第16話 スタッフ・ド・ブリオッシュとラズベリーピンクレモネード


「それでは、諸君、よろしいかな」


 いつのまにかスエナガさんの口調が演説風になっている。


「まずは、創作のイメージが固まったことに、乾杯!」


 テーブルを囲んだメンバーは、スエナガさんの掛け声につられてグラスを掲げた。


 グラスには、きれいなクランベリーピンクのレモネード。

 ミントアイスがカランという音ともに溶けて、さわやかな香りが届く。


 今日のメンバーは、スエナガさん、遅れてきたフルモリさん、オリオンさん、フェザリオンとティアリオン、そして私だ。


 乾杯が済むと、オリオンさんと フェザリオンとティアリオンは、カウンター内へもどっていった。


 フルモリ青年は、無言でグラスに口をつけている。

 なんだか、今日は、元気がないみたいだ。


「さて、個展の日取りをまず決めようではないか。日取りを決めるには、会期を決めなければならない。会期は、そうだな、秋がいいだろう。十一月の初め頃は、どうだろう。野山は染まり、黄金色の季節だ」


 スエナガさんは、グラスの飲み物を味わいながら、話を進めていく。


 ちょうど、今から三カ月後になる。

 テストもない頃だし、レポートの〆切に追われていることもない頃だ。

 学祭はいつだったかな。

 参加予定はないから、よくわからない。


 私も、レモンとクランベリー、柑橘とベリーの酸味の違いとそれがうまくミックスされているのを味わいながら、思考を巡らせる。


「会期中は、通常営業でやってもらう。パフォーマンスと朗読会は、営業時間外と、特別に日曜日に開催させてもらうことにしたい。パフォーマンスと朗読会は、参加費用は、そうだな、1コインがよいだろう。1ドリンク付きにして。どうだね」


「参加しやすくていいですね。でも、スエナガさんは、もっと、厳粛な個展をされるのかと思っていました。純粋に作品を鑑賞するだけの」


「そうかね。いずれ、厳粛な個展をすることもあるだろう、ん? いい匂いだな」


 焼きたてのパンか何かの香ばしいバターの香りが、会話をさえぎった。

 フェザリオンとティアリオンが、テーブルに料理を運んできた。


「胃をあたためるのに、こちらをどうぞ」

「胃をあたためると、よいアイデアが生まれます」


 二人の言葉とともに、窓際のいつもの集いの席に、美味しそうな一皿がサーブされた。


 とろけるバターの香りは、小ぶりの三日月型のパイからだった。

 焼きたてのパイの表面で、生クリームから生まれた黄金色のバターが、くつくつと音をたてている。


 パイは大皿の真ん中に盛られ、その周りには、サイコロ型のカラフルな野菜のゼリー寄せとクミン・シード入りのクリームチーズが上部をくり抜いて盛り込まれているスタッフ・ド・ブリオッシュが並んでいる。

 パイとパン。

 かなりボリューム感のある一皿だ。


「ふむ、しゃべり過ぎて、小腹がすいてきたところだった」


 スエナガさんはそう言うと、早速一つつまんで、両手でパイを半分に割った。

 中から肉汁の湯気がもわっと溢れ出て、バターと相まって香ばしさがいや増した。


「そちらは、ミートパイになります」

「サーモンパイもあります。お好みで、どうぞ」


「サーモンパイ、え、どれだろ?見た目ではわからないな。ねえ、フルモリさん」


 ついはしゃいでしまって、フルモリ青年に私は声をかけた。


「パイの中に何があるかは、食べてみるまでわからないものです」


 手にしたパイをじっと見つめて、フルモリ青年が独り言のようにつぶやいた。

 

 もしかして、私、はしゃぎすぎた?

 そっか、スエナガさんの個展のことばかりだったものね。

 朗読会のことも、話し合わないと。


「今日は、どこかへ寄ってきたのかね、フルモリくん」


 と、私より先に、スエナガさんが声をかけた。


 フルモリさんは、少しためらってから、意を決したように口を開いた。


「原稿の持ち込みに行ってきたのです」

「街の中央の出版社にかね」

「はい。懇意にしている知り合いがいて、二人であたためてきた本の企画があったのです」

「詩集ですか」

「はい。企画は通っていて、今日は、編集部にごあいさつにうかがったのです」


 そこで、フルモリさんは、いったん言葉をきると、ため息とも何ともつかない小さな息をついた。


「うかがったのですが、突然経営者が変ったとのことで、企画が、先送りになってしまったのです。知り合いも、どう切り出していいか困ってしまい、今日まで黙っていたとのことでした」


 私は、え、そんなひどい、と、両手で口を押える仕草をした。


「ふむ、それは、ペンディングというやつだな。残念ながら、その企画は永久に先送りだな」


 スエナガさんが、訳知り顔で、無遠慮に言った。


「そうです。もう、僕の詩集は、世に出ることはないでしょう」


 フルモリ青年は、寂しそうに笑うと、グラスに口をつけて、静かに飲み干した。


「まあ、そう気を落とすな。私を見よ。今まで、美術館やギャラリーから、個展を依頼されることがなくとも、画家としてやってきておる。どこから見ても画家だろう、なあ、ネズのお嬢さん」


 急に振られて、私は、目をしばたたいた。


「え、と、個展は依頼されなくても、自分で場所を借りて開いてもいいわけだから、芸術家は名乗ってしまえばその時から芸術家だと思います」


「さすがだな、ネズのお嬢さん。わかっておる。ここに、スピリットを持っておるかが重要なのだ」


 スエナガさんは、自分の胸をこぶしで叩くと、「スピリットなのだよ!」と、フルモリさんに訴えかけた。

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