第9話 クレソンとポテトのポタージュに咲くチャイブ

「おまたせしました」


 フェザリオンがスープを運んできた。

 あたたかみのある白のスープ皿に、磨かれて年季の入った銀のスプーン。


 淡いグリーンのスープには、ラテアートよろしく、オリーブオイルと濃い緑のクレソンペーストで大小の水玉が描かれている。その合間に、ぽつん、ぽつんと、赤紫のチャイブの花が咲いていた。


 なんとなく、睡蓮の池を思わせる。


「クレソンとポテトのポタージュになります」


 スープ皿と同じシリーズらしい小皿に、小ぶりの白い丸パンと、全粒粉のどっしりとした田舎パンが一切れ。

 アカシアの蜂蜜と、ラズベリーのジャム、夏みかんのマーマレードとともに。


 スープにパン、これだけで、十分満腹になりそうだ。


「パンは、スープにもれなくついてきます」


 グラスにミネラルウォーターを注ぎながらティアリオンが言った。 


「いただきます」


 銀のスプーンで、もったりとしたポタージュスープをひと口。


 あ、これは、ベジブロスだ。

 野菜の甘みとやさしさだ。

 野菜同士の風味が損なわれていない。

 お肉や魚貝のだしも美味しいけれど、野菜のうま味を引き出して味わうには、強すぎる。


 ベジブロスとは、ベジタブルブロス、すなわち、野菜でとっただしのこと。

 野菜のうま味がたっぷりで、加える調味材によって、和風にも洋風にも、中華風にもエスニック風にもできる。

 美容と体調を調えてくれるサプリメントスープ。


 「ベジブロス?」


 ふっと、口をついて出た言葉。

 うれしそうにうなずいたのは、二人の子どもたち。


「はい。今日のスープは、玉ねぎとにんじんと大根の皮と、キャベツの芯と、ポロネギの青い部分を使ったベジブロスがベースです」


 フェザリオンが答えた。


「蒸したじゃがいもを裏漉ししてから、クレソンのペーストを加えます。それから、お鍋に移して、ベジタブルブロスを少しずつ注ぎながら、溶き伸ばしていきます。弱火でじっくりじっくり」


 ティアリオンが、おなべをかき混ぜる様子を再現する。


「弱火でじっくり煮込んだら、そう、焦がさないように気をつけて、最期だけ一瞬煮立てて、火を止めます」

「お皿にスープを注いでから、オリオンさんが、仕上げをします。今日は、オリーブオイルと、クレソンのペーストと、チャイブの花で」


「落っこちた星が咲く池です」

「とろりとしているから、池というより沼かもしれません」


 二人は、そこで顔を見合わせて、くすりと笑うと、


「沼の泥をかいくぐって、ようやく顔を出した、星の花です」


 と、秘密を打ち明けるようにささやいた。


 一皿のスープをめぐる想像の会話は、尽きそうになかった。


 冷めてしまう前に、もっと味わいたい、とばかりに、スプーンを口へ運ぶ。

 運びながら、質問をしてみる。


「本当に、美味しい。野菜のうま味がからだに染み渡っていくよう。それにしても、とっても口当たりがいい。このなめらかさは、フードプロセッサーを使って出しているの?」


「じゃがいいもの裏漉しは、こし器と木べらでつくります」

「ポタージュの時は、いつも、二人でつくります」


「機械の大きな音が苦手という方が、当店へは多くいらっしゃるので」

「機械の音も、ものによってはリズミカルでいいものですが、そういうものばかりではないので」


「そういえば、調理の音、あまりしないのね」

「オリオンさんは、音楽や人間の声の波長に合わせて、調理の音を調節する技を修得されているのです」


 調理の音を調節する技!?

 そんな調理技術、いったい、どこの専門学校で習えるの!?


「では、冷めないうちに、どうぞお召し上がりください」

「では、オープンサンドをおもちいたします」


 フェザリオンとティアリオンはそう言うと、カウンターの向こうへ下がっていった。


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