第22話 食卓にヴェリーヌの花を
テーブルクロスは真っ白なリネン。
白い絹糸のミニバラの刺繍が、シルクの上品な光沢で、クロスを縁どっている。
その上に繊細なレース編みのドイリーが踊り、透明なグラスに盛られたムースやサラダやフルーツやゼリー寄せなど、小さなグラスの名を持つ料理、ヴェリーヌが、春の庭の花のように食卓に咲いている。
ヴェリーヌを盛り込んだ吹きガラスのグラスは、ころんとした形、真四角なサイコロのような形、取っ手のついたマグカップのような形と、さまざまな姿をしている。
温かなビシソワーズは、取っ手のついたシルバーのカップホルダーにおさまっているグラスに満たされている。
ヴェリーヌ料理は、食材の色彩の饗宴。
料理の鮮やかさが透明なグラスに映える。
壁際の小さな丸テーブルには、プチシュークリームを山盛りにした細い銀のひもを編んで作ったかごが置かれている。
プチシューには、カスタード、ホイップクリーム、チョコレートムース、ジェノバペースト、ホワイトチキンシチュー、トマトクリームソーなど、フィリングがとりどり詰められている。
「食べてみるまでお楽しみ、です」
「食べてみたらのお楽しみ、です」
フェザリオンとティアリオンは、お揃いの白いフリルのエプロンをしている。
フェザリオンは、キュロットパンツルックの上に。
ティアリオンは、ドロンワークのワンピースの上に。
今日は、スエナガさんの個展のオープニングパーティー。
私は、少しだけおしゃれして、ガーベラをまとめた小さな花束を持って、カフェを訪れた。
華やかなドレスは持っていないけれど、シルクシフォンのとっておきのスカーフを巻いて。
スカーフの淡いピンクに映えるようにと、カフェのパティオの摘みたての薔薇のコサージュを、フルモリさんがつけてくれた。
悩んだ末に、スエナガさんは、パフォーマンスはとりやめにして、カフェの風景のスケッチ画を展示することにした。
淡い水彩で描かれた、パティオに咲く花、カウンターに並ぶ食器やジャムやピクルスの瓶、アンティークの照明器具、窓辺のハーブ、ランチの一皿、みがかれたスプーン、カプチーノに添えられたシナモンスティック、ドアに飾られた杜松のリース……
いずれのスケッチにも、カフェ ハーバルスターのかけらが、きらめいていた。
スエナガさんのリクエストで、本日のBGMは生演奏。
フェザリオンとティアリオンが、普段は飾り棚になっているアップライトピアノを弾くことになっていた。
二人は、楽譜と鍵盤を見比べて、しばらく思案してから、弾き始めた。
連弾のハノン。
どうやら二人はピアノは苦手なようで、ごく初歩的な指の運動の楽曲でもあるにも関わらず、指がこんがらがって、音をはずす。
音をはずすと、二人は顔を見合わせる。
横に長い椅子に腰かけたまま、足をぶらぶらさせている。
「ピアノ、すらすらと弾けるんだと思ってた」
私がつぶやくと、フェザリオンとティアリオンは、揃って顔だけこちらに向けて
「メロディが流れ出すと、音符が踊りだすのです」
「音符が踊りだすと、正しい音がわからなくなってしまうのです」
不思議な世界の魔法の出来事のようなことを、二人は言っている。
「気が散っていると、そういう風に見えるんじゃない」
「いいえ。集中してます」
「し過ぎるほどしてます」
二人にそろって言い返されてしまった。
「じゃあ、むしろ、集中し過ぎで、めまいがしてるとか」
「いいえ、楽譜か鍵盤か、どちらかに魔法がかけられているのです」
「試しに、弾いてみませんか」
成り行きで、ピアノを弾くことになってしまった。
お稽古がいやで高校の途中でピアノをやめてしまって以来、もう何年も鍵盤に触っていないのに。
何冊か重ねられている楽譜の中から、ツェルニーを選んだ。
ハノンでは飽きてしまいそう、ソナチネを弾くにはブランクがあり過ぎる。
そこで、間をとってツェルニー。
まず、指ならしで、ハノンを弾いて、それからツェルニーの楽譜を開いた。
思っていた通り、ほんの少しのハノンでは、ブランクは埋められない。
パーティーの雰囲気を壊さないようにと、緊張して、ほてって、指をなんとかよろけてからまらないように運んでいるうちに、じんわりと、汗がにじんできた。
弾き終わると同時に、銀のトレイが目の前に差し出された。
オリオンさんからのサービス。
トレイの上には、キウイのグラニテのグリーンが爽やかなソーダフロートがのっていた。
グリーン・オン・グリーンで、グラニテには、ドライペパーミントがひとつまみ、トッピング。
ひとかけでも清涼感の洪水になるミント。
息を吸い込むと、すーっと頭の芯まで目覚めていく。
グラスをとって、ひと口。
今度は、頭の芯から全身に、心地よい涼しさが広がっていく。
三分の一ほど飲んで、グラスを置く。
それから、目を閉じて、深呼吸。
自分のペースがもどってきた。
そうだ。
指の調子がもどるまで、ハノンを弾こう。
ここでは、誰もが、自分で、いる。
戸惑ったり、ひるんだり、遠慮したり、息まいたり、勢い余ったりすることもあるけれど。
そうしながら、この場を、この時間を、つくっている。
私の指は、ミントのひとつまみの魔法で、鍵盤の上を滑らかにすべりだした。
さて、個展をきっかけに、偏った作品を扱うので有名な出版社から、スエナガさんの画集が出ることになった。
個展を見に来た、販路は狭いけれど実直な地元のカンパニーの社長が、フルモリさんが記名ノートに記した「個展に寄せて」と題した詩を気に入って、フルモリ青年も詩集の出版が決まった。
カフェオリオンは、ネコヤヤさんのリトルプレスから火がついて、アートスペースカフェとしていくつかの雑誌に取り上げられ、半年ほどお客が増えた。
けれど、それも、もう半年後にはもとの通りにもどった。
オリオンさんは変わらずオーナーをしているが、フェザリオンとティアリオンの姿は見えなくなった。
「里帰りです。いつ帰ってくるのかは、二人に任せてあります」
オリオンさんが、にっこりしながら言った。
私は、二人の代わりに、フロア係をするようになった。
そして、時おり、胸に巣食う憂いの魔物を弱らせようと、カフェ ハーバルスターの扉に掛けられているジュニパーベリーの葉を数えている。
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