海辺に輝く曲の奏でかた

 電車は橋を渡り、間もなく賢島駅に到着した。


 時間はちょうど16時くらいだ。時刻を確認すると真っ先に声をかけたのは出海ちゃんだった。


「あのー、みんなで水族館行きません? ここから歩いてすぐのところにあって、マンボウがいるんですよ!! 17時閉館なんでまだまだ時間がありますぅー!!!」


 出海ちゃんはすごく楽しそうな顔を浮かべ、既に編集さんの腕をがっちり掴んでいた。編集さんはたじたじと困った顔をしているが、こうなるとさすがにもう逃げられそうもない。

 それと恵ちゃん。顔はにこりとしながら、やはり出海ちゃんの提案に乗ったみたいだ。……いや、恵ちゃんの顔はいつもどおりフラットだけど、まぁ編集さんがあんな調子では、それも当然のことなのかもしれない。


「あたしは一足お先に宿へ向かってるよ。ちょっとお仕事の方が溜まってるし。」


 まぁあたしに溜まっているタスクはほとんど仕事じゃないんだけどね。

 でも少しでも進めておかないと、本気でいろいろ間に合わなくなりそうだった。まず、ただでさえ遅れ気味な霞さんの小説のイラスト。でもそれだけじゃなくて、恵ちゃんが書いてるシナリオはさらにキャラクターが増えるようで、あたしはそのキャラデザをしなくては。


 ……もっとも、その増えたキャラクターのモデルはというと、編集さんとあたし。


 正直、なんだかなぁ~って気分である。それはさすがに、『マンボウ!』という気分ではなかった。


「あたしも疲れたし、真由と一緒に先に宿に行ってるわ。」

「あ、あたしも。イヤホン……じゃなかった、ちょっとスマホの調子が戻ってきたので、作曲でもしてよっかなーって。」


 というわけで、英梨々と美智留さんはあたしと一緒に、先に宿へ行くことになった。

 賢島駅の改札を出ると、水族館組は右、宿組は左へと進んでいく。


 駅の階段を降りて外へ出る。潮の香りが、海がすぐ近くにあることを知らせてくれる。

 そこから少しだけ歩くと、先ほど車窓からも見えていた海岸が現れた。海の反対側には小さなお店が並んでいる。およそお土産屋さんだ。真珠のお店も多い。磯料理屋もちらほらと見える。

 真珠、綺麗だな~。思わず惚れ惚れしてしまいそうだった。


「あー、こんな真珠のネックレスを倫也から貰えたらな~……と、真由はそう思ったのだった。まる、と。」


 あたしはただ眺めているだけなのに、こうやって尾ひれを付けて解釈してしまうのだ。今日の英梨々は。


「別に編集さんの顔なんて1ミリも思い浮かんでなかったけどね。そっちこそどこかの誰かさんにプレゼントしてほしいとか思わなかったの?」

「…………別にぃ~。」


 英梨々は澄ました顔でそう答えた。何かをはぐらかしているようだ。

 てゆかなんだろ? さっきのその間は。


「へぇ~。マユユがトモのこと好きなのって、本当のことだったんだ~。てか相変わらずあいつはモテモテだねー。二次元以外興味ないみたいな顔しときながら、ちゃっかし本命もいるし。その他にもこうしてとっかえひっかえ……。」


 あたしと英梨々の会話を聞いていた美智留さんは、後ろからそんなことを言っている。

 ……ん? ちょっと待って!?


「あたし、マユユじゃなくてマユなんだけどね。……じゃなくて、なんで編集さんとの話がそんな方向へ広がってるの!?」

「ん? あ、まぁ~…………」


 美智留さんはあたしから視線を逸らして、斜め上の方向へ顔の向きを変えた。その視線の先には澄み切った橙色の空が広がってるわけだけど…………いや、そうゆう話でもなくて!


「どうせまたあの黒髪ロングの暗黒作家様がどこかでホラ吹きまくってるんでしょ。ま、あたしは正直どうでもいいけどね。この件に関しては恵の味方になるつもりはこれっぽちもないし。」

「いや~、なんのことかなぁ~?」


 いやほんと、なんのことだか……。

 なんだか今回のロケハンはあたしひとり振り回されてる気がするんだけど、できれば気のせいであってほしいよ……。


 ☆ ☆ ☆


 恵ちゃんが親戚に頼んで予約を入れてくれたという宿は、全部で10部屋くらいしかない小さな宿だった。だけど目の前は海だし、宿の人もものすごく親切な人たちで、ものすごく落ち着く。

 これでお仕事のことがなければ最高なんだけどね。

 あたしは部屋に荷物をまとめると、早速いつものスケッチブックを取り出した。


 さて、誰を描こうか……。


 その時、英梨々のさっきの言葉があたしの胸を突き刺した。


『今の真由にあたしの顔なんて描けっこないわ! だって、今の真由はまだ本気には程遠い顔してるもん。』


 なんだか言われたい放題言われてしまった気がするけど、正直これに関しては返す言葉がなかった。すごく悔しいけど、英梨々の言う通りなんだ。

 あたしはまだ『人を好きになる』という覚悟を決めきれていないのかもしれない。

 こんなこと、あたしは今まで考えたことなかった。けどなんだか目の前には大きな崖があるようで、あたしはそれを乗り越えないといけない気がしていた。


 とりあえず…………美知留さんを描こっと。


 あたしはその大きな崖を、再び回避する選択肢を選んだ。


 美知留さんは部屋の隅の窓際で、ギターとノートを片手にして、作曲活動をしているようだった。それにしても部屋についた途端にタンクトップ一枚になるとか、エチカに聞いていたとおり本当に大胆な人だ。

 早速あたしはスケッチブックにペンを走らせる。

 美知留さんのその豪快な姿は、特徴を捕まえやすく、とても描きやすい。それでいてこのなんとも言えない表情だ。一見、なにも考えていなそうに見えるその瞳ではあるけど、その裏ではどんなに複雑なことでも容易に片付けてしまう器用さも持ち合わせている。絵描きであるあたしとしては、とても描きがいがあった。

 エチカや恵ちゃんから『女子から絶大な人気がある』と評されていたけど、なるほど、その理由だけはあたしもすぐに理解できた。


 あ。……あたしは、手元に消しゴムがないことに気づいた。まだ鞄の中だ。

 すっと立ち上がって鞄を取りに行こうとしたとき、部屋に英梨々の声が響いた。


「動かないで!!!」

「……えっ?」


 ふと横にいた英梨々の方を向くと、さっきまであたしが美知留さんに対してしていたのと同じように、英梨々はあたしをじろじろ見ながら、スケッチブックにペンを走らせている。


「ちょっと英梨々? なに描いているのよ!?」

「え、『恋メト』の真唯まゆい。今度『エゴリリ』で『恋メト』の絵でも描こうかな〜って。あたしがあの霞詩子の作品のイラストを描いたとなれば、たとえ同人誌でも絶対注目されて、そりゃもう売れるに決まってるでしょ!!」


 英梨々は相変わらずペンを動かしながら、そんなことを言っている。


「……って、あたしをモデルに『恋メト』の真唯とか描かないでよ〜!!」

「さっき電車の中であたしの顔見ながらアンジェを描いてた人に言われたくはないわね。」


 ……ううっ。さすがに返す言葉はなかった。

 たしかに英梨々のサークル『egoistic lily』で、英梨々と最強コンビと謳われる霞さんのデビュー作のイラストを描こうものなら、こっちの界隈の人なら誰だって『欲しい』と思うのは当然のことだ。

 あたしだってもちろん欲しい!!


 霞詩子のデビュー作、『恋するメトロノーム』。その作品には2人のヒロインが描かれている。


 ひとりは沙由佳さゆか。物語の一番最初から出てきて、重要なメインヒロインであることは誰が読んでも疑う余地はないだろう。ちょっとうじうじした女の子ではあるけれど、その内心はとても意志の強い女の子。霞詩子の作品を象徴するかのような、読んでてはっとしてしまう素敵な女性だ。そのモデルは……全く知られていない話ではあるけど、あたしはそのモデルさんと一緒にお仕事しているせいだろうか、なんとなくすぐに気づいてしまった。


 『恋するメトロノーム』のもうひとりのメインヒロインは、真唯。沙由佳と違って話の序盤から出てくるわけではなく、第2巻になってようやく登場する。霞さんは真唯を誰をモデルにして書いたのか未だに不明ではあるけど、『恋するメトロノーム』の絵師である松原先生は、真唯をとても可愛らしい魅力的な女性に描き上げた。

 でもどうしてだろう? その容姿はあたしそっくりだった。だけどあたしは松原先生のモデルになった記憶は全くない。そもそも嵯峨野文雄だって、その正体こそあたしではあるけれど、一般的に知られている嵯峨野文雄はあたしの兄である相楽文雄のはず。あたしと松原先生を結びつけるものは、存在しないはずなんだ。

 ちなみに、あたしが真唯に似ているというお話は、どうやら生みの親である霞さんも共通の認識らしい。霞さん、あたしが編集さんのことでからかって怒らせると、霞さんは『こら、真唯っ!!』とか言ってくるのだ。

 ……だからあたしは真唯じゃないっつーに。


 なお、『恋するメトロノーム』で主人公と結ばれたのは、沙由佳ではなく、真唯。

 なぜ霞さんはその結末を選んだのか、今でも霞さんは教えてはくれない。

 それは、『恋するメトロノーム』の最大の読みどころであって、最大の謎でもあるんだ。


 真唯や沙由佳が辿ったような素敵な恋路を、あたしも歩くことができるんだろうか。

 真唯があたしだって言うんなら、あたしの想いを貫かなきゃだめだって、そういうことだよね。


「ほら〜、真唯? そこでにやにやしてないで、もっとモデルらしくしゃきっとしなさいっ!」


 いつのまにかあたしの顔は緩んで、笑みがこぼれていたようだった。そこへ英梨々の鋭いツッコミが入る。


「だからあたしは真唯じゃないっつーの!!」


 だけどその言葉を無視して、英梨々はひたすらペンを走らせている。こうなったときの英梨々の集中力は本当に半端ない。その英梨々の顔、あたしも見習わなきゃいけないよね。

 ……それを見て、あたしはふと考えた。


 英梨々は、あたしをどんな風に思って、今こうして真唯を描いているのだろう?


 あたしはいろんなことを思い浮かべては、頭の中の画用紙に何度も消しゴムとペンで描き直している。英梨々の顔をじっと見つめる。描いたり消したりを繰り返すその真っ白い紙に、あたしや霞さん、そして編集さんの顔が何度も出てきた。

 でも結局その空想の画用紙に、あたしは一枚も描ききることができなかった。


 ……あ、鞄の中から消しゴム取ってこなきゃ。取ってきてもいいよね、英梨々?


 ぼよよ〜ん。


 ……と、突然ギターの音が鳴り響いたのは、その時だった。

 マイナーコード? このコード、なんだっけ? あたしは絶対音感とか持ってるわけではないので、今どの音が鳴ったのかまではわからなかった。ただ、たったひとつの和音を奏でただけなのに、なんだかあたしの胸にじーんと滲みてくるような、そんな音が響いたのは確かだ。


「ちょっと氷堂美智留? こんな狭い部屋で突然ギターなんて弾かないでよ。びっくりするじゃない!」

「仕方ないでしょ、えりりん。ふと曲を思いついちゃったんだから。」


 すると美知留さんは、その和音の続きをゆっくりと奏で始めた。

 ローテンポのマイナーコードで、優しいけど冷たい、そんなちょっぴり切ないメロディーラインだ。


 ちなみにこの宿、恵ちゃんが予約するときに『小さな音だったら楽器を鳴らしてもいいよ』という許可を取得済みだったらしいので、それで美知留さんは楽器を鳴らしている……んだと思う。自分勝手になにも考えずに楽器を鳴らしているわけではなくて、ちゃんと美知留さんはその事情を考慮して楽器を小さな音で鳴らしているはずなんだからね。

 本当にその音が小さい音かと聞かれると、あたしはなんとも判断できない気もするけども。


 それにしても……。とても綺麗なメロディーがまだ流れている。

 美知留さんの豪快なイメージからは想像もつかない、線が細くて、今にも途切れそうで……

 ちょうど今、美知留さんの真後ろにある橙色の海の風景が、その音色の彩りをさらに際立たせる。


 誰かと誰かが出逢って、そして別れていく――

 そんな光景があたしの頭に描かれていく。


 そして最後の和音を美知留さんは奏でた。

 最後の音はマイナーコードではなく、主人公の未来を感じさせるメジャーコードだった。


「相変わらずえげつない曲弾くわね、氷堂美智留?」


 英梨々もいつの間にかスケッチブックとペンを床に置いて、その曲に聞き入っていた。

 あたしも美知留さんの音楽はゲームの中では聴いていたけど、こうして生演奏を聴くのは初めてのことだ。見た目によらず……というのは失礼だけど、思わず鳥肌が立ってしまう、そんな曲だった。


「どうだ! ……いい曲でしょ?」


 美知留さんは自信満々な顔を見せる。今すぐ描きたくなるような、すっごくいい顔だ。


「美知留さん。それってどういう曲なの?」

「え。……えりりんのテーマ……?」


 一瞬の沈黙があった後、英梨々はさっきまでの表情を一変させて、一気に真っ赤な顔になった。


「…………なんだって〜!???」


 英梨々の怒声が部屋に響いた。

 いや、それは怒っているのか、恥ずかしいからなのか、なんだか判断できない。

 ただひとつ言えることは、その顔が夕日に染まって、輝いて見えた。


「ちょっと氷堂美智留!? この曲がどうしてあたしの曲になるのよ!??」

「だって〜……さっき内宮でマユユとえりりんの話してたら、なんとなく曲が頭に思い浮かんできたんだもん。あんな話をら、それを作曲してみたくなるのがクリエイターの本能ってやつでしょ。」


 確かにそうだよね……

 あたしもそれを描きたくて、こうして伊勢までやってきたんだから。


 ……今ちょっとだけ日本語に違和感を覚えたけど、それはあたしの気のせいだろうか。


「あ、そうだ。『他人にちょっかい出してる暇があったら、もっと自分に素直になったらどうなの?』って、負け犬ポンコツ娘に伝えておけってさ。とある作家さんからの伝言だよ。……なんのことかよくわからないけど、とりあえず伝えておいたからね。」


 あ…………。


「あの根暗カマキリ女が〜!!!!!」


 ちなみに、英梨々の顔は鬼のような顔になった……というのはまぁ当然だよね。


 あ〜、お茶が美味しい。

 宿の部屋に用意されたお茶を飲みながら、海を見つめていた。


 海の色は間もなく沈もうとする日の光が反射して、何かを包み込むように輝いていた。

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