End of Summer
Lesson11: Summer Trouble Maker
スキャンダル発生直後の対応のしかた
学校も夏休みに入って、蒸し暑い夏の日が続く。
急で長い坂道を駆け上がり、ようやく見えてくるのが西洋風の広い庭。そしてその先に大きな玄関が目の前に飛び込んでくる。その光景はいつ見ても絢爛豪華で、何度ここを訪れてきてもふと足が立ち止まってしまう。
そう、ここは英梨々の家。夏コミ当日が明日に迫っているため、あたしは昨日から英梨々の部屋に籠もり、あたしのサークル『cutie fake』のおまけ特典を描いていた。
なんでわざわざ英梨々の家で合宿かって、おまけ特典となるイラストの都合だ。
そのおまけ特典は二種類あって、一つは『cutie fake』で制作しているゲームのメインヒロイン『河村かおり』のイラスト。もちろんこのヒロインのモデルは英梨々だ。
もう一つは霞さんの小説『純情ヘクトパスカル』のメインヒロイン、『紫姫アンジェ』のイラスト。こちらは別に英梨々がモデルというわけではないはずなんだけど……。ただ、その金髪ツインテールという共通点もあって、英梨々を見てると自ずとアンジェのイメージができあがってしまう、あたし個人的な事情もあった。これきっと、霞さんも英梨々の知り合いだし、何か意図的なものは少なからずあると思うんだよな。
それにしても……。暑い夏の日にこの坂道を歩いて上るの、正直きついね。
英梨々に頼まれてコンビニまでお遣いに行ったけど、いやはや生活のため毎日この坂を上っている英梨々が正直すごいと思う。
「英梨々〜、頼まれたジュース買ってきたよ〜」
「ありがと。そこ置いといて。真由も飲んでいいから。」
「うん、最初からそのつもり。坂道上ってきたら喉乾いちゃった。早速戴くね。」
坂の下にある駅前のコンビニで買ってきた、オレンジジュースのペットボトル(1.5リットル)を開栓する。コンビニでは冷蔵庫に入っていたため、まだペットボトルに冷たさを感じる。手を触れるだけで気持ちいい。
「で、英梨々は仕上がりそうなの?」
「あと一枚。真唯のイラストがまだだから、真由ちょっとモデルになってよ。」
「だからあたしは真唯じゃないっつーの!!」
……とまぁ、あたしも英梨々見ながらアンジェを描いてるし、人のことは言えないか。
ちなみに英梨々はと言うと、これまでお仕事である企業ブースのイラストばかりに時間を取られてしまい、肝心なところで英梨々のサークル『egoistic lily』のイラストが描きあがっていないのだとか。さすがにあたし同様、頒布物の方は仕上がっているみたいだけど、やはりおまけイラストの方はまだのようだ。
タキくんいわく、『英梨々にしては早い方だ』みたいな口ぶりだったけど、いやいや、夏コミ当日は明日だよ!! それにも関わらずまだイラストを描いてるプロの絵描きがここに二名いるとか……しょーもない話だ。
なお、坂道の途中で編集さんの家の前も通り過ぎたけど、あちらはあちらで賑やかな話し声が聞こえていた。『blessing software』も明日が本番のようで、その打ち合わせをしているらしい。
そう言えば出海ちゃんのサークル、『Fancy Wave』も明日だって言ってたな。出海ちゃんに『そっちもサークル出すの?』と聞いたところ、『いつも来ていただいてるファンの方々のためにも、出さないわけにはいかないんです!』と力強い返事が返ってきたんだ。それもそっか……とは納得したけど、英梨々の『egoistic lily』以外の全ての三サークルが明日に集まっていて、しかも割とメンバーが被ってるだけにちょっと大変そうだ。
英梨々は明日、『cutie fake』の手伝いをしてくれるという話になっているけど……本当にこんな調子で大丈夫なんだろうか?
「ねぇ、明日なんだけど、ちゃんとあたしのサークル手伝ってくれるの?」
「大丈夫よ、あとこの一枚さえ仕上がれば……」
「でも、前に恵ちゃんが『英梨々のサークルブースを手伝うはずだったのに、英梨々がトンヅラして切り盛りが大変だった』って言ってた気もするけど?」
「あ〜、そんなこともあったわね〜……」
「……ってそれ完全に他人事? 結局明日は大丈夫なんだよね???」
英梨々はあたしを描くことに集中して、あたしの話をまともに聞いているのかも怪しい。
「ま、なんとかなるわよ。文雄さんだっているんでしょ?」
「いるにはいるけど……あまり当てにはならないなぁ〜……」
そう、兄もいるはずなんだけどね。ただし売っている間、兄はほとんど出払っていて、ほとんどサークルブースにはいないんだ。宣伝とかしてくれるのはそれはそれで助かるんだけど。
そういえば……。あたしは鞄からスマホを取り出し、SNSサービスアプリを起動した。『嵯峨野文雄』のアカウントのつぶやき発信状況を確認するためだ。
SNSサービスへの告知は主に兄文雄の担当だ。稀にあたしも告知文を書くこともあるけど、兄とあたしとでは文体が変わってしまうため、なるべく兄に任せるようにしている。
だから今日も……ほら、ちゃんと兄が明日の告知をしているよね。
『準備のため柏木エリ先生と二人きりで合宿中。夏コミは明日だからみんな来いよ〜』
うん、問題な…………
…………え???
いや、これ、問題大ありでしょ!!!
☆ ☆ ☆
あたしは独断で、慌ててそのつぶやきを削除した。
兄がこの発信をしたのはおよそ五時間前。つまり今日の早朝のことだ。
だからもう…………
続けて、スマホのブラウザアプリを起動し、『嵯峨野文雄』というキーワードで検索する。もちろん『24時間以内』の時間指定探索だ。検索ボタンを押した直後、ほんのわずかにできた空白の間ではあったけど、その瞬間少しイラッとしてしまった。
やっと検索結果が表示される。案の定、見事なまでに悪い予感は当たってしまった。
ネットはやはり大騒ぎになっていたんだ。
「どうしたのよ真由。顔色悪くしちゃって。」
「ちょっと英梨々? こ、これ……」
あたしはスマホの画面をひっくり返し、英梨々に見せた。
「あ〜、それのこと? そういえば朝から大騒ぎになっていたわね。」
「へぇ〜朝から? ……って、英梨々知ってたの!??」
「だって、それって本当のことだし、今更騒がれたところで問題ないでしょ。」
「いやいや、問題大ありでしょ!? 『嵯峨野文雄と柏木エリ、熱愛発覚!?』とか。」
うん。確かに、『柏木エリ』こと英梨々と、あたし『嵯峨野文雄』が二人きりで合宿してて、今でも一緒にここにいるのは間違えない。兄は確かに、何一つ間違ったことを発信してはいない。それはそうなんだけど……。
問題なのは、『嵯峨野文雄』があたしではなく、兄である相楽文雄がその人物だと世間一般的に知られていることだ。そんな兄が、謎の天才絵描き『柏木エリ』と二人きりで合宿してるとなれば、そんなの大スキャンダル以外の何ものでもない。
そう、『大スキャンダル』というのは、これが例によって兄のお話だから。
そっち方面では悪い噂が絶えない兄だけに、あたしは頭を抱えざるを得ない。
「真由。それ気にしすぎじゃない? あたしと文雄さんが付き合ってるのは本当のことだし。」
「英梨々は兄の本当の恐ろしさを知らないだけ! 間違っても『嵯峨野文雄と付き合ってます』とか、サークルブースでは言っちゃダメだよ。ヘタしたら殺されるかもしれないし。」
あたしはそんな悪い想像ばかり頭の中でぐるぐると駆け巡っている。
でも唯一の救いは、『柏木エリ』という絵描きが、全くと言っていいほど顔バレしていないことだ。確かにこの業界で『柏木エリ』という名前は、知らない人はまずいないだろうと思えるほど知名度は高い。でも、その正体がここにいる英梨々だと知っているのは、本当にごく限られた身内のみ。
ひょっとしたら『柏木エリ』の正体はおばさんかもしれないし、まさか男かもしれない!? そんな風に思われてもしかたない状況だ。だからこそ、そんなミステリアスなイラストレーター『柏木エリ』と、女癖の悪さで定評のある『嵯峨野文雄』が『二人きりで合宿』となれば、噂が噂を呼ぶ……そうなってしまっても何一つおかしくないんだ。
と、とりあえず、兄に電話しなくちゃ。
あたしはスマホのアドレス帳から『相楽文雄』を検索する。
手が震えてる。それだけ焦っていた。
やっとその名前を見つけて、発信ボタンを押す。
…………が、発信先の相手が電話に出ることはなかった。
お兄ちゃん……どこいったの???
「真由、少しは落ち着いたら? お義姉さんは大丈夫だから。」
「英梨々……よくこんな状況で呑気なこと言ってられるね?」
英梨々はいつもと同じ表情で、あたしをちらちら見ながら真唯らしき人物を描いていた。
あたしこんなにあたふたしてるのに、英梨々はどんな真唯を描くつもりなんだろうか?
その表情はフラットで……その様子はいつもの恵ちゃんの表情を彷彿させた。
英梨々は……本当にそれでいいの?
英梨々、あたしの兄との間で、あらぬ噂まで立とうとしているんだよ?
英梨々は兄と付き合ってる……ってことになってる。
それに、『柏木エリ』と英梨々は世間的には結びついていない。
だからそんな噂、英梨々は何ひとつ怖くないのかもしれない。
……でも英梨々?
英梨々は、あたしの兄、文雄のことが本当に好きなんだっけ?
英梨々の顔からは、その答えを何一つ結びつけることができなかった。
無表情で、フラットで……英梨々、その顔ひょっとして、わざとそうしているの?
とそこへ、突然スマホの着信音が鳴った。
兄から? ……と思ったけど、スマホに書かれた発信相手は、兄ではなく別の人だった。
「もしもし、町田さんっ!」
『あら嵯峨野さん、思ったより元気そうね。その声、なんだか泣き声にも聞こえるけど。』
あたし、そんな泣きそうな声になってるのかな?
電話の声は町田さんだ。いつもどおり凛としていて、その包まれるような声にあたしは少し落ち着きを取り戻せそうだった。
「あの〜……ご用件というのはやっぱり……」
『そう、嵯峨野さんの察しのとおりよ。不死川書店としても一応噂の真相と、その対策を確認をしておこうと思ってね。今日この後14時くらいから、少しだけ会議室に来れるかしら?』
「あ、はい。……あ、澤村さんも連れて行って大丈夫ですか?」
『あら。柏木先生と一緒にいるの? てっきり柏木先生、本当に文雄さんといちゃついてるのかと思ったけど。』
「英梨々は昨日からずっと兄ではなく、あたしと一緒にいました!!」
『そっか、それは残念……いや、なんでもないわ。』
「あの〜町田さん? どっちかというとこのお話、楽しんでません???」
『ええ、もちろん楽しませてもらってるわ〜。じゃ〜今日の14時に、よろしくね〜』
ぷつん――
それにしても……なんであたしひとりであたふたしているんだろ?
英梨々も町田さんも、完全に他人事のように感じる。
町田さんはともかく、あたしの方が英梨々より慌てているのはなんでなのだろう?
「ねぇ英梨々? 今日この後不死川書店行くけど、英梨々も来てもらっていい?」
「それ、完全に事後承諾よね? まぁいいわよ別に。どうせ大した話にはならないでしょ。」
「イラストの方は大丈夫なの?」
「今描き終わったわ。それより真由の進捗のほうが心配なんだけど。」
「あたしは……うんまぁなんとかする。でも、今のあたしからどんな真唯を描いたのか、それはそれで心配なんだけど?」
「大好きな男を取られそうになって大慌てになってる真唯。今の真由にぴったりでしょ?」
「いや、今のあたし、全然そういう状況じゃないから!!!」
英梨々はあたしの心配を知ってか知らずか、完全に吹っ切れた笑顔を見せる。
正直、その笑顔がどうしても信じがたく、それでいて羨ましかった。
はぁ〜……あたし、明日までにちゃんと絵を描ききることができるんだろうか?
コミケまで、あと半日……。
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