恐怖の山賊焼きの召し上がりかた
「「「シナリオリテイク!??」」」
鼻に心地よい硫黄の香りが漂う長野県の温泉宿。夕食前に宿の食堂で集まって、今後の進め方について少しだけミーティングをしようってことになったんだ。
隣の厨房からは御馳走の匂いが漂ってきていて、間もなく夜の晩餐が始まる――
……はずだったんだけど……
「ええそうよ。こんなシナリオやっぱしどう考えてもリテイクよ!! あたしがメインヒロインである以上、物語は面白くなくっちゃそんなの認められない!」
と仰るのは、今回合宿で大暴走中の英梨々。
というかゲームシナリオの『メインヒロイン』って、そういう役回りだったっけ??
まさか見ているだけでは飽き足らないからって、そんな理由でこんなことを言ってるわけではないと思うけど、それにしたってそれは唐突で、なぜこのタイミングでと思わなくもなかった。だって、夏コミまでもう1ヶ月ちょっとだし、そこまでにワンルートを仕上げたいのであれば、とっくにシナリオは仕上がってないと厳しい。
特にその後を任される絵描きのあたし的に……。
「ねぇ英梨々? 一体どこが納得いかないのかな〜?」
「だってこれ、嵯峨野文雄のサークル『cutie fake』のゲームだと言うのに、肝心の文雄さんがどこにも出てこないじゃない!! そんなの、『cutie fake』とは言えないわ。」
……はい?
「あの〜……えりりんが納得いかないのって、それのこと〜???」
「なによエチカ。これは極めて重大な欠陥よ!! それとえりりんとか呼ぶな〜!」
いやいや、重大な欠陥と言われましても……。
そもそも『cutie fake』にとって、兄の性格そのものが欠陥のような気も……という点はそんな兄の妹であるあたしひとりの心の内に閉まっておこう。
「ねぇ英梨々? 恵ちゃんのこのシナリオってサスペンスものとして十分すぎるほど面白いと思うけど、うちの兄なんか出てきちゃったら、サスペンスどころか血みどろの殺人劇が展開されるんじゃないかな?」
「真由、それは甘いわ。だってそっちの方がスリルあるじゃん! 女同士で嵯峨野文雄を取り合って、次々と殺人事件が発生して、それをあたしメインヒロインが解決していくの。」
「それもはや別のゲームになってるよね誰もが羨む恋愛ゲームにはなってないよね!??」
そもそも現状の恵ちゃんのシナリオは、英梨々がモデルである河村かおり視点のストーリーで、その周囲もかおりの親友であるとか、どちらかというと女の子ばかり出てくるゲームだ。出てくる男性キャラと言えば、タキくんがモデルで河村かおりが居候する家の息子である土岐朋雄、そしてその家の執事として働く飯島伊吹(こちらは出海ちゃんのお兄ちゃんがモデルだったね)くらいか。
確かに、男性キャラがもう少し多いほうが花もあって良い気もするけど、だからと言って我が兄である嵯峨野文雄が出てきてしまったら……どうなるんだろ???
「でも英梨々の言うとおり、文雄さんが出てくれば、さらに女の子のウケも良くなるかもね。文雄さんって女の子から人気もあるし、そんな文雄さんと恋愛疑似体験ができるゲームになればみんな飛びつくんじゃないかと思うんだけど、どうかな〜?」
「いいねぇ〜それ。あたし加藤ちゃんの意見に賛成〜」
う〜ん……今こうしてあたしの目の前に、実際我が兄と恋愛疑似(?)体験をしているプロの絵描き様がいる気もするけど、とりあえずその話は今は置いといて……?
それ本当にいいのか!??
「決まりね。後は真由が文雄さんをキャラデザすれば一件落着よ。」
「ちょっと待って英梨々? うちの兄をキャラデザしようにも、そもそも役柄はどうするのよ!?? ちょっとだけ登場するキャラクターと恋愛疑似体験とか、それはちょっと無理があるんじゃない?」
なんとなくだけど……あたしは可能ならゲームに我が兄を出すのは避けたい。
「執事よ執事。そもそも伊織がイケメン執事なんて、最初から納得いかなかったのよ!」
「あ〜、うん。それはそうだね〜。そんじゃ〜あんな人を執事にするのはやめて、代わりに文雄さんを執事にするシナリオに変えてみるね〜」
「ちょっと恵ちゃん『あんな人』ってどんな人? ……じゃなくて、いくらなんでもそれってちょっとあっさりすぎない!?」
かくして、あたしは我が兄がモデルのキャラデザを行い、それをゲームに登場させることが決まってしまったらしい。それは一歩間違うと兄の女性ファンからどんな目で見られるのかなかなか想像ができず、それはそれでなんだかなぁ〜という気分だ。
下手な描き方をすると、それこそあたしが殺人事件の被害者になってしまうんじゃないかと。まぁあたしは絵描きの『嵯峨野文雄』ではなく、一般的には『嵯峨野文雄の妹』として通っているはずだから、そんなことはありえないはずなんだけど。
そんな迷いをかき消すかのように、目の前に今晩のご馳走が運ばれてきた。
温泉宿の夕食というだけあって、風情のあるいかにもな和風料理だ。長野県の名産品と思しき山菜の天ぷらや、鶏肉などがテーブルに所狭しと並んだ。この鶏肉の料理は長野県で山賊焼と呼ばれているらしい。宿の仲居さんが丁寧に解説してくれた。
「うわ〜、美味しそう〜」
「そうだね、早く冷めないうちに食べちゃお!」
エチカとあたしはこの宿が初めてだから、その料理に思わずうっとりと目を奪われてしまった。恵ちゃんも三年連続三回目とは言っても、この豪勢な食卓を前にやはり納得の表情を浮かべている。
「じゃあ〜いただこっか。」
と恵ちゃんが箸を手に取った……その瞬間!??
「ちょっと待った。まだ話は終わってないわよ!!」
……が、どういうわけか英梨々がここで待ったをかけるんだ。
「……英梨々? とりあえず食べながら話を続けよっか。」
「そ、そうね……」
今日の英梨々の大暴走、いい加減止めてあげないとね……。
☆ ☆ ☆
あたしは天ぷらを箸で掴み口に運んだ。それは口の中でとろりと溶けていくようで、実に美味しい。東京ではこんな料理になかなか巡りあえないし、それはもう日々の忙しさに感謝したいくらい、幸せな気分になる。
やっぱしたまにはこういう合宿もいいよね。
「で、えひひ。はなひってまたぬあにくああるの?」
「真由。ひゃんと食へてから話ひなさいよ。」
だって、せっかくのご馳走がこうして並んでいるんだから、もっと楽しく味わいたいよね。
そう言う英梨々だってあたしと似たような状況じゃんか。
「……で、英梨々。話ってまだなにかあるの?」
あたしはお茶を一口喉に通した後、英梨々にそれを確認する。
「このメインヒロイン、河村かおりだけど、なんだかルートありきって感じがするのよ。」
「あ~それはあたしも感じてた~。あっきーが書くシナリオと比べると少しゲームっぽくないっていうか~」
と、エチカも英梨々のそれに同調する。
あたしは初めてのゲーム作りだからあまりその点を意識したことはなかったけど、確かにシナリオとしてはすごく面白くて、そのお話を楽しむには十分すぎる気もするのだけど、ゲームにしてしまうとワクワク感が薄れるというか、ゲームとして求められそうな意外性というのが少し足りないのかもしれない。
「そんじゃ~英梨々はどう直すべきだと思う?」
恵ちゃんは怒ることもせず淡々と、それこそフラットな表情で英梨々に尋ねた。
「そもそもあたしのライバルたちが弱すぎるのよ! 特にこの佐藤里美って子、普段は全然地味なモブ子なのに、ただ朋雄と幼馴染という裏持ち設定ってだけであたしと張り合うとか納得いかない!」
「たしかに。なんかそれってちょっと物語に作為的なものを感じるよね。設定に縛られてるというか……?」
「あ〜、要するに朋雄と幼馴染以外な〜んもないよね佐藤ちゃん。」
こんな風にあたしたちがメインヒロインの恋のライバル『佐藤里美』について論評をしていると、なぜか恵ちゃんは頭を抱えて悩んでいた。……というか、恵ちゃんが書いたシナリオについて語ってただけのはずなのに、あたしたちは何か引っかかることを話していたのだろうか?
「どうしたの? 恵ちゃん。」
「いやなんかどこかのデジャビュというか……わたしと倫也くんで没にしたはずの霞ヶ丘先輩のあのシナリオを、三人とも実は読んだことあるのかなって……」
え、霞さんのシナリオ? ……なんの話のことだろう??
「何言ってるのよ恵。あたしはそんなシナリオ読んだ記憶はないわよ。ただこのシナリオに出てくる『佐藤里美』って子について語ってるだけよ。だいたいこの子ってさぁ、普段から地味で目立たなくて人当たりのいいように振る舞ってるけど……実はさらっと上からで、微妙に毒舌で……黒いよね。」
「あ、たしかに黒いかも。思ったより真っ黒……?」
「あ〜うん。というか、裏で何を考えているのか全然掴めないよね〜」
すると恵ちゃんの目は、まるで死んで乾いた魚のそれになってしまっていた。
恵ちゃんのシナリオについて語っているだけなのに、そこまで落ち込むことはないはずなんだけど、ちょっときつい論評しすぎたのかな? あたしたち……
「…………」
「えっと、恵ちゃん? シナリオライターとして、何かコメントある?」
「え、えーと、これ言われているの『佐藤恵』だし……」
恵ちゃんは小さく自分に言いきかせるようにぼそっと答える。
でもそれは明らかに様子がおかしい。
「え、恵ちゃんちょっと大丈夫? というか、この人物のキャラクター名『佐藤恵』じゃなくて、『佐藤里美』だからね? あたしたちシナリオの論評したつもりだったけど、ちょっときつすぎたかな?」
「…………」
「……と、とりあえず、恵は一旦ほっといて、ゲーム作りの話に戻すわよ。そ、それよりそうね〜……夏コミ版オリジナルのおまけシナリオについて少し話そっか?」
「あ、そうだね。でもあたし、まだ全然イラスト描けてないから、本当におまけ程度にしてね。」
「本番は冬コミだもんね〜そこまで力を入れずに……って、どうしたの加藤ちゃん!??」
エチカが叫ぶわずか数秒前、恵ちゃんは下を俯いてしまった。
するとそこから、亡霊が目を覚ましたかのように不気味な薄ら笑いが聴こえてくる。
「ふ、ふふ、ふふふふふ……」
「め、恵ちゃん……?」
「どうしたのよ、恵。なんかその笑い声、何者かに取り憑かれてるみたいよ?」
英梨々の言うとおり、これはもはやあたしの知ってる恵ちゃんじゃなくなっていた。
あたしの知る恵ちゃんでもなく、恵ちゃんのシナリオに出てくる『佐藤里美』でもない。
まさか、これが恵ちゃんの言う、『佐藤恵』という子!?
……って、誰よそれ!???
「さっきから黙って聞いていれば、なかなか好き勝手言ってくれたじゃありませんか……」
「いやこれ恵ちゃんのことじゃなくて恵ちゃんが書いたシナリオに出てくる女の子についてだから。誰も恵ちゃんのことは言ってないから!!!」
というよりこれ、どういう芝居だって恵ちゃん!??
「……ならばお望み通り、ありとあらゆる手を使って英梨々を叩き潰してあげましょう?」
「ちょ、ちょっと。なんであたしなのよ!! だいたい『佐藤里美』が叩き潰さなきゃならないのは、あたしじゃなくて『河村かおり』でしょ……」
だが恵ちゃんのその目は狂気そのもので、英梨々がツッコミを入れようにも明らかに根負けしていた。まるで温泉街で発生した真夏の夜のミステリー体験のようだ。
……いやまだ季節は初夏のはずなんだけど。
「そしてその次に真由さん。
「ほぇ? あたしも!???」
この恵ちゃん……さすがにちょっと怖い。
……あれ? でもなんだかこの喋り方、どこかで覚えがあった。
それってどこだったっけ?
「……さすれば、英梨々も本気になるのでございましょう? わたしと真由さんが本気になれば、そこの偽物メインヒロイン英梨々なんて目じゃありませんわ。叩き潰されたくなければ、英梨々も本気になることですね。のらりくらりと日常をやってのけるだけのルートではなく、本気で朋雄を愛して、未来永劫彼と結ばれるルートを用意して差し上げましょう……」
「あ〜なるほど。メインヒロインの恋愛成熟度によってルートが分岐するのか〜。それはたしかに面白いかも〜」
と、唯一名前の挙がってこなかったエチカが、冷静に恵ちゃんの発言を分析していた。
だけど英梨々やあたしの名前は実名のくせに、『朋雄』だけは役名なのか。つまり恵ちゃん、あの編集さんは絶対に誰にも譲る気はないってことだね。
……ってそれやっぱし黒いじゃん!!
そう。現状の恵ちゃんの書いたシナリオは、メインヒロインである河村かおりが、何を大切に選ぶかによってルートが分岐する。その内容はこんな具合だ。
・朋雄との恋愛を選ぶルート
・里美との友情を選ぶルート
・舞羽との友情を選ぶルート
・誰にも選ばれなかったルート(バッドエンド)
今回の恵ちゃんの提案は、『朋雄との恋愛を選ぶルート』をさらに分岐させて、恋愛成熟度次第でさらにもう一段階上の『朋雄と未来永劫結ばれるルート』を追加するってことだろう。
なるほど、それならゲームとしてやりこむことができそうだね。その意見には同意だ。
……あたしの作業がさらに増える話はとりあえず抜きにして考えることにするけど。
「じゃ、じゃ〜決まりね。恵はルートを追加してシナリオを書き直すこと。倫也を譲る気ないんだったら、徹底的にそのシナリオを作り込みなさいよ!!」
「え〜やだよめんどくさい〜……」
「そこで素に戻るな〜!!!!!」
英梨々が『倫也』という名前を出した瞬間、恵ちゃんの顔が元に戻ったように見えたけど?
女だらけの合宿って……本当にちょっと怖い……
こうして、長野の美味しいものをたんまりと目の前にして繰り広げられた、『cutie fake』史上類のない伝説の会議は、無事幕を下ろした。恵ちゃんはその悪魔のような魂がすっかり抜けていったようで、いつもどおりのフラットな恵ちゃんに戻っていた。
それにしても、さっきの恵ちゃんは結局なんだったんだろう?
あれが恵ちゃんの本性? ……いや、どこか違うような……???
東京へ戻ったら、霞さんにその
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます