ふたりで過ごす夜の明かしかた

 ねぇ、編集さん?

 なんでこんな場所までのこのこやってきたの?


 あたしはただここでのんびりお酒の口直しをしたかっただけ。

 ひとりでゆっくり、頭の整理をしたかっただけなのに。


 編集さんには大切にしなくちゃいけない人、ちゃんといるでしょ?

 あたしなんかにかまけてていいの?

 恵ちゃん放っておいて、本当にいいの?


 ……ずるいんだ。

 誰にでも優しくて。

 そのおかげで、みんなを泣かせるんだから。


 好きでもない人に優しくするなんて、本当にずるいよ……。


 ☆ ☆ ☆


 編集さんはあたしの後を追いかけてきた。

 本当にいったいどういうつもりなんだろ、こいつは。


 夜風が冷たい。

 もうすぐ夏を迎える5月中旬とはいうものの、こんな朝の3時半の真っ暗闇な海辺とか、そりゃもう冷たくないわけはないよね。

 仕方ないじゃん。あたしはお酒を一口だけ呑んだら、すぐ宿に戻るつもりだったんだから。

 あたしの担当編集とはいえ、ここまであたしのことを監視しなくてもいいとは思わない?


「嵯峨野さん? なんだか俺に怒ってるように見えるけど、俺何かした?」

「何もしてるわけないでしょ! 勘違いしないでよ!! あたしのこと放ってといてよ!!!」

「……ってそれやっぱり怒ってるじゃんどう見たって。」


 ふぅ……。あたしはひとつ溜め息が漏れた。

 別に編集さんに対して怒ってるわけじゃないのに、なんでそんな風に勘違いされるんだろ?

 どっちかというと、怒っている相手は編集さんじゃない。

 あたし自身だ。

 こんなくだらないことでフラフラしてる自分自身に苛立ちを覚え始めてる。


 ……そんなこと、こいつに話したところでどうしようもないけどね。


「まったく、人がひとりでのんびりお酒を飲もうとしてるだけなのに、なんであんたってそうやってそれをジャマしようとするのさ?」


 こうやって、心にもないことを言ってしまう自分に苛立ちを感じてるんだ……。


「さっきはありがとうって、ちゃんと伝えられなかった気がして。今だって、なんだか知らないけどぷんぷん怒ってるし。」

「それはたぶん気のせいだよ。そんなこと絶対にあるわけないじゃない!!」

「……いや嵯峨野さんそれ、態度と言ってることが絶対矛盾してるよね?」


 あたしはさっきからちょっと大きめの声を張り上げてるもんだから、編集さんにはどうしたって怒ってるようにしか見えないんだよね――


「あんたさ、今朝さ……」

「ん、なに? 嵯峨野さん。」


 さすがにいつまでも怒っているのも疲れてしまったので、あたしはなんとか小さな声を出そうと試みた。それに編集さんは優しい返事をする。

 ……ほんとずるい。


「今朝、あんたはあたしにスランプの理由を聞いてたよね? あたしが絵を描けなくなった理由。」

「ああ。聞いたかも。」

「その答えさ、英梨々に言わせると、あたしが『本気じゃない』からだってさ。」


 あたしは編集さんの顔を見ないようにして、そんな話を始めた。目の前には真っ黒い海が広がっている。だけど、どこかで月が輝いているせいか、それを反射して、ところどころ海が光っているようにも見える。


「なにに、『本気』じゃないの?」


 編集さんは当然の質問を投げかけてきた。


「絵を描くことに……かな?」


 そしてあたしはそれに、嘘の回答で応える。


「そうかな? 嵯峨野さんの絵が『本気』じゃないというなら、あんなに見ている人がドキッとするような気分にはならないと俺は思うけど。嵯峨野さんの絵、俺だって何度も心を動かされたし、そうには思えないけどな。」

「あんたは黙ってあたしの話に合わせてくれればいいのよ。」

「…………はい。」


 あたしは小さな笑みを浮かべながら、編集さんを恫喝する。

 ……そんなにあたしが怖かったかな?


「編集さんもさ、『blessing software』でゲームづくりしてるじゃない? その時ってやっぱし『本気』でシナリオを書いてたりするの?」

「……どうなんだろ? そんなこと考えたことなかったけど。」


 ふーん。……なんだかはっきりしないやつだなー。


「でも、『本気』というより、『無我夢中』だった気がする。恵をメインヒロインにしたゲームを作りたくて、詩羽先輩と英梨々を勧誘して、だけど最初は2人ともサークルに入ってくれるかもわからなくて。俺はなんとか2人に認めてもらえる企画書を書こうとしたけど全然ダメで、何度も何度も書き直して……」


 編集さんはそんなところから話を始めた。あたしは、あっと思ったけど、こうなるともはやておくれだった。編集さんの話って長いんだよね。

 ……でも今日はなんとなく、ずっと黙って聞いていたかったんだ。


 霞さんと英梨々に認めてもらおうと書いた企画書は、ずっとダメ出しされ続けて、ほとんど諦める寸前だったらしい。そこで恵ちゃんが一肌脱いで、自らの身体を張りながら(?)も、霞さんと英梨々を説得したんだって。

 そういえばその辺りの話、恵ちゃんからも聞いたことがあったな。最初出逢った頃の英梨々は、ガン見で睨みつけてくるし、脅してもくるしで、ものすごく怖かったんだとか。今でこそ恵ちゃんとあんなに仲がいいし、そもそもあの泣き虫英梨々がって、それはあたしも冗談半分に聞いてたけど、それもこれも実は恵ちゃんに対してではなくて、編集さんのせいだったのかもしれないな。


「あたし、恵ちゃんから聞いたことがあるよ。編集さん、英梨々のことを大好きでどうしようもなかったって話。」

「……それ、どこまでなにをどう話したのかちゃんと確認しておきたいのですが。」


 高校2年の夏の花火大会の日、恵ちゃんと霞さんの協力もあって、2人はその仲を取り戻すはずだった。

 でも、それは叶わなかった。それどころか編集さんは英梨々に挑発するような態度を取ってしまい、それが天才クリエイター柏木エリを開花させるきっかけになった。

 そのおかげで一時は縮まりかけた2人の距離がまた遠くなってしまったのは、どうしようもない皮肉ではあるけども。


 あたしは編集さんのお話を聞きながら、英梨々や恵ちゃんから聞いた話、そして霞さんの文章を全て結びつけて、その話の一筋を見つけだそうとしていた。


「でも編集さんは英梨々だけじゃなくて、霞さんも大好きだって、やっぱし恵ちゃんから聞いたことあるよ。」

「……いやそれほんとかなり怖いんだけど、詩羽先輩に助けられたのも事実かな。そこに恋愛感情があったかは別として。」

「でも、デート中に彼女を置き去りにして、他の女の子のとこに行くとか、恋愛感情以外に何があるんだろうね?」

「……嵯峨野さんどこまで何を聞いているのか、やっぱし教えてくれないかな~?」


 編集さんの表情は暗くてよく見えないけど、ひとまずぐうの音が出ない程度には困っているようだった。

 ……今何時だろ? さっきまで冷たいと感じていた潮風は、いつの間にか心地よいものに変わっている。


 編集さんは今度は霞さんとの思い出話を聞かせてくれた。

 霞さんにプロットを書き直しさせた話、霞さんのシナリオをリテイクさせた話……

 あたしも霞さんとは仕事のパートナーとして1年以上一緒にいるけど、この編集さんときたらそんな恐ろしいことを何度もやらかしていたのかと、思わず感心してしまった。さすがは現在の担当編集というだけはある。

 そういえば霞さんからも聞いたことがあった。この編集さんと一夜を共にしたとか、三日三晚編集さんと一緒の部屋で寝泊まりしてたとか、あたしはどうせいつもの妄想でしょと思って聞いていたけど、今の編集さんの話とうまい具合に結びついてしまって、なんだかな〜という気分になる。


 ただ、ひとつ言えることは、編集さんは霞さんと『本気で』ぶつかり合っていたのかなと。


「それでも、最後は恵ちゃんを選んだんだよね、あんたは。」


 霞さんの話が一旦落ち着いたところで、あたしは気づくとそれをもう一度確認していた。


 あたしは今、どんな顔しているんだろう。


「ああ。恵がいなかったら、『blessing software』も続けられなかっただろうしな。」

「恵ちゃんが、支えてくれた?」

「英梨々と詩羽先輩がサークルを離れたとき、『blessing software』の二枚看板であるシナリオライターも絵描きもいなくなって、それでも『サークルを続けよう』って言ってくれたのは、恵だったんだ。あの時、恵がいてくれなかったら、『blessing software』もその時限りだったかもしれない。」


 桜舞う坂道での出会い、

 企画書が書けない編集さんのために用意された霞さんのシナリオ、

 コミケ終了後の衝突、

 そして、英梨々と霞さんとの別れ――


 その時、編集さんの側にずっといたのが恵ちゃんだったんだ。

 あの、めんどくさがりでごく普通の女の子である恵ちゃんは、編集さんと出会い、気づいたら、かけがいのない楽しい時間を共有していた。それは、今の恵ちゃんの幸せそうな顔を見ていたら、あたしにだって容易に想像ができた。

 喧嘩したことだってある。それは去年の恵ちゃんの誕生日にデートをすっぽかされたとか、その後編集さんはまた英梨々と霞さんの居る場所へ行ってしまうとか、編集さんは何度も恵ちゃんを裏切ってきた。だけどそれでも最後は、編集さんは恵ちゃんの元に戻ってくるんだ。

 ……恵ちゃんも、いろいろあったんだね。


 そして編集さん、やっぱしあんたは本当にひどい人だよ……。


 ――あれ?

 恵ちゃんの話が終わる頃、海の向こうのほうが橙色に光り始めていることに気がついた。

 夜明けだ。


 鞄のポケットの中にしまってあった腕時計を取り出す。針は5時をちょっと回った辺りを指していた。

 どうやらあたしは徹夜してしまったらしい。

 その日の出に、編集さんも気がついたようだ。編集さんの顔が日光の反射を受けて輝いて見える。


「綺麗だね。」


 あたしはぼそっと、こんな言葉が漏れた。


「ああ。こうやって日の出なんて見たのは何年ぶりだろ?」


 編集さんもそんなことを言っている。


 そんな声を聞いていたら、なんだか変な気分になってきた。

 編集さんの顔、すごくいい顔してるのが横から見ていてよくわかるんだけど、あたしはそれを凝視することができなくて、ちょっと恥ずかしくなる。

 何を考えているんだろう、あたしは――


 ――だけどね


 あたしはちょっとだけ勇気を振り絞って、日の出を眺めていた編集さんの前にひょいと顔を出した。

 日の出の景色もいいけど、少しだけ、ほんのちょっと今からあたしに付き合ってくれないかな。


「ねぇ、安芸さん。あたしのお願い、聞いてくれる?」

「ん? なに、どうしたの嵯峨野さん急に……?」


 あたしは、誰にでも認められる絵描きになりたい。

 英梨々や霞さんのように、一流のクリエイターとして、成長したい。


「あたしを、もっと『本気』にさせてくれないかな?」

「えっ…………?」


 だからもっと、あたしをちゃんと見て!!!


「安芸さん、あたしの編集さんだもんね。だから、英梨々や霞さんを本気にさせたように、恵ちゃんが安芸さんに対して接するように、あたしに対して、もっと本気でぶつかってきてほしいなって。」

「嵯峨野さん…………?」


 すっごくこっ恥ずかしいこと言ってる気がしたけど、今のあたしに照れ笑いとかそんなのはなかった。

 だって、本当に純粋な気持ちだったから。


「あたしももっとすごい絵を描いてみせる。だから安芸さんも、あたしに対して本気になってよ。」

「…………うん、わかった。」


 真正面から見る、編集さんの顔。あたしの真後ろにある日の出の光を受けて、今まで見たことのないような笑顔になっていた。

 あたしだって本気で、英梨々や霞さん、そして恵ちゃんと、勝負してみたい。

 だからここで立ち止まるわけにはいかないんだ。


 すると、編集さんはすっと立ち上がろうとする。ずっと海を見ながらベンチに座って話をしていたから、ちょっと疲れていたみたいだ。あたしだってさすがに眠いよ。


 ……が、編集さんは足がしびれていたせいか、立とうとした瞬間バランスを崩す。

 そして、ふらふらっと、編集さんは前に転んでしまった。

 ――あたしの身体を下敷きにして


「……………………。」

「ちょっ…………。」


 編集さんの体重のおかげで、あたしも後ろに倒れそうになった。

 あたしは瞬時に手をついたため、なんとか頭を打つことはなかったけど――

 でも、あたしの顔の目の前に、編集さんの顔があるわけで……。


 顔以外の部分が密着している。顔だって、ものすごく近い。

 どうしよう。こんな体勢、あたしはまったく予想してなかった。

 どうしていいのかわからないまま、あたしは声も出ず、そのまま5秒くらい沈黙の間があった。


「ごっほん!!!」


 え、咳払い?

 あたしはその音があった方……宿の玄関付近をぱっと向く。


「恵ちゃん!???」


 あたしの視線の先には、恵ちゃんの姿があった。いつもどおりフラットな表情で、ぺたんとその場に座って、両手でその小さな顔を支えている。……特に怒った表情には見えないけど。

 そのあたしの声に気づいて、編集さんもようやく我に返り、すっと立ち上がった。


「め、恵!??????」


 編集さんも恵ちゃんの存在に気づき、驚いた表情を隠せないでいた。


「あー、お構いなく―。」

「恵、これは誤解だ!! ちょっと〜〜!!!」


 恵ちゃんは宿の中に戻ろうとすると、慌てて編集さんもそれを追いかけるように、宿の中へと消えていった。

 あたしはひとり残され、きょとんとした状態のまま、ようやく立ち上がることができた。背中やお尻についていた砂利を払って、もう一度ひとりで日の出を見る。


 今日も……これからも、ずっと頑張ろっと。


 そんな気分にさせてくれる日の出だった。

 絶対に英梨々や霞さんを、あたしの絵でぎゃふんと言わせてみせるんだから。


 ……それにしても恵ちゃん、いつからあそこにいたんだろう???

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