乗り鉄ぽい取材の進めかた

 湘南の海辺で過ごした霞さんとの合宿を終え、あたしはまた新しいお仕事――タキくんが突如持ってきた東部線コラボイベントの準備へと頭を切り替えた。


 あいつ、あたしの発言の揚げ足を取ってこんな爆弾持ってくるんだもん……

 さすがに驚きを通り越して恐れ入ったわ。


 東部線コラボイベントとは、霞さんの小説『純情ヘクトパスカル』に縁のある駅に関連するイラストを描いて、それを駅のポスターとして貼り出すというもの。アニメのキャラクターが描かれたラッピング電車とか、そういったコラボはこれまでもたくさん見かけるけど、そもそも『純情ヘクトパスカル』ってまだアニメ化もされてないようなラノベだよね。それをこんな形でコラボ企画を持ってくるとか、タキくんの企画力、そして行動力は半端ないってことがよーくわかった。

 およそあたしの都合などお構いなしという点を踏まえても。


「……それで、町田さんは今回の取材には同行してくれないんですか?」

『私は明日別に仕事があってね。まぁTAKIくんの仕事だし、彼に任せるわ。』


 別荘合宿から帰宅した日曜日の夜のうちに、あたしは他の作品のスケジュールの確認も兼ねて町田さんに電話をした。町田さんが言うには、今月はそっちのコラボイベントに専念してほしいとのことだった。合宿中にその他のタスクはほとんどきれいに片付いていたし、それが功を奏したことは言うまでもない。

 そしてあたしは明日、タキくんと東部線に乗って取材へ行くことになったんだ。幸い月曜日の午後はあまり授業も入ってなかったので、それはむしろ好都合だったんだけど……


「じゃーあたし、あいつ……タキくんと二人で取材ですか!?」

『まぁ取材と言っても東部鉄道との打ち合わせはほとんどTAKIくんが終わらせてるしね。駅員さんに嵯峨野先生を『嵯峨野文雄』って公言するわけにもいかないでしょ。』

「それはそうなんですけど……」

『あとはどの駅にどんなポスターを描くのか決めていくだけよ。そこまで難しく考える必要ないんじゃないかしら?』

「そう……でしょうか。」


 つまり明日はタキくんと、どの駅でどういうイラストを描くのか、決めるだけというわけだ。


『それとも『あいつ』……じゃなかった、TAKIくんと二人きりになるのがそんなに嫌だった?』

「なっ……」


 町田さんはあたしの台詞を聞き逃してはくれず、明らかに面白がっている。

 そこはスルーしてほしかったんだけどな……。


『だから、明日はTAKIくんとのデートを目一杯楽しんでらっしゃい! お仕事だと思って。』

「町田さん。これデートじゃなくてお仕事ですよねそうですよね!??」


 町田さん、あたしとの電話を終始楽しんでいたようだ。

 まったく――霞さんも町田さんも、あたしをあいつの話で弄ぶの、そろそろやめてもらえないかな~


 ☆ ☆ ☆


 翌日の月曜日。取材日和とでも言うのだろうか、今日は久しぶりにからっと晴れていた。

 昨日までの合宿も、ほとんど曇り、たまに雨という感じで、晴れの日に出くわすことはなく、せっかくの海辺の景色も台無しだったもんな。今は6月の梅雨の真っ只中。当たり前といえばそのとおりなんだけど。


 学食で昼ご飯を食べたあと、あたしとタキくんは大学の校門前で12時半に待ち合わせすることになっていた。昼休みということもあるのだけど、この時間は人の行き来も激しくて、校門前もあたしの他に数人、待ち合わせぽいことをしている人が並んでいる。

 それにしてもこれ……やっぱし町田さんの言うように何も知らない人にしてみたら、どう見てもカップルの待ち合わせにしか見えないよねぇ〜。


「嵯峨野さん、遅れてごめん!!」

「いいよ、遅れたの3分だけだし。」


 ……そう、校門前でこんな会話してたら、これからデートと間違われてもおかしくない。

 それって仕事を押し付けられたあたしにしてみたら、いろんな意味で不本意なんだけどなぁ~


「あれ? 今日は恵ちゃんと一緒じゃなかったの?」


 あたしはちょっと意地悪な顔をして、こんなことを言ってみた。


「恵はさっきまで一緒だったけど、邪魔しちゃ悪いからって食堂で別れたよ。」


 するとタキくんはごく自然な笑みを浮かべながら、こう返してくる。

 ふーん。『邪魔しちゃ悪い』……か。

 恵ちゃん、どんな気持ちでそう言ったんだろう?


 恵ちゃんとタキくんは大学ではほとんどいつも一緒にいる。それはもう正真正銘の本物のカップル。常に熱く語るタキくんに対し、それをフラットな表情を見せながらも、でも内心は楽しくてたまらない恵ちゃん――


 二人の会話の内容はラノベやアニメの話が多くて、たまに『blessing software』で開発中の新作ゲームのことを話していた。恵ちゃんは新作ゲームの話をするときはいつも真面目な表情で、あたしが二人と一緒にいるときでもタキくんとガチンコで打ち合わせを始めてしまうほどだった。そこにいつものフラットな表情はないし、言い換えると一番恵ちゃんが輝いている時間にも思えるほどだ。


 当然そこにあたしの居場所なんてないくらいにね。


 あたしとタキくんは大学最寄りの地下鉄駅から電車を乗り継ぎ、東部線の始発駅にたどり着いたのは13時少し前くらいだった。平日の昼過ぎとはいえ、多くの人たちがあたしたちの目の前を足早に通り過ぎていく。それでもあたしは立ち止まり、時間の止まった駅の風景を切り出して、何枚かの写真を撮っていた。

 英梨々だったらカメラを使わずスケッチとか始めてしまうんだろうか。さすがにこんな人の多い駅でスケッチとか、あたしにはどう考えても無理だ。


 この駅にもあたしのイラストが貼り出されるんだな。こんな人通りの多い駅で……。

 そう考えると思わず、あたしの内側から勇気が湧いてきた。


「ねぇ、タキくん。今日って結局何駅くらい取材するの?」

「『純情ヘクトパスカル』の各ヒロインと一番印象の近い駅、それと快速停車駅には必ず、ヒロイン以外の登場人物であっても割り当てようと思ってて……全部で13駅だよ。」

「じゃー遅くならないうちに回らなきゃ、だね。」


 確かにこの企画を今月中までに準備するとか正直スケージュールがタイトではあるけれども、それでも昨日あたしがあそこまでブチ切れる必要はなかったんじゃないかって、今ではそう思えてきている。あたしの絵で、少しでも多くの人に『純情ヘクトパスカル』の魅力が伝わったら――

 ……ま、それについてはタキくんには黙っておくけれども。

 下り電車に乗り込むタキくんを後ろから見ながら、あたしは彼に見つからないよう笑みを返した。


 ☆ ☆ ☆


 あたしとタキくんは電車を降りるたび、まずはその駅に割り当てる登場人物を確定させて、そのキャラクターに合うような駅の風景を写真に収めていった。タキくんは実際にポスターを貼る場所まで確認していたようだけど、あたしは絵のイメージをどうするか、それを頭の中で膨らませることに専念する。


 霞さんが思い描く『純情ヘクトパスカル』のヒロインに、この駅を歩いてもらうんだ。

 どんな風に笑って、どんな風に泣いて、どんな風に怒って――

 そしてその中から最高の場面だけを切り出して、一枚の絵に収めるんだ。


 ふふっ、霞さんも来ればよかったのに……


 東部線の終点に到着し、最後の取材を終えたときにはもうすっかり日が傾いていた。東京都内は既に帰宅ラッシュを迎えているはずの時間だけど、ここ終点の駅前には小さな商店街があるのみで、実にのんびりとしていた。

 13駅の取材を終えて、足ももうくたくただ。なんとか見つけた喫茶店に入ると、あたしとタキくんで本日最後の打ち合わせを始めた。


「嵯峨野さん、今日はお疲れ様でした。」

「まだ全然終わってないっ!! 絵を描くのはこれからじゃない。」

「……はいそうですねすみません。でも今日はとりあえずお疲れ様でした!」


 あたしはわざとムッとした表情をタキくんに返してあげた。

 きっと英梨々が見たら思わず絵を描き始めてしまいそうな、そんな顔だったに違いない。


 テーブルの上にはこの店自慢のブレンドコーヒーが置かれていた。初夏の暑い日ではあったけど、疲れた身体を癒やすにはあつらえ向きのホットコーヒーだ。

 あたしはコーヒーカップの右隣にメモ帳を載せ、あたしの膝下にはスケッチブックを用意していた。シャーペンでタキくんと話した内容をメモ帳に残し、そしてスケッチブックの方はタキくんには見られないように――


「でもよかったよ。嵯峨野さんが乗り気になってくれて。」

「なによそれ……」

「だって昨日はあんなに怒ってたから、ひょっとしたら引き受けてくれないかと思ってたし。」

「これはあたしの仕事だもん。そんなこと、あるわけないじゃない。」


 確かに怒っていたのも事実だ。でもそれと同時に、タキくんには感謝もしていた。

 まぁこいつが調子乗ったら手に負えないから、絶対にそのことは黙っておくけれども。


「だけど、締切が今月中っていうのはさすがに申し訳なかったなぁって……」


 それを今さら言うのかこいつは!?……と思わないこともないけれど。


「でも、あんたはちゃんとあたしに言ったじゃない?」

「なにを?」

「あたしを『本気』にさせるって。だから、あたしも『本気』になってみせるよ。……絶対に。」


 タキくんは特に表情を変えることもなくあたしに小さな笑みを返してくるけど……こいつにとってはあたしとこうして会話しているのはただのお仕事なのかもしれないけど、でもあたしにとっては――


 あたしは仕事とかそんなの関係なくて、ただそれよりもむしろ……

 英梨々の絵や、霞さんの小説に、もう負けたくない。

 そろそろこいつを、絶対に見返してやるんだって。


 それと……ね……


「そういえばあんたってさ〜、最近……」

「なに、嵯峨野さん?」


 タキくんの方はと言うと、コーヒーカップの横にノートPCを広げている。どうやら今日の取材で得た情報は全てそこにまとめているようだった。町田さんとのやりとりもこのノートPCで行っているのかもしれない。

 タキくんはノートPCから目を離し、あたしの顔をきゅっと見た。


「あんた最近、恵ちゃんの気持ちに本当に寄り添えてるの?」

「えっ……?」


 が、仕事とは全然関係のない方向へあたしが話を切り替えたので、タキくんの表情は180度変わった。

 おっ、ちょっと困った時の……いい顔してるな。

 あたしは自分の手の動きをスケッチブックで隠すように、シャーペンを滑らせていく。


「昨日まで霞さんとあたしで合宿してたけど、霞さんがいなくなってる間、恵ちゃんが一番心配してたって……」

「あぁ〜……そういえば、そうだったかも。」


 そう言うと、タキくんはコーヒーをほんの少しだけ口につけた。でもその表情はそれほど特に変化はなく、つまりは恵ちゃんを信用しているってことだろうか。

 タキくん、恵ちゃんが書いてるあのシナリオのこと、そもそも存在から知らないもんね――


「なんで恵ちゃん、霞さんのことあんなに気にかけてたんだろうね?」


 この質問、さすがにわざとらしいかな?

 でも、タキくんはきっと……。


「恵、前から仲間想いなところが強いからな。詩羽先輩や英梨々が『blessing software』を抜けた時だって、俺と同じくらい落ち込んでいたみたいだし。」

「……そっか。」


 あたしは思わずタキくんの顔から目を逸らしてしまった。その瞬間、あたしの右手も動きが止まってしまったけれど……でもまたすぐに動かし始めた。

 そうだね。確かにタキくんの言うことは間違っていない。恵ちゃんはいつだって一生懸命で、仲間想いで、誰よりも『blessing software』のことを考えているように見える。それは部外者であるはずのあたしにもちゃんと伝わっているよ。


 同じように、タキくんのことも本当に好きなんだろうなって。

 でもね……。やっぱりタキくんは――


「……それがどうかしたの?」

「ううん、なんでもない。」


 タキくんに、あたしは舌をぺろっと出して見せた。


 ……あ、描けた。


「ところで嵯峨野さん。さっきから何を描いているの?」

「え、これだよ。」


 あたしはスケッチブックをひっくり返し、ようやくタキくんに絵を見せてあげることにした。

 それは単なるあたしの気まぐれな落書きでしかないけれど――


「これ俺じゃないか!? てっきり今日の取材のイラストをまとめてるとばかり思ってたけど。」

「ノートPC片手に仕事に夢中になってるタキくん。あたしの力作だよっ!」

「なんでいきなり俺を描こうと思ったの!??」

「え、なんとなく。」


 あたしはタキくんに自分で描いた絵を見せながら、思わず大笑いしていた。本当になんとなく、気まぐれだけで描いた絵。ただ面白そうだったから描いていただけだ。

 そして、自分で描いた絵をもう一度ひっくり返し、確認してみた。

 仕事に夢中になって、真剣な眼差しでノートPCと向き合うタキくん。その表情はもはや大学生のバイトとかではなく、一人前のビジネスマンという印象だった。元々タキくんはイケメンだし、こんないかにも仕事できます的な顔に思わずハッとしてしまう女性もきっと多いことだろう。


「どう、結構イケメンでしょ? あたしが可愛い女の子しか描けないイラストレーターだと思ったら大間違えよっ!!」

「その調子でコラボキャンペーンのイラストの方もよろしくお願いします嵯峨野先生っ!!」


 でもあたしは、本当はこの絵……


 あたしはなんとかタキくんに笑顔だけを見せていた。

 絶対に本音だけは悟られないように、注意を払いながら。

 そしてこのページを丁寧に破りながら、スケッチブックから切り離したんだ。


「この絵、あげるよ。」

「え、くれるの? ありがとう!! ついでにサインも付けていただけたら嬉しいのですけど……」

「調子に乗るなっ!!」


 と言いつつ、あたしは切り離したそのページに自分のサインを加え、タキくんに手渡した。

 すごく嬉しそうだ。

 だから……うん。まぁ、いっか――


 そう。本音というのは……あたしはどうしても、この自分の絵を好きになれなかったんだ。

 その理由は、自分でもわかるようでわからないような、とにかくモヤっとした気分だ。

 こんなタキくんだったら、絶対あっちの方がよかった。

 あたしは伊勢にいた時、酔った勢いで描いたタキくんの顔を、もう一度思い浮かべていた。


 ☆ ☆ ☆


「それはそうと……コラボイベントまで一ヶ月ないし、やっぱしスケジュール厳しいんだけど。」

「嵯峨野先生、そこで提案なのですが……」

「何よ? なぜだかまた嫌な予感しかしないんだけど??」

「今週金曜から、うちで合宿しませんか?」

「は?? ……こんな女子一人を男の部屋に誘うとか、さすがに非常識でしょ!」

「大丈夫っ! 『blessing software』ではその非常識なことが日常茶飯事だから。」

「……それ全然何言ってるかよくわからないし、それで大丈夫って別の問題があるでしょ!?」


 本日締めのお話。

 それはなんだかまたきな臭い話が出てきた気もするけれど……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る