金髪ヒロインのコスプレのしかた

「来たわね。丁度よかったわ〜、夏コミ前に澤村さんと嵯峨野さんに会うことができて。」


  不死川書店の会議室に到着すると、あたしと英梨々はそんな優しい声に出迎えられた。


 ……いや、ただなんとなくではあるけど、それは単なる優しい声ではなくて、どこか大人気ない、そんな嫌な予感も多分に含まれた声だった。会議室のドアを開けたその先には、あたしと英梨々を今か今かと待ちわびていたような、町田さんと霞さんの姿がある。

 声だけじゃない。その薄気味悪い二人の微笑は、あたしの右手が握りしめているドアのノブをそのままバタンと閉めて、逃げ出したい気持ちにさせてくれたわけだけど。


「なによ。その明らかに何かを企んでいるような顔は。」


 と、英梨々。どうやら英梨々もあたしと全く同じ感想を持ったようだ。


「あら。せっかく今日の会議の主役を温かく迎えてあげてるというのに、酷い言い様ね。」

「その表情のどこが『温かく』なのよ、霞ヶ丘詩羽っ。」

「まぁ〜まぁ〜二人とも、会うなり喧嘩しないの。それより嵯峨野さん、ちょっと柏木さんの両腕を取り押さえてもらえないかしら?」

「……はい?」


 と、町田さんに言われるがままに、あたしはすぐ真横にいた英梨々の両腕をぱっと抑える。

 英梨々の意識は霞さんに集中していたためか、あたしに対しては全くの無防備だった。


「ちょっ、真由っ! この裏切り者〜!!!」

「は〜い、英梨々〜。ちょっとじっとしていてね〜」


 これはなんだか理由はよくわからないけど、ただ便乗した者勝ちのような気がしたんだ。


 すると霞さんと町田さんは英梨々を会議室の奥の方へと連れ込んでいき、英梨々が身につけていたジャケットを脱がし始めたんだ。そこまで確認すると、あたしは慌てて会議室の鍵を閉めた。

 ……っていうか、ちょっと。何してるの!??


 辺りをよく見るといつもは三分の一程度は開いている会議室のブラインドもしっかり閉められていて、そこはもう完全に密室状態だった。会議室の照明のみが四人を照らし出していて、その照明さえ消してしまえば真っ暗になり、視界からは何もかもが消えてしまうだろう。

 二人は手際よく英梨々が着ていた服を次々と奪っていく。英梨々はなんとか抵抗を試みるも、町田さんと霞さんの強力な連携プレーの前に、あれよあれよと脱がされていった。


 気がつくと英梨々はあっという間に下着姿となった。なんてこった……。

 町田さんはそこまで英梨々を脱がすと、次に箱の中から水色のワンピースを取り出した。


 ……あれ? このワンピースって確か……。

 町田さんと霞さんの二人がかりで英梨々にそのワンピースを着せると、やはりあたしの予想は的中していたことを確認したんだ。


「ほら、思ったとおり。柏木さんにぴったりじゃないの。」

「サイズもうろ覚えだったけど、間違っていなかったようね。主にその貧相な胸の部分まで。」

「じゃ〜か〜しぃ〜!! というかこれはいったいなんなのよ!?」


 英梨々の声は怒り心頭だ。薄暗い会議室に英梨々の怒声が虚しく響く。

 ……のかと思ったけど、意外なことに英梨々のその顔、実はノリノリ?


 清楚で可愛らしい女子高生を彷彿させるワンピース姿。胸元には少し大きめのピンク色のリボンも添えられて、ちょっと童顔な英梨々にはあまりにも似合いすぎていたんだ。さすがは元ミス豊ケ崎といったところか。


「これ、あたしがデザインした衣装ですよね? 作って戴いたんですか?」

「ええ。『純情ヘクトパスカル』のプロモーション用にお金が出たのよ。嵯峨野さんには先月の東部線イベントの御礼もしたかったし、夏コミに間に合えばってしーちゃんとこっそり発注しておいたの。」

「その真由への御礼の内容が、どうしてあたしがコスプレするって話になるのよ!!」


 そう、この衣装はあたしがデザインした……というよりは、『純情ヘクトパスカル』の最新刊で表紙を飾ったメインヒロイン紫姫アンジェ、その時の衣装そのものだったんだ。

 そして、そのワンピースを華麗に着こなすのが天然モノの金髪ツインテールの美少女、澤村・スペンサー・英梨々。その姿はアンジェと共通点があまりにも多く、もはやコスプレと呼べるようなレベルではない。本物のアンジェが『純情ヘクトパスカル』の表紙から飛び出してきたと言った方が正解のように思えてしまうほどだ。


「ねぇ英梨々?」

「……なによ、真由まで。」

「あたし、アンジェにツインテビンタしてもらいたいんだけど!」

「調子に載るな〜!!!」


 いやいや、調子に乗ってるのはむしろ英梨々の方だ。あたしはその望みどおり英梨々にツインテビンタを喰らう。

 それはむしろ、心地よかったりするわけだけど。


「それで、この負け犬ヒロイン『アンジェ』を一体どこに置こうかしら?」

「そこが問題なのよねぇ~。明日の不死川ブース、新人さんの別タイトルを推すことになっちゃって、『純情ヘクトパスカル』を前面に出せなくなっちゃったし……。」

「え、せっかくここまでしたのに、このアンジェどこにも置く場所ないんですか?」

「アンジェは負け犬じゃないし、あたしは置物じゃないっつーの!!」


 いやいや、さっきからずっとノリノリであたしにツインテビンタしてるでしょ。

 タキ君いないからってあたしばかりに当たらないでよ、英梨々!!


 ☆ ☆ ☆


 会議室のブラインドは少しだけ開き、真夏の昼下がりの強い日差しがわずかばかり会議室に入り込んできた。その日差しだけは、いつもどおりの通常営業に戻った不死川書店会議室。今日の議題は、『純情ヘクトパスカル』を夏コミでどうアピールするか?……ということらしい。

 ……ってそれ、もはや英梨々の例の噂とか全然関係ないよね!?


 なお、英梨々は相変わらずアンジェの衣装のままだ。

 この会議室では英梨々以外みんなお仕事をしてるはずで、そのコスプレ姿のままの英梨々は明らかに浮いている。なんだか会議室に新人アイドルさんがやってきて、お仕事の面接を受けてるような、そんな具合にも見える。


 にしても英梨々のやつ、ひょっとしてその格好のまま電車に乗って、帰宅しようとしてる?


「不死川ブースがそんな状態では、せっかく用意した『純情ヘクトパスカル』イラスト集も、この偽物ヒロイン『アンジェ』も、全くの出番なしってことにならないかしら?」

「そうなのよ。せめてイラスト集くらい置かせてもらえないか頼んだんだけど、『純情ヘクトパスカル』は既にそこそこ売れてるからって、いつもネットで売ってる小さなグッズ程度しか置かせてもらえないことになっちゃって。……それとしーちゃん、柏木さんを『偽物』呼ばわりするの止めてあげたら? さっきまで詩ちゃんもノリノリだったじゃないの。」

「だって、偽物には違いないもの……」

「って、ちょっと待ってください。英梨々のコスプレ衣装だけでも十分驚いているのに、せっかく用意したイラスト集って、なんのことですか!??」


 またしても唐突に会話の中に出てきたビックリ案件。

 ふと見ると町田さんの座ってる席の手前には、見慣れない本が五冊ほど積まれていた。

 そんな話、あたしは何も聞いてないのだけど……


「あら。言ってなかったかしら? 前の東部線コラボ企画が好評で、『ぜひイラスト集にしてください!』ってファンからの声が殺到したのよ。嵯峨野さん忙しそうだったから描き下ろしが頼めなかったのは残念だったけど、東部線イベントのイラストが一冊にまとまってるのはこの本だけだし、そこに嵯峨野さんから編集部へ送られてきている未公開ラフ絵が加えれば、これはもう間違えなく売れます!って。主にTAKIくんが。」

「あいつの仕業か~!!!」


 いや、むしろその本あたしも一冊欲しいかも……という点はとりあえず置いといて。

 それにしても、そんな声が『殺到』してたという話は初耳だし、純粋に、素直に嬉しかった。


 それにあいつ……あたしの絵のことを『すごくない』とか言っておいて――

 そんな本を用意してくるとか、なんだか複雑な気分になってくる。


「そんな真由の傑作集を不死川ブースで置けないなんて、相変わらず使えないわね~。」

「柏木さんの仰るとおりかもしれないけど、こればかしは仕方ないわ。会社の方針なんだし。むしろどこかで委託販売できるといいのだけど……」

「私は夏コミなんて出展しないもの。委託販売できるスペースなんて最初から持っていないわ。」


 ……あれ? なんだかとてつもない違和感が沸々と湧いてくる。

 というよりなんだろこのいかにも既定路線とも言うべき話の流れは。


「あの~……まさかと思うのですけど、今回のお話って最初から…………」


 町田さんのにっとした大人げない笑みがこぼれたのはその時だった。


「まだ私は何も言ってないわよ。嵯峨野さんのブースで委託販売できたらとか、まだ一言も……。」

「いやもうそこまで話せば十分ですよね町田さん!!」

「町田さん。それではまるで私たちが確信犯みたいじゃない。さすがにそれでは人が悪いわ。……ところで嵯峨野さん、『cutie fake』のサークルブースの場所って確か一日目の……」

「霞さんそれもう既に本をあたしのブースの場所に送りつけてますよねそうですよね!?」


 いやまぁ嬉しい誤算ではあるのだけど、そもそもあたしのサークルブース、そんなに人来ちゃったらまずいのでは……?

 だって、そもそも今日あたしがここに呼ばれた理由って……。


「確か嵯峨野さんのブースって壁配置だったわよね? 詩ちゃんから番号聞いて一応事前に確かめさせてもらったけど。」

「それはそうなのですが~……そもそも明日この本を売ろうにも、売りさばくだけの人手が足りるのか、正直怪しいレベルだったりしてまして……」


 だって、今回のスキャンダル事件の真犯人、あたしの兄文雄は未だに捕まらないんだ。

 兄がこのまま捕まらず、明日、万が一そのままとんずらされた日には、あたしは英梨々と二人だけで『cutie fake』の頒布物……恵ちゃんたちと作ってるゲームの体験版、そしてこの本を売らなくちゃならない。他に頼めそうな人もみんな別のサークルで売り子をしてるわけで、正直厳しい。

 兄がとんずらするとか、今までそんなことなかったけど、ただなんとなく、今回ばかしはなぜか嫌な予感がするんだ。


「そうねぇ~。今回のスキャンダル事件でただでさえ人が群がりそうなのに、柏木さんと嵯峨野さんの二人だけというのも確かに心細いわね。」

「そんなスキャンダルが理由で人に群がってもらっても、ただただ困るだけなんですけど~!」


 びりりりり……


 あたしのスマホに着信が入ったのはまさにこのタイミングだった。

 それは明らかに狙い澄まされたようなタイミングで……スマホの画面を見ると、チャットの着信を示すアイコンが点灯している。

 送信元相手を確認すると、やはりというか、兄からだった。


『明日は手伝えないけどよろしくな』


 ……………………。


 ……じゃねーよ!!!

 その文面は大方予想通りでやっぱしか……とは思いつつも、そうは言ってもあたしの怒りは隠しきれそうもない。


 兄さんの大バカやろ~!!!!!


「あの~やはりと言いますか…………兄、逃亡しました。」


 ところが霞さんと町田さんの反応はというと、あたしの予想に反してというか、小さくにっと笑みを返してくるんだ。

 さすがにその顔、ちょっと怖い。


「なるほど。そしたら詩ちゃんが考えた最強の夏コミ販売計画案、『プランD』発動ね!」

「そうですね。『プランD』だったら嵯峨野さんだけでなく、澤村さんにも喜んでもらえる計画になってますし、そこは抜かりなく……」

「ちょっと。霞ヶ丘詩羽っ! まだあたしになにか悪いこと企んでるってわけ?」

「それもだけど……霞さん? 『プランD』って一体いくつプランを用意してたんですか!?」


 不死川書店会議室の冷房の冷たい風が、あたしの膝をひしひしと叩いてくる。

 手も冷たくなってきていて……この部屋少し冷房効き過ぎじゃないだろうか?


 嫌な予感しかしない、真夏の……そろそろお茶菓子がほしくなりそうな午後の時間帯。

 真夏だけに日が落ちるまでは、まだ当分時間がありそうかな。


 夏コミまで、あと半日。

 それにしてもあたしたち、そんな前日に一体何をしてるんだろうね……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る