Lesson4: Sunrise Beach

車窓から見える海の眺めかた

 伊勢神宮内宮ないくう天照大神あまてらすおおみかみまつられている場所。古事記こじきといった日本神話をちゃんと読んだことのないあたしでも、当然その名前くらいは知っていた。まぁ文学部の大学の講義でもおなじみの人物であるから、知っていて当然ではあるのだけど。

 たしか弟である須佐之男命すさのおのみことと、と呼ばれるもので勝負したんだっけ。だけど、負けてしまった天照大神は天岩戸あまのいわとに隠れてしまい、そして世の中は闇に包まれた……って話だった気がする。

 詳しいことを調べないまま、話の中からその一部分だけを切り取って聞くと、思わず首を傾げたくなりそうだよね。時折、日本神話ってきまぐれだな〜と思うときがあるんだ。


 あたしたちは内宮の正宮しょうぐうでお参りをしたあと、周辺の取材を各自で行うことになった。取材といってもやることはみんなバラバラだ。絵描きであるあたしと出海ちゃんは、いろんな場所の写真を撮りまくっていた。

 それとは対照的に、英梨々はありとあらゆる場所でペンを走らせている。てゆか、めっちゃスケッチ速くない!? 同じ絵描きとしてその描き上げるまでのスピードは、驚嘆せざるを得なかった。


 一通り各々の取材を終えたあと、あたしたちはバスで宇治山田駅へ移動した。

 伊勢市駅の駅舎も風情があったけど、宇治山田駅も横に長い三階建ての西洋風な建物で、なかなか壮観だ。古くから行われる伊勢参りの壮大な歴史ロマンを、今でもこうして物語っているのかもしれない。


 ここから先はまた近鉄特急に乗り、さらに南へ移動して、今日の宿のある賢島かしこじままで向かう。朝名古屋から乗ったときと比べると、車内はそんなに混雑していなかった。ひょっとしたら、およそ伊勢市駅で降りてしまったのかもしれない。

 すると『ボックス席をふたつつくってそこに座ろう』と恵ちゃんが提案したため、あたしたちは前側の座席をひっくり返した。こうして、ボックス席がふたつほど誕生した。

 あたしはまたしても英梨々に窓側の席へおりゃーと押し込まれると、その向かいには今度こそ英梨々が座る。なお、あたしの隣には恵ちゃんが座ってきて、その向かいには編集さんが座った。


 斜め向かいの編集さんとちらっと目が合った。するとあたしはなんだか怖くなり、すぐに目を逸らす。

 ……なにやってるんだろうね~あたしは。


 向かいに英梨々が座ったので、あたしはすかさずスケッチブックを鞄から取り出した。

 そうだ、リハビリをしなくちゃね。


「なによ真由。ようやくあたしを描こうって気になったわけ?」

「どっちかというと、英梨々じゃないんだけどね。」


 英梨々の質問に答えながら、あたしはペンをスケッチブックの上で走らせる。

 なんだか久しぶりに気分が乗ってきた。

 先ずは顔の輪郭から描き、そこにひとつひとつ、英梨々の『表情』を加えていく。最後に金髪のツインテールとぱっちりとした瞳を書き加えれば……ほら、描けたじゃん!


 うん。これで、今月末の締め切りは間に合いそうだ。


「ちょっとなによこれ~!! これ、あたしじゃないじゃん!!!」

「うん、『純情ヘクトパスカル』メインヒロインのアンジェだよ!」

「あたしをモデルにして、アンジェを描くな~!!!」


 霞詩子が現在絶賛連載中の小説、『純情ヘクトパスカル』。そのメインヒロインと言えば、紫姫しきアンジェ。主人公くんの幼なじみで、その特徴的な金髪ツインテールは、彼女の魅力的なキャラクターをより一層引き立たせる。霞さんが誰をモデルにして書いてるつもりか知らないけど、まぁきっとそうゆうことだよね。

 ちなみにあたしはその作品『純情ヘクトパスカル』の絵師。そして、あたしの斜め向かいに座ってるのがその編集さんだ。


 編集さん、ようやく原稿描けそうだからね。

 もっとも、あんたは何も気づいていないだろうけど。


 あたしがアンジェの顔を描ききった後にふと横を見ると、恵ちゃんは膝の上に小さなノートPCをのせていた。その姿はまるであたしのパートナーである霞詩子を連想させ、さっきまで絵を描いていたあたし以上に、その集中力を高めていた。


「なぁ~、恵?」


 そんな様子を見た編集さんはふと恵ちゃんに声をかけた。


「なーに、安芸君?」


 恵ちゃんはやはりフラットに、何ひとつ表情を変えないどころか、編集さんの顔すら見ないまま、返事をする。


「お前いったい何してるんだ? てゆかなんでまた『安芸君』!??」

「あー。安芸君の『裏切り日記』を書いてるんだよ。」

「なにその『裏切り日記』って? 俺何か悪いことした!??」


 恵ちゃん、声もやはりフラットだ。編集さんの質問をひとつだけ答えたかと思うと、一瞬だけ編集さんの方をちらりと見上げた。


「なによ恵~? また倫也と喧嘩でもしてるの?」

「うーーーん…………?」


 恵ちゃんは今度は英梨々と会話するために、もう一度顔を上げた。


「安芸君がいつもどおりだから、なんだかなぁーって。」

「まぁ〜、倫也はいつも平常運転だから仕方ないね。恵、諦めなさい。」

「ちょっと! 恵も英梨々も何か俺に言いたいことあるわけ!?」


 編集さん、これじゃ身が持たんみたいな顔をしている。

 ちなみに、あたしとしては伊織さんとのひそひそ話を聞いてしまっているため、そこに関しては全く同情の余地はない。編集さんは伊織さんの提案なんて、きっぱり断ればよかったんじゃん。それとも、どうしても断れない事情でもあったんだろうか。

 ただ、この件に関しては、あたしもあたしだ。それに協力するつもりはなかったのに、結果的に見事なまでに協力している形になってしまった。

 だからあたしは黙ったまま、ただその会話を聞いている。


「ねぇ恵? その倫也の『裏切り日記』ってやつ、後で見せてよ!」

「あ、うん。いいよ! だってこれ、例のシナリオの一部だし。」


 恵ちゃんはさらっとそう答えた。

 ……え、そうなの!? それはそれでちょっと待ってよ……。


「ちょっと恵。あのシナリオに倫也も出そうとしてるわけ? あんたこれ、一体どんな方向に向かわせようとしてるのよ!??」


 そのフラットな恵ちゃんの発言は、あたしだけでなく、英梨々も驚愕させていたようだった。

 だってそれって、英梨々がメインヒロインの恋愛ものなんじゃなかったっけ? それってようするに、霞さんだけでなく、恵ちゃんもまた似たようなモノを書こうとしているってことなんだろうか。

 またひとつ、あたしに新しい宿題ができそうな予感がしてきた。


「あとそうだ。真由さん。これ、少しだけ路線変更して、真由さんもこのお話の中に出すことにしたんだ。今ちょうど書き直してる最中だから、後で真由さんも読んでみてね。」

「……え、それにあたしも出てくるの!??」


 たしかこれって、女の子の誰もが憧れるような、そんな恋愛ゲームとかじゃなかったっけ?

 でもそれにこんなめんどくさいあたしなんて出てきたら、ドロドロの恋愛系になったりするんじゃないかな〜?

 あたしがゲームに出る出ないとかよりも、そっちの方が心配になってきたよ。


「ちょっ、恵? 恵さーん。…………おいっ、加藤ー!!」

「なーに、安芸君?」


 それにしても編集さんに対しては、見事なまでのスルーっぷりである。完全に恵ちゃんのペースだ。


「さっきから、『裏切り』とか『シナリオ』とか、なんの話をしてるんだよ!??」

「あー。リレー小説みたいなもんだよ。英梨々がメインヒロインの。」


 恵ちゃん、リレー小説ときたか……。

 もはやあたしも英梨々も苦笑いするしかなかった。


「でも恵? そのリレー小説って、恵がモデルの女の子も出てきてなかったっけ? それに倫也や真由まで混ぜちゃうとか、本当にその話、ちゃんと前に進ませる気あるの?」

「……………………うーん、どうだろ?」


 恵ちゃんはあまりに無責任な回答を繰り返している。今日は編集さんに対してだけではなくて、あたしや英梨々に対しても、ずっとおんなじようなんだ。

 というか英梨々、その発言というか組み合わせというか、まるであたしが全ての諸悪の根源みたいな話し方になってないか。ちょっと聞き捨てならない気もしたけど、でも、実はあたしも似たような感想を持っていたからもはやどうしようもない。


「ねぇ恵ちゃん? あたしをそのリレー小説に出すって、それあたしの立ち位置って、どんな感じなの?」


 これがあたしの気になってること。

 なんとなくだけど、ふと思ったんだ。英梨々がメインヒロインで、恵ちゃんも出てきて、そこにあたしもいる。

 そんなお話を、恵ちゃんはどうやって描くつもりなんだろうと。


「真由さん、気になるの?」

「うん。なんとなく。」


 そう、なんとなくだ。

 嫌な予感がするとかそういう話ではない。

 だって、あたしにとって恵ちゃんは大切な友人だし、それを壊すつもりもないから。


「えっとねー、英梨々の最大の恋のライバル……かな?」

「恋のライバル? しかも英梨々の……??」


 あたしはどう受け取っていいかわからずにその場で立ち止まっていると、それに一番反応したのは、なんと英梨々だった。


「あははははは。それは笑っちゃうわね。真由があたしのライバルだなんていうそんな設定。真由はそうゆうのに疎いから、あたしの足下にも及ばないわよ。恵ならともかくね。」

「……………………はい???」


 ちょっと、英梨々!??

 英梨々にここまで笑い飛ばされるとは思いもしなかった。とゆうか、なんでここまで言われなければならないんだろう?

 だけど…………。


 すると英梨々はあたしに向かって、こんなことを言ってくるんだ。


「ねぇ、真由。あんた、本気で恋愛して、本気で幸せになるんじゃなかったの? それをあの根暗カマキリ女の前で誓ったんじゃなかったの? だったら何をそんなに迷ってるような顔をしているのよ!?」

「英梨々……。」


 そう、英梨々の言うとおりだった。

 あたしはまだ、本気で恋愛なんてできてない。だからあたしは迷ったまま立ち止まってる。

 ――それを英梨々には、しっかり悟られてたってわけか。


「今の真由にあたしの顔なんて描けっこないわ! だって、今の真由はまだ本気には程遠い顔してるもん。いい加減、本気であたしにぶつかってきてよ! あの根暗カマキリ女をぎゃふんと言わせてみせてよ!!」

「………………。」


 だけどさ、英梨々――


 あれ?

 そのときあたしはふと気づいてしまった。恵ちゃんや編集さんのいる角度からは気づかないと思う、ほんのちょっとした英梨々の変化を。


 英梨々の右側の瞳が一瞬だけ、きらりと光って見えたんだ。


 だってさ、英梨々? あたしと一番最初に会ったとき、英梨々はあたしのベッドの中で言ってたじゃん。

 そのときの英梨々を思い出したら……。

 英梨々があたしを悟るように、あたしも英梨々の口には出せない本当の気持ちを悟ってしまった。


 …………ふふっ。

 英梨々のピュアな顔を見て、あたしは思わず小さな笑みをこぼした。


「……あのさー、英梨々?」

「ん? な〜に、恵。」


 そこからひょいと横から割り込む形で、恵ちゃんが英梨々を捕まえた。

 恵ちゃんに対しての英梨々は、まだまだ強い表情のままだった。


「英梨々は誰の味方でもないって、さっき言ってたよね? 今のそれって、わたしの目の前で実は宣戦布告してない? さすがにそれはどうかと思うんだけど、どうかなー?」

「てゆか恵。あんたもあんたよ! ここで元祖メインヒロインの風格ってやつを見せつけないでどうするのよ? もっとしゃきっとしてなさい!!」

「…………わたしそういうめんどくさいの、嫌いなんだけどなー。てゆーか英梨々、それってわたしたち見ながら、なんだかひとりだけ楽しんでない?」


 恵ちゃんは表情こそフラットで押し通そうとしていたみたいだったけど、さすがに今回ばかりは隠しきれない笑みがこぼれていた。その笑みは、やはり自信に満ち溢れてて、これが英梨々の言う、メインヒロインというやつなのかもしれない。


 ……だってその表情、今のあたしにはまだまだ難しそうだもん。


「ところで、結局のところさっきからなんの話をしてるんだ?」


 今まで沈黙を守っていた編集さんが、ようやくその口を開いた。


「「【倫也|倫也くん】は黙ってて!!」」

「……………………はい。」


 ――が、英梨々と恵ちゃんの声が見事なまでにシンクロしたため、編集さんはまたすぐに隅へ追いやられてしまった。編集さんはしょんぼりとした顔で、2人のいない通路側の方へ視線をずらした。


 あたしも共犯かな? だからあたしはぼんやりと流れる、窓の向こう側を見た。


 窓の外には海があった。

 磯に囲まれているから、視界が広いとかそんなことはないんだけど、もうすぐ沈もうとしている日の光を反射した海の色は、見事なまでに澄み切っている。綺麗だなー。


 あたしは海のその色に、さっき英梨々が見せたあの顔の色を混ぜてみた。


 英梨々と恵ちゃんは、今でも仲がいい友人だ。今日の2人を見ててもちゃんとわかる。

 でも、過去には当然ぶつかりあったこともあるんだよね……。あたしはその冷たかった頃の過去を、霞さんの文章からなんとなくだけど読み取っていた。


 海面には、ぶつかり合う2人の姿が、あたしの視界に浮かんでくる。

 あたしはぎゅっと、瞼を閉じた。


 ……英梨々、ありがとう。

 いつか絶っ対に、仕返ししてあげるからねっ!!

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