煌めくメインヒロインの微笑みかた
名古屋駅のホームには5月の夕暮れの日差しが入り込んでいた。
一泊二日の伊勢・名古屋のロケハンはいよいよ終わりの時を迎えようとしている。
短い時間のはずなのに、とても長く感じた2日間。あたしは疲れと寝不足が相まって、身体が少しふらふらしてる。
そりゃもう、いろんなことがあったもんね。その様々な記憶を頭に思い浮かべながら、あたしはゆっくり目を閉じ、そしてまたもう一度開いた。
「相楽さん、大丈夫ですか?」
すぐ隣にいた編集さんの声で、また目を閉じていたことに気づく。
「あ、うん。大丈夫だよ。……多分だけど。」
あたしは半分笑ってごまかしてみたけども、こんな風に返すのが精一杯だった。
ふふっ、こりゃもうダメだね。新幹線の中ではゆっくりと寝てよっと。
ぱたん。
あたしの胸の中に、編集さんの体温が伝わってくる。今朝のあの時も感じた、あの温もり。
このままずっと時が止まってしまえばいいのに――
……え。
「はーい、真由。調子に乗るのはそこまでよ。寝るんならお
「わわわわ~。ごめんなさいっ!!!」
どうやら立ったまま編集さんに寄りかかってしまっていたようだ。目を開けると、英梨々の怒った顔があたしの視界に飛び込んできた。英梨々はすかさず、あたしの身体を編集さんから引き離そうとしている。
あたしはやや慌てていた。周囲を見渡すと、編集さんや恵ちゃん含めて、みんな呆れ顔だ。
そんなつもりはなかったのになぁ……。
というより、なんで英梨々が一番怒ってるの!?
☆ ☆ ☆
帰りの新幹線では、3人席の真ん中に座らされた。それは『真由と倫也をこれ以上近づけたら何が起こるかわからない』という英梨々の一言によって決まった席だった。ちなみに隣の窓側には恵ちゃん、通路側には美知留さんが座っている。
それにしてもなんだかそれって、あたしが見境のないどうしようもない女扱いされてるようで、なんだかなぁ~という気分だ。行きの新幹線ではあんなにみんなであたしのことを
……あれ? そういえば行きの新幹線での陰謀って、結局主犯は誰だったんだろ?
名古屋駅を出発したばかりのゆっくりと走る新幹線の中で、あたしはひとりひとりの顔を確認しながら、黙々と頭の中を整理してみた。
『いいかい、倫也くん。名古屋までずっとあの子の隣の席にいて、メインヒロインを嫉妬させるんだ。』
伊織さんと編集さんのこんなひそひそ話を、東京駅で聞いてしまったところから始まった今回のロケハン。伊織さんの言う『メインヒロイン』は恵ちゃんで、『あの子』というのはあたしのことだった。
これだけならなんの違和感もない、単なるドッキリというかいたずらというか、ゲームシナリオを完成させることを目的としたひとつの作戦に過ぎないって、あたしもそう思ってたんだ。だからあたしもその作戦を聞いてしまったけど、とりあえず静観してようって。
でも――
『うん、とりあえずあたしの用は一旦済んだ。』
この英梨々のたった一言が、あたしを困惑の底へと突き落としたんだ。
なぜなら、これが作戦開始の合図となっていたから。
伊織さんと編集さんだけの作戦であれば、その意図は明確だし、何一つ違和感もなかった。でも、そこに英梨々が加わったことで、話は一気にややこしくなる。というのも、一歩間違えると恵ちゃんを傷つけてしまうような伊織さんの作戦に、英梨々が素直に従うとは思えなかったんだ。
それを裏付けるかのように、英梨々はこんなことも言っていた。
『何言ってるのよ、恵? あたしはあたし。誰の味方でもないわよっ!』
英梨々は自分の意志で伊織さんが話していた作戦に便乗していた。そう、それは楽しんでいるようでもあり、この作戦のターゲットと思われる恵ちゃんとあたしを傷つけようとかそんな意図はとても感じられなくて、むしろあたしたちを励ましているようにも感じられた。
それを恵ちゃんも多少なりとも理解しているようだった。……いや、そうじゃなくて、恵ちゃんはこの作戦の存在自体に気づいているようだ。
……どうして? あたしは伊織さんと編集さんの会話を聞いてしまったから、誰かが何かを企んでいることはなんとなくだけどわかってはいた。でも、恵ちゃんはそんな前提条件などないはずなのに、それでもその作戦とやらに自ら気づいたんだ。
もしかしたら……
「……前にも似たようなことがあった?」
あ―― あたしは思わず思ったことを口に出してしまっていた。
ふと横を見ると、ゲームのシナリオをPCに打ち込んでいた恵ちゃんが、にこっと笑みを返してくる。
それは、まさに何もかもを納得してるかのような、そんな笑顔で――
「真由さん、お疲れさま。楽しかったね。」
「え? ……あ、うん。」
拍子抜けするようなその声に、あたしも思わず笑みを返すしかなかった。
「……楽しかった……のかなぁ~?」
ううん、そうじゃないんだけど――
なんだかちょっと納得がいかなくて、恵ちゃんに聞こえるか聞こえないかくらいの声で思わずそうこぼした。
「真由さん…………いろいろごめんね。」
「えっ……?」
どうして恵ちゃんが謝るの?
「今回のロケハンさ、わたしたち『blessing software』のごたごたに、本来関係ないはずの真由さんを巻き込んじゃったみたいで。」
「恵ちゃんに謝らなきゃいけないのはあたしの方だよ。行きの新幹線から騒ぎっぱなしで、ずっと迷惑かけっぱなしで……恵ちゃんの気持ちも完全に無視しちゃったし。」
「あー、それはー…………。」
すると恵ちゃんはあたしを飛び越えた先の通路側の方をちらっと向いた。
……え、美智留さん?
美智留さんは相変わらず片耳にイヤホンをつけたまま、目を瞑っているようだった。そんな美智留さんが、何か関係あるとでもいうのだろうか?
「でも、そこは真由さんが気にするとこじゃないよ。やっぱり。」
恵ちゃんはいつもの笑顔で、あたしに微笑みかけてくる。
何一つ曇りない、明るいメインヒロインの笑顔で――
「で、でも。あたしは…………」
あたしは自分の気持ちに正直になればなるほど辛いというのに、どうしてそんな風にいられるのだろう?
「真由さんには真由さんの本音があるように、わたしにもわたしの都合っていうのがあるんだよ。だから、むしろ気にしてほしくないなって。」
「恵ちゃんの、『都合』……?」
なんのことだろう?
あたしが編集さ……タキくんに本気になる方が、恵ちゃんとしても好都合ってこと?
……そんなことあるの? それって、単なるあたしの自分勝手な解釈だよね?
「だから、真由さんはそのままでいてほしいなって。」
「……はぁ。」
だけど恵ちゃんは、まるであたしを励ますような声で、そんなことを言ってくるんだ。
「それでね……。ごめんね真由さん。今からもうちょっとだけわたしたちに付き合ってくれるかな?」
「…………え。」
なんの話かよくわからないままあたしはぽかんと恵ちゃんの話を聞いていたら、恵ちゃんはあたしとの話はここまでと決め込んだのか、急にその表情を一変させた。
「さてと。」
それは、あたしに見せる優しい表情ではなく、とても強い意志を感じられる……そう、まさにメインヒロインの本気モードという表情に変化したんだ。
「美智留さん。いつまで狸寝入りしてるのかな?」
恵ちゃんはぎゅっと手を伸ばし、寝ている……と思ってたけど……美智留さんの膝をほんの少しだけ、軽くつねった。
「いたたたた。何するの加藤ちゃん!??」
美智留さんの悲鳴が響く。
……って、その反応は明らかにオーバーだ。怒ったというよりはもっと別の理由で――まるで隠し事がバレた時のような、美智留さんはそんな反応を見せた。
ていうか、さすがに今の反応は不自然だよね。本当に狸寝入りだったんだ。
でも、なんで恵ちゃんは狸寝入りってわかったんだろう?
「今回わたし、美智留さんと全然話できてなかったなーって。」
「あ……うん。」
美智留さんの顔がやや青ざめていくのがあたしにもわかった。
「だから今から少しだけ、話をしよっか? ……あ、でも電車の中で電話とかしてたらまずいから、イヤホンとマイクはそのままでいいからね。」
「っ…………。」
美智留さんは観念したような顔で舌打ちをした。
え、イヤホンとマイク?
あたしは恵ちゃんの視線の先を見てみた。すると、美智留さんの胸ポケットにマイクっぽいものの存在を確認した。
……………………ん???
「あ、あら、加藤ちゃん。ず、随分と、強気じゃないの。き、昨日までちょっとピンチで、子供みたいに
おどおどしながら美智留さんはそんなことを言い始めた。
……口走っているセリフは随分と強気なのに、口調の方は全く真逆で相当弱気だ。
「美智留さん、無理しなくていいよ。……あ、でもマイクとイヤホンはそのままでね。」
「っ。鬼っ! 悪魔っ!!」
美智留さんのそれは、完全に悲鳴にしか聞こえない。
「でも美智留さん。これって、わたしたちの問題のはずなのに、そこに真由さんを巻き込むのはさすがにあんまりじゃないかなー。」
え、あたしのこと?
「な、何言ってるの加藤ちゃん。関係ないって言うんならあたしだって……じゃなかった、私は嵯峨野さんの後押ししてあげただけよ。そこを非難されるのはさすがに心外だわ。それにあなただって、全然関係のない出海ちゃんを巻き込んでたわよね? そういう意味ではお互い様じゃないかしら。」
「わたしは出海ちゃんに真由さんの様子を探るよう頼んだだけ。もっとも英梨々のせいで全然探れなかったけど。だってあの時、他に信頼できる人が誰もいなかったから。」
「そうね。その他のメンバーは
美智留さん、必死に応答するばかりで、もはやところどころ美智留さんの台詞ではなくなっていた。というより、最後の方は美智留さんの口調ではなく、明らかにやけくそだ。なお、顔は今にも泣き出しそうな状態が続いている。
そうか、そういうことだったんだ……。
あたしは『嵯峨野文雄』として絵を売ってるけど、その正体があたしということは一般的には知られていない。だから、あたしを『嵯峨野さん』と呼ぶ人は実は限られている。もちろんその中に美智留さんは含まれていない。
そう、あたしをその呼び方で呼ぶのは、『純情ヘクトパスカル』関係者。
町田さんと編集さん、そしてもう一人――
「ところで、今回わたしを陥れる目的ってなんだったんですか? しかも前回と同じ手口で。」
「それは違うわ加藤さん。今回は嵯峨野さんのスランプを抜けさせるのが目的だったのよ。」
「だったらわたしを巻き込む必要なんて、最初からなかったんじゃないかな〜?」
「それは単なるついでよ。まんまとあなたは慌ててくれたみたいだし。」
「……まぁーいいや。あと一時間ほどで東京駅に着くし、そしたら倫也くんとわたしは――」
すると恵ちゃんは、窓の外を眺めながらしたたかな笑みを浮かべ、最後の言葉を曖昧にしつつもそう言い放った。
「ちょっと、加藤さん! ひょっとしてあなた、最後に何かを企んでいるの!?」
「さぁー?」
「こんな時までフラットになってんじゃないわよこのブラック副代表がっ!」
「ふふふっ。そんなに不安だったら、東京駅まで来ますか? 先輩っ。」
「……………………」
恵ちゃん…………。
鳥肌が立ち、寒気と恐怖が同時にあたしを襲ってきた。
美智留さんも呆然と、なんだか魂の抜け殻のようになっていたけど、しばらくするとぷつんと何かが切れたかのように、ようやく素の表情に戻った。
「…………あれ? もしも〜し!!」
――――
「美智留さん、お疲れさま。いつも巻き込んじゃってごめんね。」
「そう思ってるんならあたしにこんな酷い仕打ちやめてよ~!!」
「あー、そこはお互い様だよね。」
そして恵ちゃんは美智留さんに対しても、ようやくあたしに見せたような優しい笑みを返す。
ゲームのクライマックスシーンから切り出されたような笑顔は、窓から入り込む夕焼けを背景に、きらきらと輝いている。
☆ ☆ ☆
その後間もなく、美智留さんは寝息を立てて本当に寝てしまった。
あたしはもう少しばかり恵ちゃんと大学の話などで盛り上がっていたけど、やはり寝不足だったせいか、気がつくと新幹線は品川駅を出発していた。間もなく終点の東京駅だ。
ふと窓側の席を見ると、恵ちゃんの寝顔がそこにあった。
「……恵ちゃんの言う『都合』ってなに? 本当に本気になってもいいの?」
恵ちゃんの寝顔を見ながら、誰にも聞こえないくらいの小さな声で、あたしはそう溢していた。
でも、あたしはあたし。このままタキくんに本気になっていいってことなんだろうか。
……本当に恵ちゃんもそれを望んでいるの?
そして、新幹線は東京駅のホームに滑り込んだ――
新幹線が完全に停止する頃、恵ちゃんはゆっくりと目を覚ました。
「名古屋からあっという間だねー。あたしは全然寝足りないよ……」
美知留さんは両手を伸ばしてあくびをしながらそんなこと言っている。そしてふと窓の外を見た。
するとそこには、明らかに不機嫌そうな黒髪ロングの女子大生の姿が――
……その姿を確認した美知留さんは両手を伸ばしたまま、その場で固まってしまったわけだけど。
と、とりあえず、新幹線を降りようか……?
「わー、霞ヶ丘先輩だー。お久しぶりですー。」
出海ちゃんは久しぶりに会った霞さんに対して、無邪気な声で近づいていった。
その後を追いかけるように、『blessing software』の面々も霞さんの周囲に集まっていく。
「詩羽先輩…………。あの〜、原稿書き上がったんですか?」
「あら倫理くん。駆けつけ一番で流石にそれは無粋な質問だわね。今日は私の絵のパートナーが皆さんにお世話になったようだから、その御礼に来てあげたというのに。」
「……霞さん、そこであたしをわざわざ
編集さんの質問もたしかにあれだけど、霞さんも霞さんだよね……。
――わざわざ東京駅に来た理由はそうじゃないでしょうが。
「まったく、何しに来たのよ。さっきまでずっとこそこそと覗き見みたいなことしてたみたいだけど。」
「あら澤村さん、覗き見なんて人聞きが悪いわね。……ちょっと氷堂さんのマイクを拝借しただけよ。」
「これのどこが『ちょっと』なんですか〜!???」
美知留さんは納得いかない様子で、怒鳴る……というより、悲鳴を上げている。
それはもうこんな役、二度と御免という表情だ。
「倫也くん。とりあえず『blessing software』の関係者もようやく全員揃ったようだし、ここで一本締めしようか。」
「ああ、そうだな伊織。……それでは皆さん、お手を拝借っ!!」
そして、編集さんとともに皆が両手を手前に出した、その瞬間――
「あ、待って。倫也くん。」
恵ちゃんがそれを制止する。
次の瞬間、恵ちゃんの両手は編集さんの顔を掴み、自分の顔の方へ近づけていく。
そして、恵ちゃんとタキくんの唇と唇が、ゆっくりと触れ合った――
「……………………」
「……………………め、恵っ?」
あまりの唐突の出来事で、編集さんは何が起きたのか、わからないような顔をしている。
もちろん2人にとっては初めてのキスではないのだろうけど……。
どうしてこの場で?
なんだかよくわからないけど、あたしの中でもざわざわするものがあった。
「倫也くん、今年もゲーム作り、頑張ろう。わたしも最高のメインヒロインになってあげるから。」
「ど、どうして……このタイミングで?」
「だってここ、出発の駅の東京駅でしょ? だから、なんとなく。」
恵ちゃんはいたずら好きな女の子のような顔をして、そんな風に答えた。
……そっか。だから霞さんを呼びだしたんだ――
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