名古屋の櫃まぶしの召し上がりかた

 伊勢・名古屋のロケハン2日目の朝。

 宿で少しだけ各々の作業を進めた後、あたしたちは名古屋へ向かった。

 ……それにしてもやっぱし眠い。


 『blessing software』第3作目の舞台は、いつもの東京都内某所の坂道と、そことトンネルで繋がる歴史ロマン溢れる中都市が舞台という設定らしい。その中都市というのは異世界的なものになるとのことだけど、モデルになるのは名古屋という話なんだそうだ。

 名古屋へ向かう途中の電車の中で、出海ちゃんからその都市のラフ絵を見せてもらっていた。


 その都市のメインシンボルは主に3つ。

 一つ目は、東京タワーを小さくしたような近代的なタワー。

 二つ目は、殿様が住んでいるというお城。……これは恐らく名古屋城かな。

 そして最後の一つは、やや不思議な形をした……見様によっては女性の胸を彷彿してしまいそうな、ドーム状の建物だった。


 あたしは名古屋へ行ったことがなかったので、そのモデルの実物は二番目の城くらいしか頭に思い描けなかった。だけど、稀に野球を観る兄から、『ナゴヤドーム』という単語を聞いたことがあったので、最後の一つの絵は恐らくそれがモデルなのだろう

 ……そしたら、最初の一つのタワーは何だろう?


「ねぇ出海ちゃん、このタワーみたいなのは何?」

「名古屋へ着けばわかりますよ!」


 出海ちゃんは間もなくたどり着く懐かしい名古屋を想いながら、笑顔でそう答えた。


 賢島から名古屋まで特急列車で約2時間。

 流れるような車窓を眺めながら、あたしはここ伊勢での思い出を振り返る。

 ……ふふっ。あたしは様々な思い出を胸に、三重県を後にした。


 ☆ ☆ ☆


 名古屋駅に到着した後、地下鉄東山線に乗り換えた。

 伊織さんは『オタクの聖地の大須へ向かうならバスの方が便利だよ』とも言っていたが、特に今回はそれが目的ではないし、伊織さんが予約したお店が栄にあるとのことなので、バスではなく地下鉄を選んだんだ。

 ……その『大須』という地名に一瞬心を惹かれたのは、あたしだけではないとも思っているけども。


 地下鉄は名古屋駅から二駅で、栄駅に到着する。

 地上に出ると、想像以上に人が多く、文字通り栄えてる場所という感じだ。出海ちゃんの話では、ここが名古屋の中心街ということらしい。名古屋駅近辺はビジネス街らしい高いビルが建ち並ぶけど、デパートや今時の流行りのお店などはこっち栄の方が多そうだね。そういえばそんな名前のアイドルグループもあった気がするし。


 そしてあたしの目の前に、さっき出海ちゃんに見せてもらっていた絵とそっくりな塔が現れた。

 通りに挟まれた公園をまっすぐ進んだ先にある、やや小振りなタワーだ。


「あれ、テレビ塔って言うんです。中もちゃんと昇れるんですよ。」


 出海ちゃんは名古屋で暮らしていた頃の生活を懐かしむように、そう教えてくれた。確かに上の方に展望台らしきものが見え、それはこの辺りを一望できそうな程度の高さはありそうだ。


「テレビ塔ってことは、あそこから電波を送ってたりするの?」

「いいえ。地上デジタル放送になってから、テレビの電波をこのテレビ塔から送信されることはなくなったんです。その他の用途でも一時期使われてたみたいですけど、今はそれもなくなってしまったらしいので、単なるオブジェクトですよ。」

「……え、無職!??」

「無職かもしれないですけど、それを言ったら名古屋城も似たようなもんですし、名古屋城と並んでテレビ塔も名古屋市民の心の拠り所であることには間違えありません!」


 そうだよね。天下の名古屋城に今でも殿様が住んでたらびっくりだもんね。それでもこうして名古屋城と共に、この塔も名古屋市民を見守っているんだ。

 名古屋を陰ながら支えてくれる、そんな存在。

 あたしは出海ちゃんからそんな風に言われて、思わずくすっと笑みがこぼれた。


 あれ? ……名古屋城に殿様なんてもう住んでないはずなんだよね?

 あたしは目をこすった後、もう一度、目の前に現れたその街中の光景をよく見てみた。

 今、武将隊らしき人たちが踊ってて、その周りを大勢が取り囲んでいるようにも見える……

 ……んだけど、あたしは寝不足で疲れているだけだろうか?

 ――このご時世に武将隊が商店街に現れる名古屋って一体…………?


 ☆ ☆ ☆


 栄の街を少し歩いたところにその小料理店はあった。どうやら伊織さんが名古屋に住んでた頃の行きつけのお店なんだそうだ。愛知だけでなく、岐阜や三重といった東海地方自慢の食材をふんだんに使った料理が、とても美味しいお店らしい。

 今日はここでランチ。またしても3人と4人のテーブルに分かれて席についた。今回は、あたしの隣に編集さん、その向かいの席に恵ちゃんが座った。

 ……なんだろう、すごく居心地が悪いんだけど。


「メニューは出海ちゃんの兄さんって人が予約済みだってさ。……それにしても倫也くんも真由さんもすっごく眠そうだけど、大丈夫?」


 恵ちゃんのいつもどおりのフラットな笑顔に対し、ほんのばかしの笑みでごまかすしかなかった。

 おかしい。恵ちゃんだってほとんど寝てないはずなのに、なんでいつもどおりなんだろ? 店の予約をしてくれた伊織さんを『出海ちゃんの兄さんって人』と呼ぶところまでいつもどおりだ。

 ちなみに、編集さんは少なくともあたしよりは元気そうだ。朝、あの後、あたしが絵を描いている時間の分だけ、ほんのちょっとではあるけど寝たのかもしれない。


「……ごめんね、恵ちゃん。あたし全然寝れてなくて。」

「朝のことは気にしなくて大丈夫だよ。わたし一部始終見てたけど、あれはどう見たって『事故』だったし。」

「あの〜……『一部始終』ってどこからどこまででしょうか?」


 その、さりげなくさらっと返す恵ちゃん、本当にいろんな意味で怖い……。


「でも……真由さんがいい人で、本当に良かった。」

「あたし、『いい人』……?」


 なんでそんな風に思うんだろう?

 恵ちゃんはそこはメインヒロインらしい表情で、とびっきりの笑顔をしてみせる。


「なぁ。恵だってそんなに寝てないはずなのに、なんでそんなに元気なんだ?」


 編集さんは納得のいかない表情だ。まぁあれだけ拷問……もとい、一晩中『blessing software』の女性陣に脅されたり、あたしと夜を明かしたりしていたら、疲労困憊なのも無理はないよね。


「わたしはずっと絵を描いてた真由さんと違って、ところどころ寝てたし。だから大丈夫だよ。」

「え、あたしがずっと絵を描いてたのも知ってるの?」

「うん、知ってるよ。倫也くんが縛られてる時、みんなの顔を描いてたでしょ? 楽しそうだなって。」

「あー、あの時はあたしもお酒が入っていたし、他人に見せられた絵じゃないけどね。」

「それと、『朝、目が覚めたら真由が瞳を輝かせながら絵を描いてた』って、英梨々も言ってたし。」

「……やっぱし英梨々起きてたんじゃん。」


 あたしは小さくそうぼやいた。

 英梨々の狸寝入りは前にもあったけど、本当に寝ぼけた時の英梨々はその綺麗な顔に似合わず、油断も隙もあったもんじゃない。いつまで起きててどこまで寝てるのか、その境界線がわからなくて、あたしを困らせてばかりだ。


 そうこう話しているうちに、今日のランチ、ひつまぶしがテーブルに並んだ。

 伊織さんのチョイスが鰻とは、これまたなんとも豪勢な感じもしたけど、『blessing software』の売上を考えたら旅に一食くらいはこんなのもありなんだろうか。意外なメニューの登場にあたしの目は思わず潤んでくる。

 うな重だけとなるとボリュームたっぷりという感じでややどんびきしてしまいそうだけど、そこにお茶漬けという選択肢が加わるだけで、ちょっとおしゃれな印象が加味される。さらにそんなお茶漬けに合いそうな漬物も一緒に並び、色彩豊かなランチメニューとなっている。

 女性の多い『blessing software』にはぴったりなメニューだね。さすがは伊織さんだ。

 ……恐らく編集さんのチョイスではこうはいかないんだろうなぁ〜。


「「「いただきま〜す!!」」」


 編集さんも恵ちゃんも、これにはさすがに納得といった表情だ。


「嵯峨野さん、一晩中絵を描いてたんだね。スランプは抜け出せたの?」


 鰻を口に頬張りながら、編集さんはこんなことを聞いてきた。

 さすがにちょっと唐突じゃないかな、その質問……。


「せっかく人が美味しいものを食べてるときに、『嵯峨野さん』みたいな仕事の呼び方やめてよ。鰻がもったいないじゃない。」

「……って、なんだかサガノ……相楽さがらさん、昨日から俺に冷たくない?」


 あたしは舌をぺろっと見せた後、もう一口、鰻の切れ端を口に入れた。

 そのあたしたちの様子を見ていた恵ちゃんはなんともいえない表情で、でも笑っている。


「でもさ、真由さんって倫也くんのこと、いつも『編集さん』って呼んでるよね? ……あれ? でも今朝は『安芸さん』って呼んでなかったっけ?」

「ちょっ……恵ちゃん!? あの位置ってあたしたちの会話までちゃんと聞こえてたの!??」

「うん。ばっちり。まぁ倫也くんの長い会話には途中寝てたけどね。」

「……恵ぃ。『長い会話』とかそういう補足情報はいらないからっ!!」


 ううっ……全てを恵ちゃんに聞かれてたとは、恥ずかしい……というよりちょっと迂闊だ。

 あたしはあの時、今の想いの全てを、編集さ……安芸さんにぶつけていたつもりだったから。


『あたしを、もっと『本気』にさせてくれないかな?』


 これが、今のあたしの精一杯の気持ちだった。

 まだまだ自分は絵描きとしても、女性としても未熟だ。

 そんなことはわかってる。


 それを、こいつ……安芸さんがどこまで理解できてるのかは当然わかってないし、恐らくあたしの気持ちなんて知ったこっちゃないくらいにしか思ってないんだろうけど、それでもあたしは少しでもあんたに――


 だから、その気持ちの少しくらいは、安芸さんに伝わってほしいんだ。


「でも真由さん。『安芸さん』って呼び方、それも十分よそよそしくない?」

「……そうかな?」


 恵ちゃん、突然一体何を言い出すんだろう?


「だって、『安芸くん』だし、『倫理りんりくん』だし『倫也ともや』だし『倫也ともやくん』……だよ?」

「まぁ三者三葉よね……。」

「だったら真由さんも、それに対抗する呼び名でいいんじゃないかな?」

「とは言っても、あたしにとっては『編集さん』だし、それ以上でもそれ以下でもないし……。」


 あたしの思考回路はなぜかそこで止まってしまいそうだった。寝ぼけているから?


「そこだよ真由さん。」

「どこだよ恵ちゃん?」


 でも、それを恵ちゃんは許してくれそうもないんだ。


「さっき、自分で『仕事の呼び方が嫌だ』って言ってたじゃん。だったらさ、真由さんもビジネスライクな呼び方をやめてみるべきなんじゃないかな?」

「でも、あたしにとっては『編集さん』は『編集さん』でしかないし……」

「それ、今この状況で本当にそんなこと言えるの? なんだかそれ、わたしにとってもなんだかな〜だよ。」

「…………『この状況』かぁ〜。」


 あたしは、逃げてる……?


「でも、そしたらあたしは『編集さん』のこと、なんて呼ぶべきかな?」

「…………。」

「…………。」

「……………………『難聴鈍感主人公なんちょうどんかんしゅじんこうくん』?」

「ちょっと恵ぃ!! なんて呼び方を推奨してくれてるんだ!??」


 さすがにその呼び方はちょっと長いな。あたしは笑いを堪えることができないけどね。


「でも、そこは真由さんらしい呼び方でいいんじゃないかな?」

「じゃーさ……」


 あたしにとっての編集さん。編集さんは編集さんではあるけれども……

 でも、それ以外の編集さんといえば、あたしにはこれしか思いつかなった。

 霞さんにも、英梨々にも、恵ちゃんにも対抗するための呼び方。

 それは――


「タキくん……でいい?」


 あたしは、編集さんの顔を見つめながら、そう聞いてみた。

 ちょっと恥ずかしいけど、それでも編集さんを本気にさせてみたいから。

 だって、あたしにとっての初めての編集さんは、『TAKIくん』だもんね……

 町田さんと被ってしまうけど、あたしにとって一番呼びやすい呼び名には違いなかった。


「うん、それでいいよ。」


 編集さ……タキくんはにっこりと答える。


「……ま、普段は『編集さん』かもしれないけどね〜。」

「そうですかちょっとどきっとした俺の男心は全く無視ですか。」


 ふふっ。あんたの男心は、恵ちゃん一筋のくせによく言うよ。


 あ、そうだ……恵ちゃん…………!?

 あたしは思い出したように、恵ちゃんの顔をもう一度見てみた。

 いつもどおりフラットで、だけどもそれは――


「でもね真由さん、絶対に負ける気はないからね。」


 そう。それが恵ちゃんの今の表情だった。


「ふふふっ……。ノーコメント。」


 そしてこれが、今のあたしの精一杯。

 あたしも負けないくらいのフラットな表情で、恵ちゃんに対抗してみせた。


「……ところで、『勝ち』とか『負け』とか、何の話?」

「…………。」

「…………。」

「……………………。」

「……………………あ〜、櫃まぶしが美味しい。」


 あたしは鰻にお茶をかけて、今度はその香ばしくなった味を噛み締めていた。


 ――タキくん、あんたはあたしたちのてのひらの上で踊ってくれればそれでいいのよ。

 だって、それでみんなは楽しくいられるんだから。


 甘くて苦い、そんな女心が、あたしたちを本気にさせてくれるんだから。

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