妹系絵描きの論評のしかた

 『cutie fake』のサークルブースはおよそ片付けが終わり、つい先程不死川書店のバイトさんと思われる方がやってきて、大きな荷物は不死川書店が運んでくれる手はずとなった。本来なら不死川書店とあたしのブースは全然関係がなくて、あたしはただ委託販売を手伝っただけなのに、ここまでしてくれるのは本当に感謝の気持ちでいっぱいだ。町田さん、なんだかあたしのために本当に申し訳ないです。

 不死川書店のバイトさんが手際よく指示を出しているのを、あたしはただぼんやりと眺めているだけで、内心ではそんなことばかりを考えていた。


 でもよく考えたら、あいつもこの人と同じ立場で、不死川書店のバイトなんだよね。

 このバイトさんの年齢は、恐らくあたしより少し上くらいだろう。もちろんあいつより年上だろうし、あいつよりずっとしっかりしてそうに見える。きっと同じバイトでも、この人は『先輩』と呼ばれる立場なのかもしれない。

 だけどあいつは、バイトのくせに『純情ヘクトパスカル』のことを誰よりも考えてくれていて……

 ひょっとしたら町田さんや霞さん、あたし以上に、ずっと深く……


 ふふっ。あたしも、下ばかり向いてちゃダメだよね。


 それにしてもあのバイトさん、前に不死川書店で見かけたような……?

 名前はたしか……キタ…………うーん、思い出せない。

 それに、いつ見かけたんだっけ? あたしが不死川書店へ初めて訪れたくらいの頃?

 いずれにしても、かなり前だったような…………?


 サークルブースも気づくとあたしの荷物と、机と椅子のみになっていた。

 いつもだったら兄と二人でこんな片づけ作業をしていたけど、今日はそんな兄もいない。

 我が兄、一体今頃どこで何してる!?


 さて、あたしはどうしようか?

 あいつには『後でそっちのブースにも行くから』と言ってはいたけど、本音言うとどこか顔の出しづらさを感じていた。その理由については……あまり考えたくないけど、そもそもあたし、『blessing software』とは関係ない人間だし……。


「あれ? 『cutie fake』ってもう完売したんですか? あんなに部数もあったのに……」


 と、視線をふらふらさせながらあれこれ考えていたあたしに声をかけてきたのは、出海ちゃんだった。


「あ、うん。そっちも完売したの?」

「はい。元々『Fancy Wave』ではそれほど部数も多く用意してなかったですし、わたしの主戦場はむしろあっちですから!」

「あ、なるほど……。」


 出海ちゃんはそう言いながら、通路の向こう側に見える『blessing software』のサークルブースの方に目をやった。あちらは完売までもう少し時間がかかりそうだけど、サークル代表のタキ君が戻ったせいだろうか、不在だった先程よりも熱気が伝わってくる。


「でもすごいです~。『cutie fake』ってあんなに段ボールが山積みされてたじゃないですか。さすが人気ラノベの絵描きさんは違いますね!」

「そ、そうなの……かな?」

「わたしなんてもっと全っ然少ない部数を、お兄ちゃんとやっと売り切った感じなんですよ!」

「だってこっちは、サイン会開いてくれた霞さんや、アンジェのコスプレで注目集めてくれた英梨々、それにあいつ……編集さんもいてくれたしね。簡単に比較なんてできないよ。」


 あたしなんて……ふと、そう続く言葉が出てきそうになったけど、なんとか思いとどまった。

 出海ちゃんだって十分すごいのにね……。

 あたしよりも――


「あの~、わたしの分、もう残ってないんでしょうか?」


 すると出海ちゃんはすこし身体をもぞもぞさせながら、あたしにこんなことを聞いてきた。そういや出海ちゃんも今日は全然回れてなかったのか。


「……え、在庫? う~ん……もう残ってないなぁ~……」

「えー、ほんとですかー!?? ものすごいショックですー!!!」

「というのは冗談。ちゃんと出海ちゃんの分の画集とゲームの体験版、確保しといてあるよ。」

「うわー、やったー!!」


 鞄の中にしまってあった出海ちゃんの分を取り出すと、出海ちゃんはあたしからそれを奪うように手に取った。その勢いは凄まじく、思わず手を離したときには出海ちゃんはしっかりとその二つを握りしめていたんだ。

 まったく、どんだけ楽しみにしてたんだろう?

 あたしの作品……あいつに『凄くない』とまで言われてしまった絵なのにね……


「あたしの絵、そんなに楽しみにしてたの?」

「はい。だって、あの『嵯峨野文雄』ですよ!! 人気ラノベ『純情ヘクトパスカル』で萌え萌えの絵を描いてる嵯峨野先生の絵を楽しみにしてないわけないじゃないですか!!!」

「いや、その…………」


 正直そんな『名前だけ』の話、あたしにはどうでもいいのだけど……。


「うわー、今回の画集もかわいい~!! わたし、夏コミ準備に追われて東部線コラボイベントのイラストを全然拝めてなかったから、こうして画集にしてもらえるの凄く嬉しいです。もう、なんて表現していいのか……」


 そんな風に出海ちゃんは言ってくれる。その円らな瞳からは嬉し涙が今にもぽろぽろ出てきてしまいそうなほどで、どれだけ!?という感じもしないことなかったけど。


 でも……そんな出海ちゃんを前にしても、あたしはやはり素直に喜べなかった。

 いや、それではいけない。そんなことはわかってるつもりだったけど、でもなんだか複雑な気分だったんだ。


 だって…………


「でも出海ちゃんだって凄い絵を描くし、そこまで感動する必要ないんじゃないかな~?」


 ……なんてことを言ってしまうあたし。

 でも、あたしの本音は本当にこんな具合だったんだ。


 すると出海ちゃんはあたしの顔をきっと睨み返してきた。その表情はついさっきまで泣きそうだった顔とは思えないほどで……。

 それにしても出海ちゃん、表情豊かだね。


「そんなこと、あるわけないじゃないですか~! これは紛れもなく嵯峨野文雄先生のイラストです!! こんなのわたし、逆立ちしても描けやしませんよ~!!」

「いや逆立ちしたらそもそもペンも持つことできないから……」


 なんて、あたしは冗談を返すので精一杯だったけど、それにしたって出海ちゃん、それは出海ちゃんの本音なのかな?

 ……って、あたしは相変わらずくだらないことを考えてる。

 そう、本当にくだらないよね――


「うわ~、この希依深のえみちゃんやっぱし本当にかわいいー!! わたし希依深ちゃんのいる和合市駅には行ったんですけど、他の駅全然行かなかったんですよ~」

「え、アンジェのポスターがある志来駅へは行かなかったの!?」

「はい。だって、志来ってちょっと遠いじゃないですかー。それにアンジェとかわたし興味ないし。だからわたしが行ったのは希依深ちゃんがいる和合市までです。」

「いやむしろ『純情ヘクトパスカル』のメインヒロインといえば、希依深じゃなくてアンジェなんだけどね……」


 まぁそこは編集さんの思惑も実は少しあったんだ。

 仮に和合市にメインヒロインである紫姫アンジェのポスターを貼ってしまうと、『純情ヘクトパスカル』の舞台でもある和合市ばかりに集中してしまって、聖地巡りとしては不十分だって編集さんは言い出したんだ。たしかに東部線コラボイベントだから、乗ってもらってなんぼのイベントだったし、その判断に間違えないってあたしも思った。

 そのため、メインヒロイン紫姫アンジェは志来駅に、『純情ヘクトパスカル』の舞台でもある和合市には、主人公の妹の希依深の絵が抜擢されたんだよね。


 まさか出海ちゃんみたいに志来まで行かないケースは想定していなかったけど。


「わたし、『純情ヘクトパスカル』の中では希依深ちゃんが一番大好きです。もうとにかく可愛くて可愛くて、それでいて超萌え萌えで~」

「そこはアンジェじゃないんだ?」

「はい、もちろんです! わたしあの金髪ツインテールを見るだけで目眩がしてくるので。」

「って、そこかよ!??」


 そういえば霞さんも似たようなことを言ってた気がするなぁ。確か『たかが金髪ツインテールごときが~』とかなんとか。アンジェの金髪ツインテールはあたしじゃなくて霞さんの案だったはずなのに。

 ……うん、理由は敢えてつっこまないようにしておくけど。


「ううん、わたし金髪ツインテールみたいな負け犬ヒロインは正直どうでもいいんです。けど、わたし『純情ヘクトパスカル』の中では希依深ちゃんが一番大好きなはずなのに、それってどうしてもわたしには描けそうもないな〜って。」

「いや別にアンジェは『負け犬』じゃないからね! ……ってとこは置いといて、希依深が描けないって……そうなの?」

「そうですよこんな愛らしい妹キャラを描けるなんて嵯峨野先生やっぱしずるいです!! こんなすぐ近くに希依深ちゃんみたいな妹がいたら、もういつでも抱きしめたくなっちゃうだろうな〜って。」

「え……?」


 何気ない出海ちゃんの言葉の中に、あたしはどこか急に引っかかるものを感じ取った。

 まだその正体が何であるのか、今ひとつピンとは来なかったけど――


「……それって……出海ちゃんが描けないものなの?」

「はい。……なんて言ったらいいのかな〜? こんな愛らしい妹がわたしのすぐ近くにもいるような気分になれるんです。あ、わたしには妹なんてもちろんいないんですけどね。でも、嵯峨野さんの絵はそれほどずっと親近感があるというか~」

「親近感……?」


 え……っと…………。

 あたしはその時まるで、初めて自分のファンの声をまともに聞いた気分になった。

 いや、もちろんそんなことあるはずないのだけど、ただその出海ちゃんの感想は今までに聞いたことがないような斬新さを感じて、ただそれはどこかにあたしにも思い当たる節があって――


 あたしの絵って、そんな風に思われてた……のかな?

 それはきっと、プラスに受け止めて、いい……んだよね……?


 あいつに『凄くない』とか、その上『直す必要もない』とか――

 そんな言葉ばかりが鋭い矢のようにあたしの胸に強く突き刺さっていた。

 あたしはもう描くべきじゃないのかなって、そんな風にも思ってしまったほどで……。


 ひょっとするとあたしは、ただ耳を塞いでいただけなのかもしれない。

 あたしの声は、届く人にはちゃんと届いているのかもしれない。


 ……でも、本当にそれで、いいのだろうか?


「あ、嵯峨野先生は今日の打ち上げ行きます? さっき兄から聞いたんですけど、滅多にいけない高級ホテルの宴会場だって。」

「あ~うん。霞さんから聞いてるよ。もちろん参加する。」


 本当はどことなく、そんな気分ではなかったりするけれど――


「よかった。もっと嵯峨野先生と会話したかったし。」

「別に大したこと話せる自信はないけどね~」

「じゃーわたしそろそろあっちに顔出さないと恵先輩に後で怒られるので、行きますね! また打ち上げの時に~」

「うん。そんじゃーまた。」


 そういうと出海ちゃんはそそくさと『blessing software』のサークルブースの方へ足を向けた。あたしには『恵先輩に』という言葉がやや引っかかったけど、でも出海ちゃんにとってあのサークルはもう一つの自分の居場所に変わりはないんだよね。


 自分の居場所……か――


 さて、打ち上げまでまだ時間もあるし、あたしは少しぶらぶらしてよっかな~。

 生暖かいわずかな風がコミケ会場に入ってくる昼下がり。

 そろそろ一日で最も暑くなる時間帯だろうか、少し喉が渇いてきた。


 自販機で、ペットボトルでも買ってこよっと。

 今年のペットボトルはどんなイラストが描かれていたっけ?


 そしてあたしは、自販機のある方向へ――

 出海ちゃんが歩いた先とは逆の方向へ、足を進めた。

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