第13話 ローズヒップコーディアルとサクランボのクラフティ
カラフルなマスキングテープが巻かれたウッドピックでイカボールを刺して、まずはひと口。
きれいな油で揚げていて、うっすらと周囲がきれいな焦げ色がついていて香ばしい。
シソの風味と紅ショウガの辛みがイカの生臭みを感じさせない。
もちろん下拵えも完璧なのだろう。
2個めは、七味を軽くふってみる。
七味はイカの風味を引き出すようだ。
3個めは、七味にホームメイドマヨネーズで。
イカタコ類の揚げ物は、マヨネーズが合う。
揚げ物を食べているとビールが欲しくなるところだけれど、揚げ物であってもこの軽さだと、白ワインでもいいかもしれない。
などど飲むことを考えてしまうなんて、会の趣旨からすれば不謹慎だ。
「お熱いうちにおめしあがりください」
「お熱いうちがおめしあがり時です」
フェザリオンが、チャイニーズ・ダンプリングがのったレンゲを両手で掲げて差し出した。
ティアリオンが、小皿のお酢に、彼女の腕の長さはありそうな30cm以上はあろうかという大きなペッパーミルで、ガリガリっと黒胡椒をひいた。
レンゲを受け取ると、ティアリオンが、練り辛子の容器に付いているような小さなスプーンで胡椒酢をすくってレンゲにかけてくれた。
「さあ、ふーっ、として」
「さあ、ふーっ、ふーっ、として」
二人は並んで口をとがらせた。
そうしてせまられると、食べないわけにはいかない。
「いただきます」
レンゲから、つるん、とダンプリングは口の中へ。
軽く歯を当てると、ぷるんとした皮の感触とともに、ぷちっとはじける音がして、スープが溢れてきた。
具材はかなりしっかりめに詰められていている。
1個でも満足の満たされて具合だ。
自分はさほどグルメとは思っていなかったけれど、ここで出される料理を食べていると、自然と食のイメージが広がっていく。
と、こほん、と咳払いが聞こえた。
「そろそろよろしいかね、諸君」
スエナガさんが手にしているのはピックにお団子のように3個連ねたイカボール。
スエナガさんはピックをひと息に横になぎ払ってイカボールを口にほうり入れた。
ずいぶんなお行儀だ。
「スエナガさん、個展のテーマは決まってるのですか。作品は、油絵?パステル?水彩?」
スエナガさんは、ゆっくりとイカボールを味わい尽くしてから、
「パフォーマンスだ」
と、すました顔で答えた。
「パフォーマンス? 作品を展示するのではなくて?」
「最終的に、作品も展示する」
よくわからない。
個展というのは、既に出来上がった作品を展示するものではないのだろうか。
観覧者が何かしら参加するというものもあるのかもしれないけれど、ここはカフェだし、そうそう無茶なことはできないのでは。
その危惧を代弁してくれたのは、詩人の青年だった。
「パフォーマンスは、朗読する僕の担当ですよ」
「ふむ。フルモリくん、きみは詩人のわりには、少々頭が固いようだね」
「頭の固さは、詩作とは関係ありません。例え固くても、その固さが生む言葉もあるのです」
お、いいね、詩人の青年……「フルモリ」っていう名前だったんだ。
フルモリさん、どんな字を書くのかな。
ブルーデニムのあせた、けれど清潔に着古したシャツに無地のカーキ色のTシャツ、細い足になじんだジーンズといったいで立ちの詩人のフルモリさんは、よく見たらなかなかきれいな顔立ちをしていた。
髪もやわらかなウエーブで、少し茶味がかっているのがすっきりと整った顔立ちをひき立てている。
「思ったのだがね、私の創作への姿勢を、見てもらいたいと思ってね」
「創作への姿勢?」
「ここで、カフェのその、ほらそこの二人を、さらさらっと描いて見せる。そして、その場で展示する。もちろん、フルモリくんには、その間に朗読をしてもらってもかまわない。芸術と文学のコラボレーションだ」
「なるほど。それは、おもしろいかもしれませんね」
二人は通じ合ったようだ。
彼らは細長いグラスを、チン、と合わせて、ひと息に飲み干した。
グラスには透き通ったルビー色の液体が満たされていた。
ワインだろうか、清澄なきれいな赤いブドウ色をしていた。
「それ、ワインですか。度数、強くないんですか、そんな一気に飲んで」
「これは、アルコールではないのだよ」
「アルコールでない?」
「これは、ローズヒップコーディアルのサイダー割りですよ」
フルモリさんが答えてくれた。
「ローズヒップはバラの実のことだって知ってるけれど、コーディアルって、アルコールでなければ、ジュース?」
「コーディアルは、ハーブや果物を水と砂糖のシロップに漬け込んで濃縮した、伝統的な飲みものなんです。飲む時は、水や炭酸水で割っていただきます。 確か、アルコールを使ったものもありますよ。似たようなものとして、ビネガーもあります」
「ビネガー? ワインビネガーとか、お酢を飲むのね、美容法で流行したっけ」
「ラズベリービネガーなどは、飲みやすいと思います」
「ハーブのコーディアルは、すっきりしたり、さわやかになったり、くつろいだりと、からだが喜んでいるのがわかります。ハーブを濃縮したシロップは、滋味と健やかさを感じられますよ」
「ありがとう。説明、わかりやすかった」
「どういたしまして」
フルモリさんは、そこで、思い出したかのように、オリオンさんに声をかけた。
「コーディアルを、彼女にも飲んでもらったらいいのではないですか。新作は、いろんな人の意見があった方が」
「ご提案おそれいります。では、こちらは、メニューにはまだ載せておりませんが、もしよろしければ、お味みをしていただけませんか」
オリオンさんが、さりげなく声をかけてきた。
「あ、はい」
ティアリオンがグラスを持ってきた。
ルビーレッドの果実が、3つほど浮いている。
「ペパーミントのコーディアルです。レモンライムサイダーで割ってあります。ラズベリーの甘酸っぱさが、ミントの強さをなじませてくれます」
グラスを受取って顔を近づける。
ミントとレモンライムの清涼感が相乗効果に、すっと息を吸い込む。
ラズベリーの甘酸っぱさが、緩衝材となって、味がまとまっている。
穏やかな空気のカフェに、静かに発光するスエナガさんの持論。
コーディアルのはじける炭酸の粒がしみわたるとともに、画家、詩人、といった表現者という存在に抱いていた遠い距離感が縮まってくる。
尊重するのが肝要なのだ。
奇異に思えることであっても、真摯に表現と向き合っている人の考え方を。
もちろん、全面的に肯定しなくてもいいのだ。
自分にしっくりなじむ部分を、表現の中に見出すよう、向き合うだけで。
少しの時間を、自分に響いた表現を咀嚼するのにかけてみる。
それだけで、日々の中に、さっと刷毛ではらわれた空の青がのぞく。
「お口なおしに甘いものをいかがですか」
ティアリオンがワゴンを押しながらテーブルにやってきた。
「こちらのお皿は、ショコラと焼菓子です。クールスイーツは、コアントローのシャーベットのオレンジピール添えをご用意できます。ご注文をうかがいましてから、おつくりいたします。コアントローは、ビター&スイートオレンジピールフレーバーのホワイトキュラソーですので、アルコール分多めのシャーベットになります。お好みで、サーブの前にコアントローを1スプーンおかけいたします」
フェザリオンが、スプーンでホワイトキュラソーをシャーベットにかける仕草のパントマイムをしながら、クールスイーツの説明をした。
「アルコール多めのデザートは、最後にいただこうかな。ショコラと焼菓子、いい匂い、美味しそう」
「ショコラは、焼きチョコのキューブにスペアミントの葉を添えて、ブランデーをほんの少したらしてあります」
「チョコも+アルコールなのね」
はっ、とした表情で、ティアリオンがすまし顔でまつげをパタパタさせた。
フェザリオンが、ティアリオンに目くばせして、説明を続ける。
「ショコラのとなりは、サクランボのクラフティです。熱々のうちにどうぞおめしあがりください」
焼き色のついたカスタード風の生地の波間から、キルシュ漬けのサクランボたちが仲良さげに顔をちょこんと出している。
熱々の生地から立ちのぼってくるのは、ほのかにバニラの香るカスタードクリームと焼くことで甘酸っぱさの強調されたサクランボの香り。
ティアリオンは、オーバル型の陶器の浅い焼型からケーキサーバーで一すくい、クラフティをケーキ皿に取り分けてくれた。
あれ、さくらんぼが赤くない。
火を通してあっても、少しは赤味が残ると思うのだけれど、黒っぽい?ダークチェリー?
そう思っている間にスエナガさんがひと口クラフティを頬ばった。
ガリッ。
え? ふわっ、じゃないの?
クラフティ―は、生地もやわらかいし、甘酸っぱいさくらんぼも火を通せばやわくなっているはず、決して、ガリッなんて音はしないはずなのに。
「本日は、フランスはリム―ザン地方のブラックチェリーが手に入ったので、その土地の昔ながら風でおつくりいたしました」
フェザリオンが言った。
「さくらんぼの種を抜かないことで香りが封じ込められたままになっています。香りとともに種の滋味もおめしあがりください」
ティアリオンが言った。
素朴な見かけの焼菓子ながら、さくらんぼのクラフティは、なかなか手強い相手らしい。
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