冴えてる駅の描きかた

 金曜日。今にも雨が降りそうで落ちてこない、そんな六月の空模様だ。

 いつしか『花金』とか呼ぶようになったらしいこの曜日はみんなどこか浮かれてて、あたしのいる不死川大学でもその光景は変わらない。今日の午前中だって何度友人にカラオケへ誘われたことだろうか。


 ふふっ……。残念ながら今日のあたしには夜を男と過ごすという先約があった。

 見た目はそこそこイケメンだし、仕事だってそこそこできる。

 あたしにしてみたらオタクという点もポイントが高い。


 でもいつも暑苦しくて、仕事の押しつけ方も尋常じゃないのはさすがにどうかと思うんだよ!!

 そう。二人で夜を過ごすといっても、これは『お仕事』なんだよね……


「うわー、絵に描いたようなオタク部屋だね。」

「……その恵が初めてこの部屋に来た時の台詞そのまま持ってくるの止めてもらえますか!?」


 タキくんの部屋に入ると、この部屋の広さには不相応と思える程度に大きいテレビがまず目に飛び込んできて、さらにそこに今時のゲーム機が一通り接続されている。そしてその周りをフィギュアやポスターやらで彩られ、部屋により一層のオタクっぽさを加味しているんだ。

 ふーん……この部屋に、英梨々の絵はあっても、あたしの絵はなしか――

 まぁ『フィールズ・クロニクル』と『純情ヘクトパスカル』ではタイトルの知名度も全然違うし、そもそも『純情ヘクトパスカル』のポスターなんてあたし描いたことあったっけ? その記憶を辿る必要があるレベルだもんな。

 ……でも、どちらの作品も作家は同じという分だけ、ちょっと悔しい。


 それにしても二人で夜を過ごす部屋としては……うんなるほど。全くと言っていいほどそんな雰囲気はない。これなら他の女の子が何人押し掛けても、何も起きないのは納得できる気がする。

 ……って、あたしは一体何を考えてるんだ!??


「とりあえず今日のノルマとしては、全ての絵のラフまでは仕上げてほしいです。俺も出来上がったものから都度チェックしていきますので。……って、嵯峨野さん聞いてます!?」

「ふわっ!??」


 なんだかこいつと二人というのは本当に落ち着かないなぁ〜。

 タキくんの突き刺さるような言葉の雨が、次々とあたしの耳をすり抜けていく。

 慣れればこのそわそわした感じからも開放されるんだろうか。もしくはここに誰かがやってきて、あたしとタキくんの邪魔してくれたほうが、あたしもそれなりに調子を取り戻せそうな気がする。例えば――


「倫也先輩っ。今日ってサークル活動ないって聞いたんですけど本当ですか?」


 そう。こんな感じで後輩系ヒロインがひょっこり現れて、見事なまでにこの微妙な雰囲気をぶち壊しに来てくれるとか……

 ……って、えっ???


「出海ちゃん!??? どこから入ってきたの?」


 その突如現れた巨乳系美少女の姿に驚いたのは、あたしだけではなくタキくんも同じだったようだ。気がつくと部屋のドアの入口には、出海ちゃんがぽつんと立っている。誰に学んだのか、そのステレス性能は抜群で、あたしもタキくんも出海ちゃんの声が聞こえるまでその存在には全然気づかなかったほどだ。


「あ〜、玄関なら鍵開いてましたよ。てっきり恵さんと一緒にサークル活動しているのかと思ったんですが……そしたらさっき恵さんではない女性の声が聞こえてきたんですけど、これは一体どういうことですか!? 恵さんやわたしというものがありながら、またしても新しい女をたぶらかせて倫也先輩の部屋に連れ込むなんて!!!」

「ちょっと待って出海ちゃん!! これ嵯峨野さん。出海ちゃん初対面じゃないよね!??」


 またこいつはあたしのことを『これ』扱いとかしてくれちゃって……。

 なお出海ちゃんはというと、不審げな目であたしの顔を改めて確認していた。


「……ど、どうも。」


 あたしは半分やけくそでなんとか笑みを作り出し、その顔を出海ちゃんに見せた。


「誰かと思ったら嵯峨野先生じゃないですか!! ……先程は思ったことを正直に発言してしまい、大変失礼いたしました。てっきり倫也先輩を弄ぶ迷惑な女が押しかけてきたのだとばっかり思ってました!」

「その思ったことを正直に発言して相手を困惑させるの、絶っ対にやめようね出海ちゃん!!」


 出海ちゃんはにっこりあたしに笑顔を返してきたが、それをあたしはどう受け止めればいいのだか。


「で、でもやっぱし納得がいきません倫也先輩っ!!」

「……なにが?」


 あたしとは対称的にタキくんはこんな出海ちゃんに対しても冷静で、落ち着いた声でちゃんと受け答えをしている。ある意味本当にすごい。

……これ、ようするに『慣れ』というやつだろうか。


「恵さんを差し置いて倫也先輩の部屋にこっそり現れるような泥棒猫を置いとくなんて、そんなのやっぱし卑劣です!」

「俺が恵を差し置いて別の女性と合宿でいちゃいちゃするとか、そんな恐ろしい真似できるわけないだろっ!」


 おい、出海ちゃんとそこの編集! 何かおかしなことを口走っていないか!?

 今のは誰のフォローもできてない上に、どう考えたって誤解を招くしかない発言だ。そもそもあたしをこの合宿に誘ったのはタキくんあんただったよね!??

 でもそれって……今のってひょっとして、あたしこいつに女として見られてないのかな?


「信用できません倫也先輩っ! わたし今日はここで『blessing software』の絵を描いて、そこのひょっこり現れた泥棒猫から倫也先輩を守るために監視してます!! これも恵さんのためです!!!」

「あのね出海ちゃん。こっちはお仕事だし、むしろあたしの邪魔をしないでねお願いだから。」


 だからあたしは泥棒猫じゃないっつーの!!

 ……と、本当にそう言いきれるかは少し自信ないけど。


 なんだか完全に出海ちゃんのペースに押されまくりだ。

 でもまぁこいつと二人きりの時間が短くなったと思えば、少し気が紛れたのも事実だった。


 ☆ ☆ ☆


「あ、編集さん。朝香あさか駅のラフできたけど、確認してもらっていい?」

「うん。こっちも今、御川町おんかわまち駅の資料をまとめ終わったところ。こんな方針で描いてもらえないかな?」

「うん、わかった。じゃー次は最後、御川町駅のラフを描いていくね。」

「じーっ……」


 あたしと編集さんは、ひと駅ずつラフを仕上げていった。

 異なる駅で似たようなイラストにならないよう注意をはらいながら、まずは全駅分のラフを仕上げるという作戦だった。全駅分のラフを描き終えたら、それぞれのバランスを調整して、あたしと編集さんが互いに納得いくまで描き直す。少し気が遠くなるけど、それの繰り返しになりそうだ。

 通勤、通学に急ぐ人がふと立ち止まって、『今日も頑張ろう』って思えるようなイラストにしていこうって、これがあたしとタキくんでまず最初に確認した共通の方針だった。あたしの絵を見てくれた人に勇気を与えることができたら、それほど嬉しいものはないもんね。


 ……あ、ちなみに出海ちゃんはさっきからどこか冷たい目でその様子をじっと見ているけど、正直あたしはそれどころではないのでスルーしていた。

 まぁ冷たいと言っても、あたしとタキくんを邪魔してやりたいとかそういうのじゃなくて、どちらかというと小さな子供の目のような、単に構ってほしいとかもっと遊んでほしいとか、そんな風にも見えるんだけどね。だからあたしは逆に安心して自分の作業に打ち込めているのかもしれない。


 とはいえ、それにしても……


「そういえば編集さん。さっきの和合市わごうし駅のラフはどうだった?」

「んー、華やかな印象で良かったけど、ただ川超かわこえ駅との差分がもう少し欲しいなー。」

「そしたら和合市駅のは描き直したほうがいい?」

「いや、待って。どっちかというと川超駅の方を描き直してほしいかな。川超と言えば歴史のある街だから、もう少しそれを前面に出した方がいいかも。」

「うん、わかった。そしたら後で川超駅を描き直すね。」

「まずは今描いてる最後のラフを仕上げてね。その御川町駅ともバランスを見たいから。」

「了解っ。」

「うーん…………」


 ……やはりこの子少しだけ鬱陶しいかも。


 すると間もなく、編集さんの部屋のドアが沈黙を破るかのようにぱたんと開いた。

 あれ? また来客??


「倫也ー。遅れてごめん。手伝いに来たよー!」


 あたしもその聞き覚えのある甲高い声に反応して振り向くと、そこには長い金髪ツインテールを靡かせた少女の姿があった。


「おう、英梨々。むしろちょうどよかったよ。今最後のラフを描いてもらってるから、それまでそこに置かれているラフを全部チェックしてもらえるかな。」

「うん、わかった。ということで真由、ちょっとラフ見せてね。」


 その顔は自信に満ち溢れていて、いかにも『あたしが来れば百人力よ』と言いたそうな表情をしていた。ここでもうひとりのプロの絵描きさんが助っ人で登場か。この切羽詰まった状況、すごく助かるかも。


「うん、よろしくね。英梨々。」


 前に『blessing software』で出海ちゃんが詰まっていた時に、英梨々がサポートしていたという話を聞いたことがあった。その時と同じように――あたしは出海ちゃんみたいに英梨々を上手く扱えるかわからないけど、でも一度英梨々と一緒にひとつの絵を描いてみたいというのはあったんだ。

 だから、一緒に頑張ろうね。英梨々。


 とはいうものの……


「ちょっと待ってください倫也先輩っ! なんで後から出てきた澤村先輩が嵯峨野先生のサポートを始めてて、わたしだけこんな風に除け者扱いされなきゃならないんですか! そんなのずるいですっ!!」

「あー、出海ちゃんのことすっかり忘れてた。ごめん。」

「それ、さすがにちょっとひどいですよ倫也先輩っ!!!」

「……あんたたち、さっきまでいったい何してたの???」


 英梨々のツッコミはごもっともだった。出海ちゃんあれだけアピールしてたのにね……

 さすがにそれはちょっと酷いと思うよ、この難聴鈍感主人公くん?


 というかあたしまだ御川町駅のラフ描いてるんだから、笑わせないでよ!!


 ☆ ☆ ☆


 あたしが最後のラフ、御川町駅のイラストを描き終えると、四人でラフのチェックが始まった。


「とりあえずさっきも言ったとおり、川超駅はもう少し歴史的なイメージがほしいかな。」

「和合市駅も描き直しね。『純情ヘクトパスカル』のメインの舞台と言えるほど、華やかさがまだまだ全然足りないわよ。」

「わたし行袋いけふくろ駅のラフはいいと思いました。『純情ヘクトパスカル』の都会的イメージと賑やかな行袋駅のイメージがマッチしてて、うまく味が出てるかなって。」

「それはあたしも同意よ。ただ、鳴増なるます駅は行袋駅とは対称的にして、もう少し都会らしいイメージを抑えてもいいんじゃないかしら。」


 さすが、伝説の大手サークル『blessing software』の歴代絵描きが揃ったという感じだ。あたしや編集さんだけでは気づかなかったであろう点までも、次々とチェックが入っていく。こんな風にチェックしてもらえるなんて、本当に心強いメンバーが今ここに揃っている。

 それと、『blessing software』のメンバーとして互いを知り合ってるという、そのチームワークも抜群だよね。同意するところは同意して、違うと思ったところははっきりとそう言う。お互い気を遣うことは一切なく、容赦のない論評が目の前で繰り広げられていて――

 あたしは必死でメモを取りながら、そんなことをひしひしと感じていた。


「それはどうでしょ澤村先輩。鳴増ってまだぎりぎり都内だし、少しくらい都会のイメージが残っていたっていいんじゃないでしょうか?」

「波島出海。あんたって鳴増で降りたことあるの? あそこは都内かもしれないけど、行袋のような都会さはあまり感じられないわよ。だからこのラフほど都会的なイメージで描くのはさすがに違和感あるんじゃないかしら?」

「それは聞き捨てなりませんっ! 都内というブランドはとてもとっても重要なんですよっ!!」


 ……あれ? なんだか話が逸れて『鳴増は都会か?』論争になってないか??


「ちょっと落ち着けってふたりとも!! 話の流れを少し戻そうよ。」


 ここで編集さんが英梨々と出海ちゃんの間に入った。

 もう少し早めに入ったほうが良かった気もするのだけど、それは言わないでおこっと。


「そんなこと言って……じゃあ倫也先輩はどう思うんですか?」

「そうだなー。全体のバランスを考えて、今回の企画では都内の駅のイラストは行袋駅と鳴増駅のふた駅しかないから、都会的なイメージを残してもいいと思うんだよな。」


 確かに編集さんの意見は一理あった。今回の企画は全部で13駅分のイラストを描くことになっているのだけど、快速停車駅となると都内の駅は行袋駅と鳴増駅の2駅だけ。他は全て都内ではなく隣の県になってしまうので、全体のバランスを考慮すると、鳴増駅のイラストには都会のイメージが残っていた方がいいのかもしれない。


「ちょっと倫也! あんた波島出海の見方をするつもり!??」

「いや、そういう意味じゃなくて……」

「あの……とりあえず鳴増駅に都会のイメージは残しつつも、少しだけ直してみるよ。」


 とりあえず他の駅の話に切り替えなくては。

 いつまでも『鳴増は都会か』論争を繰り広げていたら、話が全然進まないじゃんか!!


 ……が、ここでまたしてもタイミングよく、編集さんの部屋のドアがばたんと開くんだ。


「だめよ倫理くんっ! 和合市を差し置いてあんな駅を『都会認定』するなんて。この『純情ヘクトパスカル』作者の私が絶っ対に許さないわっ!!」

「か、か、か、か、霞ヶ丘詩羽〜!!!」


 英梨々のその呪いの言葉の通り、そこに現れたのは黒髪ロングの女子大生作家こと、霞さんだった。

 そうなんだ。霞さんの地元は鳴増のすぐお隣の和合市で、そこはもう都内じゃないんだよね……。

 で、その和合市って結局……都会のイメージとかどんだけあるんだったっけか???


 はぁ〜、だからとっとと次の話題に切り替えておくべきだったんだよな〜。

 そんなことを思いながら、早々に没になった川超駅のラフ、第二案を描いていた。

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