星空へ七夕の願いかた

「それにしてもただでさえそこそこルート多かったのに、さらにルート分岐を増やして大丈夫だったの?」


 夜空には満天の星空があたしたち四人を照らし出していた。辺りはこれといった灯りもないので、その星ひとつひとつを数えられるくらい、いや、数え切れないほどの星々を拝むことができる。

 その光は火照った身体を上空から包み込むようで、顔いっぱいにそれを浴びる。美しい。


 ――そう、ここは長野県の温泉の露天風呂。

 あたしたち『cutie fake』のメンバー四人は、一緒に温泉に入ることにしたんだ。英梨々に誘われてドアを開けると、そこは竹林に覆われた風情のある露天風呂で、無数の星々があたしたちを出迎えてくれた。

 なるほど。恵ちゃんと英梨々が毎年ここに訪れる理由がまたひとつわかった気がする。


 恵ちゃんの身体を包みこむ温かい泉が、お星様の光を跳ね返していく。恵ちゃんも日頃の煮詰まった想いを、全部ここへ吐き出そうとしているのか。まるでその光の余韻を楽しんでるかのようだ。


「大丈夫だよ。それ以外のルートはほぼほぼ出来上がっていたし、ワンルート足すくらいならなんとかなるよ。英梨々の指摘はもっともな意見だったしね。」


 恵ちゃんは小さな声でそっと、あたしにそう答えてくる。

 そっか、恵ちゃんは大丈夫そうなんだね。


「恵は大丈夫よ。だって真由があれだけ進捗遅れてるんだもん。まだまだいくらでも訂正可能なはずよね。真由だって先週まであれだけのペースで描いてたわけだから、全然心配ないはずだろうし。」

「英梨々○ね!!」


 確かに英梨々の言うとおり、先週までのあのペースで描ければ問題はないのかもしれない。あのタキくんの無茶振り案件のおかげで、あたしはそれを言い切る自信も得つつあった。

 でもあんなの毎回繰り返してたら、たとえ絵は描き上がっても、あたしの身体の方が持たないっつーの!!!


「ねぇ~そんなことよりさ~もっと星を楽しもうよ~」


 するとエチカがそんな身も蓋もない進捗話に待ったをかける。


「綺麗……だね……」

「ええ、ほんと。」


 あたしの合意に英梨々も同調する。


「ねぇ、真由さんは星に願い事とかないの?」

「願い事……?」


 恵ちゃんのその質問はあまりに唐突だったので、あたしの思考は一瞬停止してしまった。

 あれ? ……そっか、今日は確か……


「今日は七夕だもんね~。そんな日にこんな星空を拝められるなんて最高だよ! 東京じゃこんなの絶対に無理だし~」

「七夕かぁ〜……」


 そう。今日は七夕だ。

 湯船が温かいせいだろうか、疲れが溜まっていたせいだろうか、あたしの頭は全然回っていなかった。今朝からずっと引っかかってはいたけれど、そんなことも忘れてたなんて……。

 これ全部あんな無茶な仕事を持ってきたタキくんのせいだ。うん、きっとそう。

 ――こうしてあいつは、いつも犯人に仕立て上げられるだろうけどね。


「ていうかエチカはどうせいつも自慢してる彼とここに来たかったってのが本音なんでしょ?」

「ちっ、バレたか……。なんだか今日の英梨々には敵いそうもないよ~」


 それにしてもなんだか今日の英梨々は不気味なくらい冴えまくっている。

 だけどちょっと待てよ。今の英梨々の発言には何か少し引っかかるところを感じた。


「あれ? そういう英梨々は、例の彼とここに来たいとか思ったりしないの?」


 まぁ『例の彼』って、ようするにあたしの兄、嵯峨野文雄のことなんだけど……。


「あ、いや。ふみ……あの人は、いつも忙しそうだし、あたしは特に別にぃ〜……」

「え、いつもって、うちのあ……あの人って、そんなに毎日忙しそうには見えないけど?」

「いやだってほら、週末は電話かけてもいつも繋がりにくいというか……」


 えっとね、英梨々。正直な話、それは多分だけど、兄は他の女の人とデートしてるんじゃないかな? それを忙しいと言われてしまうと、毎週こうやって絵を描くために合宿してる妹のあたしの立場ってものがないよね。

 ていうか、あたしがこうして彼氏を作る暇などないほどずっと仕事で忙しく絵を描いてるのに、兄の方はというとそういう状況で、それはそれでどうなんだろって思うんだけど……


 ……と、これは英梨々にはさすがに黙っておくか。


「じゃ〜さ、英梨々? その彼氏さんと、倫也くんとだったら、どっちと一緒にここに来たいかな?」


 だが、あたしは黙ってるつもりだったけど、恵ちゃんがそれを黙っていられなかったようだ。どストレートの質問をいつものお得意のフラットな声で英梨々に投げかける。恵ちゃんは温泉のお湯で顔をこすりながら、抑揚もつけずにこんなことをひょろっと言うんだもん。さすがにこれ、あたしもちょっと怖いよ……。

 ひょっとして恵ちゃん、今日の英梨々の言動の数々に対する反撃だったりするの?


「そ、そんなの恵、倫也とだったら一昨年もここに来てるし……それに……」

「それに……?」


 なんだかはっきりしない英梨々の回答に、恵ちゃんは容赦ないフラットな顔をぶつける。


「あたしは別にもう、倫也と一緒でなくてもいいかな……って。」

「ふ〜ん……そうなんだ〜……」


 英梨々は小さな笑みを浮かべながら、恵ちゃんにそう答えたんだ。

 そうしてなんとか恵ちゃんの口撃をかわしきった……つもりなのかなそれって?

 まぁいいや……


「そ、そういう恵こそどうなのよ。このメンバーだったら今回の合宿、倫也を誘っても誰も文句は言わなかったんじゃないの? 特にそこの真由なんか、倫也がいたらむしろ逆に舞い上がっちゃって、はたから見ているのも恥ずかしいレベルだっただろうけど。」

「ちょ……英梨々!??」


 仕返しとばかりに、英梨々は恵ちゃんに……ではなく、なぜかその矛先はあたしに向けてきた。

 英梨々、あのねぇ〜……。それにしてもあたしの立場っていつもこんな感じだよね。


「だからだよ。」

「え……?」


 ところが恵ちゃんはその英梨々の投げかけに真っ直ぐ受け止めて、一切否定しようとしなかったんだ。上空の星空をぼんやりと見上げながら、こう答えた。


「なんとなくなんだけど……倫也くんと今ちょっとだけぎこちなくて。どっちかというと、倫也くんの隣にはいつも霞さんや真由さんがいて、わたしも傍にいるつもりなんだけど、少しだけ距離があるみたいで……ね。」


 本当は恵ちゃん、泣きたいのかもしれない。

 上を見上げたままの彼女はそんな風にも見えた。

 でも、絶対に涙を見せることはしなかったんだ。


「ねぇ恵? それ、本気で言ってるの?」

「んー……三割くらい冗談で、二割くらいは本気かな?」


 ……ってそれ、まだ五割も残ってるじゃん!!

 つまり、残り半分は……一体恵ちゃんのなんなのだろうか?


「でもね、真由さんには倫也くんを取られたくないって……ずっと、思ってるんだ。」


 恵ちゃんはそれこそ冗談めいた顔で、あたしを見ながらそんなことを言ってきた。

 そう。先々週からずっとあたしは恵ちゃんから宣戦布告を受けているんだ――


「……ねぇ恵ちゃん。恵ちゃんって今の自分の立場、本当にわかってるの?」


 ――だけどあたしにはどうしてそうなってしまうか、その理由が実は一ミリも理解できないんだ。

 だって、タキくんはいつも恵ちゃんと一緒にいるし、そこにあたしが入り込む余地なんてどこにもないというか、あたしが勝負できる要素なんてどこにあるのだろう?って、そんな風にしか思えないでいたから。

 あいつ、あたしのことなんて相手にもしてくれないどころか、全然女として見てくれてない。ただ、仕事仲間としか思われてないと思うんだけど……。

 まぁそれが本来あるべき姿だし、それ以上を求める必要もないと思うけれども――


 ――でも恵ちゃんは


「わたし、そういうのが一番……」


 その恵ちゃんの声は、あたしに確かに聞こえる声で、でも途中で中断されてしまった。

 灯りに照らされた恵ちゃんの顔は、怒っているのか笑っているのか、それすら判断つかないようなそんな表情をしている。もしこれが怒っている顔なのだとしたら、それはあたしに対して……?

 でももしそうだとしたら、どうしてあたしは……


「わかってないのは真由、あんたの方よ。」

「え……?」


 そこへ追い打ちをかけるかのごとく、英梨々の言葉があたしを鋭く刺してきた。


「真由、倫也のこと全然わかってない! あいつがどんな性格で、どんな甲斐性なしなのかを。」


 いやそこで『甲斐性なし』とか関係あるのかよくわからないんですけど。


「だって……そりゃあ〜幼馴染の英梨々に比べたら、あいつのこと全然何もわかってないのは素直に認めるよ。けど、あたしにとってあいつはただの仕事仲間に過ぎないし、それ以上でもそれ以下でもないし……」


 あたしとあいつの関係、それはあたしが絵描きで彼が担当編集。

 それは変わりようのない事実だと思うんだけど――


「だからあいつにとって『ただの仕事仲間』ってのが一番チャンスなのよ!」

「……はい?」

「だって、恵だって最初は『ただのメインヒロイン』だったわけだし、今の彼氏彼女の関係さえなければその関係に戻るってわけ。つまり真由も全く同等の立場で、恵と張り合えるのよ。」

「ちょっと、英梨々?」


 あ〜……また英梨々の暴走が始まりつつある。今日これで何回目だろ?

 さすがにこれには恵ちゃんもムッとした表情になりつつあった。


「……たく、なにが『普通で、可愛くて、ちゃんと女のコ』よ。あたしだって『ミス豊ヶ崎』くらいとったことあるし、可愛さだけだったら恵に負けてないはずなのに、『普通じゃない』ってだけで選ばれないとか。普通じゃなければ恋愛できないっていうの? 冗談じゃないわ。」

「あの〜、英梨々? 声が漏れてるんですけど……」


 英梨々はぼそぼそとそんなことを呟いていたけど、その声は明らかにあたしと恵ちゃんの耳には届いてしまっていた。もっとも恵ちゃんは聴こえないふりをしているのか、ただぼおっと、夜空に浮かぶ星の数を数えているようだったけど。


 でも、その言葉は……霞さんやタキくんにも、過去に似たようなことを言われていた。

 あたしは普通の女の子で、描く絵も普通に可愛くて、それが嵯峨野文雄の魅力なんだって。


 だけど、英梨々の絵や、きっと霞さんの文章のように、すごくはない。

 それが嵯峨野文雄の持ち味だって、あいつはそう言うけど、本当にそれでいいのだろうか。

 『すごくない』あたしの絵……本当にこのままでいいのだろうか?


 ねぇ、どうしたらいいのだろう? お星様――


「あたしの絵って……どこに向かえばいいのだろう?」


 ――小さく、あたしが誰にも聞き取れないくらいの声を漏らした瞬間、すぐ横にいた英梨々の顔がその視界に入ってきた。

 まるでその笑みはあたしをあざ笑うかのよう……ううん、あたしを励ますような顔をしている。その英梨々の顔を、あたしはどう受け止めていいのかわからないけど、ただ受け止めて、自分のものにしていかなきゃって、そんな風に思えたんだ。


「真由は真由らしく、描けばいいのよ。それが真由の持ち味なんだから――」


 そして英梨々は冷たい言葉で、温かい優しさを半分こにして、あたしに分けてくれたんだ。


 夜風に揺れて、竹の葉が小さな音を立てて囁いている。

 そういえば七月七日は『竹の節句』とも呼ばれているらしい。

 あたしは、辺り一面の竹と、夜空一杯の星々に、こう願い事をしてみることにした。


 誰にも負けない、そんなあたしの絵を描くことができますように――


 夏コミももうすぐだし、それまでに少しでもそんな絵に近づけることができたら……。

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