メインヒロインのものまねのしかた

 長野の山奥にひっそり、ぽつんと存在する静かな湖畔。

 辺りは森の香りが漂っていて、大きく息を吸いふっと空気を飲み込むと、心が休まる。

 もうすぐこの景色ともお別れだね。

 あたしはそれを少し寂しく想いながら、紙の上にペンを滑らせていた。


 温泉宿のチェックアウト後、バスに乗る時間までまだかなりあったので、あたしたち四人は湖畔で再び自由行動となった。温泉宿の売店でお土産も購入済みだし、後はバスと新幹線に乗り遅れなければという具合だ。


 霞さんや町田さんへは温泉饅頭を買った。霞さん『これ前も食べたわ』とか言いそうだけど、なんだかんだ言いながら甘いもの好きだもんね。きっとまた今回もぶつぶつ言いながらあっという間に口に頬張っていくのだろう。

 兄には少し可愛い感じのストラップを……と思ったけど、それを兄の周りにいる女性に見られたら何が起きるかわからない。そのストラップを見つけた女性が指紋鑑定とかし始めて、その結果あたしを特定とかしてくれた日には……これ以上恐ろしい想像をするのは止めておこう。

 結局兄のお土産には野沢菜を買うことにした。兄は料理も得意だもんね。だからきっとこの野沢菜に合うものも自分で作っちゃうだろうし、兄も恐らく喜ぶだろう。


 それにしても……


 今あたしの目の前に広がる光景は、日の光を浴びてきらきらと光り輝く湖のさざ波。

 そしてその手前に広がる湖畔には、ゲームのメインヒロインとなる少女。

 表情は……ちょっと不機嫌そう?


 メインヒロインと言っても、『blessing software』の恵ちゃんではない。

 あたしのサークル、『cutie fake』新作ゲームのメインヒロイン、英梨々だ。


「それにしても英梨々、なんで急にモデルをやるって言い出したわけ? 昨日まであんなに、主にあたしから逃げ回ってたくせに。」

「うっさいわねぇ~。いつまでも真由が困り果てた顔してるから、お義姉さんが協力してあげようって言ってあげてるのに。」

「ふ~ん。今日はそうやってあたしのせいにしようって押し切るつもりなんだそうなんだね~」


 まぁ、英梨々がいつまでもモデルらしいことしてくれなくて困っているのは事実だけど。

 とはいえ、英梨々の表情はいつも何一つ曇りがなく、怒った顔も泣き顔も何度も見てきているし、その特徴も掴みやすいから、英梨々がモデルらしくしてなくても案外絵は描けてしまっていた。掴みにくいと言えば、恵ちゃんのあのフラットな表情を描ききる方がよほど大変だよね。

 それでもこうしてモデルらしくしてくれた方が描きやすいのも事実だけど。


「じゃあ英梨々? そろそろ怒った顔を止めて、別の表情をつくってほしいんだけど。」

「それってどんな表情すればいいわけ?」


 うん。相変わらず英梨々はやや怒った顔をしている。

 それにしても今日はなんでこんなにぴりぴりしてるんだっけ?


「そうだな~……例えば、ゲームのクライマックスのシーンで、これから最強のボスキャラに立ち向かうために、意を決した時の表情とか?」

「真由。そもそも恵のシナリオにそんなボス猿なんて出てきたっけ?」


 ほんと、なんでこんなに機嫌が悪いんだろ? 今日の英梨々は。


「でもメインヒロインだったら、どんなラストシーンであっても最強のボスと交える時のような、そういう緊迫したときの表情は必要じゃないかな?」

「あたしがクライマックスで大きなボス猿と戦えって言うの? 嫌よ、それなんか野蛮だし。」

「誰も大きなボス猿と戦えなんて一ミリも言ってないからね!!!」


 なんだかさっきから妙に不条理な会話をしている気がする。

 英梨々は真顔でそういう返しをしてくるものだから、冗談なのか本気なのか全然わからないんだ。……いや、真顔という時点で冗談じゃない気もするので、それはそれで救いようもないくらい面倒な話であるのだけど。

 いっそ恵ちゃんに頼んで、ゲームのラストシーンは英梨々とお山のボスザルで、最終決戦をするシナリオにしてもらおうかな。……ってそれじゃあどこかのドラ○ンボールみたいなお話じゃん!


 はぁ〜。どうしよっかな〜……?

 ゲーム作りってそもそもこういうものなんだろうか?

 それって、恵ちゃんがメインヒロインでモデルをしているときもこんな具合だったのかな?


「ねぇ英梨々?」

「なによ。今度はあたしにこんなところで服を脱がせようっていうの? 絶対嫌よそんなの。」

「誰もそんなこと言ってないからちゃんと最後まで話を聞いてね!!」


 英梨々のあまりの話の吹っ飛びぷりに、もはやあたしが何を質問しようとしたのか、忘れてしまいそうなレベルだった。英梨々の妄想力がたくましいのは前から知ってたけど、どうしたらそういう話になるのだろ?

 ……あ、柏木エリってそういう絵描きさんでしたよね、うん今思い出したよ。


「恵ちゃんがモデルのときも、英梨々が今のあたしみたいにこうやって描いてたんだよね?」

「ええそうよ。恵、全然モデルっぽい表情できなくて、大変だったんだから。」

「それを今の英梨々には言われたくないって、きっと恵ちゃんもそう思ってると思うよ。」


 なお恵ちゃんはと言うと、少し離れた場所の岩の上に座り、ノートPCを広げていた。

 方向的には英梨々の後ろ側にいるので、あたしの視界からも恵ちゃんの様子を確認できるんだけど、その様子は黙々とシナリオを書いてるかと思えば、たまにあたしたちの会話に反応して、視線も何度かこちらにぷいと向けている。

 それにしても恵ちゃん、あたしたちの会話をどこまで聞いているのだろう?


「ひょっとして真由。今度はあたしに恵のモノマネをやれとでも言うの?」

「いや、そうとも言ってな…………あ、それでもいいかも。」

「ねぇ真由。今のって絶対思いつきで回答してるわよねきっとそうよね!??」


 あたしは心の中で半分笑っていた。いや、その比率は半分ではないかもしれないけど。

 でもせっかく英梨々がメインヒロインなんだし、だったら恵ちゃんのものまねしてもらっても面白いんじゃないかって、そんな気もしてきたんだ。


「じゃ〜英梨々。まず手始めに恵ちゃん風に、怒った時の顔してもらおうか。」

「なによー、わたし怒った顔なんてできないんだからねー」


 だが、英梨々もノリノリだった。英梨々の一人称も『あたし』から『わたし』になってるし。

 こういうのを悪ノリとでもいうのだろう。でもこれであたしも絵が描けるのだから悪い話ではない。

 ノリが良くなった英梨々は表情もだいぶほどけてきたんだ。これがいいことなのか悪いことなのかなんとも判断しがたいけど、恵ちゃん風英梨々のその顔はとてもコミカルで、むしろあたしの画風に合ってるようにも感じる。

 あたしも英梨々の勢いに負けずに、あっという間に一枚のスケッチが仕上がってしまった。


「ほら、描けたよ。怒った時の恵ちゃん風な英梨々!」

「うん、よく描けてるじゃん。怒っててもものすごく可愛い。真由、こういう絵はあたしより得意だもんね。」


 ふふっ。『こういう絵』……か。

 ……それにしても、恵ちゃん風の英梨々でいいのか本当に!??!?


「やっぱり恵ちゃんのモノマネだと、英梨々もメインヒロインぽくなるね。」

「なによそれ。まるであたしがメインヒロインなんてまだ早いって言われてるみたいじゃない。」

「いやだってさっきまで英梨々全然表情作れてなかったじゃないの〜!!?」


 英梨々の表情がまた元の怒り顔に戻ってしまった。本当に困った子だな……


「あたしだって……本当はもっと恵みたいに……」


 だが今度は、絶対にこの距離では恵ちゃんにも聞こえないだろうというくらいの声のボリュームで、英梨々はぼそっとそうこぼした。その顔はさっきまでの怒り顔でもなく、いつもの泣き顔とも少し違ってて――


「だから、あたしはあんな今の恵みたいなメインヒロインは認めたくないっ!」


 そして、小さい声のボリュームのまま、だけど力強く、英梨々はそう誓う。

 そこにはいつも霞さんの言う『負け犬』とは全く真逆の顔になってたりして……


 そういえば昨日も英梨々は『今の恵はメインヒロインぽくない』というようなことを言ってたけど、果たして本当にそうなんだろうか? 確かに今の恵ちゃんには迷いがあって、少しだけ、それこそ文字通り『冴えないヒロイン』と称するのがふさわしいのかもしれないけど、ただ英梨々の言うほどには思えなくて、表情はいつも力強く、あたしが描きたくなるような顔をたくさん見せてくれる。

 それを言うなら英梨々の方が……昨日の英梨々の暴走っぷりはもはや誰にも止められそうもなかったけど、だけど……今もそうだけど、恵ちゃんと同じくらいの迷いがあるような、そんな風にも見える。


 でももしそうだとすると、今の英梨々の迷いって、一体なんのことなのだろう?

 それってやっぱり――


「さっきから何をしているのかな。英梨々、真由さん?」

「うわ〜!!」


 突然、あたしのすぐ耳元で恵ちゃんの声が聞こえてきた。

 これが恵ちゃんのステレス性能ってやつだろうか。ついさっきまで英梨々の後方二十メートルくらいの場所でシナリオ書いてたはずだったのに、いつのまにかあたしが描いてた絵を覗き込んでいるんだ。

 さすがにあたしも驚きだよ!!!


「あ〜、怒った時の英梨々を描いてたんだよ。ちょ、ちょっとだけ、可愛らしくアレンジして。」

「ほんと真由さんの絵ってかわいいね〜。……さっき英梨々が『わたし』とか言ってた気もしたけど。」

「……って、聞こえてたんじゃん!??!?」


 二十メートルくらい離れてても、声って聞こえるものなんだね。

 恵ちゃんはショートボブの髪をふわっと浮かせながら、フラットな顔であたしの絵を見つめている。

 これって怒ってる……のかな???


「別に恵のモノマネした方が真由が描きやすいとか、全然そんな話じゃないんだからね。」

「うわ〜……まるで絵に描いたようなツンデレ的反応だね、英梨々。」


 あたしはこの状況、何をどう捉えればいいのか、全然わからないんですけど。


 だけど、恵ちゃんはどこか落ち着いていたんだ。

 ふうーっと一息ついたかと思うと、英梨々の前にちょこんと座った。


「な、何よ……」


 英梨々は目の前に現れた恵ちゃんに対し、どういうわけか視線を合わせようとしない。

 そんな英梨々を諭すように、恵ちゃんは優しい声で英梨々に話し始めた。


「ねぇ英梨々。わたし、英梨々に何か気に障るようなことした……かな?」

「べ、別に……」

「わたしの態度が曖昧になってて、英梨々それを気にしてるのかな……って。」

「だから恵には関係ないって……」

「そう、それだよ英梨々。」

「……って、何が『それ』なのよ恵?」

「今の英梨々の態度って、それ本当は『わたしには関係ない』ことなんだよね?」

「ええ、そうよ。恵には全く関係ない話よ。」

「だったらさ〜、わたしに当たり散らすのは、何か違うんじゃないかな〜?」

「っ……」


 すると恵ちゃんはその細い両腕で、英梨々の肩をぎゅっと抱き寄せた。

 英梨々は反抗することもなく、泣こうともせず、ただ恵ちゃんの身体に身を任せようとする。


「ねぇ、英梨々。いったい、何があったの?」

「…………」

「わたし、英梨々に何か、本当に悪いことでもしてる……のかな?」

「だから恵には関係ないって、さっきから何度も言ってるでしょ……」


 英梨々はやはり小さな声でそっと答える。それが英梨々の回答なんだ。

 英梨々はそれっきり。恵ちゃんに体重を預けたまま、ぷいと湖の方を向いている。

 恵ちゃんもそれ以上は追求せずに、ただ黙ったまま――

 そして、英梨々の顔の影はゆっくりと、湖の奥底へ沈んでいった。


 あたしはその瞬間を、黙ったままスケッチブックに収めていくことにした。


 夏の湖畔のワンシーン。

 二人のメインヒロインの物語を一つの絵にして……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る