第20話 フルーツボンボンと紅いほっぺ
「さて、では、そろそろ本題に入りましょう」
ネコヤヤさんは、リトルプレス『millefeuille』を閉じて置くと、みんなを見渡して言った。
「本題?」
「今回のカフェハーバルスターでのギャラリーイベントが、周辺に与える影響のプラス面とマイナス面の検討及びマイナス面を未然に防ぐ方策の事前準備について」
なんだかいきなり生真面目な討論会の気配だ。
「一般的には、ギャラリーへ来るお客さまは、作品を見る、作家を知る、作品を購入する、それが目的。カフェに併設のギャラリーでは、そこにカフェだけを利用しに来るのが目的のお客さまが一定数いることになる」
「ああ、そっか」
「その一定数のお客さまが、ギャラリーへ来る、よきお客様になる可能性がある。コーヒーを前にぼんやり過ごしている時にふと展示物に目が入ってほっと和む、遅刻の連絡が入った人を待つ間に展示物を観賞しているうちに遅れてきた相手におおらかな気持ちで対応できる」
「そうなったらいいかもだけど、ちょっと都合が良すぎるような気も」
「あくまで可能性。始める前からマイナス思考になってしまっては、始めることすらできなくなってしまうじゃない」
言いきったネコヤヤさんに、一瞬、みんなの視線が集まった。
「とにかく、カフェで展覧会をするのであれば、作品や作家が必ずしもメインになるわけではないってことも考えないと」
「じゃあ、メインになるのは」
ネコヤヤさんは、顎に軽く握った右手を当てて、人差し指で自分の頬を軽くたたきながら言った。
「美味しいもの、よ」
もう一度、みんなの視線が、ネコヤヤさんに集まった。
「そこを踏まえておかないと中途半端な空間になってしまって、お客さまにもカフェにもよくない影響が出てしまう、きっと」
「私は、自分がメインディッシュになろうとは思っていない」
スエナガさんは、ちょっと心外そうだ。
「では、なぜ、カフェを展示会場にしようと思ったの」
「それは、あのカフェが好きだからだ。カフェの空間も、設えも、カフェの人々も、そして、なにより最上の味わいのメニュー! あそこで、飲み、味わい、人々と接することが、私の作品の源に力を与えてくれるのだ」
スエナガさんが、大いに語っている。
「でしたら、ぜひ、関連メニューをオリオンさんに作ってもらいましょう」
ネコヤヤさんは、頬をたたくのをやめると、少し考えてから口を開いた。
「それは、いいですね。カフェで展覧会を開催する楽しさですね、そういった食とのコラボは」
私が同意を示すと、ネコヤヤさんは意を得たりとばかりに具体的な話を続けた。
「会期中はいつもとは違う趣向があると、まず事前に告知しましょう。カフェで“いつものように”静かに過ごしたいだけといったお客さまのために。ちょうど新メニュー紹介のリーフレットを作成する時期なので、オリオンさんと相談して告知記事を掲載できるわ」
「告知したら、作品と出会った時の驚きというスパイスが効かなくなってしまうではないか」
スエナガさんが異論をはさんできた。
「くりかえしになるけど、昨日まで普通のカフェだったのに、今日来たらいきなりパフォーマンスが始まったというのは、きっと、一般のお客さまは戸惑ってしまう」
「その戸惑いがよろしいのではないか」
「だから、それは、作品発表主体の場所であればいいのだけれど」
「それでは、つまらん」
「つまらんって、オリオンさんのカフェに来る人は、ハプニングを求めてはいないんじゃない」
いつの間にか二人は言い合いになっていた。
ネコヤヤさんとスエナガさんのやりとりは、決着がつきそうになかった。
フルモリ青さんは、自分の世界に入って何かノートに書きつけている。
こっそりのぞくと、どうやら議事録を詩の形で取っているようだった。
彼なりにちゃんと話し合いに参加していてくれている。
けれど、私は、二人のやりとりにはらはらし通しで、オリオンさん特製のピクニックディッシュの味もわからなくなってしまっていた。
このままでは、せっかくの戸外の楽しい時間が台無しになってしまう。
「あ、あの、いったん、お話を元にもどしませんか」
私は、思いきって声をかけた。
そして、スエナガさんとネコヤヤさんに、出がけにフェザリオンとティアリオンからこっそり手渡されたものを差し出した。
「甘いもので、ひと息入れませんか」
私の両手のひらの上にはレース模様の布で覆われたカルトナージュの小箱。
ふたを開けると、白地に淡い五色の花びらが漉き込まれたやわらかな和紙の包みが入っていた。
包みの中には、小指の爪くらいの大きさのボンボンが詰められていた。
すりガラスのような質感の中に透けて見えるのは、赤色はストロベリー、黄色はレモン、緑色はマスカット、ピンク色はピーチ、紫はブルーベリー、カラフルで愛らしいフルーツボンボン。
「きれい、それに、いい匂い」
ネコヤヤさんの表情がゆるんだ。
「ふむ、クリスタル・ボンボンだな。なかなかこじゃれているじゃないか」
スエナガさんは言いながらさっそく一つつまんで口に放り込んだ。
「これは、ホワイトデーのサービスにオリオンさんが作っていたものですね」
ペンを走らせる手を止めて、フルモリさんが言った。
「雪がしんしんと降り積もる中、すりガラス窓の向こうに見える紅いほっぺのイメージで作って欲しいと、私がオリオンさんに提案したのだ」
スエナガさんが思い出したように言った。
「小さな一粒に、そんなイメージを封じ込めているんですね」
小雪のちらつく中、大切そうに何かの包みを抱えて、息を切らせて走っている雪国の女の子の姿が、鮮やかに浮かんだ。
「そうね。悪くないわ」
ネコヤヤさんは、ボンボンを口に含んで、誰にともなくつぶやいた。
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