ほろ苦い対談の進め方
朝起きると、女の子……柏木さんはあたしのベットからいなくなっていた。
あたしは箪笥の奥にあった予備の布団をベットの横に敷いて寝ていたはずだけど、柏木さんがいつ起きたのか、全く気づかなかったようだ。柏木さんは何事もなかったように居間にいて、黙々と朝食を食べていた。
それにしても眠い。寝ぼけているせいか、昨晩の記憶のどこからどこまでが夢の中だったのか、ほとんど判別できていない。
「お。真由おはよう。なかなか起きないから先に朝食食べ始めてたぞ。」
「今日は土曜だし、大学のない日くらいゆっくり眠っててもいいでしょ。」
「と言っても真由、今日は仕事じゃなかったか?」
「だからこの時間に起きたんじゃん。」
時計の針は朝8時半を指していた。でもやっぱし眠いよ……。
「ところで、兄の作ったご飯おいしい? えっと、か、か……?」
「あたしの名前は澤村・スペンサー・英梨々。……うん、まぁ料理の味は美味しいわ。」
あ、澤村さんって言うんだ。澤村さんは特ににこりともせず、さらっと答えた。
「本当はカップ焼きそばとかのほうが好きだけど……」
そしてその小さくぼそっと発した単語をあたしは聞き取ってしまった。
「え、カップ焼きそば?」
「……ん、あ、いや、なんでもないわ。」
今度はにこっと笑いながら答えた。さっきのが本音なのかどうなのかわからなかったけど、というより柏木さんってお嬢様という噂があった気がしたけど記憶違いだったかな。
ただし、昨晩のだらしない姿はどこへやら。我が家のシャワーを借りたらしく、今朝は金髪のツインテールがさらりと伸びていて、その顔にも昨晩ぐしゃぐしゃと泣いた跡はどこにも見られなかった。やはり家柄の良いお嬢様なのは間違えなさそうだ。
「それと聞いたか、真由? 澤村さん、あの柏木エリ先生なんだってよ。」
「へ、へぇ〜……。」
うん、知ってるってば。昨晩いつ眠りに落ちたのか記憶が定かでないけど、この女の子が柏木エリ先生であるという記憶だけははっきりとしていた。
「それより兄さん、ちゃんと澤村さんちに連絡したの?」
「あたしのうちに連絡する必要はないわ。泊まりで絵を描くのはほとんどいつものことだし、だから両親もあまり気にしてないはず。」
「さすが売れっ子絵師……。」
あたしと兄はきょとんと聞いていた。
☆ ☆ ☆
「どうして澤村さんと嵯峨野さんが一緒に来るのかしら? ……まぁ倫理くんと一緒に来た昨日ほどショックはないけど、驚きは今日のほうが上ね。」
「……え、昨日は倫也と一緒だったの!??」
「…………いや、だから…………『運命』ってやつ?」
霞さんと柏木さんの怒涛の質問攻めに、あたしは苦笑いしながら答えるしかなかった。てか昨日も今日もどう考えたって事故でしょ!
お昼より少し前。不死川書店の会議室に集まったのは、町田さん、霞さん、柏木さん、と私という女性4人だった。あたしの横に町田さん、向こう側正面に霞さんがいて、その右側に柏木さんが座っている。
「今日の目的は
町田さんはいかにも楽しそうに、お茶をすすって飲んでいた。
「ちょっと、霞ヶ丘詩羽。『ほろ苦い恋愛』っていったいどういうことよ? あたしは絵描きの嵯峨野文雄先生と対談してほしいって言われたからここに来たんだけど。」
「だから、嵯峨野先生ならあなたの目の前にいるでしょ? 今更嵯峨野さんが『男』だと思ってたのかしら?」
「……別にそういうことはないけど。」
「あの〜……嵯峨野文雄です。一応あたしが『文雄』だってことは黙ってていただけると助かるんですけど……。」
ここって自己紹介をするタイミングだったのか自分でもよくわかっていなかったけど、柏木さんはどういうわけかあたしの顔をじぃーっと見続けている。
……あれ。ひょっとして、昨晩のこと記憶にないのかな?
あたしたちの前にはちょっと高そうなお弁当が4つ並べられた。名目としては確かに霞さんの取材なのかもしれないけど、これ単なる女子会のようにも見えなくもない。するとその弁当の包み紙を見て、理由はもっと単純明快だったことに気づいてしまった。
懐石料理『青川』……って、前に町田さんが食べたいってゆうてたお店の名前だよね。
「でも『ほろ苦い恋愛』って言っても、あたししょっちゅうアキバへ出かけるようなただのオタクだし、そんな経験したことないよ。」
真面目な話、本当にそうなんだからどうしようもない。そりゃ確かに男の人と一緒にデートとかしてみたいとか思わなくもないけど、そういう自分を全く想像ができないのだ。
「嵯峨野さんそこは安心して大丈夫よ。何しろオタクはオタクでも、去年そんな馬鹿な恋愛して見事にフラれた女がここに2人もいるわ。まぁ私はまだ諦めたつもりはないけどね。」
「は……はぁ…………。」
「ちょっ……霞ヶ丘歌羽。あたしまで引き合いに出さないでよ!!!」
霞さんの話は以前にも本人から聞いていたけど、やはり柏木さんもそうだったのか。
つまり昨日聞こえた寝言の名前は、まさにあいつのことだったようだ。
「それに嵯峨野さん、あなた今恋愛してるつもりないって、本当に言いきれるのかしら?」
「……え、どういう意味でしょう???」
「昨日だって倫理君と一緒にここに来て、聞けば大学も一緒って言ってたわよね?」
「は、はぁ〜……。」
「実は倫理君のことが大好きで大好きでたまらなくて、一緒の大学を受験してたってことはないかしら? そう、無意識のうちに。」
「あの〜霞さん。そろそろあたしとあいつをくっつけたがるの止めていただけないでしょうか?」
心外だ。……だと思う。
ちなみに柏木さんは相変わらずあたしのことをぼおっと見つめていた。
「そもそも……霞さんにこういうこと聞くの失礼かもしれないけど、あのいかにも頼りなさそうな編集の、どこがいいんでしょうか?」
「そう、それよ! それがいかにフラグかってことに、嵯峨野さんまっったく気づいていないのかしら?」
「…………へ?」
あたしは思わずいつもより1オクターブ高い声を出してしまった。
「そのきょとんとした表情、私が加藤さんに初めて会った時のあの表情にそっくりだわ。そうやって私達を油断させて、最後は倫理君を奪っていくのよ。後からひょっこり出てきただけのくせに!」
「いやだからその……そんなめんどくさいのあたし興味ないんですけど。」
「そうよ、加藤さんは『めんどくさいのは嫌い』とか言いながら、倫理君を奪っていったのよ!! あぁ〜、思い出すだけでも不愉快なお話ね。」
「ふぇ〜…………。」
なんでそうなるの……?
「とにかく嵯峨野さん、あなたを見ていると加藤さんと近い何かを感じざるを得ないのよ。その何かの正体まではまだはっきり掴めてないのだけど。」
「何か……ですか?」
もはや話せば話すほどドツボにはまりつつあった。霞さん、ちょっと怖い。
加藤さんというのは昨日あの頼りない編集と歩いてた叶巡璃さんのことなんだろうなぁ。でも霞さんはその加藤さんとあたしに、何か共通点を見出しているってことなんだろうか。あの子、どう見てもあたしみたいなオタクではなく、ごく普通の女の子って感じだったけど??
「でもあたし、前からあの編集さんの話を霞さんから聞かされてたけど、柏木さんもあの編集のことが好きだったってことなんですか?」
「ええそうね。まぁ結局のところこの負け犬ぽんこつ娘は倫理君のただの幼馴染にすぎないけれど。」
「霞ヶ丘詩羽っ! 嵯峨野さんはあたしに質問してるのになんであなたが答えるのよ? それにあたしは負け犬でもぽんこつでもないわよ!」
ただの幼馴染……。その割に柏木さんの反応は可愛いかった。あの編集、霞先生の高校の後輩にして、柏木先生の幼馴染。なるほど、伝説の名作『cherry blessing』が誕生した背景が見えてきた気がした。
それにしてもこの2人、いつもこんな感じで作品を作っていたのだろうか? これではまるでコントである。これ、あの編集はともかく、加藤さんもいろいろ苦労したんだろうなぁ。
「そうやってきゃんきゃん吠えてるところが負け犬だって言ってるのよ。」
「それはいちいちあんたが突っかかってくるからでしょ! 第一、今のあたしはあんたと違って倫也なんて眼中にないのよ。」
「……………何言ってるの? 澤村さん!??」
唐突な柏木さんのカミングアウトに、今度は霞さんがきょとんとしてしまった。それにしてもなんでこういう展開になるのやら。今日の対談の趣旨がわからなくなってきたよ。
「あたし、今別の男に夢中なの。優しい声で優しく囁いてくれるとっても包容力のある男の人なんだから。顔もめっちゃイケメンだし、すっごくかっこいい人なの!」
急に柏木さんが乙女ちっくな話を始めたので、あたしもやはりきょとんとせざるを得なかった。
「だから何を言ってるのかって聞いてるのよ、澤村さん? あなたはまだ倫理くんに対して吹っ切れたわけではないって、私にはそう見えるのだけど。」
「見くびってもらっては困るわ、霞ヶ丘詩羽。それにあたしがどんな男を好きになろうとそんなのあたしの勝手じゃない。」
「いや、そういう話をしているわけではなくてね……。」
きっぱり自信満々に言い張る柏木さんに対し、霞さん疑問の目を投げかけている。その目は柏木さんを信用していないとかそういう話ではなく、むしろ逆で、柏木さんのことを理解しているからこその疑いのようにも感じた。だって霞さん、相手の心を操ることに関してはプロ中のプロだから、柏木さんの中で何か揺れ動くものがあるとするなら、それをいち早くキャッチできる人なのではないかって。
というのも、あたしも柏木さんに対して、霞さんと同じ疑問を抱いていた。
なぜならあのとき彼女は…………。
ちなみに町田さんは小さな笑みを浮かべながら、黙々とお弁当の味を噛み締めていた。
☆ ☆ ☆
結局対談はその後も2時間ほど続いた。テーマとしては『ほろ苦い恋愛』という話だった気もしたけど、そんな話題で持つはずもなく、気づくと最近のアニメの作品論が中心となっていた。結局あたしたちの共通点はオタクだったということなのだろう。
霞さんは今日の対談の内容をまとめるということで、町田さんと会議室に残り、あたしと柏木さんは先に帰ることになった。まだ夕暮れと呼ぶにはかなり早く、街は人の行き来も激しい昼下がりだった。
「ねぇ、柏木さん?」
「なに、真由さん?」
……あれ? さっきまであたしのことは『嵯峨野さん』って呼んでなかったっけ。
「あの編集……安芸くんのこと興味ないって本当なの?」
あたしは対談中もずっと、どうしても引っかかっていた。それは昨晩の柏木さんの泣き顔がどうしても頭から離れないでいたから。
すると柏木さんは何かをごまかすように、くすっと笑って答えた。
「あたし、文雄さんのことが好きになってしまったかも。」
「…………………………………え?」
どういう意味?
「昨晩あたしを文雄さんの家に泊めてくれて、あたしが寝るまで、優しい手であたしを撫でながら、ずっと優しい言葉で語りかけてくれて………」
「ちょっ、ちょっと待ってよ!!!!!」
えっと〜、これはひょっとして百合的な展開!?
「あたし最近仕事が忙しくて、自分が描いてる絵もなんだか自分のものとは思えなくなってきて、ずっと寂しかったんだ。でも、文雄さんの優しい声を聞いたら勇気が湧いてきそうで。」
「だから、あたしはそんな展開…………」
勘弁してください……。
すると吹っ切れたような笑顔で、柏木さんはあたしにこう言った。
「だから文雄さんによろしくね、真由さん?」
「…………………はい?」
あたしは自分が勘違いしていることをようやく理解した。
というより、柏木さんに『あなたは寝ぼけていた』と、ちゃんとした真実を伝えたほうがいい気がした。だけど、柏木さんのその澄み切った笑顔にあたしは負けてしまい、真実は闇の中へ伏せられた。その顔は自信満々で、絶対に幸せになってやる!と、そう柏木さんが誓っているように見えたからだった。
……いいのかな〜? こんなことで。
そのとき、春の午後の涼しい風が、あたしと澤村さんの身体を包み込んだ。
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