泣き虫絵描きの採点のしかた

 栄で櫃まぶしを食べた後、あたしたちはまた分かれて行動することになった。


 恵ちゃんと出海ちゃんと編集さ……タキくんは、地下鉄に再び乗り、名古屋城の方へ向かった。ゲームに出てくる中都市について、もう少し詳しくそのイメージを練り上げるんだそうだ。

 ……それにしてもこの呼び方、どこかのアニメみたいでどうもしっくりこないなぁ~。


 てっきり美智留さんと伊織さんも一緒に名古屋城へ向かうのかと思いきや、美智留さんはアコースティックギター片手に大通り公園へ消えていき、伊織さんは昔の知人と会うとかでひとりどこかへ行ってしまった。

 美智留さんは地下鉄には乗らず、栄から歩いて名古屋城へ向かうらしい。美知留さんいわく、その方が曲のイメージが湧きやすいんだとか。それにしてもなんだかんだいって、美智留さんのゲームにかける情熱も凄まじいよね。

 対象的に伊織さんはマイペースでのらりくらりといった感じだ。でもこんな具合に営業活動をしているのかなという気もしていて、もしそうだとしたらやはりこれもゲーム制作の一環なのかもしれない……? いや、わからないけど。


 あたしはというと…………。


「ねぇ、英梨々?」

「………………」


 そこは、栄から南に少しばかり歩いたところの、大須にある喫茶店で……


「英梨々ってば……?」

「………………」


 あたしと英梨々は向かい合い、喫茶店自慢の一杯のブレンドコーヒーを戴いた後……


「おーい、えりりーん?」

「その呼び名だけは絶対NG! 真由は大人しくあたしのモデルしてなさい!!」

「……あ、反応した。」


 そう。あたしと英梨々は向かい合ってお互い絵を描き、お互いモデルとなっていた。

 ……てゆかそう呼ばれたくなかったらもうちょっと早く反応してよ!


「英梨々、あたしをモデルにした絵で『恋メト』の二次創作するって本気なの? それ、今までの柏木エリと少し系統が違うような……?」

「売れればなんでもいいのよ。あたしが霞詩子の作品を題材にしたらその話題性で売れないはずないんだから。」


 英梨々は凛とした表情で、そう答えた。

 柏木エリと言えば、『オタクのエロ同人作家』とどこかの暗黒作家さんが評していた気もするけど、それはもはや過去の話。少なくとも既に単なる同人作家ではないのは、誰もが共通認識のはずだ。今や『フィールズ・クロニクル』のイラストレーターとしてその名も十分なほど馳せているので、そうなるともはや同人で描くジャンルを問う必要もなくなったのかもしれない。

 そりゃ柏木エリを『フィールズ・クロニクル』で初めて知った人が、コミケ行くとそっち系のイラストしかないことに気づいたら、さすがにちょっとどんびきするだろうしね。実際に『blessing software』以前はそれしかなかったわけだけど。


「まぁそこに関しては否定する気はないのだけど……でも、あたし『恋メト』の真唯に顔は似てても、性格は真唯ほど器用じゃないし、モデルなんかになるかどうか…………。」

「うん、確かにそうね。その辺りどうしようかしら?」

「…………そこ、全く否定する気はないみたいね。人を勝手にモデルにしておきながら。」


 英梨々はちょっと困った表情をして見せる。なんだか悪戯好きの女の子が、次に繰り出す一手を必死に考えているような顔だ。


「そういう真由はあたしを使ってまたアンジェを描いてるんじゃないの?」

「ううん。今度は別のイラストだよ。」

「じゃー、恵が書いてるゲームのキャラクター?」

「違うって。そっちでもないよ。」


 それにしても霞さんも恵ちゃんも、なんで英梨々みたいな女の子をそんなに文章で書きたがるんだろう? しかもどれもとびっきりピュアな正統派メインヒロインだし。

 しかも、それを絵で描くのは全部あたしだし。


「まさか、例の小説の!??」

「そのまさか。」

「真由、それを描けないんじゃなかったっけ?」

「まぁ、昨晩あれだけ練習したからねぇ~……」


 練習というのかなんというのか、あたしはただ楽しく絵を描いてただけかもしれないけど。

 ……でも、もう迷いはなくなっていた。


 昨日だって英梨々は、あんなに強気な笑顔を絶やさずいつも見せていたし。

 だけど最後は耐えきれなくなって、あんなに本音をぼろぼろ呟いて泣いていたし。


 そしてあたしだって、英梨々に負けないくらいの恋愛をしてみせるって――

 英梨々だけではなく、誰にも負けない本気の恋愛をしてみせるって、心に決めたから。


「ちょっと。途中でもいいから見せなさいよ!」

「やだよ。ちゃんと描き終わってから見せるから。」


 いつの間にか真横に座っていた英梨々は、横からぎゅーっと近づいてきて覗き見しようとする。それに気づき、あたしはスケッチブックのそのページを指に挟んだまま、ぱたんと閉じた。


「そん生意気な子にお姉ちゃん育てた覚えはないわよ! いいから見せなさい!!」

「こんな時だけ義姉おねえちゃん宣言やめようね。……じゃなくて、英梨々に育ててもらった人生の記憶なんて1ミリもないから!!!」


 反発する英梨々はあたしが指を挟んでいた場所とは違うページを掴んだ。


「ちょっと、英梨々っ!!!」


 が、あたしの抵抗もむなしく、次の瞬間、英梨々は掴んでいたページを強引に引っ張った。するとスケッチブックのリングから、隣り合った2枚のページがびりびりと抜け落ちていった。

 あたしはその剥がれ落ちた2枚の紙を確認する。絵の方は破れることなく、無事その四角い紙の形をちゃんととどめていた。英梨々はちゃんとその点も計算して剥がしたようだ。

 それにしたって、本当に強引なんだから――


 あれ、そのページって…………


 あたしはその2枚の絵に描かれた内容を確認した瞬間、頭の中がみるみるうちに真っ白になっていった。どうしてよりによってそのページが……と声になることもなく、ただ呆然としている。


「あ、ごめん。真由。」


 英梨々はその剥がれ落ちたスケッチブックについて、まず謝ってきた。どう見ても確信犯で、英梨々はそれすら隠す様子はないようだけれど。

 でも、まだそのページに描かれた絵の内容には、気づいていないようだ。


 それにしても、なんでよりによってその2枚なのよ~!!!!


「……ん、どうしたの真由?」

「……………………」

「…………え、この2枚がどうかした?」


 あたしの視線がその絵にあることに今更気づいた英梨々は、絵に描かれた内容を確認しようとする。


「み、見るなー!!!!」


 と、あたしは思わず大声を出して、その絵を奪い返そうと手を伸ばした。

 ……が、その悲鳴も空しく響くのみで、英梨々はくるっとその指先にあった絵を確認し始めた。


 あたしは多分顔を真っ赤にしている。

 それを見て、どうせこの泣き虫娘はまた笑い飛ばしてくるんじゃないかと。

 あたしは、そう思っているけども――


 2枚の絵――それは、どちらもタキくんの顔だ。

 朝日を一杯に浴びながら笑っている顔、それと、

 紙いっぱいに描かれた、あたしの身体を下敷きにしてなんとも言えない表情の顔。

 ……今朝、寝ている英梨々の横で描いた、まさにその2枚の絵だった。


 当然だけど、あたしが英梨々に見られたくなかったの2枚目の絵の方だった。だって、この時あたしは思い出すだけでも恥ずかしくなるような、恐らくとんでもなくまぬけな表情をしていたから。

 編集さんと身体を密着して、編集さんの全体重があたしの上に乗っかってきて――そんな状況、オタクなあたしがまともな反応できるわけないじゃん!!

 ……でも、編集さんの顔も十分まぬけだった。だからあたしは、頭からその顔が消えないうちにスケッチを残したんだ。


 ………………………………。


 すると英梨々は、くすくすと笑い始めた。

 ちょっと意外な、優しい笑顔。

 あたしの内面の全てを覗き見したような、あたしの全てを包み込んでくれるような――

 そんな笑顔で。


「……ねぇ…………英梨々?」

「いいじゃん、この絵。あいつのマヌケな顔、ちゃんと描けてるじゃん。」


 英梨々の声ははっきりと、ただどこかか細い声だった。

 英梨々はじっと、あたしのその2枚の絵を見つめている。

 笑顔のまま、ずっと――


 あれ? ……高評価!??

 それにしても、英梨々にこんな風にあたしの絵を評価してもらうのって、初めてなんじゃないかな。これまでだってあたしの絵は何枚も見てもらってるはずだけど、こんな風に言われたのは初めてだ。

 でも、こんなあたしのちょっとマヌケな絵、本当にいい絵だと思ってるのかな?

 あたしにはどうしてもそこがちょっと信じられなかった。


「英梨々。この絵、本当にいいと思ってるの?」

「……真由、ちゃんと描けたじゃん。あたしの知ってる、あいつの顔。」 

「…………え?」


 英梨々はやっと聞き取れるくらいの小さな声で、そう答えた。


 英梨々の知ってる編集さんって、どんな人なんだろう?

 恐らくは、『blessing software』で最も長い時間を編集さんと共有してきた英梨々。

 長くまともに会うことすらなかったそんな時間だって、英梨々の中には編集さんがずっと離れずにいた。


 だけど今はこうして、あたしの編集さんの絵で、笑っている。

 ピュアなその笑顔は、今までの辛くて苦い記憶の全てを消してしまえるんじゃないかって。

 でも、本当にそう思えてしまうくらいの魔力があった。


 英梨々はあたしの絵によって、様々な記憶を蘇らせたってことだろうか。

 英梨々の内面に閉じ込められた、魔物のような編集さんとの記憶の数々を――


 それからちょっとだけ間があった。

 何があったんだろうと英梨々の顔を横から覗き込むと、その笑い顔はいつもの泣き顔に変わっていたんだ。


「あれ、おかしいな。あたし、今まで他の人の絵で泣いたことなんて、一度もないのに。」

「英梨々…………?」


 喫茶店の四人がけテーブルで、隣りに座っている英梨々はぽろぽろと涙を溢し始めた。

 あたしは思わず、ぎゅっと英梨々の身体を両手で抱きしめる。

 すると英梨々もあたしの胸元によりかかり、その全体重をあたしに委ねてくる。

 小さく小柄な英梨々の身体は、ますます細く感じた。


「ごめんね、英梨々。あたし変な絵を描いちゃって。」

「いいよ。だって、この倫也の馬鹿面ばかづら、本当に最高だもん。」

「……こんな絵でそんなふうに評価されるのって、なんだか複雑だけどね。」


 英梨々は下を向いたまま、あたしの身体に包まれて、まだ泣き止む様子はなかった。

 その綺麗な黄色の髪に覆われた頭を、あたしはすっと撫でた。

 さらさらの髪があたしの指先に触れる。

 そこから英梨々の体温が伝わってきて、その感触はなんだか温かかった。


 そしてあたしは、まだ顔を見せようとしない英梨々に、こう宣言した。


「あたしさ。英梨々の言う『本気』になる決心、もう固めたから。」

「いいよそんなこと改まって言わなくても。この絵を見ればそんなのすぐにわかるから。」

「……え、そう……なの?」


 すると英梨々はやっと顔を上げてこんな風に言ってくるんだ。


「だって、この倫也の顔、あたしのことを好きだった倫也にそっくりだもん。」

「……え?」

「あたしを追い求めていた倫也の顔に、そっくりだもん。」

「…………ええっ??」

「倫也のこんな顔を見たくて、あたしは必死に絵を描いてたんだもん。」

「ちょっと……それってひょっとして編しゅ……タキくんって!??」


 英梨々の唐突の宣言の仕返しに、あたしはどう受け止めていいのかわからなくなってしまった。


「だから真由も必死に絵を描けば、ちゃんと倫也だって応えてくれる。そんな顔だよこれ。」

「……………………。」


 英梨々は笑顔に戻って、そんなことを飄々と言ってくるのだ。

 ……なんだろ、すっごく嫌な予感がするんだけど。

 すると会話の内容は、間もなくその嫌な予感の方へ自ずと向いていくんだ。


「でも、この絵。恵には絶対に見られないほうがいいわね。」

「なんで!???」

「こんな倫也の絵を見たら絶対あの子ネチネチと仕返ししてくるし。そう、フラットな顔で。」

「いや、だからその…………」


 その絵を見られるより前に、まさにその現場を目撃されてしまったのですが恵ちゃんに!!!

 あたしは愕然として、ただただ溜息しか出なかった。


「まぁこの絵は返すから。でもこんなに笑えた絵は久しぶりだな。ありがとう。」

「…………どういたしまして。」


 すると英梨々は、ようやくその2枚の絵を、あたしに返してくれた。

 あたしはちょっと安堵して、『絶対に恵ちゃんに見られてはいけない2枚の絵』を英梨々から受け取る。恥ずかしい絵ではあるけど、あたしにとってもお気に入りの絵だったから。


 ふふふっ…………

 手元に戻ってきたその絵を再び目にして、あたしは思わずにんまりと笑みがこぼれた。

 ……それにしても英梨々? 『笑えた』じゃなくて、『泣いた』の間違えだよね。


「でもさー、真由?」

「なに、英梨々?」

「さっきのあの2枚目の倫也の顔のドアップ、そのとき真由ってどういう姿勢でいたの?」

「……え。それ、今更!???」


 あたしはもはや笑ってごまかすしかなかった。


 ふと窓の外を眺めると、足早に歩く名古屋の人々の姿が目に入ってきた。

 こうやって見ると、周りの景色がいつもと違うだけで、東京とあまり変わらない光景のようにも思える。

 もうすぐ、伊勢・名古屋の旅も終わりだね。

 あたしはこのたったの2日間の思い出を胸にして、次の一歩を思い描こうとしている。


 霞さん。ちゃんとお土産持って帰るからねっ!

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