美味しいお酒の戴きかた

 水族館へ行っていた恵ちゃん、出海ちゃん、伊織さん、そして編集さんが、賢島かしこじまの海辺にある宿に着いたのは、18時ちょっと前くらいだった。4人が着くと、まず部屋割りを行った。女子部屋は2つに分かれて、あたしと英梨々が同室、その隣の部屋が現役『blessing software』の女子3人という具合だ。まぁもっともバラバラなのは寝るときくらいで、全3部屋をメンバーが行き来しながら合宿を行うわけだけど。


 あたしは、さっきまでギターを奏でていた美知留さんを描き終わると、宿の目の前で出海ちゃんと恵ちゃんを捕まえた。すっかり日が沈んだ海岸線を背景に、宿の部屋から溢れる光に照らし出された恵ちゃんを、出海ちゃんがすらすらと描いている。恵ちゃん、自分がメインヒロインである作品は既に三作目であるせいか、こうしてイラストのモデルになるのはこなれているようだった。

 あたしはその2人を描き始めた。絵描きとして集中する出海ちゃんと、それに相対する恵ちゃん。ふたりとも新しい作品作りのため、とてもいい顔してるな。なんだかその光景が微笑ましく感じてくる。


 そんな時間を過ごしていたら、間もなく夕食の時間になった。

 ……あれ? そういえば今日はまだちゃんと英梨々を描けてないや。

 それがどうしても頭に引っかかりながら、美味しい伊勢の海鮮料理を戴いていた。


 ☆ ☆ ☆


 ふぅ〜、疲れた。


 皆がもうとっくに寝てしまったであろう、朝2時頃。

 あたしは自分の鞄にこっそり潜ませていた三重県の地酒と紙コップを取り出して、部屋を抜け出し、宿の目の前のベンチに腰掛けながら、ひとりそれを戴いていた。関東ではまずお目にかかることがないけど、その名前に聞き覚えのあるブランドのお酒を、おかげ横丁のお店で奨められてこっそり入手していたんだ。


 目の前には黒く光る海が広がっている。……ああ、美味しい。

 今日のメンバーはあたし以外全員未成年だから、これを見つかるわけにはいかないもんね。もしくは霞さんがいれば、2人でこうやって飲むお酒というのも美味しいのかも。でも霞さんのことだから、酔った拍子に絶対に絡んでくるに違いないけど。

 ……あれ? 霞さんまだ二十歳になってないんだったっけ?

 あたしは、そんなことを考えながら、その美酒を口にしている。

 冷たい夜風があたしの頬を叩いてくるけど、今のあたしにはそれほど気にならなかった。


 それにしても……今日は一日、いろんなことがありすぎだよ。


 朝は早起きで、新幹線に乗ったと思ったら、なぜだか泣き喚くことになるし。

 英梨々は絶好調で、あたしのことを散々なくらい挑発してくるし。

 出海ちゃんも美知留さんもみんないい人で、だけどあたしをからかいにくるし。


 そしてあたしは――


 ……と、今日はこれくらいにして、また明日に備えなきゃね。

 戴いた量は、紙コップ二杯分ほど。これなら明日に残ることもないはず。


「あ〜、嵯峨野しぇんしぇ〜、こんなとこにひたんでしゅね〜〜〜〜?」


 部屋に戻ろうとしたとき、その甲高い声があたしの耳に入ってきた。

 その声は聞き覚えのある……けど、それなんかちょっと様子おかしくない??


「出海ちゃん……どうしたの、こんな時間に?」

「澤村しぇんぱいが、今なんだかたいふぇんなんでしゅ〜!!!!」

「英梨々がどうかしたの!??」


 いや、今大変なのは、むしろ出海ちゃんの方じゃないのかな?

 ……とも思ったけど、英梨々が大変というのもものすごく気がかりだった。


 それは、なんだかとてつもなく嫌な予感でしかなかったけど。


 ☆ ☆ ☆


「おー、マユユがやっと戻ってきた〜!!」


 出海ちゃんに連れられ、現役『blessing software』女子組部屋に入ると、美知留さんのハイテンションな声に出迎えられた。そこには、恵ちゃん、美知留さん、出海ちゃんの他に、なぜか英梨々、そして編集さんまでいる。

 ……というかこの状況、伊織さん以外全員集合だよね。


 英梨々はぐすんぐすん泣いていて、編集さんは手足をガムテープで縛られ……

 ……って、何これ!??


「えっと〜……英梨々が大変なことになってるんじゃなかったの?」


 まぁ確かに泣いているのは英梨々だけど、どっちかというと大変なのは編集さんのような気がしてならない。さすがに哀れな感じしかしないのだけど……。

 ちなみにそんな彼氏を前に、恵ちゃんは部屋の隅でただひたすら黙ってスマホを弄っている。明らかに『あー、おかまいなくー』と無言の反応を示しているようだ。


「相楽さん、助けて〜〜〜〜!!」


 なんだか虚しい編集さんの声が部屋に響く。


「ぜんぶ、ともやのせいなんだから……」


 ……と、英梨々はぐすんぐすんと泣きながら、そう訴えている。

 そんな英梨々の肩を抱くように、美知留さんが慰めているかのような構図だった。


 この英梨々の訴えって、ひょっとして編集さんに襲われたんだろうか?

 でもそうだとすると、いろいろ辻褄が合わない。編集さんってこう言っちゃなんだけど、夜這いして女子を襲うようなタイプの性格では絶対にないし、仮に万が一でもそんなことあったとしても、彼女である恵ちゃんのこのどうでもよさそうな対応は絶対にありえない。


 …………ん?

 ふと英梨々が座ってる場所のすぐ真横に、見慣れないものが転がってるに気づいた。

 チョコレート……? ウイスキーボンボン???


 そういえばこんな展開、前に霞さんからちらっと話で聞いたことあるような……。

 たしか、英梨々の親がイギリスで買ってきたという――


「ほもやしぇんぱいがわたしたちを全然構ってくれないから澤村しぇんぱいもぐれちゃうんですよ〜」

「うんうん、そうだね〜。ぜ〜んぶトモが悪い!」

「とぉもぉやのぶぁか〜!!!!」


 なお、ガムテープで手足を縛られたままの編集さんは、その身体をバタバタさせながら、必死で抵抗している……ように見える。ちょっと可愛そうな感じもするにはするけど……


 あたしの中には、残念ながら編集さんへの同情以外の気持ちももちろん含まれていた。


「でも、どうしてこんなことになっちゃったの?」

「……んー?」


 あたしは無関心を装っている恵ちゃんにこんな質問をしてみたけど、恵ちゃんのその表情は相変わらずフラットだ。


「あー。英梨々がそこにあるウイスキーボンボンを持ってきて、それをみんなで食べながら『blessing software』の思い出話をしていたら、英梨々が『一生懸命絵を描いたのに、なんで倫也は振り向いてくれなかったの?』って突然泣き出しちゃって。そしたら美知留さんと出海ちゃんが隣の部屋から安芸くんを連れてきて――」


 なるほど……。


「恵〜!」

「…………。」

「恵さん?」

「………………。」

「おいっ、加藤〜!!!」

「……なーに、安芸くん?」

「そんなふうに淡々と解説してる暇があったら、早く俺を助けてくれ!!!」

「えー、やだよー。めんどくさいー……。」


 ……え、彼女としてそれでいいのか!??


 ただ恵ちゃんのそのフラットな表情をよく見ると、小さいながらも笑っているように見えた。

 そう。その微笑みは、自信に満ち溢れてて――

 それでもわたしはこの主人公くんの彼女なんだって、そこを譲る気は全くないようで……。


 ふふっ。いい顔だな。

 あたしは足元に転がっていた英梨々のスケッチブックとペンを手にした。

 この部屋には今2人のメインヒロインがいて、その2人の顔を描き始める。


 ひとりは、これまで隠していた涙をぽろぽろと見せる泣き虫ヒロイン。

 そしてもうひとりは、どんなときでも毅然とした態度の元祖メインヒロイン。


 そして…………情けない表情を見せる、あたしも大好きな、主人公くん。


 お酒が入っているので力強いタッチでは描けなかったけど、そのひとつひとつの物語をメモするように、スケッチブックに3人の顔を描いていた。


 編集さん、もうちょっとだけそのままでいてね。

 だって、あたしはあんたに同情する気は、これっぽちもないし。


 3人の顔を描き終わる頃には、あたしの酔いはとっくに醒めていたようだ。


 ☆ ☆ ☆


 時計の針はおよそ3時半を指していた。

 気づくと、あたしと編集さん以外、みんなその場で寝てしまったようだ。

 さすがにそれはあんまりだと思ったので、あたしは編集さんの手足からガムテープを剥がす。


 誰がこんなにぐるぐる巻きにしたのかわからないけど、かなり力強く、そして執念深くガムテープは巻いてあった。やっとの思いで全て剥がし終わると、編集さんはようやく安堵の表情を見せた。


「あーあ、あんたのおかげですっかり酔いが醒めちゃったよ。」


 あたしは愚痴っぽく、編集さんにそんな言葉をこぼしている。


「ありがとう……」

「ま、あたしもあんたを助ける気はなかったけど、さすがに女子部屋でこのままというのも問題あるしね。」

「……って、なんで嵯峨野先生まで俺にそんなに冷たいの!?」


 あたしはあっかんべっと、舌を編集さんに見せる。


「ひ・み・つ。」


 そして、さっきまで飲んでたお酒とコップを持って、もう一度宿の外へ出た。

 その場から逃げるように――


 海を見ながら、もう一杯だけいただこっと。

 そう思って、紙コップにお酒を注いだ瞬間、あたしの耳にあいつの声が響いてきた。


「待ってよ、嵯峨野さん!!」


 ……え、なんであいつついてきたんだろ?

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