冴えないヒロインの描きかた
バスの車窓は蒼い風景に包まれている。
新幹線を降りてからバスに乗り、途中で一度バスを乗り換え、そこからさらに二十分ほど乗ってきただろうか。そのカーブが連続する山道で、すっかり街並みなどは見えなくなっていた。
どうやらもうすぐ宿のある温泉街に到着するようだ。
「で、恵ならともかく、あたしをメインヒロインにしようだなんて、正気なの?」
「ねぇ英梨々? 今日何度も言うようだけど、もうシナリオも恵ちゃんがほぼほぼ書き上げている状況だというのに、まだそれを言うの?」
二列席のあたしの隣の通路側の席には、英梨々が座っていた。バスに乗ってからは新幹線のようにボックス席にはできない。すぐ隣りに座る英梨々はヘビのように目を細め、相変わらずそんなこと言ってくるんだ。
どんだけメインヒロインという座が嫌なんだろうか。別にいいじゃんって思うんだけど。 あたしも『恋するメトロノーム』のメインヒロイン、真唯に似てるってだけで霞さんや町田さんにいじられることがあるけど、そんな感じとは違うんだろうか。
でもよく考えたら真唯って、その持ち前の明るさを発揮して、もう一人のメインヒロイン沙由佳から主人公を奪った女の子なんだよね? あたしって別に性格は明るくないただのオタクだし、それってもはや全然別人じゃん!!
「でも恵ちゃんは今ではすっかりメインヒロインぽいよね。……いろんな意味で。」
その時バスがカーブにさしかかり、それにつられて英梨々とあたしの身体も右方向へぐらっと揺れる。
「ええ、そうね。主に悪い意味でね。」
「えっ……?」
さっきの英梨々の口調、どちらかというと『悪い』という箇所だけ強く聞こえた気がするけど、気のせい……かな?
「最近の恵、片意地ばかり張っちゃって、メインヒロインぽくないのよ。でもそれって結局メインヒロインっぽいんだけど、あたしはあんな恵は、認めたくない。」
それはすぐ後ろの席にいる恵ちゃんには絶対に聞こえないであろうほどの小さな声だったけど、あたしはそのバスのエンジン音に今にも消されてしまいそうな英梨々の言葉をなんとか聞き取っていた。『メインヒロインっぽくないメインヒロイン』と英梨々は言うけど、あたしもなんとなく英梨々の言うことに同意していたんだ。
今の恵ちゃんは、自分の抱いている感情を意に反して出してしまうような、そんなメインヒロイン。確かにいじらしくて、その風格はメインヒロインそのものだ。
――でも、そんなメインヒロインを、読者は本当に期待しているのだろうか?
あたしは霞さんが一昨日の打ち合わせで言っていた話をふと思い返していた。
物語は作者という神様が用意するものであって、登場人物はその世界で暮らしているだけだって。
だけど神様の気まぐれで『転』という場面が訪れて、登場人物はそれを乗り越えていくんだって。
……でも、その『転』という場面は、本当にこのタイミングで必要だったのだろうか。
今の恵ちゃん、なんだからしくないというか、まるで予定調和というものをくるくると狂わされてるだけのようにも見えたりして――
それを見ていた英梨々が、ただめんどくさいと思うのもその通りなのかもしれない。
だけど英梨々、本当にそれだけなの?
「じゃー今回は英梨々が本当のメインヒロインの格というものを恵ちゃんに示さなきゃだね!」
「嫌よ! なんであたしが恵にそれを教えなきゃいけないのよ。……人から倫也を奪っ……」
「え、何か言った? 英梨々?」
「ううん、何も言ってないわよ真由。」
結局あたしは英梨々が小さく言いかけてた言葉を最後まで読み取ってしまったけど、これ以上深入りするのもなんだかなぁ~という気分だった。
☆ ☆ ☆
バスが温泉街のある湖畔に到着したのは、ちょうど正午を回った後くらいだった。バスを降りると、深緑の香りがあたしの鼻を包み込んでくる。季節はもう七月だというのに、涼しいくらいだ。
高台にあるバス停からは、手前に緑色の風景が続き、その奥に湖が広がる。なるほど、これを見ただけでも恵ちゃんと英梨々が毎年ここを訪れる理由がわかる気がした。
都会の喧騒というものがどこにもなくて、この静かな湖畔の風景が普段の生活で蓄積されたもやもや感をすっきりさせてくれそうなんだ。
あたしたちはこの合宿で何一つ予定など立ててなかったはずなんだけど、その足は自ずと湖の方へと向かっていた。湖にたどり着くまでの道のりはちょっとしたハイキングコースになってるそうで、林の中の道をひたすら歩く。ところどころ木の根っこが盛り上がっていた。
「これ、気をつけないと根っこに躓いて転んじゃいそうだね?」
「そうよ真由。猛ダッシュでこの道をつっ走って、そこにある木の根っこに躓くと空を飛ぶような感覚を味わえるから、絶対にやめるべきね。」
「……あれ、英梨々? それ、やったことあるの?」
「そんなこと、な……」
「あ~、初めてここに来たときの英梨々、倫也くん走って追っかけてそれやってたよね。見事なまでに、霞ヶ丘先輩の目の前で。」
「恵、あんたその場にいなかったはずよね? そんな見てもいないようなことをまるで真実のように語るのは……」
「え~でも、少なくとも英梨々の悲鳴だけはわたしのいた場所まで聞こえたし、今でもその声ちゃんと覚えてるよ?」
「恵ぃ~~~!!!」
お得意のフラットな顔で、恵ちゃんは英梨々に相対する。完全に恵ちゃんのペースだね。
しかし……やはり英梨々に恵ちゃんのようなメインヒロインの座は、まだまだ早かったのかな?
「わ~着いたよ~湖だ~~!!」
すると少し前を歩くエチカからそんな声が聞こえてきた。それから間もなくあたしたちの目の前にも、透き通るような湖の光景が一面に広がってくる。
天気予報通りなのだろうか、空はいつの間にか青空が広がっていて、日の光が湖面を明るく照らしている。これなら本当に夜は綺麗な星空が拝めそうだね。
「ねぇ。宿の近くに食堂あるけど、お昼どうする?」
と、恵ちゃんに言われるまで昼ご飯のことをすっかり忘れていた。そういえばそんな時間だったね。
「あたしはまだいいかな。さっきバスの中でおやつ食べてたし。」
「あたしもまだいいよ~。それより今はもうちょっとこの湖眺めてたいな~。あたしと相楽ちゃんはここ来るの初めてだし。」
「うん、あたしも少しだけここでスケッチしたいかも。確か恵ちゃんのシナリオの中にもこんな湖の場面あったよね。あれってここをイメージしたんでしょ? ここ初めて来たけどすぐにわかっちゃった。」
えっと〜、恵ちゃん以外のあたしたち三人ともみんな一人称が『あたし』ではあるけど、他の子の呼び方や末尾の『~』から誰の発言かはきっとわかるよね。なんのこと言ってるかわからない方はするっと読み飛ばしてください。
「うんわかった。それじゃ~お昼ご飯の前に少しだけここで自由行動にしよっ。」
そういうと、恵ちゃんは鞄の中からノートPCを取り出した。ノートPCは大学に入ってから必要になるだろうって、タキくんと選んで買ったらしい。ちなみにその色は桜を連想させそうなピンク色。赤だと苦手な誰かと被ってしまうので、華やかなピンク色を選んだそうだ。
赤いノートPCを持ってる誰かって、そんな人いたっけ?
……と、考えるまでもなく一人しか思い当たらないわけだけど。
「じゃ~英梨々も早速そこでモデルになってよ。」
「い、や、よ! 何度言ったらやらないってわかってもらえるのかしら。」
「英梨々がいつもじっとしてないからあたしの絵が全然仕上がらないって、いつになったらわかってもらえるの~!??」
そう言って英梨々は自分のスケッチブックを取り出し始めた。
まさかまたあたしをモデルにして絵を描くつもり?
それにしても今日の英梨々は本当に聞き分けが悪い。もうそろそろ本気でグレてやりたい気分だ。
あたしは溜め息をつきながら周囲を見渡した。
恵ちゃんは湖畔に転がった大きな石の上に腰かけ、そこでノートPCにシナリオを打ち込んでいるようだ。そうかと思うとたまに周囲を見渡し、一度目を閉じて、またキーボードを叩き始める。それを繰り返していた。
エチカの方はというと、この合宿に持参しているショルダーキーボードを叩きながら、イヤホンを耳にして作曲しているようだ。たしか伊勢の合宿のときは美智留さんがギター片手に作曲していた気もするけど、普段ベースを奏でるエチカの場合、作曲はキーボード派なんだね。
ふと目の前にいる英梨々の方へ視線を戻すと、英梨々はいつもと同じようにスケッチブックと可愛らしい人形のついたシャーペンで、絵を描き始めていた。が、その視線だけはいつも通りでなく、あたし以外の方向を向いてペンを滑らせている。
「ちょっと英梨々? 何を描いてるの? ……って、恵ちゃん!??」
「ええそうよ、気晴らしにね。今の恵は全然メインヒロインらしくないから、こんなので『blessing software』のメインヒロインなんて務まるのかって、試しにこのあたしが描いてやろうかと。」
「いやいやこの合宿のメインヒロインは英梨々だからねなにか間違ってるよねそれ。」
ところがその英梨々の声に恵ちゃんも反応したんだ。
「ねぇ英梨々? 今のわたしがメインヒロインらしくないって、どういう意味かな~?」
「言葉通りの意味よ。それ以上でもそれ以下でもないわ。」
恵ちゃんはやや複雑な表情で、英梨々にそれを問いただした。
そんな恵ちゃんとは真逆で、英梨々の表情はまるでどこかのネジが取れたみたいに、紙の上でペンを勢いよく踊らせる。その目は血走っていて、絵描きを悪魔の世界へ誘う神様が英梨々の身体に乗り移ってしまったようだった。
「でも、今日は『cutie fake』の合宿だから、わたしの顔描くよりも、英梨々が真由さんの描くメインヒロインのモデルになって欲しいんだけどな〜」
「あ、今動かないで!」
「英梨々……?」
「こうしてると、あの頃を思い出すわね。六天場モールで “偶然” 恵に会って……」
「あ〜そういえばそんなこともあったね〜。あの日はたしか英梨々がわたしと倫也くんのこと “偶然” ストーカーしてて……」
「だから動かないでって言ってるでしょ!」
気づくと恵ちゃんは、ムッとしたときの表情へと変わっていて、英梨々と向き合っていた。
これ、全然フラットじゃないというか恵ちゃんちょっと怖いよ。
……というかあたし的には、むしろ動かないでほしいのは英梨々の方なんだけど。
「だけど英梨々、今はそんなわたしがメインヒロインぽくないとか関係ないんじゃないかな〜?」
「動くなって何度言えばわかってもらえるのかしら?」
「そもそも、わたしそんな嫌味っぽいこと言われる理由が思い当たらないというか……」
「…………」
「それにわたしなにか英梨々を怒らせるようなことを……」
「できた!」
「え、なにが?」
「恵の『冴えないヒロインの表情』!」
「…………」
すると英梨々はスケッチブックをひっくり返し、描いていた恵ちゃんの顔をあたしたちに見せてきた。その表情は何とも言えなくて、フラットな表情のようでそうではないような、いや、明らかにフラットになりきれていない曇ったままの恵ちゃんの顔がそこに描かれていたんだ。
「よく描けてるでしょ? 今の恵、こんな顔してる。」
「……わたし、全然こんな顔してるつもりないんだけどなぁ〜」
恵ちゃんはそう呟くものの、どちらかというと英梨々の発言の方に分があった。
そう、恵ちゃんの今の顔、まさにこれなんだ。それは、前回の『blessing software』のゲームタイトル『冴えない彼女の育てかた』……まさにタイトル通りの表情なのかもしれない。
その女の子は、意志を強く……持ってるわけではなく、むしろブレブレで――
「最近の恵、ずっとこんな顔してる。全然恵らしくないのよ!」
「…………」
「そんな恵に、あたしをメインヒロインにしたシナリオなんか書けるわけないじゃない!」
英梨々の声は徐々に大きくなっていき、よく晴れた空の上まで突き抜けていきそうだった。
「英梨々……?」
「恵。去年の暮れ、冬コミの後の大晦日の夜に、あんたあたしになんて言ったか覚えてる?」
「なんのことかな〜?」
「あの時、あたしさえしっかりしてたら倫也となんかくっついてないって言ってたわよね?」
「ねぇ英梨々? さすがにそれわたし言ってないし、それを無理やりわたしに言わせようとしてたのは英梨々の方だったよねわたしそれ関係ないよね?」
…………どっちだよ!??
「……まぁどっちだっていいわよそんなの。」
「いや、わたしの方はどっちだってよくはないんだけど、どうかな?」
「でも今の恵だったら、あたしから倫也を奪うなんて、そんなの許すことできないわよ!!」
「それ以前に英梨々から倫也くんを『奪った』という気持ちはこれっぽちも一ミリないんだけどな〜」
本当ならこれって結構修羅場なシーンのようにも思えるんだけど、全然それっぽく感じないのは、ツッコミどころ満載の英梨々の発言連発のせいなんだろうか。恵ちゃんも『冴えない』と言われながらも、ちゃんと何一つ問題なく応戦していた。
あぁ〜、相変わらず空は良い天気だ……
「とにかく、あんたメインヒロインなんだからもっとしゃきっとしなさいよっ! あんたがこのシナリオ書いてるの、あの霞ヶ丘詩羽をもっとぎゃふんと言わせるためなんでしょ?」
「…………」
「そして倫也にもっと振り向いてほしいからなんでしょ?」
「う、うん……」
「今の恵じゃどっちもまだまだ程遠いわ。だから恵のメインヒロインとしての実力を、もっと見せてほしいって言ってるのよ。」
「……ありがとう、英梨々。」
その時、恵ちゃんの顔が少しだけ緩んだ。
それは、まだまだメインヒロインの顔とは言えないかもしれないけど、絵に描いたら少しは見ている人の目を留めてしまうほどの力は感じる程度で――
「……って真由はなにを相変わらずぼおっとしてるのよ。」
「へ……?」
が、突然英梨々はその勢いのままあたしの方を振り向くんだ。
「あんたが倫也に対して中途半端だから、恵だって中途半端なメインヒロインになるんじゃない。あんた、自分の立場ちゃんとわかってるの?」
「いやちょっと待って英梨々。なにその絶対当て馬的なあたしの立場!??」
ねぇこの場面って、あたし英梨々に怒っていいんだよね……?
「真由だって、あたしをメインヒロインに仕立てたいんでしょ? だったらまずはあんたがそれを演じてみてよ。あたしができなかった『彼氏のいる神イラストレーター』になって見せてよ! 真由にはそういう素質があるんだから、いつまでもぼおっとしてるんじゃないわよ!」
「……ねぇ今どさくさ紛れに『
でも……少しは英梨々の言うとおりかもしれない。
あたしにそういう素質があるかどうかはともかく、あたしだってもう少しちゃんとしないと。
でないと、このどうしようもないメインヒロイン英梨々様が、許してくれそうもないもんね――
「あの〜お取り込み中申し訳ないんだけど〜……」
「なによエチカ?」
そんな英梨々の大暴走にひとり待ったをかける勇敢なる少女、エチカ――
「このサークル、空中分解しないといいね〜みたいな……」
エチカはどこかのアニメのワンシーンを切り取ったかのように、湖に向かってそんなことを口走った。
大丈夫だよきっと。空はこんなに青いもん。
だからそんな空が、途中で分解するわけないって……。
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