ふとあたしの視線は、サークルブースにぽつんと残された画集の見本誌に移動していた。

 今日はこれを売り切るために、霞さんは多くの人にサインを書いてくれたし、英梨々はずっとアンジェの衣装のまま手伝ってくれた。町田さんだってこんな素敵な画集と衣装を用意してくれたし、本当に感謝しきれない気持ちでいっぱいだった。

 それにあいつだって……。


 あたしの絵は、本当にそんなみんなの気持ちに応えられているのだろうか。


 あいつに言われた『凄くない』という言葉が、槍のようにあたしの胸を突き刺してくる。

 本当にみんなに申し訳ないなって。このやり場のない想いが、思わず涙を誘ってくるんだ。

 でも、下ばかり向いてても仕方ないって、そこはわかってはいるつもりだから……


 だから…………

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