失踪した作家の探しかた
恵ちゃんが不死川書店にやってきた翌日、今日もやはり雨が降っていた。この冷たい雨が、あたしの胸をこつこつと叩いてくるようで、最近少し痛みを感じるようになってきた。
そう、また霞さんが失踪しちゃったんだ……。
講義がすべて終わった後の夕方、あたしは編集さ……タキくんを大学の食堂に呼び出して、二人で霞さんを捕まえるための対策会議をすることにした。このまま霞さんの原稿が遅れたままでは、あたしの絵を描く時間と寝る時間がなくなっちゃうもんね。だからなんとしてでも霞さんを見つけ出さなくちゃ。
それにしても、あたしの目の前にタキくんが座り、二人きりの食堂のテーブルでキャンパスライフを謳歌とか、ちょっとどきどき……
……という某漫画のワンシーンのような雰囲気になるわけでもなく、実は今の状況はちょっとだけ、それとは様子が異なっている。
これってあたしとタキくんの問題だと思ってたんだけど、『わたしも迷惑かけてるのは間違えないから』と恵ちゃんもタキくんの横に座って会議に参加したんだ。しかもあたしの隣には、恵ちゃんから何かを聞きつけたらしい、もはや不死川大の学生ですらない美少女が座っていたりして。
あ~
……なんてことは1ミリも思っていないからね絶対だからね!!!
「……なによ。恵が力を貸してほしいって言うからやってきたけど、霞ヶ丘詩羽がいなくなったから行き場所を教えてほしいって? それがなんであたしを呼び出す口実になるのよ。」
……と、ちょっと不機嫌そうにタキくんに当たり散らすのは、そう英梨々だ。
「英梨々なら何か心当たりないかなーって。なんとなくそう思ったんだけど。」
そこへ恵ちゃんが申し訳なさそうに答える。今日の恵ちゃんは顔がフラットになるわけでもなく、いつになく真剣な眼差しだった。霞さんがいなくなったのって前にも何度かあったし、少しだけ恵ちゃんの考えすぎのようにも感じるけど、でもその辺りを譲ろうとしないのも恵ちゃんの性格なんだろうな。
それにしても……気のせいだろうか。さっきからこの学食にいる男子学生の視線をちらちらと感じる。
「し、知らないわよ! なんであたしがあんなめんどくさい霞ヶ丘詩羽をいちいち監視してなきゃいけないのよ。」
「英梨々。こういっちゃなんだが、お前も十分めんどくさいから、それを言う資格なんてどこにも…………ててててて!!!」
あ〜、タキくんこれまた言ってはいけないことを口走っちゃって。
机の下では英梨々の足が斜めにクロスして、タキくんの足を蹴っ飛ばしているようだった。ずしずし音が聴こえてきて、これはこれで痛そうだ。
「倫也くん少し黙っててくれないかな~」
「そうよ、倫也はちょっと黙ってなさいよ。」
「いやいや、突然二人で結託し……てててててててて」
もはや一言二言喋る度に、タキくんは英梨々に思いっきり蹴飛ばされている。
まぁ確かに余計な一言だったよね。相変わらず同情の余地はない。
そして気づいてしまった。英梨々がタキくんの足を蹴っ飛ばした瞬間、先ほどから感じていた視線が急に殺気にかわった。
……なるほど。視線というのはやはり英梨々のせいだったのか。
まぁ英梨々は可愛いから当然だよね。あたしも複数の作品で英梨々っぽいヒロインも含めて描いているけど、表情豊かで、本当に描きがいがあって、とても楽しいし。ほんの少しだけ地味なこの不死川大学で、見慣れない美少女が突如食堂に現れたとなれば当然の反応かもしれない。
それともうひとつ言えるのは、こんな女3に対して男1というタキくんの立場というのも……殺気の対象となっても仕方ないか。
やっぱし同情の余地はないけどね。
「……で、霞ヶ丘詩羽を探すのにあたしを呼び出すって、やっぱし理由がわからないのだけど。」
「突然呼び出してごめんね。でも英梨々なら何か知ってるんじゃないかって、どうしてもそう思ったから。」
やはり今日の恵ちゃんの顔はフラットではなく、英梨々に対してちゃんと向き合おうとしている。
ここまで恵ちゃんが熱心になるのは正直あたしにはよくわからないけど、そこには恵ちゃんと英梨々の二人だけの世界があるんじゃないかって、そう思えて仕方がなかった。その世界へ恵ちゃんは引っ張り出そうとしているのだろうか。
「恵。あたしと霞ヶ丘詩羽が仲悪いのって、恵が一番良く知ってるでしょ!?」
「うん、知ってるよ。英梨々と霞ヶ丘先輩はお互い、最大のライバルであって、最大の理解者だって。」
恵ちゃんは英梨々の挑発をもろともせず、最上の笑顔で応対する。
「な、なんでそうなるのよ〜、恵ぃ〜〜!!」
「だって英梨々と霞ヶ丘先輩、『blessing software』でいつも一緒だったし……」
「ちょっと恵!!?」
「……『blessing software』を離れるときも……ね。だからだよ。」
「っ…………」
そして恵ちゃんはついにそれを言い放った。
英梨々だけでなくタキくんからも、全ての言葉を奪い去るほどのそのシーン――
恵ちゃんがこの場で持ち出したい話の内容が、あたしにもようやく理解できた。
今から一年ほど前の、春の日の苦い思い出。
3人の脳内にそれぞれの辛い記憶がフラッシュバックされたのは間違えなかった。
「……そ、それが、どうして今回の霞ヶ丘詩羽の失踪と関係あるってゆうのよ?」
「…………。」
英梨々とタキくんだけでなく、恵ちゃんの表情も曇っていく。
その話はきっと、恵ちゃんにとっても辛い記憶なんだよね……
だからここはあたしが補足を加えることにした。
「英梨々。霞さん、例の短編集で二作目で、今度は霞さん自身の小説を書いてるんだ。」
「…………まったく、あの根暗カマキリ女もほんと懲りないわよねぇ。」
英梨々は横をぷいと向いて、ぼそっと小さな声をこぼした。
「たぶん、霞さんが失踪するほど書けなくなる箇所と言ったら、そのシーンなんじゃないかって。……恵ちゃん、そう言いたいんだよね?」
「…………うん。」
それから、ほんのちょっとの間だけ、沈黙が訪れた。
時が止まったかのような――あたしたちの頭を整理するだけの十分な時間が欲しかったのかもしれない。
☆ ☆ ☆
『cherry blessing』で華々しいデビューを飾ったゲームサークル『blessing software』であったが、それから間もなく紅坂朱音という大きな存在を前に、イラストレーター柏木エリと、シナリオライター霞詩子の二大看板を一度に引き抜かれるという憂き目に会う。残ったメンバーはタキくんと恵ちゃんと美知留さん。それから間もなく出海ちゃんがイラストレーターとして参加したけれども、英梨々と霞さんのその後の功績を考慮しても、やはり戦力ダウンはどうしても否めなかった。
いや、恵ちゃんやタキくんはサークルとしての戦力云々と言うよりも、ずっと一緒にやってきた仲間を失ったことの方が意味として大きかったのかもしれない。特に恵ちゃんはそういう絆を強く感じてしまう性格だから、二人に裏切られたことに対するショックは非常に大きなものに違いなかった。
でも、逆の立場はどうなんだろう。つまり、英梨々と霞さんだ。
紅坂朱音にその才能を認められ、ビッグチャンスを得たのは間違いない。だけど、すぐにそれを受け入れることなんて、本当にできたのだろうか。
いや、だってそんなこと……。
あたしはあの時の英梨々の涙を思い出した。
それと、あんなにも編集さんに一途な霞さんのことも――
「あのさ英梨々。英梨々と霞ヶ丘先輩にとって、2人の思い出の場所とか、どこかないかな?」
「な、ないわよそんな場所。それに…………いや、そんなのあるわけないでしょ!」
……あれ? 今、英梨々何かを言いかけた?
「なんでもいいんだけどな〜。例えば、スランプを克服した場所とか……」
「……え?」
「そうだ英梨々。あの頃、冬コミ終わってからめっちゃスランプだったじゃないか。俺と恵、実はすごく心配してたんだぞ。」
「あ、あ〜…………そんなこともあったわね。」
タキくんもふと思い出し言葉を返すが、英梨々はどこか冷静さを失ったまま、あたふたした表情を見せている。
そういえばあたしもその話が出てきて、思い出したことがある。
『blessing software』第一作目、『cherry blessing』は今でこそ伝説になってるけど、冬コミはいかにも落としましたという感じで、限定200枚という程度だったんだよね。
でも、問題はその後の話だ。その後すぐにショップ委託販売を行って、あっという間に取り返す程度の本数を売ったものの、またすぐその後に品切れ状態が続いたんだった。その理由……これはネットで噂になっていたのだけど、それが『柏木エリのスランプ』というものだった。
根拠はこんな具合だ。一回目のショップ委託の後、二回目の委託までにかなりの日にちを要していた。それがおよそ二ヶ月弱という非常に長い期間で、一体何が起きたのか、そっち界隈は誰もが不審に思っていたんだ。そしてようやく三月になってから、待ちわびた二回目のショップ委託が始まった。
その三月発売のパッケージに含まれていたのが、柏木エリの最新イラスト。それもやはりこれまでの柏木エリとも違う素晴らしいタッチで、『cherry blessing』に出てくる柏木エリ渾身の『伝説の七枚』とも少し違う――
そこから導かれた噂というのが、『実は柏木エリはスランプだったのではないか?』というものだった。
「ねぇ英梨々。あの時、霞ヶ丘先輩と何があったの?」
「そんなの……およそ恵たちが知ってるとおりよ。」
「でも英梨々も霞ヶ丘先輩も、迷いながらサークルを辞めたんだよね……?」
「それは……だいたい霞ヶ丘詩羽は、あたしが――」
その瞬間、英梨々は次の言葉をごくりと飲み込んだ。一体何を話そうとしたんだろう。
「ねぇだったらさぁ~、その当時の思い出の場所ってどこかないかな~?」
「えっと〜…………高校の第二美術準備室?」
英梨々は恵ちゃんから顔を逸らしながら、上目遣いでそう答えた。
「そうか。霞ヶ丘先輩は高校の第二美術準備室だな。早速向かうぞ、恵っ!」
「ねぇ〜安芸くん。さすがに霞ヶ丘先輩はそんなところに何日も篭ってるはずないと思うよ。」
「じゃ〜恵。いったい霞ヶ丘先輩はどこにいるって言うんだ?」
「さぁ〜? それがわからないからこうやって英梨々に……」
「恵っ!!!」
すると英梨々は急に表情を一変させて、突然大きな声を上げた。まるでタキくんと恵ちゃんの会話をこれ以上聞いていられなかったのか、二人の会話を中断させるには十分な大きさの声で――
「さっき恵、あたしに霞ヶ丘詩羽の『最大の理解者』って言ったわよね? ええそうよ。あたしは最大の理解者よっ! だから知ってる。霞ヶ丘詩羽が、他の人に心配されるほど柔じゃないってことも。たかだか自伝小説を書く程度でへこたれるような、そんな生優しいプライドの持ち主じゃないってこともね!!!」
え…………?
英梨々の顔にはきらりと微かに光る何かがあった。
「英梨々……?」
恵ちゃんも、あたしが気づいた英梨々のそれに、やはり気づいたみたいだ。
「だからさ、恵が霞ヶ丘詩羽を心配する必要なんて、これっぽちも、1ミリもないんだからね。そんなことしたらあの女はむしろ……」
そう、英梨々は必死で涙を堪えているようだった。
それが、霞さんと共有する英梨々の本当の気持ちなのかもしれない。
本当は恵ちゃんにも悟られたくない、二人だけの本音――
「そっか。…………うん、わかった。霞さんは大丈夫なんだね。」
「当たり前でしょ!! だからもう、今日は解散よ!!!」
そう言うと英梨々はついに耐えきれなくなったようで、そのきれいな顔を恵ちゃんとタキくんから隠し、すっとあたしの胸元に飛び込んできた。その小さな体重があたしの胸にのしかかり、あたしはその分だけ痛みを感じる。
……ごめんね英梨々。辛い記憶を思い出させちゃって。
両手で綺麗な金色のツインテールを優しく撫でると、くすんくすんと声が聴こえてきた。
「英梨々。わたしたちはここで退散するね。……本当にごめんね。」
「別に、謝る必要なんてないわよ……」
英梨々は恵ちゃんに顔を見せないまま力のない声で、そっとそうつぶやいていた。
恵ちゃんはタキくんの腕をぎゅっとつねると、二人とも席を離れた。
残されたあたしと英梨々はしばらくそのまま、時間が流れていくのをただ待っていた。
……ところで。
あたしは英梨々の頭を撫でながら、ふと思い出した。
あたしの絵を描く時間と寝る時間…………
……じゃなかった、結局霞さんは一体どこにいるのよー!??
次にあたしを襲ってきたのは、そう、脱力感だった……。
☆ ☆ ☆
「……ねぇ真由。もう、恵と倫也はどこか行った?」
「えっ…………」
英梨々は顔をあたしの胸に寄せたまま、小さな声で――
あたし以外の誰にも聞こえない程度の声で、そう聞いてきた。
「……う、うん。もう、食堂にはいないよ。」
すると英梨々は顔を上げる。その顔は予想に反して、笑顔だった。
「真由、今日ってちゃんとスケッチブック持ってきてるわよね?」
「うん……いつも鞄の中には入っているけど…………?」
「じゃー、霞ヶ丘詩羽のところに、行こっか!」
……………………え?
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