第34話 臨済禅師の故事に倣う

「よし、素っ裸になったな。そしたらこの越中えっちゅうふんどしをつけろ。今からブンゴには滝行をしてもらう。滝場まで案内してやるから俺について来い」

 珍念のなすがまま、ふんどし一丁で山道を歩いて行った。


 案内された滝場は滝行をするのにおあつらえ向きの大きさで、神秘的で厳かな雰囲気に満ちていた。


「じゃあ早速あの滝に打たれろ。今日みたいなクソ暑い日にゃご褒美みてえな行だ。俺に感謝しろ。ついでに言うと、滝に打たれている間は大声を出せ。そうしねぇと精神が負けちまう。お前は適当に滝行をしたら適当に帰ってこい。道は覚えただろ。俺は買い物をしなきゃならんから帰る」

 珍念はそう言うとさっさと帰ってしまった。


 なんだか急に馬鹿らしくなったので、着替えて山を下りようと思った。

 いや、ちょっと待て。

 僕は自分の意志でここに来た。

 もっと強くなるために。

 それにここで帰ったら、僕のわがままを聞いて快く修行に送り出してくれたテリー組長に申し訳ない。

 少なくともこの山にいる間は珍念に従おう、と決意を新たにした。


 確かに珍念の言った通り、滝に頭を打たせていると気持ちがいい。

 雑念や怒りが洗い流されていくようだった。

 殴られた箇所の熱も冷えていく。

 そうだ、大声を出さなければ。


「腹が減った!」

「打倒! 神の御業みわざ!」

「我に力を!」

「珍念のバカ野郎! 金を返せ!!」


 いい加減、耐えられなくなったので迷いながらもなんとか寺に帰った。

 用意された作務衣に着替え、夕飯の支度を命じられた。

 椀一杯のかゆがその日の夕飯の全てだった。

 ただし、珍念は焼き鳥と餃子とレバニラ。そして缶ビールが数本。


「こうして話しながら飯が食えるのも久しぶりだ。ジジイがいねえおかげだな」

 対面で焼き鳥を美味そうに頬張りながら珍念が話しかけてきた。

「今日は殴ったりして悪かったな。だがありゃあ暴力じゃなくて喝を入れてやったんだ。殴られることで修行者はいったん思考活動が止まるそうだ。禅の修行は命がけだ、指導する方もされる方も」

「はあ……」

 珍念は缶ビールを一本飲み干すと二本目を開けた。


「この腕の入れ墨を見ろい。立派な龍だろう。まるで生きているかのような躍動感。たまんねえ。コイツのおかげでムショでもナメられずにすんだんだぜ」

「はあ……」

 珍念は気持ちよさそうに二本目の缶ビールを飲み干し、三本目を開けた。


「ところでお前は祓い屋なんだって。聞いたぞ、なんでも餓鬼に取り憑かれたバカで間抜けで阿呆な奴がいるってな。ギャハハハハハ。弟子を見りゃあよ、その師匠の実力ももわかるってもんだ。ギャハハハハハ。さっきから物欲しそうにしてるけどよ、俺様の焼き鳥はやらねえぞ。この匂いをおかずにして粥をありがたくいただけ。これも修行だ。ギャハハハハハ」

「……」

 湧き上がってくる殺意を抑えるのも、きっと修行に違いない。

 粥を食べ終わり食器を洗い、畳部屋に戻り布団を敷きすぐに眠りに落ちた。

 風狂寺での初日はこうして終わった。


 ◆ ◆ ◆


 気持ちよくまどろんでいると突然、頭に衝撃を感じた。

 珍念に枕を蹴っ飛ばされて起床。

 時計を確認すると午前の三時半。


 その日は朝から修行というか、珍念にこき使われた日だった。

 掃除、洗濯、墓地の草むしり、寺の屋根ふき、飯の支度、果ては珍念のマッサージまで。


 もちろん珍念は『喝ッ!!』と叫び、僕の体中を殴ったり蹴ったりするのも忘れない。

 おかげでアザがあちこちに出来ていた。


 夕方になって夕食の支度に取り掛かろうとすると、その必要はないと珍念から言われた。

「なぜならお前は飯抜きだからだ。これから徹夜で座禅をしてもらうからな。腹がふくれちゃ寝ちまうだろ。俺様の気遣いに感謝しろよ」

 今夜眠れないのは確定らしい。


「お前はな、俺がうな重の特上を食う様をしっかりと見届けるがいいぜ」

 珍念は実に美味そうに食っている。

 空腹の僕を前にして。

 しかし、うな重なんてどこで調達してきたんだろう?


 やがて珍念はスマホを手に通話を始めた。

「あ、もしもし。明日の午後は暇か? 今、和尚のジジイがいねぇから遊びにこねぇか。駅からのタクシー代なら出すぜ。臨時収入があったんだ。トロい奴が来たから金を巻き上げてやったのさ。和尚の部屋ならクーラーもあるからよ、楽しもうぜ。部屋が生臭くなっても清掃してくれる奴隷がいるから、な。じゃあ、待っているから」


 珍念はスマホを切ると笑いながらこっちを見た。

「おい、お前は霊とかが視えるそうだな。それを使って小遣い稼ぎをしないか。明日の午前に檀家が墓参りにやってくるからよ、そん時に悪霊が憑いているとか適当なこと言ってお祓い代をもらっちまおうぜ。お前には成功報酬として半分やる。太っ腹だろ。感謝しろよ」

 珍念はそう言うとご機嫌で、風呂に入りにいった。


 禅堂で座禅を組む。

 庭に通じているのでさっきから蚊に食われている。

「いいか、無益な殺生はするなよ。そう言う意味では蚊取り線香はアウトだ。蚊をつぶすなんて以ての外だ。朝まで辛いだろうが頑張れよ。寝ていたら『喝』だからな。じゃあ、俺は寝る」

 珍念はそう言うと自分の部屋に帰っていった。


 徹夜で座禅は達成できる自信があった。

 なぜなら寝ようにも、かゆみと空腹と怒りで寝るどころではなかったから。


 禅堂から夜空を見上げると、田舎だけあって無数の星が煌めいている。

 アレがデネブ、アルタイル、ベガ、夏の大三角形。


 そしてたくさんの思いが溢れてきた。

 ――こんなことならしば先生と一緒に山ごもりをするべきだったかな。

 ――ブルーノはどうしているかな。

 ――ミコミコはまだ怒っているかな。

 ――井上エクスカリバーを持ってこなかったのは失敗だったかも。

 ――山を下りたらラーメンが食いたいな。

 ラーメンのことを考えたら腹の虫が鳴った。

 食べ盛りで成長期の身に夕飯抜きは耐え難い。


 ――そもそも修行とは珍念の言いなりになることか?

 ――否! 断じて違う。

 ――明日は山を下りよう。


 そう決意したらいつの間にか寝ていたらしい。

 気が付くと朝日が昇り始めていた。

 僕は立ち上がり台所に向かった。

 冷蔵庫を開けて、前から目をつけていたバケツプリンを食べだした。

 かつて釈迦は苦行をやめ、里に下りた時にスジャータという少女から乳粥をすすめられた。それを食べて苦行の無意味さを実感し、やがて菩提樹の下で悟りを開いたと言う。

 ならば僕の行為もそれと一緒だろう。

 

 食べ終わるとバケツを持って珍念の寝室に入り、寝ている珍念の頭をバケツで思いっきり殴った。

 珍念は文字通りマンガのように飛び起きたので笑ってしまった。


「な、何だ。い、痛え」

 珍念が状況を把握する前に金的を蹴り上げ、前かがみになったので後頭部に肘打ちをお見舞い。おまけにアゴに膝蹴りを一発。


「な、何をしやがる、この野郎」

「もうここじゃ学ぶこともないんで山を下ります」

「ふざけんな! この腕の龍の入れ墨にかけて許さん」

「その龍が腕から飛び出して炎を吐き出すくらいの芸を見せてくれりゃちょっとは楽しいんだけどな。まあ、無理だろうな」

 僕の言動で珍念は怒りまくっている。


「喝ッ!!」

 そう叫ぶと珍念は僕の顔面を狙って殴ってきた。

 だが、あまりにもコイツに殴られたのでパターンはすべて読んでいた。

 ヒョイと上体をひねると、パンチは空振りしてこぶしが後ろの壁にぶつかった。


「貴様、今までの仕返しか?」

 痛さに耐えながら珍念が言った。

「いや、その昔に臨済禅師は大悟徹底した時、その証明として自分の師匠をぶん殴ったそうです。禅の修行は指導する方もされる方も命がけ。ククク……」

 ここに来る前に禅の予備知識を入れといて本当に良かった。 


「いや、ブンゴは魔境に入ったんだ。俺の喝で元通りにしてやるからそこになおりやがれ」

 珍念は前に一歩踏み出すと、枕を踏んづけ足を滑らせ、後頭部を机の角にぶつけた。

 ガンッと嫌な音がして珍念はそのままイビキをかいて再び寝始めた。


 しょうがないので僕は珍念をまた布団の上に戻してやった。

 それから机の引き出しを開けて僕の財布とスマホを無事に見つけた。

 ついでに珍念の財布も見つけた。中を開けたら十万円入っていた。

 殴られた治療費と慰謝料として全額もらっておいた。


「じゃあ珍念さん、勉強になりました。しかし大きいイビキだなあ。今度ここに来る時はイビキ防止グッズをお土産に持ってきます」

 珍念を上から見下ろして声をかけた。


 寺の門を出ると、僧衣を身にまとった威厳のある年老いた僧とすれ違ったので軽く会釈をした。


「待った。そなたはもしかしてブンゴ、引田文悟ひきたぶんごか?」

「そういうあなたはもしかして厳峻げんしゅん和尚?」

「いかにも、儂がそうだ。ところでそなたの世話は珍念に任せておったのだが、珍念はどうしておる?」

「ああ、彼なら寝室で大きなイビキをかいて寝ています。なんか平和ですね」

「急な用ができて留守にせざるをえんかったんじゃ。すまない。今日から儂直々にそなたを鍛え上げよう」

「いや、弟子を見ればその師匠の実力もわかります。それに僕はここで学び終えたので山を下りるところなんです」

「ほう、何を学ばれた?」

 厳峻和尚が興味深げに聞いてきた。


「夏に夜を徹して座禅を組むなら、虫除けスプレーとムヒは必須だと学びました。あれなら蚊の殺生にもならないですし」

 僕は蚊に食われた所をボリボリと掻きながら言った。

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