捕まらない作家の捕まえ方

「町田さん。霞先生が捕まらないって、本当ですか???」


 町田さんから急に電話がかかってきたのは、GWも半分が終わり、あたしも 『cutie fake』新作ゲームのサブヒロイン2人分を描き終えたばかりという、ちょうどその時だった。


 恵ちゃんがどこかの誰か(あの編集さんのことでもない誰かのことらしい)から聞いた話によると、このようなゲームを作る時は、メインヒロインは描くのは一番最後にするべきとのことだった。あたしにはその理由は今ひとつよく理解できなかったけど、そうすることで全体の完成度が高まるとか、そういう話なのかもしれない。

 とりあえず、英梨々がモデルの『河村かおり』ではなく、恵ちゃんがモデルの『佐藤さとみ』、氷堂美智留さんがモデルの『工藤くみこ』から描き始め、今その2人のデザインを描き終えたところだった。

 あたしは氷堂さんに会ったことはないけど、先日の打ち合わせで恵ちゃんとエチカが話す内容から、そのイメージで描きあげることにした。ちなみに英梨々は氷堂さんのことをほとんど話したがらなかった。『個人的事情』とやらで英梨々が話するのを拒んだためだ。


 なんであの時英梨々は氷堂さんのことを話したがらなかったんだろう?

 ……まぁ恵ちゃんの表情から、大した理由ではなさそうというのはなんとなくわかったけど。


 スマホの呼び出し音が鳴ったのは、あたしが自分の部屋でそんなことを考えていた、そんな時だった。GWより少し前から、あの霞さんが全然捕まらないというのだ。


「……GWだけに、単にどこかへ出かけてるんだけじゃないでしょうか?」

「そんなことないはずだわ。詩ちゃん、外に出かけるの元々好きじゃないし、それでも出かける時はいつも嫌々ながらも私に連絡よこしてくれてたもの。」

「…………はぁ。でも、今は昼の13時ですし、霞さん寝てるだけかも?」

「だといいのだけど……。」


 こんな連休の真っ昼間だ。霞さんは昼夜が逆転して、この時間は寝ている可能性のほうが高い。

 あたしにはそう考えるのが普通だった。


「あ、あいつ……あの編集さんはそのこと知ってるんですか?」

「それがTAKIくんも知らないらしいのよ〜。」


 まぁ、今のあいつは霞さんとはあまり接点なさそうだし、知らなくても無理はないか。


「そんじゃあ町田さん。霞さんから連絡あったら、町田さんにも連絡しますので。」

「うん。よろしくね。あ、あと霞先生の短編集の挿絵の方もよろしくね。まだ原稿届いてないと思うけど、ちょっと締め切り押してきているので、先に進められるところから始めてもらえると助かるわ。」

「了解です! それじゃあ、次の打ち合わせはGW明けくらいに。」

「よろしく〜。」


 こんな感じで、町田さんとの電話はぷつんと切れた。


 霞さんの原稿がギリギリになるのは、正直いつものことだ。『純情ヘクトパスカル』の挿絵担当して一年くらい経つけど、締め切りに余裕持ってあたしのところに原稿が届いたことは記憶にない。そのたびにあたしが悲鳴を上げながらなんとかオンスケに戻したりしていたのだ。……稀にあたしが我儘言うときもももちろんあるけど、それについては霞さんほどではないと、町田さんと共通認識のはずだ。


 ほんともうしょうがないんだから……。


 でも、そんな霞さんを心配して町田さんから電話かかってくるなんてことは、これまで一度もなかった。ましてや連絡もとれないとか。

 あたしの知ってる霞さんはいつもマイペースで、だけども礼儀はしっかりわきまえる律儀な人だ。こんな風に町田さんを心配させて困らせるなんてことは考えられないんだけど。


「霞さん、どこで何してるんだろ?」


 いつもとは違う何かが起ころうとしている。

 あたしはお絵かき用のペンを回しながら、そんなことを考えていた。


 ☆ ☆ ☆


 霞さんからメールが届いたのは、その日の深夜23時過ぎだった。

 何気なくPCに電源を入れメールをチェックすると、差出人『霞詩子』と書かれたメールが受信ボックスにあることを確認した。どうやらつい先程、送信されたものらしい。よかった、ちゃんと生きてたみたいだ。


 メールを開き、よく見るとそのメールには添付ファイルのアイコンが点灯している。


「……え? これ、原稿??」


 霞さんがメールで原稿を送ってきた? 原稿をメールで送られてくるケースは珍しい。

 メールの宛先は、あたしと町田さん宛になっている。どうやらこの原稿は短編集の方らしく、こっちには関係ない『純情ヘクトパスカル』のあの担当さんは宛先に含まれていないようだ。


 メールをもう一度確認すると、霞さんの一言が添えられていた。


---

 短編集一話の原稿です。

 遅くなってしまい申し訳ございません。

 霞詩子

---


 ぇ、それだけ……?


 なんだかあたしはどきっとした。

 こんな霞さんを見たのは初めてだったからだ。


 短編集の第一話というのは、モデルが英梨々のお話。確か第二話は霞さん自らがモデルのお話だったと聞いた気がする。その第一話を書くのに時間がかかってたということだろうか?


 あたしは恐る恐るそこに添付された原稿を開いてみる。


 それは、英梨々のほろ苦い恋愛談。

 過去から今に至るまでを描いた、短いながらも想いがぎっしり詰まった、やりきれない恋の物語がそこにあった。


 いつの間にか小説の世界へと引き込まれてしまう、霞詩子の魔力があった。

 相変わらず流石だ。

 でもあたしがいつも読んでる霞詩子とは、明らかに別の作品だった。

 

 なんだろ。鳥肌が立ってくる。

 あたしはその奥深くまで続く世界へ吸い込まれていく。


 そのあまりに短い短編小説をあたしはいつ読み終えたのだろう。

 そのことに自分でも気づかないほどだった。


 ……………………。


 ……なんなのよ、これ?


 ☆ ☆ ☆


「嵯峨野さん、霞先生と連絡とれたか知ってる?」


 GW明けの不死川大キャンパス内。これから不死川書店へ向かおうとしていた矢先、校門の少し手前で編集さんに声かけられた。あたしはどことなくぼおっとしていたため、編集さんに不意打ちを突かれた形になってしまった。

 なぜぼおっとしていたのかは、特にGW明けだったから……というわけではなく、まだあの小説のことが頭から離れないでいたからだ。

 ……あ、そっか。あの原稿、こっちの編集さんには届いてないんだった。


 今日は雲一つない快晴。こういう天気を五月晴れって言うんだっけ?


「あー、一応連絡はとれたみたいだよ。とりあえず生きてるみたい。」


 ……と、あたしはしらばっくれる。短編集に関しては諸事情によりこっちの編集さんにはまだその存在すら伏せられていた。その諸事情はつい先日まであたしは何も知らなかったけど、霞さんの原稿でその理由とやらを理解してしまった。


 やりきれない想い。英梨々の『今』が、どんな『過去』から成り立っているのか。


『せめて例の短編の方はあたしをしっかり描いてよ! それが真由の回答用紙だって、あたしもちゃんと受け止めるから。』


 その英梨々の言葉が、今になってちゃんと理解できたんだ。


 あたしの中でまだ頭の整理はできていなかったけど、少なくとも彼は悪くない。それは理解した。

 ……だけど…………。


「よかった。自分のところには何も連絡なかったから、無事で本当によかったよ。」

「今日の打ち合わせでは顔を出すんじゃないかな? ……たぶん。」


 今日の打ち合わせは、『純情ヘクトパスカル』の方の打ち合わせだった。なのでこの編集さんも参加することになる。

 だから今日は短編集のことを頭から切り離して、そっちに集中したい。そのはずだった。


「でも詩羽先輩ちゃんと捕まって助かったよ〜。ほら、町田さんからいろんな噂聞いてるから、俺、担当編集始めたばかりなのに、詩羽先輩にもう逃げられちゃったのかなって。詩羽先輩って一度引き籠もると外に連れ出すのがたいへ……ふにゃにゃにゃにゃ!!!!!」


 あ。……と、あたしが声を出す余裕もなく、不死川大の校門の前で待ち構えられていた霞さんに、編集さんは頬をつねられた。今日は特に容赦なく、めちゃくちゃ痛そうだ。


「あら〜、倫理くん。私、倫理くんに追いかけられるのだったら大歓迎よ。倫理くんがあのショートボブのブラックな笑顔を絶やさない加藤さんを捨てて、私と一緒に駆け落ちしてくれるなんて、最高の夜を過ごせそうね。」

「ひやひや、かけおちとか、ひゃいこうのよるとか、ひないから。ほもほも、めぐみは『ふらっく』ひゃなくて、『ふらっと』だから!!!」


 なお、霞さんは未だに編集の頬を離そうとしない。うん、痛そうだ。

 ……というか、『ふらっく』でも『ふらっと』でもどっちでもいいけど、それどちらにしても全然自分の彼女のフォローになってないよね、たぶん。


「霞さん、お久しぶりです。GWはいかがでしたか?」


 あたしはそっちの担当さんには悟られないよう、それとなく霞さんに挨拶をした。

 すると霞さんからの返事は意外にも素直なものだった。


「……あっちの方は迷惑かけてごめんなさいね。」

「いえ、そのことは……。でも町田さんも心配してましたし、そこにいる編集さんも一応心配していたみたいですよ。」

「ひちおうじゃなくて、ひゃんとひんぱいしてましたよ! それに『あっひのほう』ってなに!?」

「そこは倫理くんの心配するところじゃないわよ。でも私のことを心配してくれてたなんて、嬉しいわ。その御礼として、GW一緒にいられなかった代わりに、今晩一夜を明かすなんてどうかしら?」

「ほんなおれい、ひらないから!!!」


 どっちかというと、霞さんがこれまでの鬱憤を編集さんに晴らしているように見えた。

 その鬱憤とは……ひょっとしたらあたしが今抱えているものと同じなのかもしれない。


 そしたら、あたしは…………。

 

 なんにしても霞先生がちゃんと捕まって、本当に良かった。


 …………編集さん、痛そうだな〜。


 ☆ ☆ ☆


 あたしたち3人は、町田さんの待つ不死川書店の会議室に入った。

 『純情ヘクトパスカル』の打ち合わせは本来町田さんはノータッチのはずなんだけど、今日は『霞詩子GW逃亡騒動』の一件もあって、臨時で打ち合わせにも参加ということになった。

 今度売り出す『純情ヘクトパスカル』の新刊は、短編集よりも後の話なんだけど、どちらにしたって締切が押し気味なのだ。だからあたしもその締切に向かって、ちゃんと仕事をこなしていかなきゃいけない。


 …………なはずなのだけど。


「あれ、嵯峨野さん。今日持ってくるはずだったイラストの枚数、足りなくないかしら?」


 あたしの原稿チェックで、そのことに一番最初に気づいたのは、町田さんだった。


「ごめんなさい。ちょっとまだ描けてない部分があって。」


 町田さんの指摘通りだった。あたしはGW前半のうちは恵ちゃんのゲームイラストと並行で、順調に仕上げていたのだ。でもGWの途中から急にある部分が描けなくなってしまったんだ。


「全体にして2/3まで描けているし、まだ日にちあるから特に大丈夫でしょう。」


 ……と、編集さん。確かに今までのあたしの実績からすれば、特に問題ないレベルだ。

 そのはずなんだけど……。


「待って、嵯峨野さん。これ、『描けてない部分』てゆうのは、全部アンジェじゃないかしら? まさかあなた……。」


 そう、霞さんの指摘通りだった。

 アンジェ……それは『純情ヘクトパスカル』のメインヒロイン。学園ハーレムモノという作品の中で、序盤こそそこまで人気があったわけではないけど、最近徐々に人気急上昇というメインヒロインだった。

 あたしが今日持ってきたイラストは、全てアンジェが描かれていないイラストのみ。

 なぜなら、GW前半に描いていたアンジェは、突如あたしを襲ったもやっと感から、あたし自身が破り捨ててしまったから。


「う、うん…………。」


 あたしは弱々しい返事を返すしかなかった。気づくと町田さんもなんのことかピンときたらしく、あっちゃ〜……というような表情で、こめかみに手を当てている。


「まぁ大丈夫だよ。まだ日にちあるんだし、嵯峨野さんならちゃんと描いてくれるはずだって。」


 何も知らないのはこの編集さんのみ。まぁ仕方ない……。


「……で、どうするつもり。嵯峨野さん? ちゃんと描けるの?」


 霞さんの不安そうな視線があたしを突き刺した。口調は冷たく感じたけど、その声はどちらかというとあたしを心配してくれているようだった。


「なんとか……。だからごめんなさい。もう少しだけ時間をください!!」


 すると霞さんは、こんな風に優しく話を続けた。


「嵯峨野さん。アンジェはアンジェよ。他のキャラクターに重ね合わせる必要はない。だからまずはアンジェをちゃんと描いてほしいの。」

「そう……なんだけど、どうしてもこのアンジェの髪型を描こうとしたら……。」

「あの『泣き虫負け犬ポンコツ娘』のことは一旦忘れなさい!! あれはアンジェじゃないわ。」

「…………はい。」


 そう、アンジェの髪型というのはどういう理由からか……


「え、英梨々がどうかしたの?」


 何も知らないはずの編集さんは、その『キーワード』を的確に言い当てた。


 『純情ヘクトパスカル』のメインヒロイン、アンジェの髪型は、なぜか金髪ツインテールだった。

 だから自分の描いたアンジェをみた瞬間、あたしの頭の中でいつのまにか英梨々に脳内変換してしまい、気づくとその絵をグシャグシャにして、ゴミ箱の中に投げ入れていたのだ。


「それにしても、あんな金髪ツインテールのどこかがいいのよ? あんなのが一番人気なんて、私はやっぱり納得行かないわ。」


 ……と、霞さんはぼやく。それ、あたしをなぐさめようとしているのかな?

 でも、自分で作ったキャラクターなんだから……とツッコむ元気は今のあたしには残っていなかった。


 本当に捕まらない作家というのは、いざというときに描くことのできない、あたしのことかもしれない。

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