第四章 勧誘ばやり

第19話 シバの女王

 ――その日の二年一組の教室は朝からザワザワとしていた。特に男子中心に。

 ある噂が流れていたせいだ。

 曰く、新しい担任が今日やってくるらしい。

 曰く、若くて、しかも絶世の美人らしい。

 曰く、蛇神様を祀る神社の娘らしい。

 曰く、シバの女王という異名があるらしい。


「本当だったらサイコーだな。もう高望みはしないぜ。キレイな人に毎日会えるだけで満足さ」

 親友の相馬そうまは僕にそう言って遠い目をした。

 今度こそ、相馬には幸せになってほしい。ムッチーとの件では負い目がある。頼まれれば新しい担任との仲だって取り持とうと僕は決意した。


 HRの時間になって教室の扉が開いた。

 その人物が教室に入ってきた瞬間、男子から歓声と口笛と拍手の嵐が起きた。

 白いブラウス、ベージュのスカート、肩まで伸ばした黒髪、余裕のある笑顔。見たところ20代で均整の取れた身体。可憐な花というよりは大輪の薔薇。その女性は大女優のようなオーラを全身から放っていた。


 だが、僕と恋人のミコミコだけはその瞬間に固まってしまった。

 アレはヤバイ。

 男どもよ、気が付かないのか。

 あの女の凄みと迫力と冷たさに。


「本日付けでこのクラスを受け持つことになりました柴美和子しばみわこです。よろしくお願いします。さて早速ですがお知らせです。まだ先生は皆さんのことを知らないので今日から一人ずつ個人面談を行います。後で指名された生徒は放課後速やかに資料室に来るように」

 柴先生は意外と可愛いアニメ声でそれだけキビキビと言うと踵を返し教室から出ていこうとした。


「ちょっと待ってください。柴先生に質問があります」

 手を挙げ引き止めたのは相馬だった。ああ、あいつの目は完全に一目惚れした目になっていた。


「柴先生に今、付き合っている人はいるんですか?」

 思春期の男子だったら誰でもする質問だった。ましてや美人の先生には。

 しかし相馬が質問を終えた時、教室の温度が一気に冷えた。鳥肌が立つくらいに。

 柴先生は笑顔で無言で相馬を見ている。

 あの笑顔はヤバイ笑顔だ。


「答えにくいようなので次の質問に移ります。柴先生のスリーサイズを教えて下さい」

 しかし相馬はめげなかった。

 この質問にしたって思春期の男子がよくするお約束だ。

 だが、柴先生の逆鱗に触れたらしい。

 彼女は相馬をギンっとにらんだ。


 その時、僕は確かに視た。

 柴先生の背中から現れた大蛇が鎌首をもたげているのを。


 相馬は急に苦しみだし口から泡を吐き、鼻血を出している。

 周りが騒然とする中、僕は確かに視た。

 柴先生の放った大蛇が相馬の全身に巻き付いてグイグイ締め上げているのを。


「柴先生、やり過ぎです」

 たまらず僕は叫んだ。

 彼女はハッと我に返ると大蛇を消し、相馬を解放した。


「アンタは視えるんだね。よろしい、今日の放課後の個人面談はアンタがしょぱなだ」

 僕の顔を見て、柴先生は笑って言った。

「アンタではなく引田文悟です。仮にも担任なら生徒の名前は覚えておくことですな」

 先生の言葉にそう言い返したが内心は怯えていた。果たしてあの神話級の大蛇に勝てるだろうか。井上エクスカリバーを使っても難しいかもしれない。

 相馬を保健室に連れていきながらそう思った。


 ――その日の放課後。

 ノックして資料室に入ると柴先生が椅子に座って笑っていた。

「扉の鍵を締めてその手前の椅子に座りなさい」

 全身からあふれるプレッシャーには似合わないアニメ声に従った。

 僕と柴先生は机を挟んで向かい合った。


「さっきはアンタ呼ばわりして悪かったな。引田文悟ひきたぶんごくん。いや、たましずめ組所属、いにしえの剣豪・疋田豊後ひきたぶんごと呼ぶべきかな」

 これには度肝を抜かれた。いきなり強打をもらうとは思いもしなかった。


「そのマヌケな面、いいねえ。ああ、わかっている。ちゃんとわかりやすく説明してやるからよく聞くんだ」

 彼女は脚を組んで勝ち誇った顔をしている。


「先生は古くから蛇神様をお祀りしてきた神社の生まれでね。由緒正しい神社だが退魔に特化しているのは知る人ぞ知る事実」

「はあ」

「この国の創生時から日本の神々は協力して力を合わせ、外からの邪神や魔の侵入を阻んできた。今でもその神々の力を強く受け継いだ特別な能力者たちが政府の様々な組織で働いている」

「はあ」

「神社庁や公安に警察庁や防衛省はもとより、先生のように直接生徒に教えたりする者まで。挙げればキリがない」

「はあ」


 想像以上の壮大な話に”はあ”としか相づちが打てなかった。そのリアクションを見て柴先生は満足そうに笑っていた。


「前担任の風間先生がやらかした邪神騒動を覚えているな。あの邪神は古くからの怨敵だ。日本の神々や先生たち能力者ははるか昔から戦ってきた。だが今でも手を変え品を変え、日本で信仰を集めようと画策している連中がいる」

「はあ」

「……さっきから『はあ』としか言ってないが続けるぞ。邪神にとって学校という場所は割と狙い目なんだ。生徒たちはまだ社会に出ていないし扇動しやすい」

「はあ」

 なかなか本題に入らないので腕時計を見た。まだ五分も経っていない。

 しかしこの動作が柴先生を怒らせたらしい。


「オイ、忠告するが目上の人が話している時は決して時計を見るなよ」

「はい」

 ここは素直に言うことを聞いた。


「普段ならすぐに情報が伝わり、邪神の信仰をストップさせるのだが今回に限っては危なかった。何故か情報がうまく伝わらなかったんだ」

「はあ」

「だが、一人立ち向かう者がいた。ブラフだけで邪神像を引っ込めさせ、ムチ使いと軍師を撃退した人物。それがアンタだ、ブンゴ」

「はあ」

「本題に入ろう。我らの組織はブンゴを高く評価している。我が組織に協力をしろ。『たましずめ組』なんてチンケな組織はサッサと辞めてこちらに入れ。高待遇を約束する」


 耳を疑った。

 この女は、たましずめ組の事をと侮辱した。

 親友である相馬を傷付けたのも許せないのに。

 持ち前の反骨心が頭をもたげてきた。


「そんな話ならお断りします。では失礼します」

 そう言って席を立ったら資料室内の温度が一気に冷えた。

「座れ。”シバの女王”が直々にスカウトするなんてめったにないことだぞ。せめて理由を聞かせろ」

「理由は3つ。先ずテリー組長に筋を通してください。当たり前でしょう。常識ですよ。貴女、本当に社会人ですか? 蛇を背中から出すぐらいしか能がないんですか?」

 さらに部屋の温度が下がったが構うもんか。もっと感情を揺さぶってやろう。


「で、2つ目の理由はなんだ?」

「ウチには専属の占い師がいましてね。『これからブンゴは様々な人や組織に勧誘されるがすべて断れ。特に蛇女へびおんなには要注意!』なんて注意されています」

 僕の言葉を聞いて彼女はワナワナと怒りで震えていた。背中から大蛇が鎌首をもたげているのが視えた。

 それでも言わずにはいられない。


「最後の理由ですが、貴女はメンタルが弱すぎます。煽り耐性ゼロですか? ちょっとからかわれたぐらいで素人に能力を使い傷付ける。僕が邪神だったらそのキレやすい性格を利用しますよ。プロだったら感情が安定していないと。さっきの話も嘘八百なんじゃないかな。ククク、今も大蛇が僕を狙っているし。スカウトするべき人物を痛い目に合わす組織ならますますお断りです」


 言いたいことを言ったので、大蛇の襲撃に備えていたらその気配が全く無いので拍子抜けしてしまった。

 彼女はスーハースーハーと深呼吸を繰り返して見事に怒りを抑えていた。大蛇も消えている。


「……確かにそのとおりだな。ならば今のままでいいから我が組織に協力をしてくれ。共に邪神と戦ってくれ、とまでは言わん。情報提供でも何でもいい」

「僕にはそんな義理はないですよ。でも、僕と一緒に邪神と戦いたければ貴女の覚悟を見せて下さい。それができない人に背中を預ける事はできません」

「その覚悟とは?」

「全裸になる覚悟です」

「ハア? すまないがもう一度言ってくれないか」

 柴先生はキョトンとした顔で聞いてきた。


「全裸です。素っ裸です。真っ裸です。マッパです。一糸まとわぬ姿です。これはセクハラではありません。僕はフルチンになって窮地を脱したことが何回かあります。ですから柴先生も今ここで脱いで下さい。さあ! さあ!」

 僕が言い終わるやいなや、平手打ちが飛んできたので咄嗟にスウェーバックでかわした。


 柴先生を見ると、顔が真っ赤で呼吸が荒い。せっかく怒りを静めたのに。


「まだまだですな。だけど、すぐに脱げるようになったら協力をしてやってもいいですよ。その時は一緒に邪神と戦いましょう」

 僕は固まっている柴先生を後に悠々と資料室から出て行った。


 多少、からかいすぎたかもしれない。

 だが。

 傷ついた相馬の仇は討った。

 たましずめ組の名誉は守った。


「なぁにがシバの女王だ。全裸にもなれないくせに」

一人つぶやくと、僕は家路に着いた。

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