第2話 7/25 09:30 神田志保

 私は憂鬱な気分で、まだ甲板で三木さんと話している彼を待っていた。


 先程彼を探して船内を歩いていたら、偶然彼と三木さんが話しているのを見かけてしまった。


 それだけであれば、最近の彼の行動としては自然なことなのだが、その三木さんと目が合った瞬間に、私は咄嗟に逃げ出してしまった。


 何故逃げたのかと聞かれれば、それはなんとなく2人が話しているところを見るのが酷く怖かったからだ。


 いつの間に、こんな気持ちになってしまったんだろう。


 三木さんが転校してきて直ぐの頃は、彼が三木さんと話しをしていても全く気にならなかったのだが、いつの間にか、彼と三木さんが話しを始めると、いつも目を背けてしまうようになっていた。


 そんなことで、三木さんとは今ではすっかり疎遠になってしまった。


 そんな稚拙な理由で、何も悪くない三木さんを避けてしまう自分が嫌になる。私は自分のスマホにぶら下がっている青い貝殻のキーホルダーを眺めながら壁にもたれかかった。


 そんな時、階段の上の扉が開き、彼が憮然としてた表情で歩いてきた。


 高身長の彼が、笑顔もなく歩いてくると、なかなかの迫力がある。


 いくら幼馴染であっても少し怯んでしまうが、なんとか声を振り絞ろうと口を開ける。だけど、そこで発せられた言葉はなかった。


 わざわざスマホのメッセージで彼を呼び出したのに、何を話すかまったく考えていなかった。


 何か話さなくては。


 焦りながら、なんとか言葉を絞り出す。


「えーっと、その、なんというか……ゴメン。」


 だけど、絞り出した言葉はなぜか謝罪だった。


「はあ? お前どうしたの? ていうかなんで呼び出したん?」


 彼の疑問もごもっともだろう。


 だけどこれはいい機会だ。


 自分の気持ちはまだよく分からないのだけど、三木さんのことについてはっきりさせておきたい。


「……あの、三木さんのことなんだけど……なんか最近仲良いなあって思って。」


「はあ? それで?」


 彼は尚も首を傾げて聞いてきた。


 その仕草に、妙な苛立ちを覚える。


「いや、それでって…だからなんでそんなに三木さんと話してるのってこと。なんか最近航くんあんまり私のこと構ってくれなくなったよね。それなのに三木さんにはよく話しに行ってるみたいじゃん。」


「そんなことないって。それは志保の気のせいだろ。」


 本当にそうだろうか。


 三木さんはお世辞抜きで、校内でもトップクラスにかわいいと思う。


 偏差値70超の、東京のお嬢様高校から転校してきたことについても全く気取ったところもなく、気軽に話せる子だった。


 ただ、男子の間ではなかなか彼女に話しかけられる猛者はあまりいない。実際に話してみれば話しやすいのだが、いかんせん女子でもドキリとしてしまうような容姿の彼女に、男子が普通に話しかけるのは躊躇われるのだろう。


 そんな三木さんに、男子の中で唯一転校当初から気軽に話しかけていたのが彼だった。


 彼のことだ。転校してきてまだクラスに慣れていないだろう三木さんを気遣って話しかけていたのだろう。だけど、それにしても最近は話す頻度が多い気がする。


「それにしたって話し過ぎじゃない? 最近はもしかしたら、私より三木さんと話してる時間の方が長いんじゃないの?」


「だからなんだよ。 オレが誰と話そうがオレの勝手だろ。」


 その言葉に、私の鋼鉄の堪忍袋の尾が切れかかるが、辛うじて冷静さを保つ。


「……っ。 さっきだって、なんで船に乗って直ぐに三木さんの所に行ったの? 島に着いたらなんだかんだで、2人きりになれる時間そんなにないかもしれないのに……。」


 なんだか、話していて段々泣き言になってきた。


 自然と涙腺が緩むが、なんとか我慢する。


「私はただ、もっと航くんと話したいだけなの。 他の子よりももっと沢山話したいの。」


 ……ダメだ。


 我慢していた瞼から涙が溢れてくる。


 いつもの癖で、こういう話になるといつも堪え切れずに涙が溢れてしまう。


 私は俯いて、泣き顔を見られまいと彼から顔を逸らした。


 すると、私の軽くパーマをかけた頭を優しく撫でる手があった。


 慣れた手つきで私の頭を撫でる彼は、先程とは違う、いつもの優しい声音で囁くように言った。


「……わかってるだろ。 俺が好きなのは志保だけだよ。 それとも俺が信じられないのか?」


「それは信じてるけど……。だって、三木さんばっかり構ってズルいんだもん……。 私だって、もっと構って欲しいもん……。」


 感情と一緒に涙が頬を伝う。そんな私を、航くんは優しく私を抱き寄せた。


「馬鹿だな志保は。そんなこと心配するなんて。でも、志保を心配させたことは謝る。この埋め合わせは今度ちゃんとするから。」


 私は彼の顔を見上げる。彼は端正な顔立ちに優しい笑顔を浮かべ、透き通るような瞳で私を見下ろしていた。


 航くんはズルい。


 そんな顔で見つめられたら、これ以上何も聞けないではないか。心のモヤはまだ晴れないけれど、取り敢えず今はそれでいいではないか。


 航くんが私のことを好きでいてくれるなら、それでいい。


 この二泊三日の臨海学校では、航くんと沢山思い出を作ろう。


 そして、航くんに隠していることを今度こそ打ち明けよう。


 航くんは驚くだろうか、喜んでくれるだろうか。


 少し不安な気持ちもあるけれど、彼となら、どんな困難だってきっと乗り越えられる。


 私は新たな命が宿る下腹部をさすりながら、改めて彼の胸に顔を埋めた。

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