第7話 たんぽぽはコーヒーで
おまかせメニューをひと通りいただいて、コーヒーをおかわりしてひと息をついた。
穏やかな充足感。
と、中庭に面した鉄枠の扉のきしむ音がした。
「いらっしゃいませ」
「いらっしゃいませ」
フェザリオンとティアリオンが声を揃えて出迎えた。
入ってきたのは、無精ひげが妙に似合っている少しくたびれた様子のおじさん。
目深にかぶったハンティング帽のつばをいじりながら、ざっと室内を見回して、彼は中庭に面した窓際の席に腰かけた。
それから、彼は、おもむろにスケッチブックを広げた。
なんだろう。
スケッチブックに指で絵を描いてる?
よく見ると、人差し指に爪カバーをつけていた。
その銀色にちかちか光る爪カバーが、ペンになっているらしい。
彼は険しい顔で何か凝視している。視線の先には、空気のような男の子フェザリオン。
「こんにちは、スエナガさん。おひさしぶりですね」
「やあ、きみか、フェザリオンくん。そういえば、ひさかたぶりになるね」
彼――スエナガさんは、声をかけられて気付いたという風に答えた。
この人も常連なのだろうか。
かしこまったような親しげなような様子が、微笑ましい、というより、何か奇妙なひっかかりとなって背中に煙る。
「いつものをたのむよ」
「はい。いつものですね。お待ちくださいませ」
スエナガさんは、注文をすると、おもむろに私の方を向いた。
しまった。
凝視していたのを気取られてしまったようだ。
スエナガさんは、コホン、と一つ咳払いをして、話し始めた。
「私は、子どもを描くのが好きでね。元気いっぱいというか、ある種のエネルギーが満ちているだろう、子どもは。描いていると、自分の中にもエネルギーが満ちてくるような気がするんだよ。どちらかといえば、男の子を描くのが得手なのだよ。女の子も描くけどね、生物の雌雄として持っている成分が違っているのか、私は、うまく咀嚼できないのだよ。うむ。咀嚼できないというのは、作品に昇華できないということだ」
大真面目に、スエナガさんは語っている。
確かに、子どもの発するエネルギーの強さというのはあると思う。
生物としての雌雄云々というのも頷ける。
咀嚼とか昇華とかいうのも、わかる気がする。
「私は、ずっと、世界中の子どもをスケッチして歩いてるんだ。でもね、すい星と旅する子どもなんてのは、ここにしかいないからね。正しくは、すい星から落っこちた子どもだがね。なにしろ、地球を超越している子なんだ。存在自体が至天なんだよ」
スエナガさんの話は、筋が通っているような、でも、納得しきるには自分は凡庸すぎるような、そんな妙に心をざわつかせるものだった。
「私は、これでも絵で生計をたてている」
そう言って、スエナガさんは、端が黄ばんだ文芸誌の挿絵のスクラップブックを見せてくれた。
それから、彼は、声をひそめた。
「
スエナガさんの口からSFじみたセリフが出てきた。
私は、首をかしげながら、スクラップブックを眺めた。
そこにあったのは、予想外にまともな挿絵たちだった。
まともどころか、ていねいに描かれた美しい風景画や、みずみずしいタッチの人物画だった。
「ステキな絵ですね。何かを捉えてる、っていうか」
プロに向ってなんてセリフ。
でも、まあ、もう口に出してしまったのだからしかたない。
「なに、わかるのかね、私の絵が」
ずいぶんと複雑そうな顔で、スエナガさんが言った。
「わかるかって言われると、専門的なことはわかりませんけれど、生き生きしてるっていうか」
「そうか、生き生きしているか、なるほど、なるほど」
スエナガさんはうれしそうに何度もうなずいてから、フェザリオンの運んできたコーヒーのような液体をひと口飲んだ。
「うん、大地の味がする。根っこの味だ、麦こがしのなつかしさだ」
「コーヒー、ですか?」
「これは、たんぽぽのコーヒーだ」
スエナガさんの“いつもの”は、たんぽぽののお酒ではなく、たんぽぽのコーヒーだった。
それから、スエナガさんは、陶器の蔓薔薇で縁どられた小皿に盛られた、ミントの葉とスミレの砂糖漬けをつまんで、
「野辺の草花に宿る甘露の結晶だよ、これは」
とつぶやくと、口にほうりこんだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます