Lesson7: Another Beach

原稿の行方の探しかた

 6月の最初の水曜日。英梨々の家に初めて行ったこの前の土曜日からずっと、外は雨が降り続いていた。

 洗濯物とかいつ干せばいいの?と最近それがちょっと気になるけど、あたしの気になってることといえばそれだけではなく――


 そう、今日町田さんに会議室に呼び出された理由も結局それだったんだ……。


しーちゃん、また音信不通になっちゃったのよ~」

「…………またですか?」


 正直言うと、驚きよりも半分呆れの方が勝っているのだけれど。

 ただ、今この会議室にいるメンバーや、机の上に用意されている資料(?)などを勘案すると、呑気なことを言ってられる状況ではなかった。


 今この不死川書店会議室にいるメンバーは、町田さんとあたしとタキくん……

 ……ではなく、不死川書店でもタキくん公認の彼女として知られている、恵ちゃんだった。


 タキくんは町田さんのデスクを借りて『純情ヘクトパスカル』のプロモーションについて資料をまとめ中……という話になっている。先日のタキくんの遅刻事件もあったので、あたしとタキくんは大学で待ち合わせて、最初は二人でこの会議室に入った。ところが会議室で待っていた町田さんは早速タキくんに作業を割り振って、タキくんはすぐに会議室から出ていったんだ。そしてその直後くらい、入れ替わるように恵ちゃんがこっそりこの会議室に入ってきた。

 まぁあの様子はどっちかというと町田さんがタキくんを会議室から追っ払ったという方が正しい気もするけど、その代わりにいるのがなぜか恵ちゃんというわけだ。


 …………なぜ?

 と思うまでもなく、あたしのせいだというのも薄々気づいていた。


 なぜなら会議室の机の上には、あたしが先週紛失した恵ちゃんのシナリオが置かれている。そう、あたしがこの会議室から帰ろうとしたときに、なぜか忽然と消えていることに気づいた、あのシナリオだ。

 どうしてこんなところに!??

 あたしはあの日……帰る前に忘れ物がないかを確かに確認したんだ。そしてこのシナリオの原稿がないことに気づいた。探したけど、やっぱし見つからなくて。


 すると町田さんはあたしの表情を察したのか、こんな言葉をかけてきた。


「嵯峨野さんが忘れ物したのではなく、全て詩ちゃんが犯人のようね。」

「え?」


 恐らくだけど……あたしはあの会議の日のことを、もう一度思い出してみる。

 あたしはなかなか来ない編集さんを待ってる間、ここで恵ちゃんのシナリオを読んでいた。その時、たった一度だけ、会議室の外にある自販機でお茶を買ってこようと、席を外した気がする。

 そして戻ってきたときには……そうか、その時になくなっていたんだ。


「このシナリオね、この前の会議で詩ちゃんが帰った後、鍵をかけようと思ったらここに置いてあったの。」

「え、ここに……ですか?」


 それは釈然としない。だってそれならあたしは帰ろうとしたとき、すぐに気づくはず。

 なぜならその時確かに確認しているのだから。

 でももしそうだとするなら……なるほど。犯人は町田さんの言うとおり――


「うん、そう。詩ちゃんが座ってたところに置いてあったから、てっきり詩ちゃんの原稿かと思って、私もそれを読んじゃった。前にも似たようなことがあったからね。」

「あ~……」


 霞さんって、なんて悪戯好きな作家様なのだろう。本当につくづくそう思う。


「でも開いてみたら今まで聞いたことのないようなタイトルだし、誰が執筆したのかも書かれていない原稿じゃない? ひょっとして詩ちゃんがこっそり書いてる新作!?……とも思ったんだけど、ストレートな感情表現が全然詩ちゃんじゃないし。そしたら一番最後のページにこの付箋を見つけて、誰が書いたのかすぐにわかったの。」


 町田さんはシナリオの一番最後のページを開き、恵ちゃんとあたしにそれを見せた。そこに貼ってあったのは桃色の小さな付箋紙。赤いペンでこう書かれてあった


 『楽しく読ませていただいたわ、加藤さん

  霞詩子』


 あちゃー。やっぱり霞さんにも全部読まれてしまったのか。

 あたしとしても、もはや恵ちゃんには言い逃れできない状況だ。


「ごめん! 恵ちゃん。あたしの不注意で……」

「いいよ、そこは気にしなくて。こんな偉大な方々に読んでもらえるなんて、それだけで嬉しいし。」


 小さな声で、恵ちゃんはあたしにそう返してきた。

 恵ちゃんはなんとも言えない……いつものフラットな顔でもない複雑な表情で、机の上に置かれた原稿……霞さんが書いたメモを静かにじっと見つめている。そのまま数秒間の時が流れるのを忘れてしまうくらいに――

 何を考えているのだろう? ようやくいつものフラットな顔になったかと思えば、またすぐ何かに悩んでいる表情に戻ってしまう。それをずっと繰り返していた。

 恵ちゃんと知り合って二ヶ月くらいだけど、こんな恵ちゃんを見たのは初めてだ。


「でも加藤さん、このシナリオよく書けてるわね?」

「そう…………でしょうか?」

「表紙に書かれている『cutie fakeきゅーてぃーふぇいく』って、嵯峨野さんのサークル名だったかしら。これ、ゲームのシナリオよね? 話にもちゃんと軸があって、台詞もストレートな感情表現がぐっときて、これに嵯峨野さんの絵が加わったら本当に面白くなるでしょうね。実はダンナよりセンスあるんじゃないの?」

「そんなことないです! 絶対に!!」


 あ、恵ちゃんの顔が途端にフラットになった。

 今の否定って、ひょっとしてシナリオが云々の話じゃなくて、タキくんが恵ちゃんの『ダンナ』と言われたことを否定したんじゃないだろうか。なんとなくだけど、そう感じた。


 すると恵ちゃんはふっと一息つくと、まるで自分自身につぶやきかけるかのように、ぼそっとこぼした。


「霞ヶ丘先輩にはもうちょっとちゃんと直した原稿を読んでほしかったんだけどなぁ~」


 恵ちゃんの表情はたしかにフラットだ。

だけど、その視線の先はどこか遠くを見ているかのようで、いつもの恵ちゃんと同じ、純粋な『フラットな顔』かというと、若干違うように感じる。


「ねぇ、加藤さん……」


 町田さんは恵ちゃんをなだめるように、そっと話しかけた。


「加藤さんが書いたこの原稿、ひょっとして本当に詩ちゃんに読んでもらいたかった原稿だったんじゃないかしら?」


 そう。町田さんの指摘は、あたしも英梨々に教えてもらった、この原稿の仕掛けそのもの。

 ある特定の人――霞さんに伝えたかった、恵ちゃんからのメッセージだ。


「やっぱし、霞ヶ丘先輩の担当編集の方には気づかれちゃうんですね。そして多分、英梨々にも。」


 あたしの顔を見て、恵ちゃんはそこまで悟ったようだ。


「やっぱりそうだったのね。ありがとう、加藤さん。正直に答えてくれて。」

「いえ。わたしの方こそ町田さんに迷惑かけてるようで、本当にすみません。」

「いいえ。そこは加藤さんが謝るところじゃないわよ。でもそうだとすると…………ううん、次の詩ちゃんの原稿がますます楽しみになってきたわね。」


 町田さんはここで、カップに注がれたコーヒーを少しだけ口にした。

 恵ちゃんはというと、徐々にいつもの表情を取り戻しつつある。その円らな瞳に映るのは、霞さんを想う、優しくて暖かい、そんな感情なのかもしれない。


『かおり 「いつまでも、わたしの憧れの義姉でいて! お願いだからさぁ〜……」』


 あたしはもう一度恵ちゃんが書いたシナリオの台詞を思い返していた。

 ひょっとしたら恵ちゃんって、実は霞さんと…………


「あの~、わたしが聞いていいのかわからないのですけど、今霞ヶ丘先輩が書いてる原稿って、もしかして自伝的なものだったりするんですか?」


 当たりだ。これはタキくんにも話していないこと。

 それを恵ちゃんは自らの勘で、そのことに気づいてしまう。


「ええ、そうよ。でも、このタイミングでこんな素敵な加藤さんの愛のメッセージが詩ちゃんに届くなんて、原稿がどうなるか心配であるのと同時に、ちょっと楽しみになってきちゃった。だから私としては加藤さんに感謝してる。」

「わたしとしては正直複雑で、なんだかなぁ〜という気分ですけどね。」

「まぁ~嵯峨野さんにしてみたら、また原稿がないまま締め切りだけが縮むわけだから、そんな呑気な話じゃないかもしれないけどね。」

「……え、ちょっと待って。それ完全にとばっちりだよねあたし全く悪いことしてないよね!??」


 突然あたしの名前が出てきてあたしは思わず腰を抜かしそうになる。

 ひいっ。町田さんの意地悪っ!!

 締め切りちゃんと延ばしてよ~!!!


「でもこのタイミングで霞ヶ丘先輩に原稿を読まれてしまったのは、完全に真由さんのせいだよね?」

「うわー、恵ちゃんまで!?? ……まぁその件は……ごめんなさい。」


 勝手に盗んでいったのは霞さんだと思うんですけど!!!

 ……というのを今話してもなんの意味もないので、それは言わないことにするけれども。


「加藤さんの言う通りよ。絵を描く時間が欲しかったら、早く詩ちゃん捕まえて原稿をゲットしてきてね! 頼んだわよ。」

「いやその仕事はこの短編の担当編集である町田さんの仕事だと思うのはあたしの勘違いというやつでしょうか~!??」


 なんだろう。最近のあたし、こんな役回りばかりじゃないだろうか。

 いやいやそれはそれ。とっとと霞さんをとっ捕まえないと。

 あたしの絵を描く時間、および寝る時間のためにもね!!


 すると会議室のドアがぱたんと開いた。

 えっ、ひょっとしてこのタイミングで霞さん戻ってきた!?

 今日霞さんの原稿が仕上がれば、あたしの締め切りなんて全然余裕じゃん!!!


 ……などという都合のいい話は起こるはずもなく……


「町田さん。プロモーションの資料作成しました! 霞詩子の文章も、嵯峨野さんの絵も、これでもっと幅広い層へアピールできます!! …………あれ? なんで恵がこんな場所にいるんだ?」


 会議室に入ってきたのは『純情ヘクトパスカル』の担当編集、タキくんだ。

 あたしは大きなため息しか出てこなかった。


「ちっ、あんたか……。紛らわしいわね~。」

「あ~ごめん安芸くん。今取り込み中だからまた後にしてくれる?」

「……嵯峨野さんも恵もなんでそんなに俺に冷たいの!??」


 一方町田さんは、カップに注がれたコーヒーをごくごくと飲み始めていた。


 ☆ ☆ ☆


 なお、恵ちゃんの言う『今取り込み中』であることは全くなく、その後はいつもと違う四人でタキくんの書き上げたプロモーション企画書を確認した。恵ちゃんは『わたしまだここにいて大丈夫なんですか?』と町田さんに確認取っていたけれども、町田さんは即答で『全然大丈夫』と返事をした。

 それでいいのか不死川書店!??


「相変わらずこういう企画書を作成するのはTAKIくん得意のようね。しっかりツボを抑えてきてくれて、これならまだ霞詩子を知らない人でも食いつきやすそうな企画になってるわ。」


 町田さんの評価の通り、あたしとしても納得のいくものだった。

 どれもこれもあたしのようなオタク……じゃなかった、多くの人が飛びつきそうな企画ばかりだ。さすがは元大手ブロガーというだけのことはある。

 恵ちゃんも目を輝かせながらその企画書を眺めていた。いや、表情はフラットだけど、そのぱっちりとした目をちゃんと見れば、この企画書に賛同してるってことはバレバレだからね恵ちゃん!


「いえいえ。これで『純情ヘクトパスカル』の原稿さえあれば、大々的にアピールできます!」


 タキくん、褒められて完全にやる気満々だって感じだね。


「ええ、そうね。あとは詩ちゃんの最終原稿さえ届けば、ようやく『純情ヘクトパスカル』新刊発売に向けて、一歩前進できるわね。」

「あの〜……ちょっと待ってください。これってあたしの絵を描く時間って一体どこにあるんでしたっけ?」

「嵯峨野さんはいつも抜かりなく描いてくれてるから今回もいつもどおり全く問題ないって期待してるわ。問題は詩ちゃんよ。早くどこ行ったか特定しないと……」

「……え、霞ヶ丘先輩また失踪したんですか!??」

「あんた何今更なこと言ってるのよ。……じゃなくて、それ結局全然あたしの絵を描く時間がないってことですよねそうですよね!??」


 まぁついさっきまでタキくんはこの会議室にいなかったんだから、霞さんがいなくなったという事実は知る由もないのだけど……。

 いやそうじゃなくて、あたしの絵を描く時間と寝る時間はいったいどこにあるの〜!?


「あの〜。こんなことわたしが言うのもなんですけど、『純情ヘクトパスカル』、空中分解しないといいですね!」


 ……ごめん恵ちゃん、どこかで聞いたことあるような今のそのツッコミはいらないからね!!

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