冴えない会議の進めかた

 今日、ここは不死川書店の会議室。

 最近このお話の舞台が、某編集さんの部屋みたいに固定化されてるような気もするけれど、多分そこは気にしてはいけない箇所だと思ってるし、あたしは何のこと言ってるさっぱりわかってないので、やっぱりその指摘はスルーすることにする。そもそもあの漫画で描かれていた『恋メト』だって、その舞台は会議室ばっかりだったもんね。

 ……ところで、なんのお話だっけ?


 会議室のデジタル時計は5月31日、17時59分を指している。

 ちょっと前までこの時間はもうとっくに日が落ちていたのに、今はまだ微かな夕焼けの光が窓から入り込んでいる。あたしは霞さんの『純情ヘクトパスカル』の最新原稿をチェックしながら、編集さんの到着を待っていた。

 あいつ、大学はすぐ隣の建物のくせに今日はめっちゃ遅くない!?


「まったく。倫理くん遅いわね。一体どこで油売ってるのかしら。」

「編集さん、今日たしか五限なかったはずだから、もうとっくにここにいてもいいはずなんだけど……」

「あら嵯峨野さん。さすがはクリエイターと編集担当という間柄のようね。大学や仕事から、はたまた私生活まで、そうやってちゃんとお互いを監視、いや把握し尽くしているのだから。地味にやらしいわ。」

「……あの~霞さん? 大学がたまたま一緒なのは否定しないけど、私生活までは監視されてるなんてことは、全くこれっぽちも1ミリもないんですけど! 編集さんを監視してるのはどっちかと言うとあたしじゃなくて……」

「そうね。どっちかというとあっちの黒髪ショートボブの泥棒猫の方だったわね。いつもフラットな顔で相手を油断させて、私生活だけじゃもの足りず、ベッドの中まで……あぁ~想像するだけで猛烈にやらしいわ。」

「うーん……ベッドの中まで監視してるかどうかはわからないけど、確かに恵ちゃん、編集さんのベッドの上で何度か寝たことあるとかなんとか言ってたしなぁ~。嘘かほんとかわからなかったけど。」

「あら、それなら私だってあるわよ。倫理くんの部屋だけじゃ飽き足りなくなっちゃって、ホテルの部屋でも彼と一晩を共に……」

「…………え?」


 あたしはどきんとする。恵ちゃんならまだしも、あの男、霞さんにまで手を出して…………!?

 すると会議室のドアがこのタイミングでとんと開いた。


「そうよね。真夜中にしーちゃんを追っかけてきたTAKIくんのために、私ホテルの部屋まで用意したっていうのに、そのチャンスをみすみす逃してしまうのは、どこの女流作家様かしらね~?」

「……………………。」


 町田さんの一言で、急にテンションを落としてうなだれてる女流作家様ならここにいらっしゃいますが???


 ☆ ☆ ☆


「とりあえずTAKIくんが来るまで、先に短編集の方の進捗を確認しておきましょうか。」


 会議室に入ってきた町田さんは一杯のコーヒーを口にした後、そう話を切りだした。


「あたしの方は英梨々編のイラストを修正して、今朝メールで送ってますよね。確認していただけましたか?」

「ええ見たわ。泣き虫な絵描きさんの表情、ちゃんと描けてたわね。私としては特に問題なしよ。詩ちゃんはどうかしら?」

「……特に問題なし。この前のラフに引き続いて、ますます調子乗ってきたわね。この超奥手なイラストレーターさん?」


 やった~! これでタスクひとつ完了だね。

 しばらくスランプだったせいか、あたしはこの嬉しさをどうしたって隠しきれそうもない。

 ……ちょっと霞さんの言いがかりが気になるけどね。


「短編集、次は詩ちゃん編ね。詩ちゃん、原稿の方は順調かしら?」

「う、うん……まぁ…………」


 なんだろうこの霞さんの煮え切らない表情……。

 あたしはなんとなく嫌な予感しかしない。

 ……確かに遅れたときはお互い様だってことは今回身にしみて実感したけれども。

 すると町田さんもその表情を読み取ったのか、霞さんをなだめるように優しく話しかけた。


「『純情ヘクトパスカル』の新刊のこともあるけど、こっちの短編集の方も頼んだわよ。なにせ今度の詩ちゃん編は、霞詩子の処女作『恋するメトロノーム』のメインヒロイン沙由佳と、同じモデルなんだから。担当編集の私も、今回ばかしは霞詩子の一読者として楽しみにしてるわよ。」

「あ…………。」


 あたしは合点して、思わず声を出してしまった。

 なるほど。今回の霞さん編はそういう位置づけともなるわけか。もっとも、その短編のモデルが誰であるのかは公開されないわけだから、そのことについてはわかる人にしかわからないというか……

 それでも、読者の中にはこの作品のモデルが霞詩子本人だって、わかる人にはわかってしまうんじゃないだろうか。でも霞さんは敢えてそれを踏まえた上で原稿を仕上げてくるはず。だって、その駆け引きこそが霞詩子の真骨頂のはずだから。


「すみません。遅れました!!」


 ちょうど短編集の進捗確認が終わったこのタイミングで、ようやく『純情ヘクトパスカル』の担当者が会議室に到着した。編集さん、なんだかもう汗ダラダラだ。明日から6月だもんね。その編集さんの汗を見て、あたしは思わずそんなことを考えてしまった。


「遅いわー倫理くん。まるで本命以外の女だったら何分でも待たせてもいいみたいな、そんな考え方のようね。……それと嵯峨野さん、ぽかんとした顔で倫理くんを見つめすぎ。」

「…………え? あっ。」

「いやいや、そんな意図はこれっぽちもありませんから!! 本当にすみません。今日大学の講義がちょっと長引いちゃって……」


 だけど、タキくんはあたしの視線のことなんか全く気にも留めていなかったようで……それはそれでどうなのよ!?と内心逆ギレ状態ではあるけど、なんでそれで逆ギレしなきゃいけないのかあたし自身よくわからなくなった……ってあたし一体何考えてるのよ!??

 ふぅ。こんな状況で、先日霞さんが言ってた『私よりずっと先へ進もうとしている』というのがどうしても腑に落ちない。ううん、霞さんだけじゃない。英梨々も恵ちゃんも、どこかあたしとはいろいろ認識が違っている気がする。

 どうしてみんな、あたしのことを…………


「それじゃあTAKIくんも登場したことだし、私は別の作業があるから『純情ヘクトパスカル』の件はTAKIくんに任せるわ。後はよろしくね。……あと嵯峨野さん、ぼおっとした顔でTAKIくんを見つめすぎよ。」

「……………………え? はうっ……」


 ちなみに、タキく……編集さんはやはりあたしのことなど眼中にないようで、そんな町田さんの一言もするっと流している。町田さんはそれを確認するとにこっと微笑みを返して、会議室を後にした。

 というか、あたしさっきから弄られすぎの間違えでは?


 町田さんが会議室から去ると、進捗が遅れ気味だった『純情ヘクトパスカル』の打ち合わせがいよいよ始まる……


「さて、倫理くん。いろいろ説明してもらおうかしら?」

「え、『純情ヘクトパスカル』の進捗は、霞さんの原稿以外はおよそ順調です……って、それを説明するのは俺じゃなくて霞ヶ丘先輩ですよね?」

「しらばっくれても無駄よ。倫理くんにはその一つ一つの問題について説明する義務があるわ。」

「……あの〜、『一つ一つの問題』って一体なんのことでしょう!???」


 ……わけでもなく、どうやら打ち合わせとは異なるものが始まろうとしていた。


「被告人、倫理くん。まずは先日の東京駅での出来事について、説明してもらえないかしら?」

「先輩今日話さなきゃいけないのはそのことじゃなくて先輩の進捗の件ですよねそうですよね?」


 そういえば、あのロケハンの日から『純情ヘクトパスカル』はメールベースで進捗確認を行っていたため、こうやって霞さんと編集さんとあたしが顔を合わせたのは、あの東京駅以来だ。あたしも大学で恵ちゃんとはよく話すけど、編集さんと話す機会はほぼ皆無だからね。恵ちゃんの邪魔しちゃ悪いし、編集さんと二人になったところで特に話すことなんてないし。


 それにしても……。あたしはふと思った。

 やはり霞先生の小説の編集担当にタキくんを任命したのは間違えだったんじゃないかって町田さん!?


 ☆ ☆ ☆


「あのときは突然恵が俺のことを捕まえてキスをしただけで、どういう経緯でそうなったのか俺にはさっぱりわかっていないのですが……」

「証人、相楽真由。これについて補足することはないかしら。……いえ、もちろんあるわよね?」

「え、あたし!??」


 窓の外はすっかり真っ暗になっている。そりゃもう18時半だもん。というか今日の会議、いつまでやるつもりなんだろう。なんだかどこかで見たような裁判ぽいものが始まってしまったし……

 ……ま、面白そうだからいいんだけどね。どうせお兄ちゃん遅いから勝手に夕ご飯食べるだろうし。


「ロケハンが終わった東京駅で、ゲームのメインヒロインがサークルの代表に『お疲れ様〜』のキスですよね? やっぱり『blessing software』みたいな超大手有名サークルはスケールが大きいな〜……というのがあたしの感想でしょうか。大学でも編集さんと恵ちゃん、いつも一緒ですもんね。」


 あたしは素直に、思ったとおりの感想を答えてみる。


「ちょっと嵯峨野さんまで無理に付き合わなくていいから!!」

「いいえ倫理くん……いえ、今日は東京駅でそんな破廉恥な振る舞いを私達に見せつけてくれた不倫理くんということにしておきましょうか。そんな不倫理くんの大学内の証言も重要なファクターよ。」

「ええっと〜……霞ヶ丘先輩? その非常に不名誉な名前を今月じゃなくて昨年東京駅で名付けてくれたのは、恵じゃなくて霞ヶ丘先輩だと思うんですけど……」


 東京駅の破廉恥な振る舞い……まぁキスのことだけど……うん、キスのことだよね。それを恵ちゃんも霞ヶ丘先輩も東京駅のみんなが見ている前で……うわ〜……

 キスなんてしたことないから、それがどこまで破廉恥なのかあたしにはよくわからなかった。けど、なんだかとにかくこっちが恥ずかしくなってきた。あたしは全く無関係なはずなのにっ!!!


「あら。あたしはそんな接吻の話だけを対象にしてるつもりはないわよ。今日だってこうやって遅刻してきて……証人相楽さん、確か今日の倫理くんの授業は四限までって話してたわよね。……それと相楽さんそこで顔を赤らめてないで少しは落ち着きなさい。」

「ううっ…………あ、そうだ思い出した。編集さん今日の五限の授業、休講でしたよね。それならここにもう一時間くらい早く来てもいいんじゃなかったのかな〜って?」

「……っ」


 編集さんの目は泳いでいて、明らかにあたふたしてる。


「あ、いや〜その〜……五限の授業が休講だったんで図書館で『blessing software』のシナリオを書いていたら、いつの間にか時間が過ぎてしまってまして〜……」

「異議あり! 倫理くん、シナリオ書くときはいつもこっそりこの会議室を使ってなかったかしら?」


 編集さんの詭弁に霞さんが対抗する。裁判長からの異議とか聞いたことないし、もはやこの裁判は方向性を完全に見失いつつあるけれど。


「霞さん。きっと編集さんは図書館にシナリオ書く以外の別の用事もあったんですよ。」

「……そ、そうだよ。相楽さん、霞ヶ丘先輩っ!!」


 編集さんはあたしという救世主がやっと現れたみたいな顔になった。ほんと、こういう表情の編集さんは結構かわいいんだけどな。でもね……


「あら嵯峨野さん、ここでは急に倫理くんの肩を持つようになるのね。」

「ええ。だって編集さん、大学と仕事とシナリオ作りで忙しそうじゃないですか。だからきっとあたしが大学の食堂で見かけた恵ちゃんとデートしてた男性は、編集さんのわけないですよね!」

「っ…………」


 あたしは舌をぺろっと出す。編集さんの『詭弁』には最初から気づいていたっつーの!!


 ☆ ☆ ☆


「はい、すみませんでした。今日の会議のこと恵に指摘されるまですっかり忘れてて気づいたらこの時間になってたんです間違いありませんっ!!!」

「もはや弁解の余地もないわね。罰として今夜一晩ずっと一緒に寝てあげてもいいわよ。」

「そんな罰聞いたことないですからというかそれしたら恵に殺されるので勘弁してください!」


 ようやく安芸被告は本当の遅刻の理由を白状し、霞裁判長によって有罪判決を言い渡された。

 ちなみに、恵ちゃんへ『タキくん来ないけどまだ一緒にいたりする?』とこっそりチャットを入れてあげたのはあたしだ。恵ちゃんからの返信によると、四限の授業が終わるときまではタキくんも会議のことをちゃんと覚えていたらしいのだけど、恵ちゃんと話をしていたらいつの間にか『今日は会議の日』という記憶がごっそりタキくんの頭の中から消えてしまったんだそうだ。まぁこれも恵ちゃんがタキくんから聞いた話らしいので、どこまで真実なのかわからないけれども。


「そんじゃあ〜、やっと今日の本題。『純情ヘクトパスカル』の会議を始めよっか。」


 時間は19時半か。今日は一体何時に帰れるのやら。

 でも、内心はもうちょっと編集さんを弄って楽しんでいたかった気もするけれど……


「何を言ってるの嵯峨野さん?」

「…………へ?」

「次は嵯峨野さんの番よ。『なぜそこまで倫理くんを監視しているのか?』についての審理が終わってないわ。」

「いやだからあたしは『監視』とかしてないしたまたま大学で恵ちゃんと編集さん見かけただけだし、お願いだからそろそろ会議を始めませんか〜?」


 なお、こちらの審理の方はもはや放心状態の編集さんにも却下された(正確にはただの無反応)ため、めでたく順延となったわけで。するとどこかから『ちっ』という大人気ない声が聞こえてきたりして。

 その声の発信元は、会議室の机の中央に置かれたスマホから。よく見るとそのスマホにはしっかりとマイクが取り付けてあって、なんと通話中の状態になっていたりして。


 ……このスマホ、町田さんのスマホだよね!???


 ☆ ☆ ☆


 結局今日の会議が終わったのは22時を少し回った辺りだった。

 その後も霞さんの精神攻撃を受けまくってもはや使い物にならなくなった編集さんの代わりに、あたしが進捗の確認、及び今後の作品の方向性を確認したという具合だ。編集さんは精魂尽き果ててしまったようで、この様子じゃ木の枝でつんつんしてもぴくんとも動かないだろうな〜。完全にぐったりしている。


 それにしても霞さん、今日は一段と編集さんへの風当たりが強かったな。いや、よく考えたらあたしにも……?

 霞さん、なにかあったのだろうか? 東京駅のこと? 短編集のこと?

 いろいろ思い当たる節が確かにあるにはあるんだけど、何が正解なんだろうか。


「……編集さん、大丈夫?」


 少し考え事をしたいという霞さんを会議室に残して、あたしと編集さんは先に帰路についた。

 冷たい夜道を少しふらふらしながら、顔をうなだれて帰る編集さん。そういえば『純情ヘクトパスカル』の担当編集になってから2ヶ月くらいだっけ。会議を完全に忘れるという失態をしてしまった編集さんは、かなり落ち込んでいる。

 まぁ落ち込んでいる理由は、もちろんそれだけではないのだろうけど。


「ふふっ、自業自得だね。」

「ああ、そうだよ。……すみません、嵯峨野さんにも迷惑かけてしまって。」

「後で恵ちゃんにでも慰めてもらったら? 少なくともその役目はあたしじゃないよね。」

「こういうときの恵、ものすごい冷たいからなぁ〜」

「だから、自業自得だよね。」

「…………はい。」


 あ、そうだ。あたしはふと思い出したように、鞄の中をもう一度確認する。

 だけど、やはり入れていたはずの場所に、それはないんだ。


「ん、どうしたの嵯峨野さん?」

「いや、鞄の中に入れてたものがいつの間にかなくなってて……」


 それは、恵ちゃんが書いているシナリオを印刷したもの。

 あの会議室に入ったときは確かにあったんだ。だって、霞さんが会議室に来るまであたしはずっとそれを読んでいたんだから。

 それがいつの間にかあたしの手元からなくなっていることに気づいたのは帰ろうとしたとき。


 情報漏えい……と言ったって、不死川書店の会議室で紛失したのは間違えないしなぁ〜

 ……ま、いっか。


「ううん、なんでもない。編集さん、明日は元気出してくださいね。」


 あたしは何かをごまかすように、タキくんへ笑顔を返した。

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