夏コミ前日のミーティングのしかた
運命(?)の夏コミ前日の夕方。あたしと英梨々は探偵坂近くの駅まで戻ってきた。
ただ行きの時と違うのは、そこに霞さんが加わっていること。霞さん曰く『プランDを発動させるにはまだ駒が足りない』とのことだったんだ。
兄文雄のスキャンダルに対応するため、夏コミを成功させるため――
霞さんは町田さんとともに、『プランD』とやらを提案してきた。
……そのはずなんだけど……。
兄のスキャンダルは、一体どれだけの人を巻き込もうとしてるのだろう?
ここまで複雑になったお話のそもそものきっかけは、『柏木先生と二人で合宿してる』と公言してしまった兄、文雄のせいのはずだった。あたしと英梨々はその説明を町田さんにするため、不死川書店に向かったんだ。ところが不死川書店にたどり着くと、兄の話など微塵も出ずに、町田さんと霞さんは明日の夏コミ対策へと話を進めていく。
何がどうしてこうなってしまったのだろう? あたしは頭が混乱していた。
まさかと思うんだけど……。兄さん、霞さんとグルになってたりとかしないよね?
「どうしたのよ真由。いつも以上に冴えない表情なんかしちゃって。」
タキ君の家の前までやってくると、すぐ隣にいた英梨々がそうあたしに話しかけてくる。
「ねぇ英梨々、あたしってそんなにいつも冴えない顔してるかな?」
「少なくともいつも優柔不断で中途半端よね? ほら、中へ入るわよ。」
と言って、英梨々は何事もなかったようにタキ君の玄関の戸を開け、中へ入っていく。それに続いて、霞さんも無言のまま中へ入っていった。
「優柔不断で中途半端か……。って、他人の家の玄関を勝手に開けて無言で入っていくとか、それ優柔不断を通り越して、明らかに何かが違うよねそうだよね!?」
鍵は元から開いていたのだろう。タキ君の家って本当に無防備すぎるよね。
☆ ☆ ☆
タキくんの部屋は安芸家の二階。あたしは東部線コラボイベントの直前、タキくんとこの家で合宿をしていた。ここへ来たのはその日以来だった。あのときもタキくんの両親はいなかったけど、今日もいつもどおりいないようだ。
タキくんの両親の代わりに部屋にいたのは、『blessing software』のメンバー。ただし、そこにはあたしの知らない顔が二人いた。その二人は、美知留さんやエチカと仲良さそうに話をしていているところを見ると、きっと音楽バンド『icy tail』のメンバーだろう。たしか、トキノさんとランコさんだったっけ?
……って、今日これって全員集合……つうか、めっちゃ人数多くない?
「随分と賑やかね。皆さんお揃いで、女子比率が異様に高いのは倫理君の趣味かしら?」
「何度も言うようだけど女子ばかりなのは俺の趣味じゃなくて、単なる偶然だから!!」
霞さんの素朴な疑問を強く否定するタキくんだったけど、その言葉にあまり説得力は感じない。この部屋にはタキくんの他に伊織さんが辛うじているだけで、他は全員女子なんだよね。
「英梨々、真由さん……と霞ヶ丘先輩? 人の家にノックもせずに勝手に入ってきて、何か用でしょうか?」
と、恵ちゃんはまさにフラットという表情でそう聞いてきた。
……いや、実は恵ちゃん、あたしたちがタキ君の部屋に入ったときに霞さんの姿を一目確認すると、一瞬間その表情が曇ったように見えたんだ。今はそれを覆い隠すような、そんな顔にも見える。やはりどうしても恵ちゃんにとって霞さんは天敵なのかもしれない。
「あら加藤さん。それは他人のこと言えないんじゃないかしら? それともそうやって、私達に倫理君の正妻であることを認めさせようと脅迫しているつもり?」
「別にそういうわけじゃあ…………あれ、英梨々〜? そこ格好って?」
「おおっ、英梨々。その衣装ってまさか!?」
さすがは担当編集と言ったところか。恵ちゃんはその英梨々の衣装に気づかなかったようだけど、タキ君はその服が何であるのか、すぐに気づいたようだ。
……でも、ちょっと待って。あたしの頭の中は沸々と違和感が浮かび上がってくる。
「ねぇ英梨々? そういえばついさっきまで、電車の中ではその服着てなかったよね?」
「あ、暑いから着替えたのよ。さっき一階で。」
「いやそれ暑いからって着替える服じゃないよね!?」
確かにタキくんの部屋へ来る直前、一瞬英梨々がいなくなった。その時着替えたのか。
そう。英梨々が今身につけている服は、町田さんと霞さんが用意した『純情ヘクトパスカル』メインヒロイン紫姫アンジェのコスプレ衣装。元々はアンジェの夏向けの私服としてあたしがデザインしたものだし、見た目は確かに暑苦しくはない。
とはいうものの……?
「ひょっとして澤村さん。その姿を誰かに見せびらかしたくて着替えたってことかしら?」
「ち、違うわよ、霞ヶ丘詩羽っ! 暑かったからって言ったでしょ!!」
「……………………」
あのねぇ~英梨々……。
その、なんともわかりやすい反応に部屋にいた全員が思わず絶句してしまう。さっきあたしのこと『冴えない』とか言ってくれたけど、やはり英梨々には言われたくないよね。
だけどやはり、霞さんが言い放った『誰かに見せびらかしたいのでは?』という疑問については違和感を感じる。だってここにいるのはタキ君と伊織さん以外、全員女子。そんな中でわざわざそれに着替える必要って……?
ねぇ英梨々? 英梨々は例のスキャンダル事件のこと、本当になんとも思っていないの?
本当に兄、文雄のことが好きだって言うんなら、英梨々は…………。
「あ、思い出した! それ、アッキーが担当編集してる『純情ヘクトパスカル』の紫姫アンジェじゃん!!」
「お~、最新刊の表紙の衣装、そのまんまだね~」
「……澤村さん……アンジェ……そのまんま……」
と、『icy tail』のトキノ、エチカ、ランコの三人がほぽ同時に気づく。
「え、『純情ヘクトパスカル』? ……って、なんだったっけ?」
が、同じ『icy tail』メンバーの中でも唯一わかっていないのが美智留さんだ。
いつも霞さんとグルになっているくせに、その辺りに関しては知見の範疇外らしい。前から恵ちゃんからは聞いてたけど、さすがは『blessing software』唯一の非オタメンバーって言ったところか。
まぁ『純情ヘクトパスカル』なんて原作本編ではそのタイトル程度しか出てこないし、美知留さんが知らないのも無理はないか。……と、あたしはとりあえずそう納得することにした。
「でもその衣装、一体どこで着る気なんだい? 僕のとある情報筋から聞いた話だと、不死川ブースで『純情ヘクトパスカル』は蚊帳の外だって聞いた気がするけど?」
「え、そうなのお兄ちゃん? だって(そのどんなに胸の小さい澤村先輩でも)そんだけアンジェになりきられたら、さすがにどこかで使わない手はないと思うんですけど~?」
「ちょっと波島出海? 上の括弧書きの箇所、もう一度はっきり声に出して言ってほしいのだけど?」
「あれ澤村先輩。わたし何も言ってないつもりでしたけど、何か聞こえちゃいました?」
そして定番通り、英梨々と出海ちゃんは一触即発ムードになる。
あたしは二人と同じ絵描きだけど、英梨々とも出海ちゃんとも仲良しのつもりだ。それに対して、なんでこの二人はここまで仲が悪いのか、今ひとつ理解できない。昔、そんなに苦い思い出でもあったのかな?
それもあるけど、伊織さんの『情報筋』とやらも少し怖い。
そんな『蚊帳の外』みたいな話、関係者のあたしでさえも知らないっつーの!!
「あら、心配には及ばないわ。この偽物アンジェを展示する場所ならちゃんとあるわよ。」
「ちょっと霞ヶ丘詩羽っ! あたしは展示物じゃないって何度も言ってるでしょ!!」
確かにここまでそっくりのアンジェをこのままどこにも使わないのは非常にもったいない。
だけどなんだかよくわからないけど、あたしはまだ聞かされていない霞さんの考えた最強の販売計画『プランD』とやらについて、およそ概要がわかってしまった気がする。
「ところで霞さん、それって今までの話の流れから推察すると、ひょっとして……」
そのにゃっとした霞さんの微笑がやはりちょっと恐い。
「時に倫理君。明日の『blessing software』と『Fancy Wave』の人員配置はどうなっているのかしら?」
「あ。え〜と、それなら『Fancy Wave』の方が波島兄妹とエチカとランコ。それ以外が『blessing software』です。……けど詩羽先輩、それが何か?」
「ええ、そう。やはり大方の予想通りの配置ね。それなら、『blessing software』ブースから一人くらい消えていなくなったとしても、特にサークル存続には影響ないわね。」
「あの~その不穏な言い回し、少し引っかかるので止めてもらえますか?」
霞さん、明らかに面白がっている。
その計画された『プランD』が、一体どれだけの破壊力を持っているのか。これ以上想像だけを広げていくのはやや危険水域という状況だ。
「ひょっとして真由さんがここにいるってことは、『純情ヘクトパスカル』絡みで人が足りてないってことでしょうか?」
「あら、さすがは加藤さん。察しがいいわね。実は人を一人、貸してもらおうと思って。」
恵ちゃんの顔が曇っていく。それは、いつものフラットな表情で隠しきれそうもないようだ。
恵ちゃん独特の、女の勘だろうか? これから訪れるであろう事案に対して、無意識のうちに防御態勢に入り、少しずつその緊張を解こうとしている。
「誰を……ですか?」
「それより、どうしたのかしら。そんな怖い顔をして。」
「わたし、そんな怖い顔をしていますか?」
「ええ、してるわよ。まるで、天敵から大切な卵を守る親鳥のよう……」
「わたしそんな顔しているつもり、ないんだけどなぁ〜」
「あら。そんなに嫌がることでもないじゃない。怖い顔だけど、母性本能剥き出しで、それは立派な顔かもしれないし。」
「…………それで、誰なんですか?」
霞さんはそう言うけど、確かに今の恵ちゃんの顔は凛としていて、見方によっては美しい。ゲームのシリアスシーンから一枚の絵として切り出されたような、そんな強く、優しい表情を見せている。
――そう、それは紛れもなく女性の顔だったんだ。
そんな恵ちゃんに対して霞さんは語るように、こう答え始めた。
「『純情ヘクトパスカル』のイラスト集を『cutie fake』で売ることにしたのだけど、あいにく例のスキャンダル事件のおかげで文雄さんが逃亡。恐らく明日は彼のファンが群がるでしょうね……」
「あの〜霞さん? 事実かもしれないけど……恐ろしいことあっさり言わないでください。」
確かに恐らくそうなのかもしれない。でもこうして面として言われると我が兄があまりにアレな感じで、もはや救いようもない情けなさを覚える。
「……だから、明日の『cutie fake』ブースに女性はなるべくいない方がいいわ。そう、今の加藤さんみたいなね。その人物こそが柏木エリ先生だって、勘違いされてしまう恐れがあるし。」
「……………………」
いや、まぁ〜…………うん――
そもそも柏木エリという人物がどんな人物なのか、一般的には知られていない。だから霞さんの言うことには一理あった。こんなタイミングで、いつもは『cutie fake』のブースにいない女性がそこに立っていたら、その人物こそが柏木エリだと間違えられてもおかしくはない。いつもブースにいるあたしですら『文雄の妹』という事実を信じてもらえず、恐ろしい多くの女性に取り囲まれたことがあるくらいだ。
だけどなんだろう? このもやっとした感じは――
「そんなときこそ『cutie fake』には救世主が必要。だからそう、『cutie fake』ブースに来るべきは、倫理君。貴方しかいないのよ!」
「……………………」
「……………………」
「……………………」
「…………はい!?」
一見すると辻褄が合ってるようで、でもなんだか釈然としないその答えは、周囲を唖然とさせた。それはその名を呼ばれたタキくんも同じ表情をしている。
だけど…………。
「そうやってまたわたしから倫也くんを奪っていくんですね? 霞ヶ丘先輩。」
恵ちゃんは霞さんに小さな声で、そう吐き捨てたんだ。
コミケ前日の夕方の頃。
間もなく空には夕焼けが浮かび上がろうとしている。
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