Lesson8: Intersection in front of the Station
元祖!恵風焼きそばの召し上がりかた
海が橙色の朝日を浴びて、あたしの眠気を覚ますかのように
あたしは海が見える別荘の庭で、ひとりのんびりぼおっとしていた。
今日は霞さんとの二人だけの合宿、最終日だ。
あたしも霞さんも既にノルマはほぼ達成しているはずだし、今日はそこまで追い込まなくても大丈夫そうだ。原稿も随時町田さんやタキくんに送って確認してもらっているので、全体の進捗としても大きな問題はないはずだし。
特に急なタスクが新しく発生しなければだけどね。
「おはよう、真唯。」
いつの間にか布団からあたしがいないことに気づいたのか、霞さんも庭に出てきて、あたしの横にすっと並んだ。
霞さん、今日も眠そうだな……。
「おはよう沙由佳。今日が最終日だね。」
「ええ……。」
霞さんも海を眺めながら、静かにあたしの言葉に返事をする。
「……ところで沙由佳。いつまであたしたちってこの名前で呼び合うつもりなの?」
「さぁ? 気が済むまででいいんじゃないかしら。」
結局霞さんとあたしは、合宿の間ずっとこの名前で呼び合ってきた。霞さんの処女作『恋するメトロノーム』のダブルメインヒロインとしての呼び名、沙由佳と真唯だ。
別にあたしは真唯のモデルというわけではなかったけど、あたしが真唯にそっくりという話は不死川書店編集部の間ではもはや周知の事実となっている。だったら霞さんはもう一人のヒロイン、沙由佳でもちろん問題ないよね。
霞さんはあの時沙由佳でいたかったから、あたしを『真唯』と呼んだのかもしれない。
ううん、きっとそう。だからあたしも霞さんを『沙由佳』って呼んだんだ。
☆ ☆ ☆
別荘を返却するため、英梨々がお昼前に差し入れとともに到着することになっていた。
朝食はあたしが簡単にサラダと目玉焼きを用意してそれを二人で食べた後、これまでと同じように黙々とお互いの作業を再開した。霞さんはいつものノートPCで原稿を書き、あたしは兄が車で持ってきたペンタブレットで絵を描き進める。たまにあたしが霞さんに絵の確認を求める以外は、至って静かな作業だった。
でも、食事するときはいつも一緒に。食事中あたしは霞さんに取材するかのごとく、様々な話を聞き出していた。今回の霞さんの短編は、霞詩子本人がモデルだったから。でも霞さんはどうせ素直にあたしの質問に答えてくれはしない。
だからあいつ、タキくんがいつか霞さんへのインタビューでやってみせたように、その反応からひとつひとつを
でもやっぱし――霞さんは沙由佳だった。
普段は本音を隠しつつも、内心では自分の強さと弱さの両方をしっかりと受け止めて、それら全てを新しい強みに変えてしまう、そんなプライドの高い女性だ。
霞さんを見てきて、だいぶわかってきたんだ。
なぜ霞さんは倫理くんを諦めようとしているのか。
その理由は、恵ちゃんには絶対に悟られたくないのだろうけど。
そんなことを考えながら絵を描き進めていると、別荘の呼び鈴の音が鳴った。
別荘にかかっている壁時計の針を見ると、11時半を指している。もうそんな時間だったのか。あたしは別荘の玄関をかちゃっと開ける。するとそこには英梨々だけでなく、他にもう二人、男女の姿があった。
「あれ。恵ちゃんとタキくん!??」
「あ〜ごめん。恵にどうしても霞ヶ丘詩羽のところに連れてけってせがまれたから、連れてきちゃった。」
「ねぇ英梨々〜。わたしそんなにせがんだつもりはないんだけどな〜」
「どう見たってせがんでたでしょ! 往生際が悪いわよ恵っ!!」
なんだかついさっきまで静かでほのぼのとした別荘だったはずなのに、英梨々と恵ちゃんが来たおかげで一気に賑やかな別荘へと変わってしまった。まぁどっちかというと、恵ちゃんのせいというより、きゃんきゃん吠える英梨々のせいという気もするけれど。
「あれ? じゃー編集さんはわざわざ何しにここまで来たの?」
あたしはとりあえず二人のことは置いといて、もう一人について聞いてみる。
「ああ〜、嵯峨野さんへ新しい仕事のお話に。早いほうがいいと思って。」
「あたしに新しい仕事!??」
「ここではなんだから、あとでゆっくり話しますね。」
「……なんだかすっごく嫌な予感がするけどそれは絶っ対に気のせいじゃないよね!?」
ちなみに霞さんはあたしたちの会話を聞いて、ようやく三人の到着に気づいたようだ。
部屋の中からもそもそっと静かで低い音が響いている。
ひょっとして、少しだけ寝てたのかな?
☆ ☆ ☆
「それでは霞詩子先生新刊執筆合宿の無事終了を祝して……」
「「「かんぱ〜いっ!」」」
「ちょっと待って倫理くん!!!」
食卓には恵ちゃん特製の焼きそばが大皿にどんと乗り、まさしく焼きそばパーティーが始まろうとしていた。タキくんが合宿終了の乾杯の音頭を取ろうとしたのだけど、そこにすかさず横槍を入れたのは今日の主役であるはずの霞さんだった。
いやもう既に乾杯はしちゃった後なんだけどね。あたしもジュースで乾いていた喉を潤していた。
「どうかしましたか。詩羽先輩?」
「どうのこうのじゃなくて、なんで私と嵯峨野さんの合宿についてみんなで祝っているのよ?」
まぁそれについてはあたしも同じこと思わないことなかったけど、特に気にしていなかったんだ。
「いやいや、詩羽先輩がここで合宿中、俺も自宅のPCでずっと霞さんの原稿を一つ一つ確認していたんですから。恵にも文章のチェックを手伝ってもらってたんですからね。」
「じゃーこっちの負け犬ポンコツ娘の方はどうなのかしら?」
霞さんはすかさずすぐ隣りにいた英梨々の金髪ツインテールを掴み、そう対抗する。
「相変わらず失礼ねー、霞ヶ丘詩羽。あたしだってこの別荘を用意したり、真由をここに連れてきたり、いろいろやってたわよ。」
「いや、別荘の件はあなたの功績じゃなくて、あなたのお父さ……いや、なんでもないわ。」
ようやく霞さんは観念した……というよりここで反発するのを諦めたようだ。
でも、人数が多いほうが楽しいし、あたしはこんな合宿最後の日はありだと思うな。
「くすっ……」
すると恵ちゃんが急に小さく笑った。すごく楽しそうな、そんな笑顔だ。
「どうした、恵?」
「なんだか二年前の視聴覚室を思い出すな〜って。霞ヶ丘先輩と英梨々がいつも言い争ってて、そこに倫也くんが仲裁に入って、わたしはこうやってそれをずっと眺めているだけで……。」
恵ちゃんは楽しい思い出話をしているようだった。二年前ということはあたしの知らない、四人の高校生活の話だろう。
――そう。それは、あたしと霞さんが出逢った頃のお話。
あたしもその頃のお話を、少しだけ霞さんから聞いたことがあった。霞さんの高校には、ちょっと頼りない後輩君と、小生意気なイラストレーターと、存在感がとにかく薄い女の子と。
霞さん本人は『どこへ飛んでいくのかわからないとんでもないサークル』だって言っていた気もするけど、でもそれを話す姿はいつも楽しそうだったんだ。
「恵は眺めているどころか、いっつもスマホをいじってばかりだったじゃない……」
「えぇ〜……そうだったかな〜……?」
「そこは澤村さんの言うとおりね。澤村さんのモデルになってる時以外はいつもスマホを弄ってて……」
「霞ヶ丘先輩までそういう印象だったんですか……?」
英梨々と霞さんに言われたい放題の恵ちゃんは珍しくたじたじだ。
今のいつも一生懸命な恵ちゃんのイメージとは正反対な気もするけど、本当にそうだったんだろうか。
「……いいえ違うわ加藤さん。あなたたしかに視聴覚室ではそうだったかもしれないけど、ただしそれは世を忍ぶ仮の姿。あなた、視聴覚室以外ではほとんど別人だったわよね。」
「え?」
だがここで霞さんは、ストレートではなく変化球を投げてくる。
「あなた、視聴覚室以外では別人だったわ。そう、主に倫理くんの部屋では。」
「そうよ恵。倫也の家へ行くと恵っていつの間にかいなくなってて、どこ行ったかと思えば倫也の家の台所で今日みたいに焼きそば作ってたり……ううん、それだけじゃない。恵って、いつの間にか倫也の家の合鍵まで持ってたわよね?」
「え、えぇ〜……なんのことかな〜……?」
「そこでフラットな顔になるな〜!!!」
英梨々が叫んだ通り、恵ちゃんは急にお得意のフラットな顔になって防戦体勢に入った。それは明らかに恵ちゃん自身に思い当たるフシがあるってことだろう。
……え、そうなの!? なんだかそれはあたしの恵ちゃんのイメージとは若干異なってて、ちょっと意外な感じがした。
「……わたし、今日は霞ヶ丘先輩が少し心配でここに来たのですけど、それはわたしの余計なお世話で、全然大丈夫だったみたいですね。」
「あら。上から目線の心配をしてくれてありがとう。気持ちだけ受け取っておくわ。」
「もう!! 詩羽先輩も恵も、お願いだからそのくらいにして。俺が怖いから!!」
なるほど。これが『blessing software』名物、タキくんの仲裁というやつか。
でもこの状況、タキくんが仲裁に入っても何の効果も得られてない気もするのだけど……
「あら倫理くん。元はといえば倫理くんがいつもはっきりしないのが悪いと思うのだけど。」
「そうだよ。倫也くんがいつも曖昧な態度を取るから霞ヶ丘先輩も英梨々も……。」
「そうね、全部倫也が悪いっ!!」
「……はいはい。テンプレ通り俺が悪いってことにしておけば全て丸く収まるんですよね。」
……あ、本当に丸く収まった。
「でも霞ヶ丘先輩。わたしいつも思っていたんですけど、霞ヶ丘先輩ってどうしてもっと……」
すると恵ちゃんはフラットな顔を解除して、もう一度質問を繰り返した。
真っ直ぐな瞳――真剣な眼差しで、霞さんと向き合おうとしている。
……だけど霞さんは、恵ちゃんの最後の言葉をすっと遮ったんだ。
「加藤さん。あなたが私に何を言おうとしているかはわかってるつもり。でもね、これは私の問題。
「そう……ですか。」
それは恵ちゃんに諭すというよりは、自分に言い聞かせているようにも聞こえた。
霞さんの想いに、恵ちゃんの気持ちなんてどこにも入り込む余地などないような――
そういう風に、あたしは感じ取ったんだ。
「でもね加藤さん。ひとつだけ、忠告しておくわ。」
「え?」
霞さんは真っ直ぐ恵ちゃんの瞳の奥をじっと見つめ、言葉を添える。
「もし、あなたに迷いがあるならば、それはあなたにとって黄色い信号が灯ってるサインよ。何に怯えているのか私には興味はないけれど……そうね、その結末くらいは見届けてあげるわ。」
恵ちゃんはふっと、霞さんから目を逸らした。
「ふふっ、何でもお見通しなんですね。」
「そりゃもう……私とあなたの仲じゃない?」
「ありがとうございます……って、わたしは答えたほうがいいんでしょうか。」
恵ちゃんと霞さんはお互いに、静かな笑みを浮かべた。
二人の関係って、元々こんな感じだったのかもしれないな。
噛み合わないようで、やっぱり噛み合っていない……今日もそんな感じだよね。
ちょっとだけ静かで切ない時間が、この打ち上げの時間に訪れたんだ。
……あれ? 打ち上げ?? あたし何か忘れてるような…………
「あ〜、思い出した編集さん!! あたしの『新しい仕事』って何のことですか?」
そうだ。『打ち上げ』と呼ぶにはどこか似つかわしくない、あたしのもう一つの違和感。
さっきタキくんがあたしの『新しい仕事』って言ってたのは、何のことだったんだろう?
「あ、そうそう。その件を忘れてました。聞いて驚かないでくださいね?」
「なによ、もったいぶっちゃって。」
「霞詩子『純情ヘクトパスカル』、遂に東部線とのコラボ企画が決定いたしました!!!」
「あー、倫理くんが進めてたあのPR企画、本当に通ったんだ……。」
そういえば、ちょっと前にタキくんそんなイベントを企画してたよね。あれが通ったんだ……
確か、和合市などを通る東部線とコラボして、『純情ヘクトパスカル』を幅広い層へ伝えていくって、そういう企画だったっけ?
……いや、それやっぱし嫌な予感でしかしないのだけど。
「倫也くん。それってどんな企画なの?」
「恵、よく聞いてくれました。今回のPR企画、その内容とは、『純情ヘクトパスカル』に登場するヒロイン全員にイメージ駅を設定して、ヒロインと駅をコラボしたポスターをそれぞれ作成します。」
ん? それってまさか……。
「例えば、『
っ…………
「へぇ〜。倫也の発想にしては面白そうな企画じゃない。……で、いつから?」
「来月です!!! やっぱり鉄は熱いうちに打てって……」
……………………。
あたしは、全ての力が抜け落ちていくのを感じた。
ふ、ふふっ、ふふふふふふふ…………
「……ざっけんな〜!!!!! それって、今月あたしは何枚ポスターを描けばいいのよ!?」
「まだ正確には決まっていませんが、10枚くらいでしょうか。……本当は東部線全駅にという案もあったのですが、それだと38駅分になっちゃいますし、さすがに嵯峨野さんでも厳しいかな〜って…………え?」
「じゅ〜ぶんそれでも厳しいっつーの!!!」
もう〜、なんでそうなるのよ…………
「いやぁ〜だって嵯峨野さん、伊勢合宿で『あたしを本気にさせて』とか言ってたのでつい……」
「そこであたしの口真似とかありえないから!! この無責任編集が〜!!!」
タキくんは申し訳無さそうな態度を見せたが、あたしはタキくんの首を思わず絞めていた。
それにしてもまたあたしの言葉が引き金になってるとは……無茶苦茶だ。いや本当に。
「えっと……ということは、私の出番は今回なしでいいのかしら。」
「はい。詩羽先輩は大丈夫ですので、安心して次の原稿をお願いします。」
「なんでそこであたしだけなのよぉ〜……」
あたしは手元にあったグラスを一気にぐいっと飲み干し、それでも飽き足らず、残っていた焼きそばを無性に食べたくなった。
……ふふふっ。全部あたしのせいだって言いたいんだよねこの編集は。
あたしの頭は沸点をとっくに飛び越えていたけど……
もうこうなったら、やけくそでやるしかなさそうだ。
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