海辺の別荘の彷徨いかた

 英梨々とあたしは新宿湘南ラインを藤沢駅で降りて、江ノ電に乗り換えた。

 車窓から見える景色はまだ雨模様だ。この雨さえなければ間もなく紅い夕暮れを拝むことのできる時間帯。車内は学生が多い。きっと部活帰りの高校生だろう。


 電車のドアにぴたっと背中を合わせたままスマホを弄っている英梨々。雨とはいえ、背景の車窓と合わせると、それは綺麗な一枚の絵になった。ここが電車でなければ鞄の中からスケッチブックでも取り出したい気分だ。


「なによ真由。さっきから人のことをちらちらと……。」

「あ、うん。こうしてみるとやっぱりハーフ系お嬢様の姿は絵になるな~ってね。」


 すると英梨々の顔は、まるで夕焼けの代わりとでも言うように、ちょっとだけ紅くなる。


「……な、なによ。真由だって十分絵になるじゃない。真由って人のことそうやって観察ばかりしてるけど、自分の顔、本当に鏡で見たことあるの?」

「悔しいけど英梨々にも霞さんにも敵わないよ。だからあたしの立ち位置は今はこっち。」

「……いっそのこと恵から『冴えない彼女』の称号を引き継いだら? 本家の方はそろそろ景品表示法違反疑惑があるくらいだし。」

「え~やだよめんどくさい~」

「そこで本家の口癖を盗むな~!!」


 ふふっ。英梨々やっぱし可愛いな。

 つい三ヶ月前までは女子高生だった英梨々だけど、今ではあの紅坂朱音に認められる才能を持つ立派なプロの絵描きさんだ。あたしだってプロの絵描きの端くれではあるけど、英梨々のもう一つの名前、『柏木エリ』ほどの知名度は持ってない。

 だけどそんな英梨々も、本当に三ヶ月前までは女子高生だったって、こうして近くでその幼さの残る顔を見ると改めて実感する。昨年『フィールズ・クロニクル』で一気に名前を上げた英梨々だけど、その裏では最も大切な親友と、最も大好きな幼なじみの両方を、一度に失いかけた――


 英梨々が霞さんの小説の通りだとしたら、タキくんに認められたくて絵をひたすら練習したとのことだった。それがようやく叶ったのが、一昨年の冬のこと。『cherry blessing』で、所謂『伝説の七枚』を描き上げて……。


 その点だけを考えたら、あたしと英梨々は似たもの同士なのかもしれない。

 あたしだって、霞さんの作品『純情ヘクトパスカル』で自分の作品を認めてもらいたかった。だけど最初の評価は散々で、その時にタキくんの情熱的なブログに出会って――

 当時は霞さんの作品に寄り添えていなかったんだ。

 タキくんにさえ敵わなかったあたしは、ただ悔しくて、悔しくて……。


「英梨々は『cherry blessing』でコンビを組む前から、霞さんのこと知ってたの? 確か、同じ高校だったんでしょ?」

「全部倫也のせい。あんなオタクにちょっかい出してる随分と物好きな先輩がいるなと思ったら、それが霞詩子だったというだけの話よ。」

「うーんとね英梨々。それが『倫也のせい』と言い切るには無理があると思うんだけど、どうかな?」


 英梨々らしい、まさしく王道のツンデレ的反応だ。


「霞詩子の作品は会う前から読んでた。読んでて夢中になって、大好きだった。……まぁ霞詩子の『恋するメトロノーム』を最初に薦めてくれたのは倫也だったけど。」

「……それにしても英梨々の話の中には、事あるごとにタキくんが出てくるね。」

「そ、そんなこと……ないわよ……」


 英梨々はぷいと横を向いたまま、ぼそっと答えてくる。英梨々にとっては、霞さんもタキくんも、同じ学校の先輩や同級生というだけでなく、本当に大きな存在だったんだ。


 窓の向こう側には、まもなく海が見えてきた。

 水平線は雨に叩かれて、波も少し荒れてるように見える。

 霞さん…………元気かな?


 ☆ ☆ ☆


 江ノ電を小さな駅で降りてから、歩いてほんの数分。霞さんがいるという別荘に到着した。

 海からは歩いて五分くらいだろうか。少し小高い丘の上にあるここは、海辺までが一望できる場所でもあった。


「それにしても本当に随分豪華な別荘だね。」

「うん。パパの知り合いの別荘。その人、霞詩子の大ファンなんだって。」

「へぇ~。英梨々の父さん、知り合いにもいろんな人がいるんだね。」

「この前、霞ヶ丘詩羽が『隠れ蓑を貸してほしい』って突然あたしに電話かけてきて、真っ先にこの場所が思いついたってわけ。ここ、去年『フィールズ・クロニクル』を作ってたときにもあたしと二人で何度か利用してたしね。オーナーも『霞詩子のサインを貰えるならいつでも使って』って言ってくれるし。」

「ほんと凄い別荘だね……別の意味でも。」


 英梨々と霞さんの秘密基地ってとこだろうか。そんな表現はなんだか子供っぽいけど、その実態はこんな海沿いの別荘ともなれば、大人でも羨ましがりそうな高級感漂うそれになる。

 まぁそれだけ実力のある二人だもん。別にさほど現実離れした話でもない気がしている。


「おーい、霞ヶ丘詩羽〜!! 着替え持ってきてやったわよ〜!!!」


 英梨々は別荘のドアを開けると、玄関から中に向かって大声を出した。

 それに対応するように、足音がのろりのろりと玄関の方へ近づいてくる。そして玄関に一番近くにあったドアががしゃっと開いた。


「澤村さん、フルネームで呼ぶのは構わないけど、そんな大声を出すのはやめてもらえないかしら? まるで『負け犬の遠吠え』ぽくてみっともないわよ……って、あら。嵯峨野さんじゃない?」


 あくび混じりのいかにも眠そうな声の主は、霞さんだ。

 よかった。ちゃんと生きてた。……って、死んでたらそりゃもう大スクープになっちゃうけど、いつぞやの紅坂さんの電話もあったから、あたしは少し不安だったんだ。


「誰が『負け犬』よ!! それよりあんたが原稿遅らせてるせいで、迷い猫のように途方に暮れてた真由を連れてきてあげたんだから、ちゃんと面倒くらい見てあげなさい!」

「英梨々が『負け犬』ならあたしは『迷い猫』ですかええそうですか。……あ、霞さん。お久しぶりです。急にいなくなるからみんな心配してたんですよ!!」


 本来、犬と猫って相性悪かった気もするけど、そんなことは正直どうでもいい。

 それより、あたしは霞さんを捕まえることでようやく『眠る時間』をゲットした!……と思う。


「なんだかやけに嵯峨野さんが嬉しそうで……ちょっと怖い。でも、別に逃げてたわけじゃないわ。そもそもみんなして大騒ぎしすぎなのよ。」

「だったら霞さんお願いだから電話くらいちゃんと出てくださいね~……ってのがあたしの本音なんですけど、それについて何かコメントいただけますでしょうか〜?」


 もちろん霞さんからそんなコメントを戴けるはずもなく……無言のまま顔できゅっきゅっと合図されるかのように、あたしは別荘の中へと案内された。


 ☆ ☆ ☆


「でもみんな心配してたってのは本当ですよ、霞さん。」


 冷蔵庫の中で冷えていた缶コーヒーを戴きながら、あたしは霞さんの前に座った。テーブルの上には霞さんの分の缶コーヒーと、英梨々が東京駅で買ってきたショートケーキが置いてある。

 霞さんはまだまだ絶賛執筆中なのか、ノートPCにカタカタと打ち始めていた。

 それにしてもあたしと会話しながら小説書けるって、どうやって頭を切り替えてるんだろう? あたしだったらラフ絵ならともかく、本気で描く時はなるべく誰にも話しかけてほしくないのだけど。


 ……ん、なんだかキーボードを打つ音が少し妙だ。

 あたしは気になったので霞さんの真横へ移動し、ノートPCを横から覗き込んだ。


 倫理くんにあーんしてほしい倫理くんにあーんしてほしい倫理くんにあーんしてほしい……


 …………。


 ごつん。

 キッチンから持ってきたお盆を縦に振り下ろし、霞さんの頭を思いっきり叩いたのは、英梨々だ。……それにしてもさすがに『縦』というのは酷すぎやしないだろうか?


「痛いじゃないの澤村さん。私が馬鹿になったらどう責任取ってくれるのかしら?」

「何寝ぼけたこと言ってるのよ。あんたがそうやってわけのわからない妄想を、いつまでも頭の中で繰り広げているのが悪いんでしょ! いい加減目を覚ましなさいよこの珍獣『カスミガオカウタハ』!!」


 英梨々はいつのまにかエプロン姿になっていて、テーブルには手作りサンドイッチが並べられていた。ぱっと見た感じ、英梨々はあまり料理は得意な方ではないのかもしれないけど、その英梨々の器用さは感じられる程度には美味しそうだ。

 それにしても英梨々、なんで急にエプロン姿になったのだろう?


「澤村さんが倫理くんを連れてこないのが悪いのよ。これじゃあ私のテンションがいつになっても上がらなくて、原稿が全然仕上がらないじゃない。」

「あんたが原稿書きあがらない理由って別に倫也がどうっていう話じゃないわよね? ただサボってるでしょ!」

「霞さんすみませんあたしタキくんじゃなくて申し訳ないです……」


 もう無茶苦茶だ。霞さんと英梨々っていつもこんな感じだったのだろうか。

 この二人って、仲がいいのか悪いのか――

 ……いや、さすがにそれは愚問だな。


「それに、倫也をここに連れてきちゃったら……さすがに恵が黙ってないわよ……」


 だけど英梨々の甲高い声は、急にトーンが低くなった。


「別に加藤さんの顔色を気にする必要なんてこれっぽちもないんじゃないかしら?」

「あるわよ! 大ありよ!! ……あんな恵、久しぶりに見た――」


 霞さんに喝を入れるかのように、英梨々の声が反響もせずにずしんと届く。

 視線は下を向いたままの弱々しい顔で、言葉だけが宙に浮いた具合だったけど。


「あのね霞さん。今回の件、一番心配してるのは恵ちゃんなんだ。正直、タキくんはおろおろするばかりだし、あたしは少しは霞さんのこと心配してるけどむしろ自分の作業時間のほうがずっと心配だし、町田さん至ってはいつものことくらいにしか思ってないどころか逆に完全に楽しんでるみたいだし――」


 霞さんは英梨々が作った一口サイズのサンドイッチを指でつかむとそれを口に頬張り、そしてゆっくりふうっと一息ついた。

 英梨々のそれとは対象的で、視線はサンドイッチに向いたまま。どこか呆れ気味だ。


「まったく、どうしようもないメンツよね。不死川書店って。」

「ふふっ、ほんとだね。でも、それだけ霞さんを信用してるってことじゃないかな。」


 まぁそれに振り回されるあたしは、本当はたまったもんじゃないけどね。


「――だけど、恵ちゃんだけは違ったんだ。恵ちゃんが書いたシナリオのせいで、霞さんが悩んじゃってるんじゃないかって思ってるらしくて。だから……」

「本当に困ったもんね、調子に乗りまくってる加藤さんてば……」


 あたしの会話を途切るように、霞さんの言葉が割って入ってきた。


「ほんとよね。それについては同感だわ。恵には悪いけど……」


 英梨々もそれに同調する。ここは恵ちゃんじゃなくて、霞さんの方を選ぶのか……?

 でも恐らくこれが、二人の本音なのかもしれない。


「……でも、ひょっとしたら恵、本当はあんたに倫也を奪ってほしんじゃないかな?」

「えっ……?」


 英梨々はやはり小さな声で……その言葉の内容はどこか素っ頓狂だったけど。

 英梨々、何言ってるの…………?


「なによその無茶苦茶な発想っぷりは……」


 霞さんは冷笑を浮かべている。否定も肯定もする気はないかのごとく――


「だってあんたはあの時、『フィールズ・クロニクル』ではなく、倫也を選ぶこともできたから……」

「だから何を言ってるの澤村さん?」

「あの時、あんたはあたしに全ての選択権を預けておいて……」

「澤村さん、これ以上意味のない話をするのは……」


 だけど、徐々に霞さんの声のボリュームが大きくなっていく。


「だったらさぁ〜、あんたはあたしなんか無視して、倫也を選べばよかったんじゃないの?」

「だから何を言ってるのって聞いてるのよ澤村さん!!!」


 そしてついに霞さんの声は怒声に変わり、英梨々の言葉を完全に封じた。

 その重苦しい空気は、あたしの身体をも凍りつかせた。


「だって……だってさぁ〜…………」

「たしかにあの時、澤村さんに『私に選択権はない』って言ったわ。『フィールズ・クロニクル』の仕事を引き受けるか否か、私に選択権は本当に存在してなかった。なぜなら紅坂朱音はあなたを引き入れるために私を利用しただけだったから。」


 選択権!? 紅坂朱音は柏木エリを引き入れるために霞詩子を利用した!??

 あたしはそんな話はもちろん初耳だけど……そんなのって、さすがにあんまりだ。


「でも、だったら……そうだとしたら、あんたはあたしのせいで――」

「だけどそうだとしても、それは澤村さんの自惚れってやつよ!!」

「っ……」


 でも霞さんはそれを強く否定しようとする――


「私になかった『選択権』というのは、『柏木エリがあの仕事を受け入れるかという選択権』だけ。もちろん柏木エリがいなければ、私にあんな仕事をするという選択権なんてなかった。だけどそんなの私にはどうでもよかったのよ。」

「じゃーどうして!? あんたはあんな仕事受けなければ、今でも倫也と――」


 英梨々は泣いている。

 悔しさと、納得できないというのが入れ混ざったような、そんな泣き顔だ。

 さっき大学の食堂で見せた嘘泣きとは全然違う、隠そうともしない本気の泣き顔だった。


「……でもね澤村さん。その後に『私が柏木エリと組んで作品をつくる』という選択権なら、私にもちゃんと存在していたわ。」

「え……」

「そして私はそっちを選択した。それだけのことよ。そこにあなたの意志なんてどこにも介在してないわ。」


 霞さんの優しい声に、英梨々は困惑した表情のまま、完全に固まってしまった。

 つまり霞さんにとっては、『フィールズ・クロニクル』というビッグタイトルのシナリオより、『柏木エリ』という絵描きのほうが魅力があったということだろうか。それは、英梨々の意志が介在していないとは言いつつも、英梨々にとっては賞賛の言葉でしかなかった。

 いや、全てがそれを意味しているわけではないのかもしれない。

 だって……。


「……澤村さんがどう思おうと、加藤さんがどう心配しようと、私は私よ。」

「霞ヶ丘……詩羽…………」

「だから澤村さんが私のことを気にしてそんな顔する必要なんて、どこにもないってことよ!!」


 霞さんが強く言い放った言葉は、あたしの胸をもぐさりと突き刺してきた。

 そっか。これが学食で英梨々が話していた、霞さんのプライドというやつなのかもしれない……あたしはふと、そう思えてきた。

 だけどさ……。


「それに私はもう……」


 すると霞さんはあたしの顔をぎゅっと睨んできた。

 え、あたし???

 ……いや、違う。霞さんの視線の先は、あたしではない。

 あたしの瞳の奥深くにいる誰かを追い求めているかのようだ。


真唯まゆいっ! あなた今日は私の顔をスケッチに来たんじゃないの? とっとと描きなさいよ!」

「あたしは真唯じゃなくて、真由でーーーーす!!!」


 強い顔――あたしを睨んできた霞さんの顔はまさにそれだった。

 ……ううん、そうじゃないよね?

 なぜなら、霞さんにとってのあたし真由……って――


 今ここにいるのは、英梨々と霞さんと、あたしだけ。

 でもそれならば……ここにいる中で適任者なのは、やはりあたしだ。


 だから決めた。


「ねぇ霞さん。あたしの原稿、霞さんのせいで全然進んでないんだけど。」

「……なによ。言いたいことあるならはっきり言いなさい、真唯。」


 今の霞さんにとって、あたしは完全に真唯なのかもしれない――


「だからさ。今日から今週末まで、一緒にここで合宿させてもらっていいかな?」

「ちょっと、真唯……?」

「いいよね。……沙由佳さゆかさん?」


 あたしは霞さんに、舌をぺろっと出してみせた。

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