邪悪な作家との相見えかた
「それは引っかかるわーきっと何か裏があるわー……」
あたしが簡単な状況を説明すると、霞さんの反応はこんな感じだった。
てか霞さん。それどなたの真似でしょうか???
恵ちゃんから『ゲームを作らないか』と誘われた月曜日から2日後の水曜日。まだ四月の春の風が優しいと感じる午後の不死川書店で、あたしと霞さんは次の作品の打ち合わせをしていた。例の編集さんは今日は授業の時間の関係で遅刻だそうだ。
『せっかくだから倫理くんのいない間に短編小説の方の打ち合わせをしましょう』となった途端、あたしは『あっ(忘れてた)』という顔をしてしまったのだ。そのあたしの一瞬の表情を見逃してくれなかった霞さんは、同時に何か隠し事してるということも一瞬にして見抜いてしまい、あれよあれよという間に、月曜日にあった出来事を誘導尋問的に話すことになってしまった。
やっぱし霞先生相手には絶対に敵いそうにないね、うん今日それがよくわかったよ。
「すると加藤さんはゲームのシナリオを自分で作るって言ったのね。」
「……はい。」
「それは気に食わないわねぇ〜。私から倫理くんを奪うだけでは飽き足らず、ラノベ業界の女王の座も私から奪い去ろうという魂胆かしら?」
「…………いや霞先生。それはさすがにニュアンスがちょっと違うんじゃないかと……???」
恵ちゃん、さすがにそこまで考えてるようには見えなかったというか、どちらかというと自分の名前を轟かせるようなシナリオライターになりたいというよりも、もっと個人的な理由(どろどろした理由とも言う)で書きたい感じだったな。『blessing software』ほどのボリュームも求めてないって断言してたし。
「まぁそうね、あのブラックな加藤さんはそういう野心的なもので動くタイプの子ではないし、またいつものように誰かをぎゃふんと言わせたいとか、そんな風に考えているのではないかしら?」
「ですよね。……ってあたし何も喋ってないのに、あたしの考えてることを見抜いた感じで話すのはやめていただけないでしょうか!?」
こうなったときの霞先生、本当にまじ怖い。
「でもそうだとすると、一体誰をぎゃふんと言わせたいんでしょう?」
「さぁー? わからないわー」
霞さんはフラットになって答える。それも誰かの真似ですか?
「まぁ加藤さんのことだから、またいつものように痴話喧嘩……つまりターゲットは倫理くんの可能性があるわね。」
「つまりそれ、痴話喧嘩にあたしが巻き込まれてるってことでしょうか?」
それはそれでめんどくさそうだ。
「いや、あるいは…………。」
その時、霞さんはちらっとあたしの方を見たんだ。
そして何かを思い出したのか、狂い始めたように笑みを浮かべた。
「……うふふふふふふ。そういうことね、加藤さん。」
「…………え? なんのことでしょう???」
さっきまで霞さんはフラットになったり、話をはぐらかしてみたり、明らかに中途半端な表情を繰り返していた。それが今はどうだろう。明らかに狂気の沙汰としか思えない、いや、すっきりした表情に変わってる。
霞さんはあたしがまだ気づかない、何か大切なことに気づいたようだった。
「加藤さん小声で『真由さん怖い』って言ったと、さっき言ってたわよね?」
「はい。…………?」
え、そこに結びついてしまうの?
ってことは今回の件のターゲットってつまり……あたし!??
すると霞さんはさらに強い表情になった。どうやら作戦がぱっと閃いたらしい。
……どことなく、嫌な予感しかしないんですけど。
「いい、嵯峨野さん。よく聞いて。」
すると、霞さんはドアの前に誰もいないこと……あの編集さんがまだ来ないことを確認したあと、あたしに無茶な注文をし始める。
「嵯峨野さん、あなたはこれから倫理くんを加藤さんから奪ってちょうだい。」
「…………ぇ? ……………………ええっ〜???」
あまりにも素っ頓狂な無茶振りだ。てかどうしてそうなるの?
「そんな他人のふりしたって無駄よ。あなたがTAKIくんのことを密かに想ってることは私は気づいているわ。」
「いやいやいやいやいやいや、ちょっと待ってよ!」
確かに、『担当編集』とか『
……でも、それとこれとは話違わない?
それにあたしにはまだふたつほど、納得いかない部分があった。
「第一、あの編集さんのことを好きなのって、あたしじゃなくて霞さんですよね? あたしが加藤さんから奪っても、霞さんにはなんのメリットもないのでは?」
「そんなの、嵯峨野さんが加藤さんから倫理くんを奪ったあとに、私がゆっくりかっさらえばいいだけだもの。」
「ちょっと〜〜〜!!!」
もう話の流れからして無茶苦茶だ。
「それにそんなにあの編集さんのことが好きなら、あたしなんか利用しなくても、霞さん本人がその気になって恵ちゃんから奪ってしまえばいいじゃないですか〜!!」
すると微笑を浮かべながら、霞さんはこう返してくるのだ。
「嵯峨野さん。今の倫理くんは私や澤村さんではなく、加藤さんじゃなきゃダメだったの。でもそんな状況で嵯峨野さん、あなたが現れた。たぶんこれは倫理くんや加藤さんにとって運命というべきものね。そう、あなたならあの二人を別れさせることができる。私や澤村さんにはできなかったことを、あなたがやってみせるのよ。」
その言葉は、あたしにびしっと突き刺さる。
「……あの〜、あたしどう反応すればいいのだかさっぱりわからいのですけど〜???」
恋のキューピット、ならぬ、恋の
……え、あたしが????
いろんな意味で納得がいかない。
なんであたしがあんなやつを好きにならなきゃいけないのよ?
あたし、あの担当編集に未だかつてまともに相手にもされてないんだよ!
そしたら、霞さんがあたしをわざわざ利用しなくても自分でやればいいじゃん!!
だってそれ、あたしはどう考えたって関係ないじゃん!!!
……………………。
あたしは頭の中が空っぽになるかのように、真っ白になっていった。
ひと呼吸置いて、あたしは霞さんに舌をぺろっと出して見せた。
頭の中がすーっと開けてきたのを感じたかと思うと、なんだか逆に面白くなってきたんだ。
「わかったよ、霞さん。恵ちゃんからあの編集を奪えばいいんだね?」
「あら。急に随分と物分りが良くなったじゃない。」
「だって、こんなところで立ち止まりたくないし……」
違う。そうじゃなくて――
「……だって、こんなオタク女子に彼氏ができて、それでいて多くの人に認めてもらえる神イラストレーターにでもなれたりしたら、こんな素晴らしいことないじゃん!」
すると霞さんは急に目の色が変わった。
それはあたしではなく、どこか遠くにいる誰かを見ているかのようで。
優しくも、暖かくも、冷たい目の色に――
「つまりそれは、私に対する宣戦布告ね。」
「霞さん。あたしに倫理くんを奪ってほしいと言ったのはあなただよ。」
あたしと霞さんは、お互いに笑みを浮かべた。
不死川書店のビルの窓からは、夕日の光が差し込んでくる。その光は、明日もう一度日は昇ってくるということを、あたしと霞さんに知らせているかのようだった。
☆ ☆ ☆
「遅れてすみません。詩羽先輩に嵯峨野さん、待たせてしまって申し訳ございませんでした。」
編集さんがやってきたのは、短編小説の打ち合わせも終わった後、コーヒーで休憩をしているときだった。編集さん、仕事ではいつもちょっとだけ腰が低いというか、丁寧なところがあるよね。
「まったく、倫理くん。自分で申告してきた時間より30分ほど遅いじゃないのよ。」
霞さんは時計を指差し、そう言った。
確かに、編集さんは今日は18時半には来るって言ってた。それが今は19時だ。
「すみません詩羽先輩。英語の先生に捕まってしまって、なかなか帰れなかったんです。」
するとあたしはあっと思い出す。
「あ〜、この時間の英語の先生で時間過ぎても授業続けちゃうのって、ジョディ先生でしょ? 『次の時限まで30分休憩時間があるからって、いつになっても帰してくれない』ってあたしの友人もぼやいてたよ。」
「そうそう、ジョディ先生。あの人、宿題も多いから大変なんだよ。」
「うんうん、それも言ってたな〜。そのおかげで他の授業の準備時間が足りなくなるって。」
ちなみにそれを言ってた友人というのは恵ちゃんだってことは、こいつには言わないでおこっと。
「…………ごほん。」
……あ。
その咳払いの音の方に振り向くと、なんだか相当イライラしている霞さんの顔があたしの視界に入ってきた。
「じゃー、遅れましたけど今日の打ち合わせ、早速始めましょうか。」
「はーい。」
「……とっとと始めましょ、倫理くん。」
あの〜、繰り返し確認しますけど、あたしに倫理くんを奪ってほしいと仰ったのは、霞さんでしたよね?
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