狸寝入りの見破りかた

 新幹線はいつ動き出したのかわからないほど静かに、ゆっくりと駅のホームを出発した。

 合宿で疲れたのだろうか、あたしの真横に座る英梨々は新幹線に乗り込むと早速重い瞼を閉じていた。あたしたちの後ろには恵ちゃんとエチカが座っていて、話し声が聞こえないところを考慮すると、やはり二人とも眠ってしまったんだろうか。


 東京駅までは一時間半ほど。

 あたしは窓の外をぼんやり眺めつつ、今回の合宿の成果を頭の中を整理していた。


 ここ最近のあたしときたら、霞さんと合宿をしたり、タキくんと合宿をしたり……。そのふたつのどちらも納期が近かったため、あたしはなんだかんだと必死にイラストを描いていた。

 でも今回はどちらかというと自由に、あたしが思い描いていた通りの絵が描けた気がする。いくら夏コミが近いとは言え、今回の夏コミで頒布するのはあくまでゲームの体験版。それに足りるだけのイラストはなんだかんだと仕上がってきていた。英梨々に『あれだけの描くスピードがあれば』と称される程度には、描けていると思う。


 とはいうものの……本当にあたしの絵はこのままでいいのだろうか?

 本当にあたしの『思い通りに』絵を描けているのだろうか――


 『純情ヘクトパスカル』の担当編集には『すごくない』と称されてしまう程度のイラスト。彼にそれを言われてから、ずっと頭の中にその言葉の余韻が残っていて、それを思い出すといつも立ち止まってしまっていた。

 描くスピードが何だって言うの? そんなの、あたしは求めちゃいない。

 あたしは、英梨々や出海ちゃんに負けない絵を描きたいんだ。


 誰にも負けない絵――あたしにしか描くことのできない絵……。

 そんなの、本当に存在するんだろうか?

 出海ちゃんや英梨々がちょっとでも頑張れば、あたしの絵なんてすぐに真似できるのでは?

 英梨々は、『真由は真由らしく……』って言うんだけどさ――

 あたしはそれをどう受け止めるべきなのか、まだわかっていなかった。


 新幹線がトンネルへ突入したため、窓には反射したあたしの顔が写っている。

 英梨々が恵ちゃんのこと、『顔が冴えてない』とか言ってた気もするけど、それを言ってしまったらあたしの方がよほど『冴えてない』……と思う。まぁあたしは恵ちゃんみたいにメインヒロインと呼ばれる立場ではないけれど……

 でも――


 ふふっ。こんな顔をしていたら、また霞さんに笑い飛ばされるね。

 小さく笑みをこぼすあたしの顔を見ながら、あたしはただただ情けなく思えてくる。いくらメインヒロインじゃなくても、こんなに冴えない絵描きとか、本当にみんなから求められてるイラストを描くことができるのかなって。

 こういう時、兄のあの性格が本当に羨ましいよ。


 それにさ……。

 霞さんがあたしを笑う理由は、きっと絵のことだけじゃないだろうなって。


 あたし今、全然恋愛できてない。

 合宿で、恵ちゃんや英梨々が悩んでいるのを見てきて、改めてそれを思い知ったんだ。


 今のあたしはどちらかというと絵を描くことに精一杯になってる。

 あいつに『すごくない』と言われない程度の絵。それをどうしても自分のものにしたくって。

 でもそれって、絵描きとしてのあたしであって、女としてのあたしじゃないんだよね……。

 そんなこと考えてたら、あたしって本当に馬鹿だよな〜……って、そう思えてくるんだ。


 だけどさ。恵ちゃんはそんなあたし――もはや土俵にすら上がれていないあたしに対して、ライバル心を燃やしているらしいんだ。それってとんでもなく、おかしな話だよね。


 あたしは『普通の絵』って、あいつに言われるのが嫌で……

 恵ちゃんは『普通の絵』を描くあたしを、『そんなのずるい』とか言っていて……


 なんだかそれって、本末転倒じゃないかな。


「みんな、才能のあるクリエイターだし、ちゃんと好きな人だっているし……ずるいよね。」


 あたしは小さな声で……誰にも聞こえない、少なくともあたしの隣で寝ている人には絶対聞こえない程度の声で、そう漏らしていた。


「ずるいのは真由の方なのに……ほんっと、全然自分の立場わかってないんだから。」


 ……!??!?

 だがあたしの隣から突然、そんな声が聞こえてきたので、あたしは慌ててその声の方を振り向く。だけども隣で眠っているはずの英梨々は、もちろんその重い瞼を閉じたまま。


 でも、さっきの声は間違えなく、英梨々だった。


「英梨々……?」


 英梨々は、口を動かさない程度に……まるで腹話術でも使っているんじゃないかと思える程度の小さなボリュームで、こんなことを言ってくるんだ。


「真由って、ただ逃げてるだけじゃない。

 才能だってあるのにそれを自分で認めようとしないで、

 自分で壁を作っちゃったりして……」


「…………」


 英梨々の言葉があたしの胸をぐさりと刺してくる。


「……恋愛だって、いっつも言い訳ばっかり。

 調子のいいときだけ調子のいいこと言って、

 そうじゃない時は『あたしはただのオタク』だって?

 ほんっと、冗談じゃないわよ。そんなの、他のオタクに失礼だわ!」


「他のオタクって……」


 あたしは思わず次の言葉を失ってしまった。

 なお、英梨々の瞳はまだ固く瞑ったままだ。


「だいたいさー、真由はそんなに可愛い絵が描けるんだから、それでいいじゃん。

 ふつーに可愛くて、ふつーに女の子っぽくて、ふつーにみんなから好かれて……

 それのどこに不満があるっていうの? それ以上何を求めようとしているの?

 そんなの、ただのないものねだりと違うの?」


「っ…………」


「真由。あんた、倫也のことが好きなんじゃないの?

 なんでもっと素直になれないのかな〜? なんだか見ていて、イライラする。

 真由って、いいところたくさんあるんだから、それをもっと表に出せばいいだけなのに。」


「…………」


「正直、ずるいよ。恵だって、きっとそう思ってるはず……」


「ねぇ……英梨々……?」


 あたしは英梨々の話をそこまで聞いて、大きく溜息をついた。

 英梨々の言うことはごもっともなんだけど…………。


 すっとあたしは瞳を下ろしたままの英梨々から顔を逸らし、新幹線の窓の方を向く。新幹線は相変わらずトンネルの中で、そこには冴えない表情を浮かべるあたしの姿と、ぐっすりと俯いたままの英梨々の顔が、窓にくっきり映し出されていた。

 が、次の瞬間、トンネルを抜け、眩いばかりの光があたしの視界に飛び込んでくる。


「……英梨々が言いたいのは、それだけかな?」


 そんな光に呼応するかのように、あたしは口を開く。


「たしかにあたしは、ぐずぐずしているかもしれない。

 素直になれないのもそのとおりかもしれない。

 でも、それを英梨々には言われたくないな。なんとなくだけど。」


 だって……


「だってさ。英梨々だって、全然素直じゃないじゃん。普通に可愛いじゃん。

 それなのに、あたしにだけそれを押し付けようとするの、何か間違ってないかな。」


「…………」


「英梨々だって、本当はまだタキくんのことが好きなんじゃないの?

 諦めようとしてるのかもしれないけど、本当はまだ諦めきれないんじゃないの?

 あたしの兄のことが好きだとか、それ、本当は本心じゃないよね?」


「違う、そんなんじゃない……」


 英梨々は小さな声で、だけどはっきりとした口調であたしの話を否定する。


「だって英梨々。あの日、あたしのベットの中でずっと泣いてたじゃん。

 綺麗な泣き顔で、どこにも嘘など感じられない涙を見せて、泣いてたじゃん。

 そんなに想ってた人のこと、そんなに綺麗さっぱりと、忘れられるものかな?」


「…………」


「別に、英梨々を責めるつもりは全然ない。兄と付き合ってても、あたしは何も言わない。

 だけどさ。今の英梨々にあたしのこと、本当にとやかく言うことなんて、できるのかなって。

 あたしの態度も十分情けないよ。でも、それは英梨々だって、同じなんじゃないかな?」


「真由……」


 英梨々は弱々しい声で、あたしの声に反応する。だけど反発などはしていなかった。


「……ううん。あたしはそんな英梨々のこと、大好きだよ。

 偉大な同業者の、絵描きとして。

 同じ人を好きになった、女の子として。

 だからね。英梨々にも、幸せになってほしいなって。」


「…………」

「…………」

「……ねぇ、真由?」

「ん、なーに、英梨々?」


 英梨々は先程までの弱々しい小さな声をやめて、急に我に返ったような声を出してくる。

 もう狸寝入りするのを諦めたようで、その声ははっきりとした口調に戻っていた。

 ただし、目はまだ瞑ったままだけど――


「やっぱし、それ……何か違うんじゃない?」

「なんのこと?」

「あんた、それあたしに言われたくないってだけで、自分のことは否定できてないじゃない。」

「…………うん。」

「『うん』じゃないわよ。少しはあたしの話に反論して見せてよ。」

「だって……自信ないし……」

「ほんっと、真由ってしょうもない義妹いもうとよね〜。あたし、そんな子に育てた覚えはないわよ。」

「だからそれを英梨々には言われたくないし、育ててもらった記憶とか一ミリもないから!」

「そんな言い訳はいいから、恵から倫也を奪うくらいの意気込みを少しは見せてよ。」

「言い訳とか…………はい、精進します。」


 後ろの恵ちゃんには絶対に聴こえないように……あたしと英梨々の二人だけの会話。

 あたしは英梨々の言うとおり、本当に情けない態度しか取れてない。

 英梨々の言う『自分の立場』というものは、何一つ理解できてないかもしれない。

 でも、こんなんじゃダメだって、それくらいのことだけは、あたしも理解できてる。


「あたし、英梨々みたいな有名な絵描きに、なることできるかな〜?」

「だから、なんであたしみたいな絵描きを目指そうとするのよ、この出来の悪い義妹いもうとは!??」

「だって…………」

「前も言ったけど、真由は真由の絵を描けばいいの。それだけよ。」

「…………」


 あたしの絵……か。


「あ~あ。真由と話してたら疲れちゃった。そろそろ、東京駅まで寝てるね。」

「……あ、うん。おやすみ。」

「おやすみ。真由……」


 さっきから英梨々はず〜っと目を瞑ったままだったけど、ようやく声が聞こえなくなった。

 気がつくと聴こえてくる音は、英梨々の寝息へと変わっていた。

 英梨々、本当に寝たのかな?


「でも、ずるいのは英梨々の方だよね。こんなに寝顔も可愛いんだから……」


 あたしはそんな英梨々にも聞こえないはずの声で、そうこぼした。

 その寝顔はお人形のように愛くるしくて、思わずぎゅっと抱きしめたくなるんだから。


 だけど……。


「真由だって十分可愛いくせに……」

「って、やっぱし狸寝入りだったんじゃない!!?」


 英梨々、本当にずるい。


 ☆ ☆ ☆


 とにかく東京戻ったら、夏コミまでラストスパートで準備しなくちゃ。

 それまで、あたしも寝てようかな……


 ……と、この頃のあたしは、夏コミ前日に起きる事件のことを、まだ想像さえしていなかったんだ。いつかはこんな事件が起きるのではないかと、予想くらいはしていたつもりだったけど、まさかこんな大事件になろうとは。


 それは、イラストレーター『嵯峨野文雄』として、史上最大のスキャンダル事件。


 あたしにとって、忘れることのできない――

 暑い夏は、まだ始まったばかりだ。

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